サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

2016-03-01から1ヶ月間の記事一覧

「制御し得る暴力」という妄説について 1

先ほどテレビのニュースを見るまで知らなかったが、昨年来、日本の政治と社会を揺さ振り続けてきた安全保障関連法案が本日、施行されたらしい。 とはいえ、私はそれらの所謂「安保法」が具体的にどのような中身を持つものなのか、それが施行されることによっ…

「溶解する社会」と情報化 伊藤計劃「虐殺器官」に関する読書メモ 1

四月に幕張へ建てた新居へ越す為に、休日なのに朝から起き出して役所巡りに慌ただしく時を費やした。戸籍でも住民票でも印鑑証明でも、重要な個人情報の数々が電子化されつつある時代とはいえども、様々な届や請求を行う度に新しい書類へ氏名やら生年月日や…

それは凡庸で退屈な感傷に過ぎないのだろうか? リュック・ベッソン監督「レオン」

私は熱心な映画愛好家ではなく、映画館に足を運んで二時間余りの沈黙に閉ざされた視聴に金を払う習慣とも、それほど親しい訳ではない。映画館へ足を運ぶ習慣が多少なりとも自分自身の生活サイクルに入り込むようになってきたのは、ここ数年間の話で、それも…

「眼高手低」の孤独(「予言」と「踏破」の二律背反)

先日、Amazonで佐々木中の「戦争と一人の作家」という本を取り寄せて、ぱらぱらと流し読みをした。或いは、そんな言葉が存在するか知らないが「啄読」した。小鳥が芋虫を嘴でするりと捕えて呑み下すような調子で、捲ったページに視線を彷徨わせ、翡翠が清流…

無神論者の供述 アルベール・カミュ「異邦人」に関する読書メモ 2

アルベール・カミュの『異邦人』(新潮文庫)を読み終えたので感想を書き留めておく。 この作品を論じるに当たって、所謂「不条理」という観念が手垢塗れになりながら今でも用いられ続けていることは一般的な事実である。だが、そのとき人は「不条理」という…

成熟と愛情(雨降る街で)

先日、妻が産科を退院して、搗き立ての餅のように柔らかな頬の娘と共に家へ帰ってきた。束の間の索然たる独居は終わりを迎え、親子三人の新しい生活が始まった訳だ。慣れない母親業にすっかり疲れた様子の妻を見ていると胸が痛むが、娘の天使のような寝顔を…

新しい環境 新しい思想(春に寄せて)

あと数日経てば、関東のソメイヨシノも開花しそうだと、先ほどNHKのキャスターが笑顔で伝えていた。未だ肌寒い日が続いているが、暖かくなり始めれば一挙に桜が咲いて、冬のことなど忘れてしまうだろう。そうやって何度も何度も、季節は何食わぬ顔で私た…

受け継がれる生命(私的な備忘録)

全くの私事なのだが、備忘録というか、思い出の記録として書き遺しておきたいことがある。誰の身にも降り掛かるという意味では平凡な出来事だが、その当事者にとっては極めて重要な意義を有する出来事が今日、起きたのである。 2016年3月15日、娘が産…

「不条理」という観念をめぐる逍遥 アルベール・カミュ「異邦人」に関する読書メモ 1

最近、アルベール・カミュの『異邦人』(新潮文庫)を少しずつ読み進めているのだが、なかなか面白い。二十世紀のフランス文学を代表する古典的小説の一つであるという大仰な前評判は、時に幼気な読者を恐れ戦かせ、敬遠させるような危うさを孕んでいると思…

運命論の効用について

物事には必ず原因と結果があり、その関係性を正しく緻密に把握することが出来れば、或る条件を入力することで常に同一の結果を出力することが可能である。 このような自然科学的な発想の形式が、明治以来の慌ただしい近代化を遂げた私たちの国家においても自…

「追憶」の、様々な側面

既に日付が変わってしまったが、2011年3月11日に発生した東日本大震災の甚大な災禍から、早くも私たちの国は五年の歳月を閲したことになる。 昨日はマスコミでもネットでも、様々な場面で「あの日」の追憶が語られ、綴られていた。あの悲劇を二度と繰…

時空を超えて / 「読むこと」の秘蹟をめぐって

大岡昇平の「野火」を読み終えたので、今度は以前に購入して数ページ読んだまま放置していたアルベール・カミュの「異邦人」(新潮文庫・窪田啓作訳)を読み始めた。 本国のフランスで「異邦人」が出版されたのは1942年のことで、アルベール・カミュがこ…

死者と記憶 大岡昇平「野火」に関する読書メモ 3

前回の記事の続きを書く。 比島の女を殺した後、私がその罪の原因と考えた兇器を棄てて以来、私が進んで銃を把ったのは、その時が始めてであった。そして人食い人種永松を殺した後、なお私が銃を棄てていなかったところを見ると、私はその忘却の期間、それを…

任意と必然 大岡昇平「野火」に関する読書メモ 2

本日、大岡昇平の『野火』(新潮文庫)を読了したので、個人的な感想を書き留めておく。 「野火」という小説が所謂「戦争文学」の一つのユニークな絶巓であることは疑いを容れない。フィリピンのレイテ島を舞台に据え、敗兵となった「私」の、死を覚悟した上…

自分勝手に書くこと 「一般論」という陥穽に抗して

私がこのブログを運営するに当たって心掛けていることが一つある。誤解され易い表現であることを承知の上で敢えて言わせてもらえば、それは「自分勝手に書く」ということだ。この「自分勝手」というのは、普遍性のある客観的な明快な言葉で書くのではなく、…

「売ること」と「書くこと」の接続(曖昧な思索)

書くことは何のために行われるのか、という問いは極めて古く、射程も長い。その問いに対する答え方は、答える側の人間が何を重んじているか、或いはどのような視点と角度から、この問いに対峙するかによって、様々な「解」へ導かれることになる。例えば、書…

「物語ること」への奇怪な欲望 身も蓋もない「真実」を遮るために

人間が或る纏まった「物語」を語って聞かせようとする奇妙な欲望に取り憑かれたのは、一体いつ頃からの話なのだろうか? 無論、太古の昔から人間が空想的な物語を、恐らくは現実の事件や記憶を材料に、それを空想的な物語へ置き換えて徐々に筋書きを整備して…

反復と逸脱 大岡昇平「野火」に関する読書メモ 1

最近、大岡昇平の『野火』(新潮文庫)を少しずつ嘗めるように読んでいる。読みながら、眼に留まったところについて覚書を認めておきたい。この数日、連続して記事を書きながら考えている「反復」という主題と関連する(関連させ得る)箇所を発見したので引…

「人間通」の文学 / 「滅亡」という特殊な時間性

引き続き「反復」という主題を巡って妄言を列ねることにする。 三島由紀夫の「金閣寺」に次のような一節がある。 私にとって、敗戦が何であったかを言っておかなくてはならない。 それは解放ではなかった。断じて解放ではなかった。不変のもの、永遠なもの、…