サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

2016-06-01から1ヶ月間の記事一覧

「抽象的なもの」への嫌悪 丸山眞男「日本の思想」に関する読書メモ 2

引き続き、丸山眞男の『日本の思想』(岩波新書)を読み進めている。新書という体裁だが、文体は割合に硬派で、しかも読者が幅広い教養を備えていることを前提として綴られているので、精確に読解することは容易ではない。だが、歯応えのある文章に懸命に縋…

「一神教」的価値観への根本的排撃 丸山眞男「日本の思想」に関する読書メモ 1

先日、Amazonで丸山眞男の著作を数冊取り寄せた。その中で一番ページ数が少なく、新書の体裁なので読み易いのではないかと思われた『日本の思想』(岩波新書)に着手している。末木文美士の「仏典をよむ」を読み進めるうちに個人的な懸案の課題となり始めた…

内田樹「日本辺境論」をめぐる随想

引き続き、日本的なものとは何かという主題を巡って考察を積み重ねていきたいと思う。今回取り上げるのは、前回の記事でも僅かに触れた内田樹の「日本辺境論」(新潮新書)である。 2009年に刊行されたこのユニークな日本論は、世間の注目を集めた話題作…

柄谷行人「日本精神分析」をめぐる随想

批評家の柄谷行人は「日本精神分析」(講談社学術文庫)という書物の中で、丸山眞男の文章を引きながら、次のように述べている。 彼は古代からの日本の思想史を考察して、次のようにいっています。そこには、さまざまな個別的思想の座標軸を果たすような原理…

「日本的なもの」とは何か

日本的であるということ、日本という国家、社会、風土に固有の特質を表現するということ、それは日本人であり、日本語で思考することしか出来ない私のような島国の保守派には自明の行為であるように見える。わざわざ意識的な努力を積み重ねずとも、普通に暮…

仏教の中国化(「彼岸」ではなく「此岸」を重んじよ)

引き続き、末木文美士の「仏典をよむ」から触発されたことを書く。あくまでも仏教に関するド素人の私が書き綴る主観的な感想であり雑記なので、学術的な信憑性を満たすことは有り得ないが、その点については御寛恕を願いたい。 インドで発祥した仏陀の教義は…

「想像力の革命」としての仏教

引き続き末木文美士の「仏典をよむ」を少しずつ読んでいる。 私の浅墓な理解に基づいて書くのだが、仏教というのは基本的に「生老病死」に集約されるような「苦」の認識に基づいている。もっと大袈裟に断言してしまえば、私たち人間はこの世界に生きている限…

この世に生きる限り、救済は有り得ないというラディカリズム

連日このブログで、以前に投げ出したクンデラの「存在の耐えられない軽さ」を再び読み始めたと書いておきながら、数ページ読んだだけでまた興が乗らなくなってしまった。個人的な読書は社会の為でも他人の為でもなく、純粋に己の関心に基づいて営まれるのだ…

外部を持たない領域 大江健三郎「他人の足」

最近、再び読み始めたミラン・クンデラの「存在の耐えられない軽さ」について何か書こうと思ったのだが、巧く纏められないので別の書物を巡って雑文を草してみたいと思う。断章風の文章を積み重ねて織り成されるクンデラの小説は、分かり易いカタルシスや劇…

組織の論理、個人の論理 映画「64」に関する覚書

大雨の降り頻る月曜日の朝から、幕張新都心のイオンシネマまで「64」の前篇と後篇を纏めて観覧する為に出掛けてきたので、作品の感想を書き留めておく。ネタバレを嫌う方は、作品の鑑賞後に読んで頂きたい。 横山秀夫の硬質な警察小説を下敷きに作り上げら…

読みながら考えるということ(カフカの斧)

今年に入ってから、私の身辺はずっと慌ただしい状況が続いている。三月に娘が産まれ、四月には幕張へ建てた新居へ引っ越し、五月には人事異動で勤め先が柏市から千葉市へ移った。それらの忙しく落ち着かない状況の渦中に身を置いていると案外自覚し辛いもの…

「ドラえもん」の不気味な側面

現代に暮らす日本人の大半は「ドラえもん」を知っている。これは普通に考えて恐るべき真実だ。少子化が進み、出生率が低下の一途を辿り続けているとはいえ、日本列島には一億人を超える日本語話者が存在しており、その一億人以上の日本語話者の大半が知って…

基礎教養としての「ジブリ」映画

私が小さい頃、時代は未だVHSのビデオテープが全盛期で、DVDやBDは片鱗すら見当たらなかった。母親が二人の息子の為にせっせとダビング(この言葉も、今では余り耳にしない)してくれた様々なアニメーションが、幼少期の私にとっては大切な「教養」であった…

ナルシシズムとビジネス

ナルシシズム、つまりは自己陶酔の心的機制は、傍目には極めて醜悪なものであり、多くの場合、それは人格的均衡の破綻若しくは未熟を意味するものとして受け止められる。無論、誰しも多少なりとも自己愛という感情を持ち合わせておかなければ、生きていくこ…

「チームワーク」に就いて

私は今三十歳で、今年の冬には三十一歳になる。大学を一年で中退し、順序を違えた慌ただしい結婚の末に、妻子を養わねばならないという重厚な責任を負った為に、二十歳の時から社会に出て勤人としての日々を送ってきた。何の取り柄もない凡庸な男で、仕事は…

物語の快楽(あるいは、温故知新)

物語は、本質的に無人称的な視野から語られ、表象される。それは特定の主観的な視野から、個人の責任に基づいて紡ぎ出されるのではなく、もっと自由で不可解な視点によって統制される対象である。物語には、便宜的な始まりと終わりが設けられるが、原理的に…