サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

精神・心理・観念

ニヒリズムと青春の終わり

世の中には「アイデンティティ・クライシス」(identity crisis)という言葉がある。主には思春期から青年期に至る期間に、つまり子供から大人へと変容していく過程において生じる心理的な不安定化や危機のことを指す概念であるらしい。似たような用語として「…

無害で安全な幸福

無害で安全な幸福という言い方には明らかに批判的な意識が反響して聞こえるだろう。私自身、無害で安全な幸福に憧れを持たない訳ではないし、傍目には、今の私の生活自体が、無害で安全な幸福の典型のように映じるかも知れない。 けれども、無害で安全な幸福…

幻想を破壊すること

人間は自分の知らないことや体験していない事柄に就いても、何らかの理解や判断を持ちたがる生き物である。知らないことは知らないと明瞭に言い切ってしまえば済むのだが、知らないことに就いても彼是と考えを巡らせてしまうのが人間に備わった知性の内在的…

丁寧に生きるということ

この世界を生き抜いていく上で必要な心掛けというものは幾らでもあり、計え方次第でそれは無数に膨れ上がるだろう。世界には先賢の叡智に満ちた金言から、見知らぬ酔漢の喚き散らす戯言に至るまで、星屑よりも多くの貴重な教訓が氾濫している。それらの教訓…

苦しみのないところには、歓びもまた存在しない。

人間の認識は「差異」というものの把握を前提に組み立てられている。「比較衡量」という言葉があるように、私たちは「差異」によって隔てられ、区分された対象を並べて比べてみることで、様々な観念の壮麗な伽藍を脳裡に建設する。換言すれば、私たちの有す…

「生活」に就いて

「生活」という言葉は、私たちの暮らしの中に、当たり前のように溶け込んでいる。誰もが「生活」という言葉の厳密な定義を改めて検討する必要にも迫られぬまま、遽しい世渡りに齷齪している。例えば「就活」(就職に向けた活動)やら「婚活」(結婚に向けた…

欲望と道徳

一般論として、欲望と道徳との間には、相剋或いは乖離が存在していて、私たちの悩み多き動物的な心は、その隙間に片脚を奪われて動けずに悶えているものだ。道徳は共同体が円滑に回っていくように定められた規範であり約束事なのだが、何時の時代にも、誰の…

複数形の「私」の共存共栄

昨日の自分と今日の自分は別人である。今日の自分と明日の自分もまた別人である。私たちはそれらを首尾一貫した同一の存在として認識している。そのように考えなければ、私たちの世界観は成り立たない。 或いは、私たちは自分を或る明確な一個の存在であると…

「決断」に就いて 2

丁度一年前に「『決断』に就いて」という表題の記事を書いていた。はてなブログから、定期的に送られてくる振り返りのメールを開いて、偶然に知ったのである。それに触発されて再び「決断」という観念、或いは行為を巡って、文章を認めたいと思った。 人間は…

相手から依存されることに喜びを見出すのは、自分が相手に依存していることの証拠である。

依存するというのは、弱者が強者に縋りつくような関係性のことを指していると思われがちだが、少なくとも依存的な関係が長期化する場合には、依存される側にも何らかの利益が発生していると看做すのが自然な推論である。依存される側に立っている強者が、相…

人間は誰も首尾一貫した理窟を生きていない。

また思い浮かんだ漫然とした雑感の欠片のようなものを、静かに追い掛けて確かめていくような文章になるだろう。生きていれば、それが単調な日々であろうと激動の騒乱に満ちていようと、何かしら考えたり思い余ったりすることは自動的に浮かんでくるものであ…

「迎合」に就いて

直ぐに他人の意見に賛同したり、他人の思惑に阿ったりする人間は少なくない。だが、一方で人間には堅牢で頑迷な「自我」というものが備わっていて、それが他人の意見や思惑に対する反抗的な姿勢を育む根拠となる。 誰でもこの二つの側面は交互に顕現するもの…

己の善性を誇張する勿れ

自分では如何に厳しく冷静に現実を見凝めている積りであっても、人間の主観には必ず生得的な偏倚と後天的な歪曲の二つが絡み付いているものである。純然たるリアリズムというのは理論的に想定された不可能な観念に過ぎず、実際の生身の人間は決して「純然た…

幸福に堪えられない人間

人は誰しも幸福であることを願うものだが、幸福には厄介な側面が備わっている。それは「何事も起こらない平穏に順応する」という論理的構造を含んでいるが、その幸福な平穏は必ずしも人を満足させない。退屈は人を殺しかねない。古伝に「小人閑居して不善を…

「共同性」への普遍的な欲望

人間は誰しも、自分と他者とを隔てている根源的な境界を打破し、超越したいという欲望に精神を搦め捕られている。この普遍的な欲望を簡潔に「共同性への欲望」と名付けてみたい。自分という孤立した個体の枠組みから離れて、絶対的な境界線を踏み越えたいと…

ストイシズムの閉鎖的な快楽

人間は絶えず、あらゆる種類の欲望に取り巻かれて、危うく不安定に揺らぎながら生きている。欲望は人間の主体的な理性に先立って、人間の深層から殆ど如何なる脈絡も持たずに迫り上がってくる、自律的な衝動である。その欲望が発する要求の総てに唯々諾々と…

「私」を解体する力としての「恋愛」

恋愛というのは必ずしも自発的な意志によって制御されるものではなく、往々にして突然、意識の枠組みを揺さ振るような形で、知らぬ間に押し寄せる感情の形態である。無論、それが所謂「恋人」同士の関係性として立ち上がる為には、理性と意志の力に多くを負…

「慈悲」と「恋情」の境界線

愛することは、或る人間をバラバラに解体することへの根源的な抵抗として定義されるべき営為である。愛することは、相手を腑分けすることの対極に位置する。対象の総てを丸ごと包摂し、その総ての要素を善悪や好悪に関わりなく受容することが愛の本質であり…

共犯的幻想としての「恋愛」

恋するとき、人は盲目になると、よく言われる。確かに恋愛が幻想である以上、そして私たちの認識や理性に奇怪な覆いを被せる心理的な魔術である以上、傍目には恋する当事者たちの言動が、有り触れた現実に対する理性的な判断を欠いているように見えることは…

恋愛の無倫理性

恋愛という極めて主観的な営為には、倫理という規範的な理念が存在しない。恋愛を道徳的な御題目によって縛ったり制限したりすることには意味がない。それは恋愛を殺戮する為に下される鉄鎚のようなものであり、恋愛の根源的な反社会性に対する掣肘である。…

「愛情」に就いて

最も原始的な愛情の形態を、動物的な交接への欲望だとするならば、最も純化され高められた愛情の形態は、神々しい「無償の愛」或いは「無私の愛」である。無論、如何なる見返りも求めない愛情という崇高な理念が、宗教的な幻想の産物に過ぎないことは、経験…

「愛」と「理解」の相剋をめぐって

人を正しく愛する為には(愛情に正しさという倫理的規範を求めるのならば、という仮定的な条件下において)、相手の考えや心情を精密に理解する為の努力を怠ってはならない、という尤もらしい命題が頻々と唱えられている。それは一見すると、疑いようのない…

「結婚」に就いて

結婚は、恋愛という感情的な熱病とは根本的に異質な、或る社会的な制度である。恋愛が常に個人の情緒だけを頼りに営まれるのに対し、結婚は飽く迄も社会的な制度の規定に拘束されている。恋愛は常に主観的な営みであって、それが傍目には如何に不毛で愚昧な…

「恋愛」に就いて

恋愛とは、簡単に要約すれば「特定の対象への執着」である。或いは「究極の依怙贔屓」と呼び換えてもいい。 日本語には「愛憎相半ばする」という表現があるが、実際、特定の対象への執着としての「恋愛」は、相手に対する肯定的な感情だけで純粋に構成されて…

「日常」に就いて

終わりのない日常生活は、退屈と虚無の代名詞である。だが、同時に日常生活は、反復される静謐な幸福の完成された形態でもある。 日常を、例えばヒロイズムと対置して二元論的に相克させる論理が、必ずしも正鵠を射ていないことは端的な事実である。無限に平…

「自立」に就いて

「自立」という言葉は当たり前のように気安く用いられて、誰にとっても耳に馴染のあるものだと思う。誰でも小さいときは親に依存し、何もかも勝手に整えられて、自分で難しい判断を積み重ねる必要も持たずに生きることが出来た。だが、大人になれば、そんな…

「勇気」に就いて

勇気を持つことは、誰にとっても簡単な行為ではない。勇敢であること、様々な艱難を懼れないこと、不安や絶望に呑み込まれないこと、あらゆる先入観を信じないこと、これらの崇高な資質は、万人によってその意義を承認されながらも、実践の現場においては様…

「個人的な辞書」に就いて

生きることは思い出すことに似ている。生きているだけで人間の頭脳には重油のように記憶が溜まり、時に醗酵し、時に蒸発する。生きることは記憶を積み重ね、その網目を複雑な紋様にまで高めていくことだ。そうやって人間は生きることに慣れ親しんでいき、一…

「孤独」に就いて

世の中には「孤独を懼れるな」という激励に満ちた言説が飛び交っている。実際、孤独そのものを懼れても無益であることは確かな事実であり、多かれ少なかれ、人間が孤独という止むを得ない状況に呑み込まれることは少しも奇態な現実ではないと言うべきだろう…

「プライド」に就いて

「自信を持てない人ほど、プライドが高くなる」というのが私の個人的な見解である。自信というのは文字通り「自分で自分を信じること」を意味するが、自分で自分を信じられない性格の人間は往々にして「他人の評価に基づいて自分自身を信頼する」という迂遠…