Cahier: A Fragment On Recent Days
久々に日本語で文章を書いている。2021年の正月から思い立って英語の勉強を始め、主として関心のある洋書をひたすら読むという余り特筆すべき工夫のない方法論に固執して、分からない単語や文法は随時調べながら、実践至上主義の建前で進めている。ブログの記事を英語で書くのも実践に勝る修行はないという至極簡明な考えに基づいた方針である。そして徐々に読解力は増している。ハリー・ポッターの原書を全て読み、ゲド戦記にも手を出し、他方ではFactfulnessやAtomic HabitsやOutliersといったノンフィクションのジャンルにも手を広げ、目下はゲド戦記の第三巻に当たるThe Farthest Shoreを読んでいる。実は密かに古代ローマの文人政治家でありストア派の巨星としても知られているセネカのOn Angerも読んでいるのだが、恐らくは原典のラテン語の格調を活かすべく些か古めかしい措辞で英訳されているのだろう、見慣れぬ接続詞の頻用に加え、目紛しい倒置法に振り回されて船酔いしているような体たらくである(因みに岩波文庫から刊行されている邦訳は以前に通読して、その感想文は当ブログに投稿してある)。
仕事の方面では、コミュニケーションや情報共有といった部分に課題を感じて色々と取り組んでいる。「情報の目詰まりの解消」「相互理解」といった目的に向けて5時間以上の長い濃密なミーティングの機会を設け、お互いの長所短所を客観的に論じ合うなどして、改めて自分はどういう人間なのか、どのような人間として他人の視野に映じているのか、などを考える貴重な時間と刺激を享受している。私という人間は、それなりに口の回る男なので業務上の会話や雑談など表層的なコミュニケーションには余り支障を感じないのだが、他人の想いに深く誠実に耳を傾けて共感することが不得手で(妻からも同様の指摘を過去に幾たびも受けながら一向に抜本的是正をしていないのである)要所要所で俄に相手を突き放すことがあり、また頭がくるくると回って利に聡く損得勘定に熱心な部分もあるため、周囲から冷淡な男という印象を持たれることが多い。尚且つ理詰めな気質で、根拠を欠いた感覚的な思いつきを尊重しないので、容易に他人のアイディアを受け容れない狭量なところがある。明確な根拠と目的を持たない提案に関心を示さないのである。しかし、大概の自由なアイディアというものは明確な根拠や効能を備えるところまで洗練されていないのが当然なので(アイディアというのは不透明な未来の萌芽なのだから)理詰めで問い質せばいかなる着想も直ちに色褪せ、枯れてしまわざるを得ない。つまり、何でもかんでも鋭利な理屈の刃で切り捌かないように自制する器量を養うことが私の重大な課題の一つである。そうしなければ、周りは私に威圧感や息苦しさを覚えて自由に意見が言えなくなったり、或いは表層的な関係に留まって堅固な信頼関係の構築に支障を来したりすることにもなるだろう。美質も欠点も含めて、私は私という人間のことをもっと精確に把握しなければならないし、同時に他人の個性や考えにももっと誠実な関心を払わねばならない。唯一、私に希望の光があるとすれば、合理的客観性を重んじる性格ゆえに、普通ならば余り正視し難いものであるはずの自分自身の短所や汚点について他人から指摘を受けた場合に、余り感情的にならず聞き入れることが出来る、という点だろう。良くも悪くも合理的なので、ロジカルに説明された自分の欠点について感情的抵抗を示すことが少ない。言い換えれば、どこか自分のことについても他人事のように感じている部分があるのかもしれない。裏返せば、ロジカルに説明されない賞賛は余り嬉しくない。おそらく私は「事実」が知りたいのだ。だから他人の触れられたくない「事実」を余りに淡々と客観的な口調で指摘して恨みを買ったり冷酷な人間と定義されたりすることもある。逆に自分の長所短所についても客観的な「事実」として精密に理解したいので、短所を合理的に説明されると納得してしまうし、合理性を欠いた表面的な阿諛追従は却って不愉快である。私は褒められることよりも精確に理解されることを望んでいるのだ。I want more to be understood as precisely as possible rather than to be applauded in a superficial way. 無責任な幻想よりも、身も蓋もない「事実」の方が遥かに刺激的で魅惑的だというのが私の信念である。It's my belief that the brutally honest fact is far more exciting and attractive than an irresponsible illusion.
私生活においては、一年以上に及ぶ歯科治療の方が概ね片付いたので(食事の度に正しい方法で歯を磨く習慣を身に着け、日に一度はフロッシングを行い、大小問わず全ての虫歯を治療し、悪性の親知らずを3本抜き、重度の歯軋りから歯を守るナイトガードの装着を始めた)、今度は整骨院に通って骨格及び姿勢の矯正に着手することした。私は子供の頃から筋金入りの猫背なのである。腰痛持ちの妻に勧められて、同じ整骨院に罹ることにした。これもどうやら一年がかりの前途遼遠たる大事業になる見通しである。
今春から小学校に上がった娘は元気に学校へ通い、友達を作り、宿題をこなし、週に一度、近所のフィットネスクラブで水泳を練習している。日々生意気になり、口達者になり、父親を時に召使いのごとく使役する。夏休みに予定している家族旅行をすこぶる楽しみにしているが、一泊二日の旅程は短いと不満タラタラである。五月下旬に行われた学校の運動会では、恥ずかしいから手を振ったりしてこないでねと事前に釘を刺してきた割に、50m走の最中、見守る我々に満面の笑みで手を振ることに気を取られて失速して最下位であった。ごく稀に私の耳元でパパ大好きと囁く一方で、時々私の挨拶を無視する。先日、塗り絵が好きな娘のために60色セットのクーピーを買ってやった。ある晩、塗り絵をする前に歯磨きを済ませなさいという妻の指示に憤って、彼女は握りしめたクーピーを床に向かってぶん投げた。つまり、元気に子供らしく成長している。今でさえ我の強い娘に反抗期が来たら、私はクソババアとか罵られるのかなと妻が将来を憂えて溜息を吐いている。私は、妻でさえクソババアと罵られるような季節が巡ってきたら、その時自分は娘からどんな惨い仕打ちを受けているのだろうと考え、イマジネーションが追いつかなくて冷や汗をかいている。つまり、我々の生活はすこぶる平穏である。In conclusion, we live in highly peaceful days.