サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

読書ノート

美と芸術の蠱毒 三島由紀夫「暁の寺」 7

引き続き、三島由紀夫の『暁の寺』(新潮文庫)に就いて書く。 隣室の妻が寝静まってから、かなりの時が経った。本多は書斎の灯火を消し、ゲスト・ルームの壁ぞいの書棚へ歩み寄った。何冊かの洋書をそっと抜き出し、床に重ねた。彼が自ら客観性の病気と名付…

美と芸術の蠱毒 三島由紀夫「暁の寺」 6

引き続き、三島由紀夫の『暁の寺』(新潮文庫)に就いて書く。 芸術作品とは、時間の或る断面図である。滔々と流れ続ける無限に等しい時間性の或る特定の瞬間を切り取り、凍結させ、その細緻な構造を余すところなく明瞭に抽出し晶化させること、それが芸術と…

美と芸術の蠱毒 三島由紀夫「暁の寺」 5

引き続き、三島由紀夫の『暁の寺』(新潮文庫)に就いて書く。 これは漠然たる感想に過ぎないのだが、三島の「理想」を象徴するのが「春の雪」における松枝清顕や「奔馬」における飯沼勲であるとしたら、三島の「現実」を象徴するのは「暁の寺」において一挙…

美と芸術の蠱毒 三島由紀夫「暁の寺」 4

引き続き、三島由紀夫の『暁の寺』(新潮文庫)に就いて書く。 長大な「豊饒の海」の物語の劈頭から登場する本多繁邦は、第一巻「春の雪」及び第二巻「奔馬」においては、飽く迄も脇役の位置を堅持して、主役に当たる松枝清顕と飯沼勲の苛烈で絢爛たる「夭折…

美と芸術の蠱毒 三島由紀夫「暁の寺」 3

引き続き、三島由紀夫の『暁の寺』(新潮文庫)に就いて書く。 作中に登場するドイツ文学者の今西という奇妙な男は、本多繁邦の別荘開きの祝宴に招かれ、客人たちの前で自身の抱懐する「性の千年王国ミレニアム」に就いて長広舌を揮う。「柘榴の国」と名付け…

美と芸術の蠱毒 三島由紀夫「暁の寺」 2

引き続き、三島由紀夫の『暁の寺』(新潮文庫)に就いて書く。 「豊饒の海」の第一巻から、常に物語の重要な証言者として登場し続けている本多繁邦は、戦時中の生活を「輪廻転生」の研究に充て、洋の東西を問わず、多種多様な文献を渉猟する。作中における「…

美と芸術の蠱毒 三島由紀夫「暁の寺」 1

目下、三島由紀夫の『暁の寺』(新潮文庫)の繙読に着手している。繰った頁数は未だ序盤であるが、断片的な感想を撒き散らしておきたい。 「美しさ」とは何か、という問題に就いて答えを返すことは決して容易な所業ではない。「美しい」という内在的な感覚が…

転生の思想 三島由紀夫「奔馬」 6

三島由紀夫の『奔馬』(新潮文庫)を読了したので、総括的な文章を書き留めておこうと思う。 退屈で凡庸だが、小さな発見や些細な僥倖に満ちた静謐な日常の暮らし、というものへの素朴な憧れや慈しみと、完璧なまでに対極的な地点に立脚しているのが、三島由…

転生の思想 三島由紀夫「奔馬」 5

引き続き、三島由紀夫の『奔馬』(新潮文庫)に就いて書く。 「純粋」であることへの透明に磨き上げられた欲望、それは猥雑な事物の複雑な混淆として織り成されている我々の日常的な生活を蒸留することへの欲望だと言い換えて差し支えない。だが何故、勲はそ…

転生の思想 三島由紀夫「奔馬」 4

引き続き、三島由紀夫の『奔馬』(新潮文庫)に就いて書く。 三島由紀夫という作家は、我々の存在を否が応でも取り囲み、腕尽くで捕縛して決して解放することのない「時間」という奇妙な形式、権力、原理の有する「腐蝕」の作用に就いて、根深い敵愾心を胸底…

転生の思想 三島由紀夫「奔馬」 3

引き続き、三島由紀夫の『奔馬』(新潮文庫)に就いて書く。 純粋とは、花のような観念、薄荷をよく利かした含嗽薬の味のような観念、やさしい母の胸にすがりつくような観念を、ただちに、血の観念、不正を薙ぎ倒す刀の観念、袈裟がけに斬り下げると同時に飛…

転生の思想 三島由紀夫「奔馬」 2

引き続き、三島由紀夫の『奔馬』(新潮文庫)に就いて書く。 「豊饒の海」の第一巻に当たる「春の雪」においては、主役である松枝清顕は未来を削除された情熱的な恋愛の裡に、無時間的な「永遠性」の観念を見出して計り知れない陶酔に溺れた。それは「結婚」…

転生の思想 三島由紀夫「奔馬」 1

三島由紀夫の畢生の大作「豊饒の海」の第二巻に当たる『奔馬』(新潮文庫)の繙読に着手したので、感想の断片を書き散らしておきたいと思う。 三島由紀夫という作家の精神に内在する特異な価値観の形式を、仮に一言で要約するならば「生きることは堕落するこ…

夭折の幻想 三島由紀夫「春の雪」 8

三島由紀夫の『春の雪』(新潮文庫)に就いて、総括的な文章を纏めておきたいと思う。これで「春の雪」に関する考察は一区切りとなる予定である。 三島由紀夫の文学には幾つかの典型的な特徴が存在して、それが個々の作品の垣根を越えて一つの長大な系譜のよ…

夭折の幻想 三島由紀夫「春の雪」 7

引き続き、三島由紀夫の『春の雪』(新潮文庫)に就いて書く。 聡子の納采の日取りが十二月に定まり、愈々禁じられた関係の破局が間近に迫って感じられるようになると、曖昧で抽象的な「罪悪」の幻想に溺れて情熱的な逢瀬を繰り返してきた清顕の心にも、微妙…

夭折の幻想 三島由紀夫「春の雪」 6

引き続き、三島由紀夫の『春の雪』(新潮文庫)に就いて書く。 美しく充実した人生の絶巓に自ら君臨して輝きながら、その稀少な瞬間を「永遠」の墓標の下に閉じ込めてしまいたいと願う心理の様態は、誰の心にも宿り得る普遍的な感慨であると言えるだろう。だ…

夭折の幻想 三島由紀夫「春の雪」 5

引き続き、三島由紀夫の『春の雪』(新潮文庫)に就いて書く。 「そうね。そんなことを言ってはいけないのね。私が自分のことを少しもふしだらだと思えないのに。 どうしてでしょう。清様と私は怖ろしい罪を犯しておりますのに、罪のけがれが少しも感じられ…

夭折の幻想 三島由紀夫「春の雪」 4

引き続き、三島由紀夫の『春の雪』(新潮文庫)に就いて書く。 松枝清顕という極めて複雑で繊細な情緒を持った青年(或いは少年)の精神的秩序の中枢には、如何なる手段を駆使しても到達し難い「不可能なもの」に対する強烈な欲望が息衝いている。それが彼自…

夭折の幻想 三島由紀夫「春の雪」 3

引き続き、三島由紀夫の『春の雪』(新潮文庫)に就いて書く。 恋愛の情熱は、他者との完全な合一に向けて捧げられた悲劇的な欲望の形態である。どれほど深々と親密な肉体的接触に耽溺しようとも、自己が自己であり、他者が他者であるという素朴な原理的事実…

夭折の幻想 三島由紀夫「春の雪」 2

引き続き、三島由紀夫の『春の雪』(新潮文庫)に就いて書く。 三島由紀夫という作家は、その夥しい文学的遺産の総体を通じて常に「恋愛」或いは「愛慾」に関する犀利で精密な分析のメスを揮い続けた。しかし、それは彼が例えば「潮騒」という異色の作品にお…

夭折の幻想 三島由紀夫「春の雪」 1

昨秋から延々と取り組み続けている個人的な計画、即ち三島由紀夫の主要な作品を悉く読破して自分なりの感想を纏め、見知らぬ赤の他人が振り翳したり口走ったりする「三島文学」への評価から切り離された場所で、手作りの個人的な知見を築き上げるという抽象…

死と官能の結託 三島由紀夫「音楽」 2

三島由紀夫の『音楽』(新潮文庫)を読了したので感想文を書き綴る。 性的欲望は、単なる神経的な快楽を味わう為だけの純然たる物理的な営為ではなく、そこには様々な浮薄な観念が頑固な皮脂のように纏いついているものである。性的欲望、或いは端的に「エロ…

死と官能の結託 三島由紀夫「音楽」 1

三島由紀夫の『絹と明察』(新潮文庫)を読了したので、現在は同じ作者の『音楽』(新潮文庫)を読んでいる。 或る精神分析医の手記という体裁を取り、一人称の話法で綴られたこの小説において、最も重要な役回りを演じる弓川麗子という女性に就いての描写を…

無意識の偽善者 三島由紀夫「絹と明察」 3

引き続き、三島由紀夫の『絹と明察』(新潮文庫)に就いて書く。 血栓性の脳軟化症に犯されて病床の生活を始めた駒沢善次郎は、大槻との対決を通じて危うく揺らぎかけた持ち前の「慈愛」と「善意」の論理を辛うじて守り抜き、或る澄明な境涯へ到達することと…

無意識の偽善者 三島由紀夫「絹と明察」 2

引き続き、三島由紀夫の『絹と明察』(新潮文庫)に就いて書く。 その返信は、よしんば長い時間を経ても、必ず届く。これはかなり神秘的なことだが、駒沢は自分が善意を施している相手方の反応を、あんまり当然なものと信じていたので、詳しく検証して見るこ…

無意識の偽善者 三島由紀夫「絹と明察」 1

三島由紀夫の『午後の曳航』(新潮文庫)の再読を卒えたので、今は同じ作者の『絹と明察』(新潮文庫)という小説を読んでいる。 滋賀県彦根市に本拠を置く近江絹絲紡績という会社の労働争議(この会社は、今も商号を改めて事業を継続しているそうだ)を題材…

「少年性」の原理に基づく断罪 三島由紀夫「午後の曳航」再読 2

引き続き、三島由紀夫の『午後の曳航』(新潮文庫)に就いて書く。 今朝彼らは弁当を持って、神奈川区の山内埠頭まで出かけ、倉庫裏の引込線のあたりをぶらついて、いつものとおりの会議をひらき、人間の無用性や、生きることの全くの無意味などについて討議…

「少年性」の原理に基づく断罪 三島由紀夫「午後の曳航」再読 1

目下、三島由紀夫の『午後の曳航』(新潮文庫)を再読している最中である。未だ通読していないが、覚書を認めておこうと思う。 「午後の曳航」という小説は二部構成の作品であり、第一部の「夏」と第二部の「冬」との間には、明瞭な対照性が賦与されている。…

虚無と諧謔 三島由紀夫「美しい星」

三島由紀夫の『美しい星』(新潮文庫)を読了したので、拙い感想を書き留めておく。 死の臭気と濃密な官能の織り成す厳粛で陰惨な悲劇を描き出すことに長けた三島の文学的経歴の中で、荒唐無稽の絵空事の代表とも目される「宇宙人」や「空飛ぶ円盤」の登場す…

ニヒリズムの多様な範型 三島由紀夫「鏡子の家」 7

引き続き、三島由紀夫の『鏡子の家』(新潮文庫)に就いて書く。 ⑥「他者」の価値観に擬態するニヒリストの肖像 オカルティズムの深淵から感性的な現実の世界へ帰還した山形夏雄は、自分が陥っていた虚無の荒寥たる領域の消息に就いて語りながら、次のように…