サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

読書ノート

「訓誡」に化身した宗教的愛慾 三島由紀夫「侍童」

三島由紀夫の短篇小説「侍童」(『女神』新潮文庫)に就いて書く。 年長者が教育や訓誡を建前として年少者を寵愛する風習は、例えば古代ギリシアにおける「少年愛」(paiderastia)などの豊富な歴史的事例を備えている。この「侍童」における伊佐子と久の迂遠…

「媚態」のニヒリズム 三島由紀夫「恋重荷」

三島由紀夫の短篇小説「恋重荷こいのおもに」(『女神』新潮文庫)に就いて書く。 この作品を一つの簡素なラベルで要約するとすれば、恐らく「三角関係の話」ということになるだろう。尤も、この短い小説の裡に詰め込まれた幾つかの場面には、一般に「三角関…

紺碧の誘惑 三島由紀夫「蝶々」

三島由紀夫の短篇小説「蝶々」(『女神』新潮文庫)に就いて書く。 この作品で扱われる主題もまた、「女神」という短篇の集成に収められている他の小説と同様に、或る男女の恋愛の様相であるが、極限まで切り詰められた簡素な略画のように見える「白鳥」や「…

「肉慾」の蔑視 三島由紀夫「哲学」

三島由紀夫の短篇小説「哲学」(『女神』新潮文庫)に就いて書く。 古今東西を問わず、人間関係の苦悩というものは地上に途絶えたことがなく、況してや複雑な欲望の混淆する性愛の紐帯に就いては、多くの人間が様々な形態の煩悶や悲劇に苦しめられ、場合によ…

重なり合う私たちの、分かち合う盲目 三島由紀夫「白鳥」

三島由紀夫の短篇小説「白鳥」(『女神』新潮文庫)に就いて書く。 この小説もまた「接吻」や「伝説」と同様に、恋愛の渦中にある男女の繊細な心理の動きを的確に捉え、省かれた筆致でさらさらと描き出す種類の小品である。例えば傑作「金閣寺」における凄絶…

偶然性の「照応/暗合」 三島由紀夫「伝説」

三島由紀夫の短篇小説「伝説」(『女神』新潮文庫)に就いて書く。 例えば「宿命」という言葉は、それを科学的な仕方で厳密に実証することは出来ないにも拘らず、いや、だからこそ、或る強力な信憑として私たちの精神を捕縛し、制約する。総ての出来事を純然…

抒情と想像の糖衣 三島由紀夫「接吻」

久々に三島由紀夫の小説に就いて書く。取り上げるのは掌編と呼んで差し支えない分量の「接吻」(『女神』新潮文庫)である。 さらさらと色鉛筆で手早く描いた簡素なスケッチのような、この泡沫のように儚い作品の裡に、大袈裟な思想的含意を探し求めたところ…

柄谷行人「哲学の起源」に関する覚書 2

柄谷行人の『哲学の起源』(岩波現代文庫)に就いて書く。 本書における著者の意図は、哲学の起源に関する通説を、古代のイオニアに息衝いていた自然哲学及び「イソノミア」と呼ばれる政治的理念を武器として転覆し、読み替えることに存する。それはプラトン…

柄谷行人「哲学の起源」に関する覚書 1

柄谷行人の『哲学の起源』(岩波現代文庫)に就いて書く。 中学生の頃、偶々父親の書棚から、カヴァーのない年季の入った『意味という病』の単行本を発掘して、何の予備知識も持たずにパラパラと頁を捲り始めたときの、あの不思議な昂揚は今でも頭の片隅に残…

ジャン・ブラン「ソクラテス以前の哲学」に関する覚書 6

ジャン・ブランの『ソクラテス以前の哲学』(文庫クセジュ)に就いて書く。 レウキッポスとデモクリトスによって創始された古代ギリシアの「原子論」(atomism)が内包する最も重要な画期性は、その宇宙論が「空虚」及び「無限」の観念を導入したという点に存…

ジャン・ブラン「ソクラテス以前の哲学」に関する覚書 5

ジャン・ブランの『ソクラテス以前の哲学』(文庫クセジュ)に就いて書く。 パルメニデスが存在の本性に就いて明確で堅牢な定義を行ない、イオニアの自然哲学が擬人化された神々の物語に依拠する伝統的な世界観の排撃を目論んで、超越的な表象によるアナロジ…

ジャン・ブラン「ソクラテス以前の哲学」に関する覚書 4

ジャン・ブランの『ソクラテス以前の哲学』(文庫クセジュ)に就いて書く。 古代ギリシアの思想的系譜や伝統的な世界観においては、宇宙は有限であり、万物は或る巨大な存在論的同一性の内部に包摂されている。時間でさえ、こうした観念に拘束されており、そ…

ジャン・ブラン「ソクラテス以前の哲学」に関する覚書 3

ジャン・ブランの『ソクラテス以前の哲学』(文庫クセジュ)に就いて書く。 ヘラクレイトスは一般に「生成」の哲学を語った人物であると論じられ、その思惟の方法はエレア派のパルメニデスと対照されることが多いけれども、実際にはそれほど単純な図式には還…

ジャン・ブラン「ソクラテス以前の哲学」に関する覚書 2

ジャン・ブランの『ソクラテス以前の哲学』(文庫クセジュ)に就いて書く。 ピュタゴラスを開祖とする一群の学統は、世界に内在する数理的な秩序への情熱的な信仰によって特徴付けられている。とはいえ、彼らは必ずしも世界の総てを均一な数値的基準によって…

ジャン・ブラン「ソクラテス以前の哲学」に関する覚書 1

ジャン・ブランの『ソクラテス以前の哲学』(文庫クセジュ)に就いて書く。 廣川洋一の『ソクラテス以前の哲学者』(講談社学術文庫)と同じく、古代ギリシアの思想史を扱った本書は、翻訳であることも手伝って、聊か難解な歯応えを強いられる。しかし、独特…

廣川洋一「ソクラテス以前の哲学者」に関する覚書 4

廣川洋一の『ソクラテス以前の哲学者』(講談社学術文庫)に就いて書く。 古代ギリシャの思想史において、パルメニデスを開祖とするエレア派の理論が齎した衝撃は極めて甚大なものであっただろうと推測される。タレス以来の累代の賢者たちが専ら「自然=ピュ…

廣川洋一「ソクラテス以前の哲学者」に関する覚書 3

廣川洋一の『ソクラテス以前の哲学者』(講談社学術文庫)に就いて書く。 古代ギリシャを代表する思想家であり、所謂「哲学」(philosophy)の歴史の実質的な創始者と目されるプラトンは、自らの著述(対話篇「テアイテトス」)において、ヘラクレイトスの「万…

廣川洋一「ソクラテス以前の哲学者」に関する覚書 2

廣川洋一の『ソクラテス以前の哲学者』(講談社学術文庫)に就いて書く。 一般に「哲学」(philosophy)の誕生はソクラテス=プラトンの師弟に帰せられるが、当然のことながら、彼らの思想的な独創性が、如何なる伝統的基盤とも無縁に創発されたと信じるのは素…

廣川洋一「ソクラテス以前の哲学者」に関する覚書 1

比較的容易に手に入る限りでのプラトンの対話篇を一通り読み終えたので、目下、廣川洋一の『ソクラテス以前の哲学者』(講談社学術文庫)の繙読に着手している。 極めて断片的で通俗的な思い込みとして、所謂「哲学」の歴史は、古代ギリシャの賢人ソクラテス…

プラトン「ティマイオス」に関する覚書 4

プラトンの後期対話篇「ティマイオス」(『ティマイオス/クリティアス』白澤社)に就いて書く。 「ティマイオス」の後半における物質の組成に関する聊か煩瑣な議論は、プラトンの宇宙論と自然観が極めて宗教的で合理的な性質を孕んでいることを雄弁に物語っ…

プラトン「ティマイオス」に関する覚書 3

プラトンの後期対話篇「ティマイオス」(『ティマイオス/クリティアス』白澤社)に就いて書く。 「ティマイオス」の宇宙論において、プラトンは従来の「生成/実在」の理論的区別に加えて、第三の要素を導入する。「コーラ」(chora)と呼ばれる、その第三の…

プラトン「ティマイオス」に関する覚書 2

プラトンの後期対話篇「ティマイオス」(『ティマイオス/クリティアス』白澤社)に就いて書く。 「ティマイオス」の前半において語られるのは、宇宙の成り立ちに関する神話的な思弁である。感覚的な証拠に基づかない、純然たる「ロゴス」(logos)の論証的な…

プラトン「ティマイオス」に関する覚書 1

プラトンの後期対話篇「ティマイオス」(『ティマイオス/クリティアス』白澤社)に就いて書く。 「ティマイオス」は、プラトンの遺した夥しい著作の中で最も広範且つ深甚な影響力を発揮した書物であると言われている。四世紀ギリシャの天文学者カルキディウ…

プラトン「テアイテトス」に関する覚書 4

プラトンの対話篇『テアイテトス』(光文社古典新訳文庫)に就いて書く。 「知覚=アイステーシス」(aisthesis)は、絶えざる「生成」の裡に育まれる刹那的な現象である。知覚する主体と知覚される主体との一時的な癒合によって、その都度、人間の精神の内部…

プラトン「テアイテトス」に関する覚書 3

プラトンの対話篇『テアイテトス』(光文社古典新訳文庫)に就いて書く。 「テアイテトス」の前半で問われるのは「知識=知覚」という公理は正しいのかどうかという論題である。それに伴って「ディアレクティケー」(dialektike)の法廷に登場するのが、ヘラク…

審美的なデミウルゴスの肖像 三島由紀夫「女神」

三島由紀夫の小説「女神」(『女神』新潮文庫)に就いて書く。 この作品は、妻を「女神」に仕立て上げようとして中途で挫折し、今度は娘を「女神」として完成させるべく、異様な審美的情熱を燃え立たせる男の物語である。彼が「女神」という観念に充塡する感…

観照的主体への怨讐 三島由紀夫「月澹荘綺譚」

プラトンの『テアイテトス』(光文社古典新訳文庫)を繙読するのに草臥れたので、久々に三島由紀夫の小説に就いて書く。取り上げるのは「月澹荘綺譚」(『岬にての物語』新潮文庫)である。 この小説は、三島由紀夫という作家が繰り返し自作の主題に挙げてき…

プラトン「テアイテトス」に関する覚書 2

プラトンの対話篇『テアイテトス』(光文社古典新訳文庫)に就いて書く。 「知識とは何か」という聊か抽象的な設問は、哲学という根源的思考の領域においては、安易に忌避することの出来ない難問である。「知識」という言葉自体は、我々の日常的な生活に悠然…

プラトン「テアイテトス」に関する覚書 1

プラトンの対話篇『テアイテトス』(光文社古典新訳文庫)に就いて書く。 「テアイテトス」の前半は、プロタゴラスの教説に象徴される「知識=知覚」の等式を反駁することに充てられている。この等式と、そこから導かれる「相対主義」(relativism)の言説が、…

プラトン「パイドロス」に関する覚書 2

プラトンの対話篇『パイドロス』(岩波文庫)に就いて書く。 「パイドロス」の主要な議題は所謂「弁論術」(techne rhetorike)である。前半において詳細に論じられた「エロス」(eros)に関する相互に対極的な二つの学説は、弁論術の恣意的で詭弁的な性質を露わ…