サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

読書ノート

「倦怠」の心理的解剖 三島由紀夫「美徳のよろめき」

三島由紀夫の「美徳のよろめき」(新潮文庫)を読了したので、感想を書き留めておく。 三島由紀夫という作家には「泰平無事」とか「日日是好日」といった長閑で安逸な境涯を指し示す言葉が余り似合わない。彼は「無事」よりも「有事」を愛する、些か破滅的な…

三島由紀夫「金閣寺」再読 3

③「美的なもの」の破壊に就いての先覚者 「金閣寺」における「私」とプラトニズムとの対決の過程には、或る脇役の存在が重要で決定的な影響を及ぼしている。「私」が大谷大学へ進学した後に知遇を得る「柏木」という級友である。彼の思想は、色々な意味で「…

機智と空想 三島由紀夫「永すぎた春」

三島由紀夫の「永すぎた春」(新潮文庫)を読了したので、感想を書き留めておく。 「金閣寺」や「禁色」の限界まで彫琢された硬質な文体の恐るべき威力に慣れた眼から眺めると、この「永すぎた春」という作品の文体は随分と砕けて弛緩しているように見える。…

三島由紀夫「金閣寺」再読 2

引き続き、三島由紀夫の「金閣寺」(新潮文庫)を再読した感想を認めておく。 ②プラトニズムの齎す倫理的害毒 「私」にとって「美」は、現象的な世界の裏側に潜んでいる、秘められた存在である。しかし、それは単純に「美」が彼岸的で超越的な観念であること…

三島由紀夫「金閣寺」再読 1

三島由紀夫の「金閣寺」(新潮文庫)の再読を終えたので、改めて感じた事柄を徒然に書き留めておく。 ①「美」と「人生」の根源的相剋 「金閣寺」という小説は、三島由紀夫という作家にとって重要な主題が、緊密で堅牢な秩序の中に閉じ込められた稀有の傑作で…

「労働」と「放蕩」の二元論(中上健次をめぐって) 4

引き続き、中上健次に就いて書く。 ④「系譜」に対する霊媒的な受動性と、その悲劇的性格 中上健次の作り出した竹原秋幸という主人公は、自分の存在を取り囲む血の「系譜」に対して根源的な拒絶の姿勢を示している。それは根源的には実父との血の繋がりに対す…

「労働」と「放蕩」の二元論(中上健次をめぐって) 3

引き続き、中上健次に就いて書く。 ③「系譜」をめぐる鏡像的な関係性 人間の生物学的な構造と秩序の内部に根源的な仕方で装填された「性愛」の原理は、否が応でも他者との間に複雑な関係性を織り成す。そもそも「性愛」の根本的な機能である「生殖」の原理自…

「労働」と「放蕩」の二元論(中上健次をめぐって) 2

引き続き、中上健次の「枯木灘」と「地の果て 至上の時」に就いて試論を書き綴りたい。 ②「枯木灘」の世界を支配する「愛慾」と「淫蕩」の原理 前回の記事で、私は「枯木灘」の世界において、繰り返し描写される竹原秋幸の「労働」に附与された「神話的な性…

三島由紀夫「沈める滝」に関する覚書 2

前回に引き続き、三島由紀夫の「沈める滝」(新潮文庫)に就いての感想を書く。 ②「快楽」という意味に包摂されない女体 数多の女と関係を持ちながら、絶えず相手の背負っている「現実的属性」との錯雑した交流を注意深く拒み、自らを「無名の任意の人間」と…

三島由紀夫「沈める滝」に関する覚書 1

三島由紀夫の「沈める滝」(新潮文庫)を読了したので、断片的な感想を書き留めておきたい。 ①「愛情」という観念を信じない男の肖像 三島由紀夫が「沈める滝」という作品の内部に植え付け、鋳造した城所昇という人物の如何にも観念的な造形には、仄かに「禁…

「労働」と「放蕩」の二元論(中上健次をめぐって) 1

①「労働」の神話的な性質、あらゆる「記憶=意味」からの離脱 中上健次は「岬」から始まる所謂「紀州サーガ」を書き上げることによって、時代に冠たる偉大な作家へ成長したと看做すのが、世間に流布する通説である。批評家の柄谷行人は、盟友である中上健次…

三島由紀夫「禁色」に関する覚書 5

目下、三島由紀夫の「沈める滝」(新潮文庫)を読んでいる最中なのだが、不図思い立って再び「禁色」(同上)に就いて考えたことを備忘録として書き遺しておく。 ⑤同性愛の形而上学的性質と「享楽」 私は同性愛というものの実態に就いて具体的な知見を持たな…

清浄なる異性愛の幻想曲 三島由紀夫「潮騒」

三島由紀夫の「潮騒」(新潮文庫)を読了したので、感想を書き留めておく。 新潮社文学賞と称する栄典の第一回を授与された「潮騒」という小説が、三島由紀夫の文学的経歴においては極めて異色の風合いを備えた作品であることは、多くの論者によって指摘され…

三島由紀夫「禁色」に関する覚書 4

引き続き、三島由紀夫の「禁色」(新潮文庫)に就いて書く。 ④或る芸術家のサディズム的な欲望(「精神」と「感性」の二元論的構図) この作品の前半を占める物語の主要な枠組みは、老齢の作家である檜俊輔の迂遠な復讐譚である。彼は過去に数多の「愚行」を…

三島由紀夫「禁色」に関する覚書 3

引き続き、三島由紀夫の「禁色」(新潮文庫)に就いて書く。 ③「妻」の視点とストイシズム 物語の後半で、養子縁組した愛人を悠一に寝取られた男が、逆恨みの余りに悠一の同性愛を告発する手紙を、南家に送り付ける場面が登場する。悠一は自分が異性愛者であ…

三島由紀夫「禁色」に関する覚書 2

引き続き、三島由紀夫の「禁色」に就いての感想文を認めておく。 ②「鏡の契約」とナルシシズムの虜囚 「禁色」において、檜俊輔が企てた女たちへの陰湿且つ残酷な復讐は、南悠一の「絶世の美青年でありながら、女性を愛する能力を持たない」という人間的な特…

三島由紀夫「禁色」に関する覚書 1

昨年末から営々と読み続けていた三島由紀夫の「禁色」(新潮文庫)を昨夜、漸く読了したので、感想の断片を書き留めておく。 優れた小説は、単純明快な一つの物語の筋によっては構成されず、単一の包括的な原理によって一義的に支配されることもない。そこに…

一切皆苦(坂口安吾をめぐって)

生きることは常に苦痛に汚染されている。生きるという営為自体が、本来は起こり得なかった超自然的な奇蹟を無理に持続するような作業なのだから、そこに不自然な苦しみが生じるのは自明の帰結である。 宇宙の探査が発達しても、一向に地球外の生命体との出逢…

「破滅」に対する抵当権 三島由紀夫「青の時代」

三島由紀夫の「青の時代」(新潮文庫)を読了したので、断片的な感想をばら撒いておく。 1948年に巷間を騒がせた所謂「光クラブ事件」(東大生による闇金融の起業と、その摘発)を題材に据えて紡がれた、この愉快な小説は(「愉快」という言葉の定義を捻…

「死」という毒薬を弄ぶ男 三島由紀夫「盗賊」

先日、三島由紀夫の処女長篇小説「盗賊」を読了したので、感想を認めておきたい。 「仮面の告白」に先立って発表された「盗賊」は、三島由紀夫の遺した厖大で華麗な文業の経歴の中で、余り脚光を浴びない位置に佇んでいる作品ではないかと思う。後年の三島を…

苦痛への欲望、或いはタナトス(thanatos) 三島由紀夫「愛の渇き」

三島由紀夫の「愛の渇き」(新潮文庫)を読了したので、感想を認めておく。 この作品の全篇に行き渡っている、或る陰鬱な雰囲気の由来を、一言で名指すのは困難な業である。何もかもが皮肉の利いた、底意地の悪い文章によって抉り取られ、無条件の肯定に晒さ…

「正常さ」への切迫した欲望 三島由紀夫「仮面の告白」

三島由紀夫の「仮面の告白」(新潮文庫)を読了したので、その感想文を認めておく。 三島の出世作であり、その代表作の一つにも計えられる「仮面の告白」には、所謂「処女作」に関する使い古された通説が見事に反映されている。つまり、或る作家の処女作には…

歪んだ愛の精細な記録 ウラジーミル・ナボコフ「ロリータ」

九月前半からずっと格闘し続けてきたナボコフの「ロリータ」(新潮文庫)を読了したので、覚書を認めておきたい。 このペダンティックな文体で織り上げられた稠密な作品を、強いて要約しようと試みるならば、表題に掲げたように「歪んだ愛の精細な記録」とい…

「醗酵的読書」の作法

先日、カズオ・イシグロの「日の名残り」(ハヤカワepi文庫)を読了したので、次の作品に着手した。休日の昼間、妻と娘を連れて訪れた幕張新都心のイオンモールに入っているスターバックスで、「キーライムクリーム&ヨーグルトフラペチーノ」という舌を咬み…

一つの道を信じるということ カズオ・イシグロ「日の名残り」に就いて

1989年のブッカー賞の栄冠に輝いた、カズオ・イシグロの「日の名残り」(ハヤカワepi文庫)を読み終えたので、ここに感想を認めておくことにする。 久々に、とても上質で滑らかな、大変「美しい小説」を読んだという手応えを感じることが出来た。作品が…

「不条理」の困難な形象 アルベール・カミュ「ペスト」に就いて

先刻、アルベール・カミュの「ペスト」(新潮文庫)を読み終えた。 この作品を単純なヒロイズムの物語であるとか、或いは「不条理」に対する戦いの物語であるとか、そういう風に総括するのは、一見すると尤もらしいけれども、きちんと読めば、寧ろこの作品が…

「断片化」としての小説(カフカの「中断」、メルヴィルの「集積」) 2

前回の記事の続きを書く。 「ロゴスの単一性」を重要な特質として帯びる「物語」=「ロマンティシズム」の堅牢な秩序に対して、様々な手段を駆使して叛逆と簒奪を試み、単一的なロゴスの彼方に「世界の本質的な多様性」を見出そうとするのが、小説的なリアリ…

「断片化」としての小説(カフカの「中断」、メルヴィルの「集積」) 1

池内紀の編輯した「カフカ短篇集」(岩波文庫)を読了した。覚書を認めておきたい。 フランツ・カフカの小説を読むとき、読者は必然的に作品の「完結」に就いての思索に導き入れられることになる。単に彼の遺した三つの長篇小説(「失踪者」「審判」「城」)…

夢に似た捩れ 「カフカ短篇集」を巡る雑録

最近、ドイツ文学者の池内紀氏が翻訳と編纂を担った「カフカ短篇集」(岩波文庫)を少しずつ読んでいる。淡々とした筆致で、波瀾万丈の壮大な物語とは程遠い、素描のような掌編が並んでいる。どれも独特の味わいがあり、不気味さと諧謔とシニカルな省察が緊…

虚実の迷宮 ウンベルト・エーコ「バウドリーノ」に就いて

ウンベルト・エーコの「バウドリーノ」(岩波文庫)は、ヨーロッパの歴史や思想に関する該博な知識を素材として組み立てられた奇想天外な冒険活劇である。この小説の奥深い含蓄を、西洋の文化に余り馴染んでいるとは言い難い私のような人間が精確に理解する…