サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

My Record of Reading about "The Old Man and the Sea"

 英語学習の一環として繙読した Ernest Hemingway,The Old Man and the Sea,London,2004 について、感想の断片を認める。

 邦訳を含めて、ヘミングウェイの小説を通読するのは今回が初めての経験である。私の英語力では、贅肉を削ぎ落とした緊密な文体と評される彼の文学的特質を適切に把握し、実感することは出来ない。そもそも、意味を掴めない箇所も複数存在したくらいで、果たして本当に読んだと言えるのかも心許ないのが実情である。だが、英和辞書と首っ引きで英文を読むのは、英語を都度、日本語に置き換えて理解する悪しき慣習を培養するものであるという風説を踏まえ、乏しい語彙に基づき、成る可く辞書に頼る機会を減らして想像力を逞しくする方針で英文に挑んでいるので、概略を掴めただけでも望外の収穫とせねばならない。何れもっと私の英語に関する理解が進んだら、再読を試みることにしたいと思う。
 この小説の筋書きは単純である。幸運の女神に見限られた老年の漁師が、巨大なカジキマグロと格闘を演じて遂には捕獲に成功するものの、帰途に鮫の来襲を蒙って折角の貴重な収穫を奪われるという物語で、読者は只管、洋上を彷徨する老人の孤独な時間を共有するように仕向けられる。アルベール・カミュの「シーシュポスの神話」を髣髴とさせる、この報われない労役の苦みはしかし、必ずしも暗鬱な色彩に覆われている訳ではない。年老いた漁師は華々しい英雄ではなく、彼の手に入れた束の間の幸運は、鮫の襲撃という凡庸な不幸に相殺されて白骨化する。その意味では、彼の人生から客観的な幸福を読み取ることは難しい。けれども、死闘を卒えて帰港した後に彼が味わった泥のような眠りは、少なくとも私には、驚嘆すべき充足の恩寵に庇護されているように思われた。彼は何ら現実的な利益を獲得しなかった。苦心して釣り上げた巨大なカジキマグロは鮫に貪られて、殆ど骨だけの状態で港へ持ち帰られたのである。彼の生活は、一頁目から最後までずっと度し難い不幸と悲運に蚕食されている。それでも、物語の最後に味わう彼の深甚な睡眠は、独自の充溢と安息に涵ることと同義なのである。

But he liked to think about all things that he was involved in and since there was nothing to read and he did not have a radio, he thought much and he kept on thinking about sin. You did not kill the fish only to keep alive and to sell for food, he thought. You killed him for pride and because you are a fisherman. You loved him when he was alive and you loved him after. If you love him, it is not a sin to kill him. Or is it more?

(Ernest Hemingway,The Old Man and the Sea,London,2004 p.81)

 老いた漁師の言葉は、悲惨な現実の主観的な曲解に過ぎないだろうか。彼は身も蓋もない現実を直視せずに、奇妙な自閉的論理を弄んで、己の不幸な境遇を糊塗しているのだろうか。恐らく、そのような解釈に賛同することは、多くの読者にとって容易ではないだろう。確かに現実的利益の度重なる逸失が、彼をこのような思考の形態に導いたことは事実であるかも知れない。けれども、こうした「行為」そのものへの自足は、幸福の必然的な形態であるとも言える。アリストテレスは「ニコマコス倫理学」の冒頭で、あらゆる行為は、その行為そのものとは異なる何らかの目的に奉仕するが、幸福=最高善は定義上、如何なる外在的目標も措定せず、その行為そのものに自足するという趣旨の見解を述べている。こうした観点から眺めるならば、ヘミングウェイの描き出す漁師の心境は幸福なものであると言える。現実的な不幸は、老人の内面的幸福を毀損しない。それゆえに年老いた漁師は次のように呟くのだ。

'But man is not made for defeat,' he said. 'A man can be destroyed but not defeated.'

(Ernest Hemingway,The Old Man and the Sea,London,2004 p.80)

 現実的不幸は我々の心身を破壊するが、我々の魂が敗北を喫することはない。こうした考え方は極めてstoicな見解である。現実的不幸に見舞われることと、現実的不幸に屈服することとは同一の状態ではないというdualismは、負け惜しみの詭弁に聞こえるかも知れない。けれども実際に、あらゆる苦難に立ち向かう為には、こうした詭弁は有益な効能を発揮するのである。現実的不幸に見舞われることと、現実的不幸に屈服することとの間に境界線を画定するのは、極めてintelligentな営為であり、そこに固有の人間的尊厳を見出すのは必ずしも詭弁ではない。或いは、詭弁こそ我々を苛烈な現実から庇護し、復活させる重要な活力であると看做すべきかも知れない。全篇に漂う仄かな諧謔は、こうした詭弁的知性の齎す崇高な恩賞なのである。

The Old Man and the Sea

The Old Man and the Sea