サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

2020-03-01から1ヶ月間の記事一覧

サラダ坊主の幸福論 13 セネカ先生のストイシズム(五)

引き続き、セネカ先生のストイックな幸福論に就いて探究を続ける。先生の幸福論は、古代ギリシア以来の伝統的な主知主義に根差し、自らの精神を生の支配者に任じて、外在的な事物に惑わされない堅牢な「自家発電」の境涯を形作ることに重きを置いている。あ…

サラダ坊主の幸福論 12 セネカ先生のストイシズム(四)

引き続き、古代ローマの高名な政治家であり、ストア派の優れた哲人でもあったセネカ先生の倫理学的知見に就いて検討を進める。 われわれは、外見が見栄えのするものではなく、純粋で、安定し、隠れて見えない部分ほど美しさを増す善きものを追求しよう。それ…

サラダ坊主の幸福論 11 セネカ先生のストイシズム(三)

引き続き、セネカ先生のストイックな御高説を拝聴し、自らの幸福論的探究の充実に役立てたいと思う。 私がここで言う「俗衆」には、花輪をかぶった連中も、ギリシア風の外套を着込んだ連中も含まれている。(幸福な生というものを考える際)私が目を向けるの…

サラダ坊主の幸福論 10 セネカ先生のストイシズム(二)

引き続き、古代ローマの政治家であり思想家であったセネカ先生のストイックな御高説に就いて私的な論究を進めていきたいと思う。 セネカ先生の倫理学的な省察において重要な位置を与えられているのは「理智」及び「自立」の二つの美徳である。これらの概念の…

サラダ坊主の幸福論 9 セネカ先生のストイシズム(一)

エピクロス先生の幸福論に就いて一通りの検討を卒えたので、今度は古代ローマの政治家であり思想家であったセネカ先生の御講義を拝聴したいと思う。 セネカ先生は一般にストア学派の哲学者に分類されるが、此処では敢て煩瑣な哲学史的問題に深入りする必要を…

サラダ坊主の幸福論 8 エピクロス先生の静謐な御意見(七)

引き続き、古代ギリシアの賢者エピクロス先生の幸福論に就いて検討を進める。生前から「享楽主義」(hedonism)の汚名を着せられ、著しい歴史的曲解に曝され続けてきた先生の倫理学的な知見が、実際にはヘドニズムの特徴である「絶えざる飢渇」への正統な処方…

サラダ坊主の幸福論 7 エピクロス先生の静謐な御意見(六)

引き続き、古代ギリシアの賢者エピクロス先生の幸福論に就いて検討を進める。既に前回までの記事で、私はエピクロス先生の幸福論と「快楽」に関する考え方が、過激で貪婪な「享楽主義」(hedonism)とは一線を画すものであることを確認し、強調した。先生が幸…

サラダ坊主の幸福論 6 エピクロス先生の静謐な御意見(五)

引き続き、古代ギリシアの賢者エピクロス先生の幸福論に就いて検討を行なう。 快は第一の生まれながらの善であるがゆえに、まさにこのゆえに、われわれは、どんな快でもかまわずに選ぶのではなく、かえってしばしば、その快からもっと多くのいやなことがわれ…

サラダ坊主の幸福論 5 エピクロス先生の静謐な御意見(四)

引き続き、エピクロス先生の此岸主義的な幸福論に就いて私的で地道な検討を進めたい。先生は「メノイケウス宛の手紙」の中で、人類の歴史とは切っても切れない不可分の関係にある「欲望」の種類に関して腑分けを試みておられる。 つぎに熟考せねばならないの…

Cahier(病床・幸福論・四歳児)

*先月末から十日余り、具合が悪くて仕事を休んでいた。インフルエンザの薬を貰って吸入しても高熱が下がらず、流行のコロナウイルスの件も頭の片隅を過り、地元の総合病院で念入りな検査を受けた。レントゲンとCTスキャンを撮っても肺炎像は見当たらず、…

サラダ坊主の幸福論 4 エピクロス先生の静謐な御意見(三)

引き続き、古代ギリシアの偉大なる賢者エピクロス先生の学説の検討に取り組む。 だが、多くの人々は、死を、あるときは、もろもろの悪いもののうちの最大なものとして忌避し、あるときはまた、この生における〈もろもろの悪いもの〉からの休息として〈むなし…

サラダ坊主の幸福論 3 エピクロス先生の静謐な御意見(二)

今回は古代ギリシアの哲学者、エピクロス先生の幸福論の内実に就いて、より具体的な検討を進めていきたい。 さて、わたしが君にたえず説き勧めてきたことを、それこそが美しく生きるための基本原理であると理解して、習いおこなうべきである。まず第一に、神…

サラダ坊主の幸福論 2 エピクロス先生の静謐な御意見(一)

先般「サラダ坊主の幸福論」と銘打って見切り発車で始めた続き物の企画であるが、端的に言って「幸福」とは実に多義的な概念である。それをどのような角度から、どのような趣旨で捉えようと考えているのかによって、当然のことながら「幸福」という言葉の定…

サラダ坊主の幸福論 1 開幕の口上

不図思うところがあり、今回から断続的に「サラダ坊主の幸福論」と銘打って、甚だ輪郭の曖昧な「幸福」という観念を主題に、古今東西の先賢の書物を渉猟し、特定の分野に固執することなく、成る可く横断的で柔軟な思索を積み重ねていこうと発起した。 思うと…

戦後的ニヒリズムの肖像 三島由紀夫「魔群の通過」

三島由紀夫の短篇小説「魔群の通過」(『ラディゲの死』新潮文庫)に就いて書く。 この作品に登場する人々は何れも癖の強い、奇態な性質の持ち主ばかりである。主役に当たる伊原を除いて、彼らは何れも敗戦による社会の激変によって著しい没落を強いられたと…

「政治」への冷笑 三島由紀夫「大臣」

三島由紀夫の短篇小説「大臣」(『ラディゲの死』新潮文庫)に就いて書く。 この小説は、所謂「政界の内幕」を活写した体裁の作品である。尤も、作者は国家の政策に関する具体的な持論を述べたり、現行の政権に対する批難や嘲罵を露わに示したりする為に、こ…

色欲と懲罰 三島由紀夫「山羊の首」

三島由紀夫の短篇小説「山羊の首」(『ラディゲの死』新潮文庫)に就いて書く。 この作品の主題であり、全篇を束ねる寓意の焦点でもある「山羊の首」の反復的な登場は、太宰治の虚無的な短篇小説「トカトントン」を多くの読者に想起させるのではないだろうか…

納富信留「ソフィストとは誰か?」に関する覚書 2

納富信留の『ソフィストとは誰か?』(ちくま学芸文庫)に就いて書く。 「哲学者」という独特の観念は、師父ソクラテスの特権的な聖別を企図したプラトンによって、数多のソフィストたちの思想的範型の渾沌たる集合から、精密な論理的検証を通じて析出された…