サラダ坊主日記

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納富信留「ソフィストとは誰か?」に関する覚書 2

 納富信留の『ソフィストとは誰か?』(ちくま学芸文庫)に就いて書く。

 「哲学者」という独特の観念は、師父ソクラテスの特権的な聖別を企図したプラトンによって、数多のソフィストたちの思想的範型の渾沌たる集合から、精密な論理的検証を通じて析出された画期的な発明であると考えられる。一般に「哲学」の開創は、非業の刑死を遂げたソクラテスによって実現されたと信じられているが、ソクラテス自身が「哲学者」という実存的様態に特別な自負を懐いていたかどうかは必ずしも分明ではない。生前のプラトンが師父ソクラテスに対して懐いていた感情の在処を精密に解析することなど、今や誰にも不可能だろう。恐らく古代ギリシア都市国家アテナイにおいて、ソクラテスは明瞭に「ソフィスト」の一員であると看做されていたに違いない。けれども、プラトンは師父の存在を数多のソフィストとは異質な固有性の下に眺めていた。それは単に歴史的に形成された主観的な偏見、局所的な信仰、つまり依怙贔屓の帰結に過ぎないのだろうか。

 代表的なソフィストとして知られるプロタゴラスは自ら「徳の教師」を名乗り、報酬と引き換えに弁論の技術を教授して生計を立てたと伝承されている。この場合の「徳=アレテー」(arete)という概念は人柄の道徳的な良し悪しを指すものではなく、具体的には「弁論の能力」という意味である。デモクラシーと訴訟の発達した当時のアテナイでは、銘々の弁論の才覚が人生の命運を左右する重要な役割を担っており、それゆえに弁論術の心得が人間の「卓越性」と緊密に結び付けられて解釈されたのだろう。政治家としての栄達も、市民社会における安定的な幸福も、偏に弁論の良し悪しで決せられていたのだから、冷静に考えれば「巧言令色」が堂々たる美徳として闊歩する奇態な社会である。

 弁論術の主眼は「説得」の成否の裡に存する。聴衆を理智的に納得させ、感情的に掌握することが、優れた政治家としての声価を勝ち得る為にも、法廷に立って自己の利益を防衛する為にも、不可欠な手続きとして切実に要請される。それゆえにソフィストたちは相互に競い合って弁論の技術を錬磨し、鍛え抜いた技巧を有償で市民に教えることで巨利を貪ろうと躍起になった。自己の特色の宣伝にも、新たな弟子の獲得にも、彼らの華麗な「巧言令色」は極めて有用な働きを示したであろうと推察される。

 こうした人々を典型的なソフィストであると看做すのならば、プラトンの遺した初期の対話篇に記録されているソクラテスの言行は聊か異色であると言える。彼の生活や思惟は、金銭を受領する代わりに何らかの有益な知識を教授するというソフィストの職業的な範型に合致していない。尚且つ彼は「不知の知」という理念に立脚し、自らの弁論を「助産」の技術に譬えて、専ら他者の並べ立てる様々な論理の欠陥を鋭く剔抉し、超克し難い「アポリア」(aporia)へ追い込む作業に没頭した。「真理」は神の掌中に独占的に握られており、人間が神に代わって「真理」を語ることなど出来ないというソクラテスの規範は、森羅万象に就いて滔々と「真理」を弁じてみせるソフィストたちの傲慢で軽率な姿勢とは一線を画している。言い換えれば、ソクラテスはあらゆる種類の「真理」に附随する疑わしさを可視化することに生涯を費やしたのである。

 「アポリアの弁論家」としてのソクラテスは、絶対的で恒久的な「真理」の実在を声高に訴え続けたプラトンの思想とは相容れないように見える。例えば「パイドン」に登場するソクラテスは、他者の学説をアポリアへ陥れる代わりに、確信に満ちた口調で聊か神話的な教義を陳述してみせる。それは如何なる学説の裡にも何らかの欠陥や脆弱性を発見するアポリア的なソクラテスの姿とは明確に異質である。普遍的な実相としての「イデア」(idea)を信奉するプラトンとは反対に、アポリア的なソクラテス懐疑論的な検証と分析を旨としている。彼は自らの思想を肯定的な仕方で明示する代わりに、他者の議論の瑕疵を摘出することに専念する。職業的な特性において一般的なソフィストの範疇に収まらないとしても、こうしたアポリア的なソクラテスの言行は明らかに、プラトンの構想した精緻な演繹的独断論に対立する点で、極めてソフィスト的な思惟の産物であると言えるのではないだろうか。

 但し、後期対話篇に登場するソクラテスが、プラトンに固有の思想を代弁する傀儡の役割を担っていることが仮に事実であるとしても、少なくともプラトンが師父ソクラテスの言行の裡に、凡百のソフィストたちとは根本的に異質な要素を認め、そこに重要な革命的意義を見出していたことは確かであるように思われる。尤も、このプラトンの着眼点は誰にとっても自明な差異であったとは言い難く、市井の人々がソクラテスの振舞いを評して、口さがない理窟ばかり弄して他者の論旨の破綻を難詰する不快な人間であると看做したとしても不思議ではない。優れた弁論術の技巧を富裕な家庭の子弟に教授して高い報酬と社会的威信を得ていたプロタゴラスゴルギアスと比しても、貧しい身なりで街衢を彷徨し、誰彼構わず問答を吹っ掛けて公衆の面前で相手を論破するソクラテスは一層、市民から軽蔑される存在であったかも知れない。しかし、そのようなソクラテスを他のソフィストから聖別して特権的な存在として昇華する為に、プラトンは飽くなき情熱を以て、精密な論証を積み重ね、新たに「哲学者」という称号を師父の為に発明したのである。

 プラトンソフィストたちの弄する「弁論術」と、ソクラテスの駆使した「問答法」とを明確に峻別する。ソフィストは他者の「説得」の成否に至上の価値を置き、自らの言論が普遍的な「真理」に値するかどうかを厳密に考慮しない。彼らは聴衆の理智を納得させ、その感情を揺さ振ることに成功しさえすれば、充分に満足し得る人種なのである。こうしたソフィストの特徴を、プラトンは「迎合」と呼んで手厳しく糾弾した。他方、ソクラテスの用いた「問答法」は相手の歓心を購うことよりも、共同の探究を通じて絶対的な「真理」に到達することを主旨としていた。事実、ソクラテスに問答を挑まれた多くの人々が、彼の容赦を知らない苛烈な論理的追究に憤激したと古伝は告げている。衆人環視の下で己の無智と不明を曝露され、侮辱されたと感じた人々が、ソクラテスに対して通俗的な怨恨を懐くのは自然な心境であろう。しかも、相手の論理の瑕疵を仮借無く暴き立てておきながら、自らに固有の明瞭な学説を語らず、専ら「不知の知」を標榜して「真理」の内実を神的な不可知の領域へ安置して憚らなかったソクラテスに、市民が職業的な尊敬を捧げることは稀であったに違いない。

 しかし、プラトンの視野によって濾過されたソクラテスは、逆説的な変貌を遂げて顕れる。彼は他者に迎合せず、普遍的な「真理」に殉じることを選んだ廉潔な人物であり、数多のソフィストのように金銭的報酬と社会的栄誉の為に「真理」を軽んじるような愚を犯さなかった。彼こそ真の意味で「知を愛する者」であり、他者を欺き誑かす巧妙な話術よりも、対話を通じて共通の「真理」へ至ろうとする誠実な弁証を重んじた偉大な智者であった。但し、厳密に言えばソクラテスにとって「真理」とは「無記」の対象であったのではないか。それは人間の知性を超越した認識であり、従って如何なる「問答」によっても到達し得ない不可侵の領域に属していると看做されたのではないか。プラトンの「転向」は、そのようなソクラテスの知性的な禁欲主義からの離脱を以て出発の号砲とする。彼は絶対的な「イデア」(idea)の実在を積極的に語り、地上におけるその「分有」と「臨在」を説いた。そして理性に特権的な価値を与え、理智を通じてのみ人間は絶対的な「真理」を把握することが出来ると声高に喧伝した。それは師父ソクラテスの実像からの逸脱を意味する。そこから、壮麗な伽藍としての哲学的体系が胚胎したのである。

ソフィストとは誰か? (ちくま学芸文庫)

ソフィストとは誰か? (ちくま学芸文庫)

  • 作者:納富 信留
  • 発売日: 2015/02/09
  • メディア: 文庫