サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

Cahier(七十三回目の終戦記念日・追憶と風化・八月十五日の焔のような夏の光り)

*今日は七十三回目の終戦記念日であるという。毎年八月十五日が終戦記念日であることは知っている。私の父方の実家は広島にあり、亡くなった祖母は原爆が光るのを自分の肉眼で目撃したと言っていた。 テレビでは全国戦没者追悼式の映像が幾度も断片的に流れ…

ニヒリズムの多様な範型 三島由紀夫「鏡子の家」 5

引き続き、三島由紀夫の『鏡子の家』(新潮文庫)に就いて書く。 ④「美」の超越的な範型、或いは審美的ニヒリズム この世界の事象に如何なる意義も価値も認めないことが、ニヒリズムと呼ばれる精神的情況の特質であるとするならば、新進気鋭の芸術家として登…

ニヒリズムの多様な範型 三島由紀夫「鏡子の家」 4

引き続き、三島由紀夫の『鏡子の家』(新潮文庫)に就いて書く。 ③「自然」と「実相」に基づくニヒリズムの超越的性質 あらゆる他者の存在を「鏡」のように扱い、己の外面的な価値を確かめることで内在的な虚無に抵抗する舟木収のナルシシズムは、高利貸を営…

サラダ坊主風土記 「盛岡・小岩井」 其の五

そのホテルの二階には露天風呂を含めた大浴場があり、その周辺が「おまつり広場」と称する空間になっている。夜に限って、祭りを模した射的やスーパーボール掬いなどの出店が並び、イベントスペースではビンゴ大会や和太鼓の演奏などが行なわれるのである。 …

サラダ坊主風土記 「盛岡・小岩井」 其の四

小岩井農場の涼しい喫茶店で軽食を済ませた後は、土産物売り場を見物して幾つか日持ちのする菓子を購い、腕時計の文字盤に急かされるように正門を出て、待合室で路線バスの到着を待った。予定よりも一本早い、盛岡駅まで直行する便である。 行きの便はマイク…

サラダ坊主風土記 「盛岡・小岩井」 其の三

盛岡旅行の二日目は、小岩井農場へ遊びに行く計画であった。朝の九時に盛岡駅の東口を発車する路線バスに搭乗せねばならない。早起きしてホテルでビュッフェ形式の凡庸な朝食を摂り、チェックアウトの手続きを済ませて、晴れ渡った午前の街並へ繰り出す。 バ…

理想と現実、論理と情熱、厖大なる「空虚」 三島由紀夫「宴のあと」

未だ「鏡子の家」に関する感想文を書き終えていないのだが、三島由紀夫の『宴のあと』(新潮文庫)を読了したので、記憶が褪せる前に記録を遺しておきたいと思う。 日本における「プライヴァシーの侵害」という法律的闘争の先駆的な事例という枕詞が何時でも…

サラダ坊主風土記 「盛岡・小岩井」 其の二

岩手銀行の旧本店は、中津川に架かる中の橋の畔にあり、盛岡城跡公園の対角に位置している。それほど巨大な建物ではない。東京駅の丸の内を連想させる赤煉瓦の造作である。 路上の劇しい暑さから逃れるように、我々は薄暗い館内へ入り、入場券を買い求めた。…

ニヒリズムの多様な範型 三島由紀夫「鏡子の家」 3

引き続き、三島由紀夫の『鏡子の家』(新潮文庫)に就いて書く。 ②稀薄な「自己」とナルシシズムの原理 稀有の美貌に恵まれながら、一向に売れる見込みのない役者稼業を営んでいる舟木収は、自己の稀薄な実在感に絶えず悩まされている。 「それから……」 と又…

サラダ坊主風土記 「盛岡・小岩井」 其の一

過日、妻子を伴って二泊三日の岩手旅行へ出掛けて来た。その備忘録を認めておく。 私にとって岩手県は未踏の地である。そもそも東北地方に余り縁がなく、昨年の夏に訪れた仙台も、初めて足を踏み入れた場所であった。旅先の選定に際して、未踏の地であるとい…

ニヒリズムの多様な範型 三島由紀夫「鏡子の家」 2

引き続き、三島由紀夫の『鏡子の家』(新潮文庫)に就いて書く。 ニヒリスティックな認識、つまり世界には如何なる意味も価値も存在しないという認識は、予め定められた社会的=歴史的枠組みの内部に従属して生きる人々へ加えられた残酷な痛撃であると同時に…

ニヒリズムの多様な範型 三島由紀夫「鏡子の家」 1

三島由紀夫の『鏡子の家』(新潮文庫)を読了したので、感想を書き留めておく。 三島が数多く遺した長篇小説の内でも大部の範疇に属する「鏡子の家」は、同時代の批評家や読者から冷遇された失敗作として語られることが多い。けれども、私自身の感想としては…

無害で安全な幸福

無害で安全な幸福という言い方には明らかに批判的な意識が反響して聞こえるだろう。私自身、無害で安全な幸福に憧れを持たない訳ではないし、傍目には、今の私の生活自体が、無害で安全な幸福の典型のように映じるかも知れない。 けれども、無害で安全な幸福…

Cahier(酷暑・京都・夏の光り・サカナクション)

*酷暑が続いている。茹だるような暑さという表現の相応しい日々が、人の生命さえも奪っている。娘は体温が上がると蕁麻疹が出る。汗疹も出るので、二重の苦しみだ。止むを得ず家ではずっと冷房を利かせている。機嫌の悪い娘を見るのは辛いのだ。 八月の盆休…

Cahier(夏季休暇・東北・疲労の価値)

*月末に連休を取って家族旅行へ出掛けることにした。行き先は盛岡と小岩井農場である。昨年の夏は生まれて初めて仙台と松島を周遊した。二歳の娘を連れているので、行き先の選定には頭を抱えることが多い。自然に触れさせてやりたいと思うものの、本当の大…

Cahier(禍福・艱難・生きる歓び)

*生きていれば嫌なことも億劫なこともあるもので、同じように愉しいことも幾らでもある。その狭間でシーソーのように揺れ動くのが生きることの基本的な光景だろう。これと決めた道程を真直ぐに歩んで、疑いも何も持たずにいられたら、それはとても安逸で幸…

Cahier(退院・新婚・nihilism)

*昨日、母親から、鬱血性心不全の為に入院していた父親が無事に退院することに決まったと報せてきた。早ければ一週間、長ければ三週間という事前の見立てであったから、比較的症状は軽微で済んだものと思われる。母親はメールの文末に、此れからは自己管理…

「殉国紀」 第十四章 樹海の社にて 5

「素性を明かしてもらえるかね。我々ミューベロスは国家に飼われた奴婢ではなく、崇高なる神帝穹下に仕える聖隷だ。たとえ人殺しであろうと、問答無用で警事局へ突き出すような真似はしない。我々が重んじるのは飽く迄も、この樹海の深淵で培われた掟だけだ」…

Cahier(老父・入院・寂寥)

*先日、勤務中に母親からメールが届いた。父親が鬱血性心不全という診断を受けて、松戸市内の総合病院に緊急入院したという報せである。慢性的な高血圧を抱えて、以前から服薬の習慣は持っていたものの、私の知る限り大病とは無縁の生活を送っていた父親が…

幻想を破壊すること

人間は自分の知らないことや体験していない事柄に就いても、何らかの理解や判断を持ちたがる生き物である。知らないことは知らないと明瞭に言い切ってしまえば済むのだが、知らないことに就いても彼是と考えを巡らせてしまうのが人間に備わった知性の内在的…

Cahier(集大成・夏風邪・賞与)

*引き続き、三島由紀夫の『鏡子の家』(新潮文庫)をちまちまと読んでいる。もう直ぐ全体の半分ほどの地点まで到達するところである。詳しい感想は全篇を読了した後に綴る心積もりだが、備忘の為にメモを記しておきたい。 この「鏡子の家」という分厚い小説…

丁寧に生きるということ

この世界を生き抜いていく上で必要な心掛けというものは幾らでもあり、計え方次第でそれは無数に膨れ上がるだろう。世界には先賢の叡智に満ちた金言から、見知らぬ酔漢の喚き散らす戯言に至るまで、星屑よりも多くの貴重な教訓が氾濫している。それらの教訓…

「殉国紀」 第十四章 樹海の社にて 4

フェレッサに帯刀を委ねて城門の前に並んだ一行の剣呑な風体を、ウェンシスは無遠慮に睥睨して入念に検分した。殉国隊の残党を名乗る素性の怪しい男女の取り合わせを、態々護官長の面前へ突き出して裁可を仰ぐことに、一抹の躊躇を覚えぬ訳ではない。特に冷…

「殉国紀」 第十四章 樹海の社にて 3

敏捷な鹿の背に跨って先導するフェレッサの後ろ姿を追って、渋面のサスティオは黙々と獣車を駆り立てた。午前の光が射し込む切通しを抜け、再び薄暗い樹海の小径に貧相な轍を刻む。軈て木立が途切れ、俄かに開けた視界の涯に、巨大な城壁が忽然と姿を現した…

Cahier(「鏡子の家」・現実・退職)

*最近は三島由紀夫の長大な『鏡子の家』(新潮文庫)を読んでいる。同時代の批評家から冷遇されたと伝えられる作品だけに、退屈しないかと心配しながらページを開いたが、そんなに悪しざまに貶されるべきものだとは思わない。ただ「金閣寺」という緊密な構…

苦しみのないところには、歓びもまた存在しない。

人間の認識は「差異」というものの把握を前提に組み立てられている。「比較衡量」という言葉があるように、私たちは「差異」によって隔てられ、区分された対象を並べて比べてみることで、様々な観念の壮麗な伽藍を脳裡に建設する。換言すれば、私たちの有す…

「役割」に就いて

人間は純粋に一人きりで生活を成り立たせていくことは出来ない。現代のように、あらゆる事柄が分業化されている世界では猶更、表面的には孤独な、自閉的で個人的な私生活が可能に見えても、実際には、高度な分業と他者との相互的な依存が、生活の前提に据え…

三十二歳の男

結局、自分という生き物の組成を理解する為に、私は色々な事柄へ関心を寄せて、彼是と益体のない思索に耽っているのだろう。他人を理解することは、自分を理解することよりも時に容易く感じられる。それは私が、他人の外在的な事実だけを捉えて考察を加える…

音楽における「理性」と「感性」

偶々YouTubeでフレデリックという名の関西出身のバンドの曲を聴いて、割と気に入った。きちんと歌詞を読んだ訳ではないが、言葉に過剰な意味が与えられていない。私はサカナクションやPerfumeの音楽を好んでいるが、彼らの楽曲においても、言葉は意味よりも…

「生活」に就いて

「生活」という言葉は、私たちの暮らしの中に、当たり前のように溶け込んでいる。誰もが「生活」という言葉の厳密な定義を改めて検討する必要にも迫られぬまま、遽しい世渡りに齷齪している。例えば「就活」(就職に向けた活動)やら「婚活」(結婚に向けた…