サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

Cahier(批評から創造へ)

*最近「カクヨム」というサイトに自作の小説を投稿している。今は未だ、書きかけのまま眠っていた作品を電子的な筐底から埃を払って取り出し、焼き直しに明け暮れている段階だが、在庫が払底すれば新たな作品を書く積りである。 不意に何故、小説を書くこと…

小説「古都」 7

伯母と言葉を交わすのは久々だった。暫く見ない間に皺が増え、白髪が増え、背丈が縮んだ。身内が逝く度に、命の深い部分を削られるのだろうか。況してや今回は、最愛の娘なのだ。啀み合う日々が続いていたにせよ、開いた傷口から濫れる血潮は並大抵の量では…

小説「古都」 6

勿論、好きにすればいい。秋南の人生は、秋南のものだ。人から事細かに指図を享けながら築き上げた人生に、如何なる意味があるだろう。だが、誰も自分自身の本当の欲望の正体など、理解していないのが世の常ではないだろうか。これが自分の希望だと信じ込ん…

小説「古都」 5

新米ながら熱心に働いて、長時間労働も厭わず、それなりに容貌の見栄えがして明るく人懐っこい気質であれば、自然と男が出来るのも不思議ではない。化粧品売場を管理するマネージャーの一人と親しくなり、幾度か食事に誘われて、酒を酌み交わすうちに言い寄…

小説「古都」 4

毎年の夏の休暇に、母の郷里である京都へ帰省するのは、私の幼年期から続く我が家の慣習であった。蝉時雨が一斉に間断なく行われる打ち水のように姦しく鳴り響く古びた街衢へ、幼い私は何時も華やいだ特別な気持ちで旅した。東京駅から新幹線に乗り込み、母…

小説「古都」 3

強力な空調の吐き出す冷えた空気が、黒い礼服の繊維の一筋毎に深く染み込んだ苛烈な暑気の残滓を払った。降り注ぐ燦爛たる陽射しに堪えかねて緩めていたネクタイを不図思い出し、入念に締め直してから歩き出す。受付で名乗り、神妙な面持ちに一縷の柔らかな…

小説「古都」 2

停車した名古屋駅で、私は束の間の転寝から目醒めた。豪勢な弁当を平らげてデッキの喫煙所で一服し、席に戻って持参した読みかけの小説を開いたところまでは覚えていたが、そこから先の記憶はトンネルに吸い込まれたように闇に融けて再生が出来ない。米原を…

小説「古都」 1

その日、午後から東京は酷い雨が降るという予報で、その分厚い雨雲と暴風の野蛮な交響曲に捕まる前に颯爽と出発したいというのが、そのときの私の希望の総てであった。駅舎の地下深くに押し込まれた、古代の墳墓のように寒々しい総武線快速のプラットフォー…

小説「夜行列車」 9

裏返された砂時計が急速に重力へ敗れていくように、二人に残された今夜の時間は着実な減少の曲線を描き続けていた。結論を出す為には圧倒的に時間が足りない。呑気にシャワーを浴びて一日の穢れを洗い流している場合じゃなかったなと、謙輔は内心で苦笑いし…

小説「夜行列車」 8

もう取り返しのつかない致命的な傷痍が、二人の絆の上に墜落したと謙輔は思った。それは今までの関係の裡に予め植え付けられた夥しい伏線の結実した姿だった。そうだ、最初の瞬間から何もかも分かり切っていたことじゃないか。謙輔は己の愚かさが齎す心理的…

小説「夜行列車」 7

一時間ほどで、否が応でも目醒めるしかない短い夢の定期的な反復。それが二人の平凡な生活に里程標の役目を担って突き刺さっていた。けれども、幾ら短い夢想を数珠の如く繋ぎ合わせてみても、辿り着ける場所には限界がある。二人が進める領域は厳格な制約を…

小説「夜行列車」 6

柔らかな湯気が、空調で乾燥した室内に時ならぬ潤いを広々と顫えるように延ばした。タオルの擦れる微かな響きが連なって、謙輔の鼓膜の表面を薄らと撫で回した。固より、こういう筋書きは事前に予定され、殊更に言葉を用いて互いに確かめ合わずとも共有され…

小説「夜行列車」 5

時計の針は刻々と夜の濃密な流れを、見えない画布の上に記し続けていた。絶えず気を配って時刻の推移を確かめていなければ、謙輔は致命的な失錯を犯す危険があった。現実の手荒な拘束が齎す息苦しい痛みを忘れて、夢想と愉楽の深みへ溺れ、窒息してしまうの…

サラダ坊主風土記 「金沢・加賀温泉郷」 其の三

金沢旅行の二日目も、一帯は朝から非の打ち所のない快晴の蒼穹に恵まれた。ビュッフェ形式の在り来たりな朝食を済ませ、チェックアウトの手続きを終えて午前の戸外へ出ると、既に気温は三十度を超していた。燦然たる光に焼かれながら、地下道を経由して金沢…

小説「夜行列車」 4

深閑と静まり返った無機質な室内に、ただ只管に空調の低く懶い歌声が、潜められた誰かの不穏な囁き声のように漂い、泡立つように充ちていた。後ろ手に扉の内鍵を締めて、まるで危険な追跡者から逃れるように、謙輔は二人きりの虚空に似た密室を外側の広大な…

機密と恐怖 三島由紀夫「花火」

三島由紀夫の短篇小説「花火」(『真夏の死』新潮文庫)に就いて書く。 この「花火」という小説は、所謂「怪談」の内幕を、脅かす側の楽屋から眺めるような造作になっている。尤も、この小説における「怪談」の被害者は必ずしも運輸大臣の岩崎だけに限られな…

サラダ坊主風土記 「金沢・加賀温泉郷」 其の二

金沢の「ひがし茶屋街」を訪ねるのは生涯で二度目である。浅野川に架かる大橋を渡り、古びた町家の建ち並ぶ路地を、日盛りの陽光に焼かれながら緩々と進んでいく。角を折れると、一寸した広場のような空間に導かれた。「箔一」という名の、金箔を用いた土産…

サラダ坊主風土記 「金沢・加賀温泉郷」 其の一

過日、妻子を伴って北陸の中心都市である金沢と、福井との県境に近い加賀温泉郷へ旅行したので、その見聞を備忘の為に記録しておきたいと思う。 我々夫婦が金沢へ赴くのは此度で二回目である。前回の旅行で金沢には好意的な印象を覚えていた。一回り縮約され…

「悲劇」の呼び声 三島由紀夫「真夏の死」

三島由紀夫の短篇小説「真夏の死」(『真夏の死』新潮文庫)に就いて書く。 この「真夏の死」という作品は、血腥い「死」と輝かしい「栄光」と激烈な「性愛」の三つの要素を緊密に結び付けた重要な短篇である「憂国」と並んで、三島由紀夫に特徴的なモチーフ…

小説「夜行列車」 3

不用意な窃視者の視線を拒むように黒い板で覆われた自動ドアが、鈍い音を立てて緩慢に開いた。闇の中に形作られた人工的な、つまり世間の一般的な生活から隔絶された異郷が、徐に謙輔と陽子の鼻先へ不穏な姿を現した。何もかもが、注意深く日常的な生活の片…

小説「夜行列車」 2

一夜の仮寓までの道筋を、謙輔の手足は明晰に覚えていたから、曖昧に揺れ動く会話に気を取られながらも、眼差しは常に細かく動いて、華やかな夜の光に包まれる数多の人影を絶えず確かめていた。この厖大で尽きることを知らない殷賑の渦中で、注意深く気を張…

小説「夜行列車」 1

謙輔は仄かに甘い香りの立つ莨に火を点けた。橙色の眠たくなるような灯りが立ち籠める閉店間近の喫茶店は、平日の夜の、閑散とした疲労の色彩に埋もれていた。時計の針は九時を回り、喫煙席の区画にいるのは、寡黙で顔色の冴えない勤人だけだ。皺の寄った薄…

Cahier(宿命と覚悟)

*来月になれば、このブログを書き始めてから四年の歳月を閲することとなる。四年というのは案外大した長さではないかと思う。新生児と四歳児では、人間としての諸機能が段違いに異なる。新卒で入社した世間知らずの若人も、四年も働けば一応は一人前の面構…

「野心」と「幸福」の転轍 三島由紀夫「クロスワード・パズル」

三島由紀夫の短篇小説「クロスワード・パズル」(『真夏の死』新潮文庫)に就いて書く。 ホテルマンという職業と「愛慾」との間には、俄かに切り離し難い緊密な関係が存在する。例えば「ホテルに行く」という表現の裡には、情熱的な愛慾の陰翳が含まれている…

日常の「彼岸」に憧れて 三島由紀夫「離宮の松」

三島由紀夫の短篇小説「離宮の松」(『真夏の死』新潮文庫)に就いて書く。 退屈な日常への嫌悪、恐るべき倦怠への絶望的恐懼、これらの心理的現象は、如何にも三島由紀夫に相応しい主題である。延々と繰り返される単調な生活には、絢爛たる栄誉も残酷な悲劇…

Cahier(創造と管理)

*働きながら、日々考える。それが人間の普通の暮らしである。仕事というものは、殆ど総ての人間が関わりを持つ普遍的な営為で、その形態は歴史的状況や環境の強いる条件に応じて数多の変遷を重ねてきたけれども、それが人間の生存の中核を占めるものである…

「生成」と「実在」の協奏曲 三島由紀夫「金閣寺」

古代ギリシアの哲学者プラトンの書き遺した夥しい対話篇の数々を読んでから、改めて三島由紀夫の小説を断片的に読み返すと、様々な箇所に、プラトニズム的な認識の形態が挿入され、象嵌されていることに気付く。例えば「美しい星」に登場する円盤は、対話篇…

プラトン「国家」に関する覚書 9

プラトンの対話篇『国家』(岩波文庫)に就いて書く。 プラトンの強力な二元論的思考において、最も基礎的且つ重要な区分は「生成するもの」と「実在するもの」との峻別である。「生成するもの」は、我々の肉体的感覚を通じて把握される現象としての事物であ…

Cahier(「共感」の超越)

*「共感」によって基礎付けられた紐帯は、狭隘な範囲に限って成立する。言い換えれば、感覚や思想や信条や文化に就いて、一定の同質性が保持されている領域においてのみ、辛うじて成立する危うい均衡の所産である。 この「共感」の最も典型的な実例は「家族…

Cahier(「配給品」の幸福)

*古今東西を問わず、多くの人間にとって「幸福に生きる」という主題は、重要で切実な意義を帯びている。人間は無意味な生に堪えることが何よりも苦手で、現実に対する自動的な適応に安住する動物的な生存の形式から絶えず逸脱している。 欲望を断ち切れば幸…