サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

Cahier(「奴隷」の道徳)

*人間は誰しも他者からの評価を気に病む。毀誉褒貶に一喜一憂し、自己の存在や行動を、多数派の他者が築き上げた普遍的な規矩に合致させることに、奇妙な社会的幸福を感受する。こうした他律的な生き方は、余りにも深く我々の魂を蚕食しており、それ以外の…

セネカ「生の短さについて」に関する読書メモ 5

セネカの『生の短さについて』(岩波文庫)を読了した。 二千年前の著述が未だに「生」の現実に対する有効性を失っていない。その厳然たる事実に私は驚嘆せざるを得なかった。セネカは古代ローマの激動の時代を生き抜いた有能な政治家であり、その生涯を苛み…

セネカ「生の短さについて」に関する読書メモ 4

引き続き、セネカの『生の短さについて』(岩波文庫)に就いて書く。 欲望は絶えず「欠如」の認識によって触発され、飢渇に導かれて亢進する。言い換えれば、享楽的な主体は常に自らの所有しない対象、不在の対象、欠如した対象に向かって認識の焦点を合わせ…

Cahier(「婚姻」の改革)

「婚姻」という制度を「離婚」という破局(如何なる正当な事由が介在していようとも、論理的に考えれば「離婚」が「婚姻」の失敗した形態であることは明白である)から救済する為には、「婚姻」に附随する様々な有形無形の義務を削減する以外に途はない。 「…

セネカ「生の短さについて」に関する読書メモ 3

引き続き、セネカの『生の短さについて』(岩波文庫)に就いて書く。 「忙殺」という無惨な悪徳が、自己の「生」の他者による簒奪或いは侵襲によって生じるのだとすれば、我々がそうした悪徳の齎す虚無の症候を免かれる為には、当然のことながら、この貴重な…

Cahier(三島由紀夫と「享楽」)

*セネカの『生の短さについて』(岩波文庫)を繙読していたら、次のような記述に逢着した。 しかるに、快楽は喜悦の絶頂に達した瞬間に消滅するものであり、それほど広い場所をとらず、それゆえ、すぐに満たし、すぐに倦怠を覚えさせ、はじめの勢いが過ぎれ…

セネカ「生の短さについて」に関する読書メモ 2

引き続き、セネカの『生の短さについて』(岩波文庫)に就いて書く。 多くの人間が、生物学的な宿命たる「死」の到来の厳然たる絶対性に眼を塞いで生きている。日々、忙しさに追い立てられて暮らしていると、自分の「死」という約束された暗鬱な未来に想いを…

セネカ「生の短さについて」に関する読書メモ 1

最近は専らセネカの『生の短さについて』(岩波文庫)を読んでいる。丁寧で稠密な訳文を少しずつ咬み締めるように堪能している。勿論、私にはラテン語の原文を読解する能力など微塵もなく、従って訳文の適切性を原文に徴して確かめることなど不可能である。…

Cahier(理性・激情・セネカ)

*この一年余り、ずっと三島由紀夫の小説を読んで、感想文を書き綴るという個人的な計画に邁進してきた。主に長篇の峻険な山脈を踏破することに照準を定め、初期の「盗賊」や「仮面の告白」から、長大な遺作である「豊饒の海」までを無事に読了し、今度は新…

Cahier(愛情と触知)

*人間は時々、自分が「動物」であることを忘れる。 或いは常に忘れて、稀薄な自覚の裡に眠りこけているのかも知れない。一般に誰も切り花を見たところで生命の残虐な形態に心を痛めたりはしないが、人間の生首を鼻先に突きつけられたら、余りの惨さに恐懼し…

Cahier(目的の正しさは、手段の正しさを論証しない)

*目的の正しさは、手段の正しさを論証しない。目的が正しければ、如何なる手段も自動的に無謬の正当性を賦与される訳ではない。この場合、我々は「正しさ」という言葉を倫理的な観点から捉えなければならないだろう。英語で言えば「right」と「correct」の…

「生活」と「事件」の相剋 三島由紀夫「新聞紙」

引き続き、三島由紀夫の自選短篇集『花ざかりの森・憂国』(新潮文庫)に就いて書く。 「新聞紙」(「しんぶんし」ではなく「しんぶんがみ」と読む)と題された短篇を読み終えたとき、その静謐な掉尾の修辞から、私は夏目漱石の「夢十夜」を連想した。 敏子…

「奇蹟」と「日常」の狭間で生きること 三島由紀夫「海と夕焼」

引き続き、三島由紀夫の自選短篇集『花ざかりの森・憂国』(新潮文庫)に就いて書く。 「海と夕焼」と題された聊か抒情的な短篇は、作者自身が巻末の明晰な自註において述べている通り、三島にとって極めて重要な含意を帯びた観念である「奇蹟」を巡って構成…

Cahier(インフルエンザ・病苦・車谷長吉)

*二歳の娘からインフルエンザウイルス(A型)の御裾分けを頂戴したので、会社を早退して炬燵で暫く寝込んだ。インフルエンザを患うのは実に十余年振りの経験である。今もキーボードを叩きながら、蟀谷に疼くような熱の塊を感じている。さっさと寝てしまえ…

小説「月影」 4

失われてしまった娘の半生の儚い痕跡を辿ろうとする痛ましい作業が、或る精神的な麻酔のような効果を、私の心に深々と及ぼしているのだろうかという疑念が兆している。そういう手前勝手な感傷を成る可く振り払い、一つ一つの文字を丁寧に洗浄しながら書いて…

「道徳的要求」に就いて

ここ数年、主として芸能人の不倫関係に関する批判的な報道が巷間に氾濫し、渦中の当事者たちは矢衾のように猛烈な批判を浴びて、社会的な制裁を享けた。私人による制裁を禁じた近代法の理念を蹂躙するような振舞いであるが、彼らの境遇を憐憫する声は特に聞…

Cahier(「共感」の倫理学・「創造」の美徳)

*私は小さい頃から「文章を書く」という営為に対して特別な関心を懐き、拙劣な小説や詩歌の類を書き散らしたり、訳の分からぬ断片的な独白の文章を有り触れたノートのページに刻み込んだりする、奇妙に情熱的な時間を夥しく積み重ねて生きてきた。三十三歳…

「天使」としての詩人、或いは「実存」の拒否 三島由紀夫「詩を書く少年」

引き続き、三島由紀夫の自選短篇集「花ざかりの森・憂国」(新潮文庫)に就いて書く。 生まれたばかりの赤ん坊は、世界の宏大無辺であることを知らない。嬰児にとって他者は母親と父親に限られ、しかも自己と両親の境目は限りなく曖昧模糊としている。時間の…

Cahier(「固有的共生」と「機能的共生」)

*愛情という言葉は、誰もが自然な道具のように容易く滑らかに使いこなしているように見えるし、誰もが共通の感覚を指し示し、分かち合う為に、頗る流暢な発音で「愛」という単語を選択しているように感じられるが、それが果たして誤解ではないと言えるだろ…

Cahier(「顔」の見えない時代)

*最近、部下の男性社員が同棲していた年下の恋人と別れて、落ち込んでいる。尤も、私と同い年の男だから、子供みたいに陰鬱な雰囲気を職場で醸し出しているという訳ではない。仕事は仕事できちんと取り組んでいる。だが、茫漠たる寂寥や虚無の感情は如何と…

自壊する論理とニヒリズム 三島由紀夫「卵」

引き続き、三島由紀夫の自選短篇集『花ざかりの森・憂国』(新潮文庫)を読んでいる。 「卵」と題された短篇は、三島由紀夫の遺した作品の中では、異彩を放つ部類に属していると言えるだろう。こういう表現が適切であるかどうか分からないが、明らかに「卵」…

強さを褒められることよりも、弱さを赦されることを

①「脆弱性」(vulnerability)の問題 人間は誰でも多かれ少なかれ孤独に弱く、他者からの愛情や承認に飢え、孤立よりも連帯を愛することの多い生き物である。孤独は、それだけで人間の精神や肉体から、社会性という言葉で指し示されるような類の双方向的な開…

硝子越しに眺められた慕情 三島由紀夫「遠乗会」

引き続き、三島由紀夫の自選短篇集である『花ざかりの森・憂国』(新潮文庫)を少しずつ繙読する日々を過ごしている。 戦後に執筆され公刊された「遠乗会」という短篇は、最初期の部類に属する「花ざかりの森」や「中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日…

「性暴力」と「非婚化」の時代

①「性暴力」の排他的原理 昔に比べて統計的に増えているのかどうか知らないが、最近テレビやネットのニュースを眺めていると、随分と性犯罪に関する報道が頻繁に挙げられているように感じる。セクシャル・ハラスメントに関する社会の認知度は着実に向上して…

Cahier(「平成」の終焉・新年のささやかな抱負・寛容と排斥)

*平成最後の正月が来た。四月一日に新しい元号が公表され、五月一日に新しい天皇陛下の即位の礼が行われる。世の中には「平成最後の」という枕詞が濫れ返り、私自身も小売業の現場に身を置いているから、尻馬に便乗して「平成最後のクリスマス」などと叫ん…

箴言の螺鈿 三島由紀夫「中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜萃」

引き続き、三島由紀夫の自選短篇集である『花ざかりの森・憂国』(新潮文庫)を繙読している。 「花ざかりの森」に加えて、三島の遺した作品の中では最初期の部類に属する、この「中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜萃」という奇怪な表題の小品…

観念と抒情の茫漠たる萌芽 三島由紀夫「花ざかりの森」

三島由紀夫の畢生の大作である「豊饒の海」全巻を読み終えたので、今は同じ作者の短篇集を渉猟することに時日を費やしている。目下、繙読しているのは『花ざかりの森・憂国』(新潮文庫)に収められた小品たちである。 作者が十六歳の若さで書いた「花ざかり…

祝祭的空間としての「百貨店」 / 日常的空間としての「コンビニ」

十九世紀のフランスに発祥したと言われる「百貨店」(department store)という業態が斜陽の季節を迎えてから久しい。市場規模は既に対極的な業態である「コンビニ」(convenience store)に追い抜かれ、その凋落の趨勢が底を打つ気配さえ見えない。三越伊勢…

「サラダ坊主日記」新年の御挨拶(2019年)

新年明けまして、おめでとうございます。サラダ坊主で御座います。本年も何卒宜しく御願い申し上げます。 私は相も変わらぬ小売業渡世の身の上で、世間が足並み揃えて一斉に休む盆暮れ正月も遽しく身を粉にして働かねばならぬ立場であります。世の中は愈々明…

「明晰」の極限的形態 三島由紀夫「天人五衰」 3

三島由紀夫の『天人五衰』(新潮文庫)を読了したので、改めて感想の断片を認めておきたいと思う。 この「天人五衰」を以て掉尾を飾ることとなる厖大な「豊饒の海」の全篇は悉く、三島由紀夫という一人の異才の文豪が長年に亘って真摯な追究を重ねてきた、或…