サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「Hopeless Case」 14

厚かましく不敵であること、それは往々にして集団の調和を擾す悪しき性質であると目されるものだが、どんな悪徳も、適切な分量と用法を守れば思わぬ画期的な効能を発揮することがあるのは、経験的に知られた地上の真理である。椿の豪胆な自己顕示は、辰彦の…

愛の破獄と、その蹉跌 三島由紀夫「果実」

三島由紀夫の短篇小説「果実」(『鍵のかかる部屋』新潮文庫)に就いて書く。 同性愛の女性カップルの悲惨な末期を描いた「果実」は、その全篇が不穏な臭気に覆われている。初期の作品とは異なる稠密で無駄のない硬質な文体は、三島の作家的成熟を濃密に実感…

権威・支配・悪徳 三島由紀夫「怪物」

三島由紀夫の短篇小説「怪物」(『鍵のかかる部屋』新潮文庫)に就いて書く。 我々は日常に「善悪」という珍しくもない定規を振り回しながら、互いの長さや形状が異なるがゆえに衝突や係争を繰り返し、様々な事柄に「善」や「悪」のラベルを貼付して、それぞ…

虚無と栄達 三島由紀夫「訃音」

三島由紀夫の短篇小説「訃音」(『鍵のかかる部屋』新潮文庫)に就いて書く。 有能で人心掌握の技術にも長けながら、その人格の根底において酷薄で、権力に対する妄執に身を焼かれている若い財務官僚の内面の変遷を描いた「訃音」は、アプレゲールの青年たち…

「日常」という監獄 三島由紀夫「慈善」 2

三島由紀夫の短篇小説「慈善」(『鍵のかかる部屋』新潮文庫)に就いて書く。 よしこのような粗暴な決心が、朝子への思いがけない感情の傾斜度に、あとからつけた照れ隠しの理窟であったにせよ、彼はこうして行為を簡単明瞭にジャスティファイしてくれるよう…

「日常」という監獄 三島由紀夫「慈善」 1

三島由紀夫の短篇小説「慈善」(『鍵のかかる部屋』新潮文庫)に就いて書く。 ……かくてまた、三度三度の食事がはじまるのだった。露西亜の或る詩人が書いているように、「僕の前に無限につづく食事の連鎖を見るのは」たまらない。しかし戦争からかえってみる…

綺語の伽藍 三島由紀夫「祈りの日記」

三島由紀夫の短篇小説「祈りの日記」(『鍵のかかる部屋』新潮文庫)に就いて書く。 平仮名を潤沢に含んだ女性の一人称による語りは、同じく三島の最初期の作品である「みのもの月」にも共通する特徴的な様式である。フランスの心理小説の伝統と共に、三島の…

詩作 「東雲の街衢」

その春の明け方にゆっくりと目醒めたものは美しい羽根を伸ばして闇の彼方へ溶け入りつつあった路面電車が夕暮れの路を行き交うように私たちは暁の空を仰いだ影法師の重なり合う交点になにを夢見ただろうか私たちは頼りない一対の絵画のように冷たい顔でポー…

若き心理学者の肖像 三島由紀夫「彩絵硝子」

三島由紀夫の短篇小説「彩絵硝子だみえがらす」(『鍵のかかる部屋』新潮文庫)について書く。 作家の文体が、年輪の堆積に伴って様々な変遷を遂げるのは当然の現象であり、そこには当人の精神的組成の変貌や、徐々に培われた世智の醗酵などが影響している。…

芸術と反俗 三島由紀夫「施餓鬼舟」

三島由紀夫の短篇小説「施餓鬼舟」(『ラディゲの死』新潮文庫)に就いて書く。 芸術家とは一体如何なる生き物なのか、如何なる固有の実存的性質を伴っているのかという主題は、三島由紀夫の脳裡を終生去らずに苛み続けた難問であるように思われる。芸術と人…

「恐怖」の普遍的構造 三島由紀夫「復讐」

三島由紀夫の短篇小説「復讐」(『ラディゲの死』新潮文庫)に就いて書く。 三島由紀夫の文業には時折、何らかの「恐怖」を形象化する「怪談」の系譜に列なると思しき作品が登場する。私見では「花火」や「仲間」や「雛の宿」といった作品が、そうした範疇に…

Ecstasy and Nihilism 三島由紀夫「ラディゲの死」 3

三島由紀夫の短篇小説「ラディゲの死」(『ラディゲの死』新潮文庫)に就いて書く。 少年の平静な目つきに、コクトオが見たものは、危機に抗はむかっている倨傲の影である。この目こそは青年たちがことごとく懐疑派になって、自暴自棄に陥っていた時代に、懐…

アリストテレス「ニコマコス倫理学」に関する覚書 5

古代ギリシアの哲学者アリストテレスの『ニコマコス倫理学』(光文社古典新訳文庫)に就いて書く。 さて、幸福を最善のものと語る点ではおおよその合意が得られているようにみえるが、さらにここでは、より明確に幸福とは何であるかを語ることが求められてい…

アリストテレス「ニコマコス倫理学」に関する覚書 4

古代ギリシアの哲学者アリストテレスの『ニコマコス倫理学』(光文社古典新訳文庫)に就いて書く。 同様のことが、善のイデアについてもあてはまる。というのも、もし[さまざまな善いものに対して]共通して述べることができる或るひとつの善があるとしても…

アリストテレス「ニコマコス倫理学」に関する覚書 3

古代ギリシアの哲学者アリストテレスの『ニコマコス倫理学』(光文社古典新訳文庫)に就いて書く。 さて、以上述べてきた事柄にかんして、ひとつ異論があるだろう。というのも、[イデア論者の]諸説はありとあらゆる善について述べられたものではなく、それ…

アリストテレス「ニコマコス倫理学」に関する覚書 2

古代ギリシアの哲学者アリストテレスの『ニコマコス倫理学』(光文社古典新訳文庫)に就いて書く。 「ニコマコス倫理学」の序盤には、アリストテレスによる師父プラトンへの批判的な言及が記されている。 ここでわれわれは、普遍としての善を考察し、それが…

アリストテレス「ニコマコス倫理学」に関する覚書 1

古代ギリシアの哲学者アリストテレスの『ニコマコス倫理学』(光文社古典新訳文庫)に就いて書く。 プラトンの開創したアカデメイアで、概ね二十年に及ぶ学究としての研鑽の生活を送ったアリストテレスは、古来「万学の祖」と崇められ、西洋の思想や文化に決…

ショーペンハウアー「幸福について」に関する覚書 10

十九世紀ドイツの哲学者アルトゥール・ショーペンハウアーの『幸福について』(光文社古典新訳文庫)に就いて書く。 申し分なく思慮深い生活を送り、自己の経験からそこにふくまれる教訓のすべてを引き出すためには、しばしば回想し、自己の体験・行動・経験…

詩作 「舞踏会」

少しのあいだ 分かたれていた絆が 航空燈の下で束の間 揺れた わたしたちの他愛ない祈りが 最後の音楽のように 会場を揺らした 漣が伝わり わたしたちは合図を耳にした 夜が終わろうとしている 拉がれた靴底の擦れるような呻き わたしたちは何を考えていたの…

Ecstasy and Nihilism 三島由紀夫「ラディゲの死」 2

引き続き、三島由紀夫の短篇小説「ラディゲの死」(『ラディゲの死』新潮文庫)に就いて書く。 三島由紀夫の作品において繰り返し言及され、強調される「行為」という概念は、単なる諸々の行動を包摂するものではなく、恐らくは「生命」と引き換えに敢行され…

Ecstasy and Nihilism 三島由紀夫「ラディゲの死」 1

三島由紀夫の短篇小説「ラディゲの死」(『ラディゲの死』新潮文庫)に就いて書く。 フランスの夭逝した小説家レイモン・ラディゲに対する熱狂的な偏愛に、三島は随所で言及している。 そのうち、ちらほら翻訳物なども読むようになったが、中学三、四年のこ…

ショーペンハウアー「幸福について」に関する覚書 9

十九世紀ドイツの哲学者アルトゥール・ショーペンハウアーの『幸福について』(光文社古典新訳文庫)に就いて書く。 楽観主義にうながされて、この真理を見誤ると、多くの不幸のもとになる。つまり苦悩がないと、その間じゅう、穏やかならぬ欲望のために、あ…

詩作 「refrain」

もう逢うことはできない二度と重なることはない想いは摩天楼の彼方へ吸い込まれ夜は一散に更けてゆく流れ星は必ず堕ちる天頂から 地平線の不明確な稜線の向こうへわたしたちの束の間の禁じられた逢瀬はほろびた墓標を築くことさえ許されぬままに終末の音楽を…

詩作 「約束」

そもそもの始まりからこうなることは知っていたでしょうと大人びた世界が冷たく笑う諭すふりをして罰しているのだ触れれば火傷するものを欲するのは愚かな子供の習慣だと世界は嘲るように舌を鳴らすわたしは半ば憤っているそんなことは知っているさそんなこ…

詩作 「逢瀬の歌」

耳鳴りのように幻聴のようにあなたの声が闇夜の底を跳梁するわたしは何を求めているのか手探りのまま 答えを探り当てることはない幾度も幾度も問い返すその感情の 精確な羅針盤についてあなたは言葉を濁すしかないだって わたしには帰るべき場所がある 仕事…

詩作 「かくれんぼ」

隠れて恋慕する恋い慕う気持ちを静かに泡立たせる君はあくまでも礼儀正しく迂闊に踏み込んだりはしない精妙に測られた適切な距離のおかげで視線が乱反射してしまう何が真実なのか見えづらくなるそれが計算だと決めつけるつもりもないけれど 君が見せる笑顔も…

詩作 「野晒し」

息を吐くたびに罅割れるような音が聞こえるこの陰気な肺臓をかかえて幾千里も歩きとおして一体何を希っているのやら最初に掲げた旗の色は何だったのかそれさえ忘却の淵に沈めてしまったあとで漸く辿り着いた砂埃の舞い立つ寂れた街角 俺は俺自身の魂のありか…

詩作 「わたしたちの落ち度」

何を代表したつもりだろうか「わたしたち」という言葉で罪深い愛情の免罪符をそれで購おうとしたのか混乱するあたまのなかで何が確かなものなのかそれを精確に測定することはとても難しい契約だけで人の心は縛れないし決意だけで時の試練に堪え抜くことは不…

詩作 「呼び声」

黙っていてほしいのだ何も語らず言葉に表そうとしたその途端に何もかもが ややこしくなるからそれは形を与えられてはならない感情なのだそれに明確なラベルを与えてはならないそうなった瞬間から走り出すものがあるはずだからひとたび走り出してしまえば私た…

詩作 「隔壁」

手の届かないものが幾つも並べられショーウインドウの冷たい硝子に朝焼けが映る孤独という言葉の手垢に塗れた感触を海に流して私は私の孤独の内側にうずくまる時計の針が冷静に歩き続ける 私は闇のふところで静かに息を吐いていた幾つかの夢が儚い幻であるこ…