サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

2017-04-01から1ヶ月間の記事一覧

ドリトル先生の想い出

どうもこんばんは、サラダ坊主です。 最近、一歳になった娘が、リビングに置いてある数冊の絵本に、以前よりも関心を示すようになりました。 その日の気分で、関心を示す対象となる絵本は異なるのですが、気に入ったものは熱心にページを開いたり閉じたりし…

「畸形」としての物語 ハーマン・メルヴィル「白鯨」に関する読書メモ 2

どうもこんばんは、サラダ坊主です。 メルヴィルの「白鯨」(岩波文庫・八木敏雄訳)の中巻を読み終えたので、覚書を認めて読者諸賢の御高覧を賜りたいと思います。 改めて思い知ったことですが、この「白鯨」という小説において、作者のハーマン・メルヴィ…

「まず読んでみる」という蛮勇に就いて

どうもこんばんは、サラダ坊主です。 最近、岩波文庫に収められたハーマン・メルヴィルの「白鯨」を読んでいます。最初に「白鯨」という作品に触れたのは恐らく小学生の頃で、両親が同じ団地の知り合いから譲り受けた大判の「世界文学全集」(確か講談社の発…

異様な饒舌と「逸脱」への熱量 ハーマン・メルヴィル「白鯨」に関する読書メモ 1

どうもこんばんは、サラダ坊主です。 アメリカの作家ハーマン・メルヴィルの有名な長篇小説「白鯨」(岩波文庫・八木敏雄訳)の上巻を読み終えたので、感想の断片を書き遺しておきたいと思います。実は昨年の春にも、この「白鯨」という難攻不落の叙事詩に挑…

「小説」と「人事」

どうもこんばんは、サラダ坊主です。 偶には趣向と気分を変えて、敬体の文章で記事を書いてみたいと思います。 特に深い意味はありません。単なる気分の揺らぎの問題です。 気持ちとしては、演壇に登って一席弁じているような感覚です。 御覧の通り、「小説…

サラダ坊主風土記 「佐倉」

此間の土曜日に、家族と共に佐倉ふるさと広場で開催中のチューリップフェスタというイベントに出掛けてきた。 本当は千葉市の猪鼻城(「亥鼻」とも書くらしい)へ桜でも見に行こうかと、幕張から千葉へ向かう京成電車に乗り込んだのだが、中吊りの広告でチュ…

抽象と断罪 三島由紀夫「午後の曳航」

三島由紀夫の『午後の曳航』(新潮文庫)を読了した。 この作品に限らず、三島文学の普遍的な特質と言える要素なのかも知れないが、今回「午後の曳航」を通読して改めて感じたのは、その文体や構成の根本的な「明晰さ」である。様式美と言い換えてもいい。三…

書くことで癒やされるものがあるのならば

今、僕は語ろうと思う。 もちろん問題は何ひとつ解決してはいないし、語り終えた時点でもあるいは事態は全く同じということになるかもしれない。結局のところ、文章を書くことは自己療養の手段ではなく、自己療養へのささやかな試みにしか過ぎないからだ。(…

方法と主題

文学作品を論じるに当たって、表題に掲げた「方法」と「主題」は相互に対立する観念として峻別されることがある。無論、一つ一つの作品が何らかの「方法」と「主題」の複雑なアマルガムとして形成されていることは明白な事実なのだが、何れの観念を重視する…

「少年性」をめぐる惨禍 大江健三郎「飼育」を読んで

大江健三郎の芥川賞受賞作である短篇小説「飼育」を読み終えた。 作家の初期の傑作長編小説として名高い「芽むしり仔撃ち」にも通底する独特の空気を湛えた、この美しい小説は、独自の文体を駆使して、無垢であると同時に淫らで狂暴でもある「少年」の心理と…

境界線の彼方へ 村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」(第3部 鳥刺し男編)

村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」(第3部 鳥刺し男編)を読了した。 この錯綜した筋書きを持つ長大な物語の概要を、何かしらの理論的な構図の中に縮約して織り込めるという自信は、少なくとも現在の私の持ち物ではない。敢えて私見を述べるならば「未整…

二〇一七年四月の端書(銭金の亡者)

読むことに熱心でいると、次第に書くことが疎かになるのは、難しい問題であるとも言えるし、当然の問題であるとも言える。読むことと書くこと、何れが劈頭を飾るべき要素であるか、わざわざ小難しく考えずとも、読むことが先決であるに決まっている。生まれ…