サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

サラダ坊主風土記 「佐倉」

 此間の土曜日に、家族と共に佐倉ふるさと広場で開催中のチューリップフェスタというイベントに出掛けてきた。

 本当は千葉市の猪鼻城(「亥鼻」とも書くらしい)へ桜でも見に行こうかと、幕張から千葉へ向かう京成電車に乗り込んだのだが、中吊りの広告でチューリップフェスタというイベントの存在を知り、そう言えば此間、千葉テレビ佐倉市の何処かでチューリップが満開だと告げていたなと思い出し、急遽予定を変更することに決めた。

 稲毛で下車し、津田沼へ向かう反対の電車へ乗り換え、私たちは佐倉市へ移動した。京成佐倉駅から送迎のバスが出ていると広告には記されていたが、ベビーカーで狭苦しく混み合ったバスへ乗り込むのは、どうにも気が進まない。そこで私たちは合議の末、駅から徒歩で会場を目指すことを決断し、最寄りの京成臼井駅で下車して、閑静な住宅地を、線路に沿って歩き出した。

 幸いにも陽射しには恵まれたが風が強く、ベビーカーの幌が歪みそうな突風が時折、私たち一行を襲った。携帯で地図を確認して道順を調べつつ、線路に沿って延々と続く道路へ出ると、やがて行く手に大きな風車の姿が現れた。向かいから、花々の入ったビニール袋を提げた人々が三々五々、歩いてくる。恐らくは臼井周辺に暮らす地元の住人であろう。

 佐倉市に足を踏み入れるのは、今回が初めてであった。以前に成田を訪れた際に、往復の電車で市域を通過したことはあるが、実際に降り立つのは生涯で最初の経験である。臼井駅から歩き出すと、延々と古びた住宅が連なり、やがて広大な田畑が視界の左手を領した。その彼方には印旛沼と、樹林の群れが見える。昔、柏市の店舗へ勤務していた頃に、苦情の対応で柏市の高柳という街へタクシーで赴いたことがあった。臼井の景色には、その高柳と共通する要素が豊富に含まれている。深い森が彼方此方に点在し、古びた家並が領有する敷地は無闇に広い。敷地の中に複数の建物を構えている家もある。長閑な田園地帯の風景である。

 チューリップフェスタの会場である佐倉ふるさと広場は、印旛沼の畔に位置し、平坦な敷地には強風が吹き荒れ、時折砂埃を竜巻のように劇しく舞い上げていた。週末の駐車場は大混雑で、警備員が絶えず怒号のような声を発しながら、行き交う車の整理に励んでいた。一面のチューリップ畑と、焼きそばやフランクフルトなどの食べ物を商う屋台と、オランダ様式の風車、そして夥しい数の人間たちが、広場に異様な活気を与えていた。理由は分からないが、東南アジア系の外国人の姿が妙に目立つ。

 一歳を過ぎたばかりの娘は、チューリップ畑の隙間を風に煽られながら歩いて何度も転び、両方の掌を砂塗れにして喜んでいた。いかんせん風が強い。全身が眼に見えない小さな砂の粒子に蝕まれているような気がする。毛髪も砂を含んでざらざらだ。

 一頻り遊んだ後、私たちは徒歩で京成佐倉駅を目指すことにした。印旛沼に通じる鹿島川という河川に沿って歩いていく。土手の上には蒲公英が咲いていて、私は一本を毟り取って娘に持たせてやった。娘は嬉しそうに茎の折れた蒲公英を握って眩しく笑った。やがて橋にぶつかり、さてどの道を往けばいいのかと思案していると、サイクリング中の日灼けした年配の男性が不意にタイヤを軋ませて止まり、何処へ往くのかと声を掛けてくれた。私たち夫婦の、道順を検討する会話が擦れ違いざまに耳へ入ったらしい。京成佐倉駅へ往きたいのだと告げると、彼は親切に道順を教えてくれた。あの踏切を渡って道なりに三〇〇メートルほど往くと、国道にぶつかる。それを左に曲がってずっと歩けば駅に着くよ。私たちは礼を述べて歩き出した。世の中には、気さくで親切な人々が確かに存在しているのだ。

 工業用水を扱う佐倉浄水場の脇を通って鹿島橋を渡り、道なりに進む。途中のセブンイレブンで用便を済ませ、軽食を購って小腹を満たす。有名な国立歴史民俗博物館の前を素通りし(いかんせん私たちは疲れ果てていたのだ)、漸く佐倉駅へ辿り着くと、私たちは砂埃を吸い込んだよれよれの衣服を叩きながら、改札階へ通じるエレベーターへ乗り込んだ。居合わせた年配の女性が、先日海浜幕張の公園で転んだ際に擦り剥いた娘の鼻の頭を見て、子供の勲章だねと笑顔で言った。単なる擦り傷も、勲章と呼ぶと何だか誇らしく聞こえる。どんな物事も、捉え方次第でその価値は如何様にも変じるものなのだろう。