サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

2017-06-01から1ヶ月間の記事一覧

文学的形式の多様性(「スタイル」と「ジャンル」の問題)

文学という抽象的で観念的な言葉によって指し示される形式は、果てしない多様性を備えている。例えば「詩歌」という大雑把なジャンルに限っても、日本固有の短歌・俳句から、中国における絶句や律詩などの漢詩、ヨーロッパのソネットやバラッドなど、その形…

街衢十句

一 春の雪 生まれ変わりは どの赤児 二 夕暮れに 燃え立つ祈り 金閣寺 三 淡墨の 空染み渡る 蝉の庭 四 記録から 貴女の名前 除かれる 五 殷々と 弔鐘の打つ 港町 六 鎹の 積りで生まれ 父なし子 七 親不知 抜き差しならぬ 血の因果 八 空騒ぎ 繰り返しつつ …

ロゴスの不協和音(小説における「調和」)

小説は、単一の論理的な体系による支配に叛逆し、それを巧妙に突き崩す。それは、或る一つのイデオロギーに、別様のイデオロギーを対峙させるという、通常の論駁とは異質な方法意識に基づいている。 或るロゴス(logos)と別のロゴスとの相剋、これは小説に…

「意味」を求めない散文

「小説」とは「意味」を求めない散文であるという妄説を思いついたので、書き留めておく。書き留めておくとは言っても、この妄説の全貌が既に予見されている訳ではない。漠然たる想念の束が、意識の内部を浮遊しているというだけの話である。 小説とは基本的…

暗夜十句

一 野良犬が 虹を眺めて 溝攫い 二 年の差の 数だけ鳩を 撃ち殺す 三 虫の声 眠る私の 膝枕 四 卒塔婆に 似て束ねられ 蛍光管 五 風の坂 駆け下りゆく 夏至の街 六 静けさの 内側に降る 火矢と雪 七 興醒めの 途中で気づく 雪月花 八 お前には 何も言わない …

短詩愚見

最近「短詩型文学」というジャンルに就いて、漠然と考えることがあった。 頗る大雑把な前提であることは承知の上で書くが、散文と詩歌とを隔てる一つの重要な分水嶺は、恐らく「理窟を語るかどうか」であり、もっと言えば「意味を説明するものであるかどうか…

房総十句

一 真夏日の 船橋を往く 三輪車 二 亥鼻の 木蔭に犬が ひとやすみ 三 空き缶を 蹴飛ばした音 京成線 四 武蔵野線 途中で不意に 宙返り 五 嘶きが 空を断ち割り 皐月賞 六 海原に 漁火の咲く 鴨川港 七 隣人の 鞄を盗み 松戸駅 八 白々と 冴える金筒 千葉みな…

夏色十句

一 ベランダに 蛍火が飛ぶ 死期を待つ 二 壊れたら 買い替えるだけ 夏の闇 三 簪が 落ちていました 路地裏に 四 三毛猫が 必死に駆ける 警報機 五 踏み切りの 風吹き渡る 通学路 六 紫陽花が 腐れていくよ 登校日 七 純白の 海岸線に 水死体 八 夏休み 午後…

愛憎十句

一 此間は ご馳走様と 恋敵 ニ 五月雨や 小野妹子の 墓探す 三 墓前には 菊花聖書と 賀茂泉 四 さようなら 雨降り小径 青蛙 五 淫乱な 夜更けが迫る 塩含嗽 六 樹皮を剥ぎ 生成りの肌に 辞世の句 七 もう二度と 逢わないはずだ 靴を履く 八 新聞に 嘘つきが…

サラダ坊主の推薦図書5選(批評篇)

今回の記事の趣旨は、表題の言葉に尽きている。私の個人的な推薦図書を五冊、称讃の為に羅列したいということである。少なくとも、読んで後悔することはないだろうと思われる選書の積りである。 ①坂口安吾「堕落論」(角川文庫) 堕落論 (角川文庫) 作者: 坂…

勤人十句

一 終電の 光を浴びる 瓶麦酒 二 昨夜から 下痢のとまらぬ 失業者 三 函入りの 娘が家を 出て十年 四 保険屋に 脅され屋根の 修理する 五 陰惨な 記憶と共に 夏の月 六 淋しいと 言われて肩を 叩かれて 七 作業着に 口紅ひとつ 闇ふたつ 八 落雷の 間際の駅…

「勇気」に就いて

勇気を持つことは、誰にとっても簡単な行為ではない。勇敢であること、様々な艱難を懼れないこと、不安や絶望に呑み込まれないこと、あらゆる先入観を信じないこと、これらの崇高な資質は、万人によってその意義を承認されながらも、実践の現場においては様…

芸術と「quality」

芸術というジャンルが特殊であるのは、それが如何なる意味でも「クオリティ」(quality)が総てであるという苛烈な構造的条件に貫かれているからではないかと、私は思う。 芸術という人間にとって根源的な営為が、商業的な原理に巻き込まれることが何ら珍し…

中上健次の文業

私は中上健次の熱心な愛読者という訳ではないが、その独特な文学世界には昔から持続的な関心を懐き続けてきた。彼の作品に就いては、柄谷行人を筆頭に、既に多くの言論が蓄積されている。それら怒涛のような論評の嵐に触れれば、中上健次の文学的時空の奥深…

「苦悩」に就いて

幼い頃、私は真面目な優等生というタイプの人間であった。幼稚園に上がるか上がらないかという頃から、公文式へ通わされていた御蔭で、小学校に上がってから暫くの間は、勉強に躓くということがなかった。テストは満点を取るのが当たり前で、先生や級友の保…

「虚言」に就いて

加計学園による獣医学部新設を巡って、第二次安倍内閣の「頽廃」に関する様々な憶測と報道が日夜飛び交っている。太平洋を隔てたアメリカ合衆国では、トランプ大統領の「ロシアゲート疑惑」に関する政治的な混乱が白熱している。北朝鮮では示威的なミサイル…

中上健次「地の果て 至上の時」に就いて 2

中上健次の最高傑作と目され、物語の時系列の上で「地の果て 至上の時」と「岬」の中間に位置付けられている「枯木灘」において、主役である竹原秋幸は、幾度も「土方」という労働が齎す特権的な「幸福」に就いて語っている。 何も考えたくなかった。ただ鳴…

中上健次「地の果て 至上の時」に就いて

一箇月ほどの期間を要して、漸く中上健次の長篇小説『地の果て 至上の時』(新潮文庫)を読了した。 この複雑で長大で奇怪な小説を、短い言葉で簡潔に要約したり評価したりすることは殆ど不可能だが、敢えて一言に約めるならば「傑作」ということに尽きると…

「罪悪」に就いて

何が悪なのか、何が罪なのか、その定義を厳密に見極めようと試みても、視界は一向に晴れようとしない。罪悪という言葉自体は充分に歴史的な手垢に塗れているように見えるが、その内訳は極めて多様で、様々な社会的条件に四方八方から制約されている。つまり…

「個人的な辞書」に就いて

生きることは思い出すことに似ている。生きているだけで人間の頭脳には重油のように記憶が溜まり、時に醗酵し、時に蒸発する。生きることは記憶を積み重ね、その網目を複雑な紋様にまで高めていくことだ。そうやって人間は生きることに慣れ親しんでいき、一…