サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「Hopeless Case」 30

 三々五々、人々が散ってしまった後で、辰彦と椿は未だ互いの隣に佇んでいた。夜の闇が飲食店の目映い軒燈の群れに照らされ、視野の方々で引き裂かれていた。不機嫌そうな黒塗りのタクシーが、酔漢の横切る危なっかしい車道を蛞蝓の速さで這い回っていた。見上げた空は雲がなく、透明な漆黒が不吉な肌を広げている。もう帰らなければならない時刻だ、どう考えても、と辰彦は思った。自分の終電の時刻と、呑み過ぎた疲労で頭が一杯の上司や同僚たちは、取り残された二人のことなど気にも留めず、今頃電車に揺られて孤独で気怠い家路を急いでいるだろう。自分も本来なら同類でなければならない。立ち止まる彼らの傍らを、見知らぬ酔漢の塊が幾つも矢継ぎ早に通り過ぎる。潮騒のように、帰り道を往く呑助たちの無粋な喋り声が、街路樹の列のように果てしなく路傍に行き渡っていた。それなのに、何となく去り難かった。椿は眠そうな顔でスマートフォンの画面を睨んで何事か指先で打ち込んでいた。母親からの連絡なんで、一寸良いですか、と言って立ち止まった彼女を待つ流れで、こうして佇んでいるのも、そもそも奇妙な成り行きではあった。辰彦は神田から上野まで出て、常磐線に乗り換える。他方、市川に住んでいる椿は、少し離れた新日本橋の駅まで歩いて、下りの総武線に乗らなければ帰れない。帰る道筋が重なる訳でもないのに、仕事と無関係な用事で立ち止まる椿に、終電の迫った辰彦が附き添ってやる客観的な理由は存在しなかった。それでも、彼は引き際を掴めずに黙って騒がしい繁華街の光景を見渡しながら、時折椿の真剣な眉根を窃み見た。
「すいません、終わりました」
 重苦しい酔いの疲労を吹き払うように深い吐息を漏らしながら、椿が携帯を鞄へ戻した。待たせていたという感覚が椿の側にもあったことを知って、辰彦は密かに安堵した。勝手に待っていると思われていたとしたら、気恥ずかしくて眼も当てられない。無論、その懸念は完全に解消されたとは言えなかった。何時までも立ち去らない辰彦の無神経さに業を煮やして、彼女の側から場面の転換を告げる拍子木を打ち鳴らしたのかも知れない。
 だが、そうやって彼是と些細な問題を思い悩むこと自体、余りに穿った見方であり、辰彦の自意識の健康が崩れていることの証拠であるとも言えた。何を気に病んでいるのか、椿にどんな印象を持たれるだろうかと、無闇に心を配るのは不自然ではないか。辰彦は敢て視線を逸らし、闇の底に沈む古びた革靴の爪先を見凝めた。白く擦れたような傷があった。そろそろ買い換え時だ。正月休みの間に、何処かへ買い出しに行こう。
「川崎さんは神田駅から帰るんですよね」
 椿の問い掛けに強張っていた躰を突かれたような体裁で、辰彦は顔を上げた。
「君は新日本橋だろう?」
 直截には答えず、まるで咎めるような語調で言い放ってから、辰彦はしくじったと思って口を噤んだ。中央通りの大きな車線を、派手な音を立てて救急車が駆け抜けていった。恐らく、酒量を過ごして倒れた愚か者を回収しに行くのだろう。サイレンの紅い不穏な閃きが、信号機の光や居酒屋の軒燈の光と重なって夜の虚空に翻った。
「上野からでも帰れますよ。京成があるから」
 サイレンの響きが遠のいた後の余白のような、相対的な静けさの裡にぽつんと、水滴のように椿の言葉が垂れた。辰彦は思わず真っ直ぐに椿の瞳を見た。彼女の眦には、酔いから発した睡魔の破片がこびり付いているように思われた。
「京成だと遠回りじゃないのか」
「別に構わないです」
 真意は測りかねた。寧ろ測らずに措く方が望ましい気がした。そうか、と小声で言って、腕時計を見遣った。もういい加減、愚図愚図している時間は残されていなかった。
「じゃあ行こう」
 神田駅に向かって歩き出すと、暫くは特に会話する言葉も思い浮かばなかった。若干の疚しさのようなものが、声帯の動きを封じていた。だが、その疚しさの正体を見凝めることには躊躇を感じたし、若しも躊躇を明瞭に自覚してしまったら、上野までの僅かな道行さえ堪え難く困難なものに感じてしまうのではないかという不安が強かった。神田駅の狭苦しいホームの端へ二人で並び、凍えるような夜風を浴びた。アルコールの残響が一瞬で揮発してしまいそうな風圧だった。
「卒論はもう終わったの?」
 奇妙な沈黙を踏み破ろうとして、辰彦は尋ねた。椿は肩を竦めて年の瀬の寒波に慄えながら、苦笑いを浮かべた。
「御正月は全部、卒論漬けですよ」
「全く書いてないの?」
「材料は蒐めてあります。何となく下書きも」
「ちゃんと卒業してくれよ。これまでの苦労が水の泡になるから」
「ふふふ」
 椿の悪戯っぽい微笑は、走り込んできた山手線の車両が舞い上げる疾風と轟音に紛れて捉え難かった。コートの端が旗のように揺れた。チャコールグレーのコート、ワインレッドのセーター、そして顎の位置で切り揃えられた軽やかな、明るい色の髪。ドアが開き、未だ混み合っている列車の片隅で、さっきよりも狭まった距離を見えない仕切りのようにして、辰彦は車内放送の画面に表示される上野駅までの所要時間を冷酷な数字のように眺めた。

「ヘルパンギーナ」 5

「聞こえてんのか、ジジイ」
 戦慄くような母の声には、裏切られた患者の途方もない怨嗟が言霊のように鬩ぎ合いながら充ちていた。私は様子を窺いながら、茫然とした。予想もつかない痛烈な科白が、普段は大人しくカルガモのようにひっそりと己の我儘な感情や欲望を扼殺して生きている筈の母親の口から紡がれたことに、どうにもならない驚愕を強いられたのだ。しかも彼女は一旦跨ぎ越した重大な境界線を慌てて引き返そうとする見苦しい醜態とは、高潔で清々しいほどに無縁であった。もう今更、犯してしまった悲劇的な過ちの撤回や訂正を天空の神々へ懇請するような惰弱な振舞いなど選びようもない、と勝手に自分自身の魂へ誓ってしまったかのように見える。それが歪んだ思い込みであったにせよ、彼女がそのように早々と独り合点してしまった以上は、第三者にその異様な情熱を押し留める権能は認められていない。乳母車に横たわって漫然と指をしゃぶるくらいが関の山の無力な嬰児には、母親の我武者羅な暴走を阻止する手段など一つも授けられていないのだから。
 硬直した婦長の蒼褪めた面相には一瞥も投じず、只管に刺々しい眼差しを擦り切れた白衣の背中へ宛がい続けていた母親の前で、軋むように蛇口が捻られ、水道が停まった。白衣の外側のポケットから頼りない腕で無造作に引き抜いたハンカチで、静かに指の股や掌の皺に溜まった水滴を拭い去る老爺の表情は、此方からは死角に入って見えない。母親の乱暴な言種にも取り立てて慌てたり青筋を浮かべたりする気配がないのは、単に聞こえていないからなのか、それとも超然たる余裕を誇っているのか、俄かには判然と定め難い。何しろ年配であり、現役の医者として看板を掲げているものの、随所に老いさらばえた男の貫禄が滲み出ている有様であるから、弱った聴覚が母親の罵言を取り逃がした虞も決して小さくないのである。
「無責任なことばっか言ってんじゃねえよ」
 すっかり堰が切れてしまった母親の激情は今更、体裁を取り繕うことにも失言を撤回することにも全く無関心なまま、放埓な暴走を貫徹しようとしていた。悠然と振り返る老爺の鋭利な眼光を目の当たりにしても、その蛮勇に衰微は見受けられず、寧ろ忌まわしい相手の双眸を視界の中心に捉えた興奮によって却って、鬱勃たる憤怒が殊更に煽動されつつあるという側面も生じていた。きりりと歯を食い縛り、口の端を苛々と捻じ曲げ、眦を決した母は、苛烈な前線に聳え立つ兵卒のような気構えを炯々たる眼光を通じて、これ見よがしに示していた。その居丈高な患者の保護者と差し向かいで対峙する老獪な男の相貌にも、断じて後れを取るまいと決意したかのような戦闘的な姿勢が消え残った硝煙の香りのように淡く棚引いて見えた。
「その物言いは何だね」
 山羊のような髭をゆっくりと指先で扱きながら、医者は鼈甲の縁を持つ老眼鏡のレンズを透かして無礼な言葉遣いを操る若い女の顔を値踏みするように凝視した。色褪せた白衣に包まれた老人の肢体が心持ち、先刻よりも真直ぐに伸びて筋が通ったように見えるのは、此方の心象の範疇に属する変貌であろうか。それまで萎れた朝顔のように屈められていた背筋さえ、今は太い針金を差し込んだように、物干の棹へ通された白いシャツのように堂々と開かれている。
「仮にも医者に向かって、無礼ではないかね」
「医者には礼儀正しくしろっつうのかよ」
 普段は落ち着いて、陰気な清楚さを胸襟へ畳み込んでいる筈の母の不自然な変貌、緋村抜刀斎を想起させる、その血腥い劇的な転身に、乳母車へ横たえられたまま、嬰児の私の小さな心臓は不穏な早鐘を打たずにいられなかった。いかん、このままでは母の楚々たるイメージは失墜し、道端の側溝へ顔面から減り込むことになってしまう。私の柔らかな五体の内側に匿われた古びた魂の問題など、この極めて重要な喫緊の課題の前では、何の意義も持たぬ些末な案件であろう。私は思わず上体を懸命に持ち上げて、乳母車の手摺に一丁前に掴まって、興奮する母親の顔を顎の下から仰ぎ見た。紅く染まった頬に、潤んだ瞳は、母の瞋恚が並大抵のものではないことを明瞭に告げていた。桐原峯子、一世一代の大立ち回りである。少なからぬ義侠心を発揮して、孤軍奮闘の窮境へ乗り出そうとする産みの母の、せめてもの支えになろうと上体を起こした私は、その敢然たる勇姿に見蕩れる余り、半ば無意識に太い涎の糸を口許から垂れ流してしまった。垂れ下がった透明な唾液の筋は、蒼然たるリノリウムの床板へ落下して直ぐに明瞭な輪郭を失った。
「落ち着いて、貴方」
 慌てふためいた婦長が漸く第三者としての冷静さを取り戻し始め、仲裁者の権威を振り翳そうと試みたものの、頭に血が上った母親にとっては、そんな科白は蠅の翅音にも値せぬほど無意味な雑音に過ぎなかった。彼女の視神経は最早、劇しい怒りの為に煮え滾って極度の狭窄に陥っており、前方に立ち開かる老い耄れた医者の憮然たる表情だけを只管に捉え続けていた。長く続いた飢餓に堪えかねて総身を痙攣させている肉食の野獣のように、彼女は水呑み場を訪れた穏やかな草食の野獣へ血走った眸子を差し向けて、抑制された荒々しい息遣いを単調な律動のようにずっと繰り返した。
「あたしの境遇なんか、何一つ知りもしないんだろう」
 肩を大きく上下させながら、母は乳母車に横たえられた幼い息子のことさえ意識の埒外へ追い遣って、蔵部先生の太々しい面相を憎々しげに見据えながら言った。
「あたしがどんな関係の中に、蟻地獄へ攫われたみたいに、どうにも釣り込まれて逃げ出せなくなっていることも、知らないくせに、勝手なことばかり」
「君は精神科へ掛かった方が良いんじゃないのか」
 意想外の罵詈雑言に当初は不快な感情を露骨に浮き上がらせていた蔵部先生も、母の余りに物凄い剣幕に気圧されて、徐々に後退を余儀無くされている気配であった。白皙の陰気な膚に珍しく朱色の怒りを燃え立たせて、眦を決した母の脳裡には最早、正常な理知など全く残っていないように思われた。こんな風に彼女の血相を豹変させた直接的な契機が、蔵部先生の頼りないような、傲岸不遜であるような、何とも捉え処のない、少なくとも母の内心の不安には寄り添うことのなかった診察の方法に存することは概ね確かな事実であるが、引鉄だけで銃弾を発射することが出来ないように、その背景には営々と蓄積された切ない憤懣が関わっているに違いなかった。既に述べた通り、男という生き物の救い難い習性に疎いまま齢を重ね、偶然の導きによって桐原惺の妻に迎えられた彼女は、婚姻という決断の向こう岸に待ち構える様々な障碍や懸念に就いて、人並み以上に無知であった。
「言うに事欠いて、気狂い扱いかよ」
 母は蔵部先生の白衣の胸倉へ華奢な指先を伸ばし、力強く掴んで引き寄せた。間近に迫った先生の鼻先へ息を吹き掛けるように、彼女は苛々した口調で更に言い募った。
「あんたの心臓に、穴、開けてやろうか」
「何を言い出すのかね」
「文字通りの意味よ」
 顫える唇の端を捲り上げながら、母は確かに脅迫の言辞を弄した。私は婦長が引き下ろした乳母車の幌の影に覆われて息を潜めながら、亀の子のように柔らかな首を竦めていた。全く、こんな奇想天外で剣呑な成り行きに、この古色蒼然たる医院の内部が占有されるとは、事前には誰も予測していなかったに違いない。今は先頭を切って揉め事を煽り立てつつある母親にしても、こんな厄介な喧嘩を仕掛ける積りは、微塵も持ち合わせていなかった筈だ。然し、勃発してしまった血腥い闘争を、この期に及んで食い止められる人物は、この狭隘な空間には一人も存在しなかった。追い詰められた医者と、茫然自失の婦長と、猛り狂った女と、無口な赤ん坊。この四つの項目を如何なる線条で結び合わせてみても、効果的な解決策を導き出すことは不可能に等しかった。
「心臓に毛でも生やさなきゃ、遣ってらんないわよ、母親なんて」
 幌に遮られた私の躰へ向かって、母親の苦り切った声音が生温い風のように吹き寄せてきたので、思わず私は蚕のように身を硬くして黙然と慄いた。漸く上陸した台風の気配が濃厚に立ち籠める夏の午後の街路を走り抜けて、辛うじて安全な自宅の内側へ帰り着いたような、その瞬間に幅の広い掃出しを庇護する電動シャッターが強風に煽られてがしゃんと不穏な音を立てたような、そういう息苦しさが私の小さな胸裏を塞いで、乱暴に押さえ付けていた。紛れもなく母でありながら、その瞬間の母は全く異質な存在、異形の魔物へと化身してしまったように感じられた。幌の向こう側で彼女は猶も、動顛し憔悴しつつある憐れな蔵部先生を弾劾するような言葉を次々と吐き出し続けていた。その尽きせぬ情熱の母胎が奈辺に潜んでいたのか、今となっては稠密な検討を加えることさえも空恐ろしい決死の暴挙のようだ。
「君の息子に異常はない。私は私の診断に矜りを持っている」
「あんたの矜りなんか知ったことじゃないわ。何の問題もないなんて、そんな筈がないじゃないの」
「君のお義父さんだって、孫に異常がないと知れば安心するだろう」
「そんな生易しい話じゃないのよ、あんただって親戚くらいいるから分かるでしょうよ、万が一お義父さんが良いと言ったって他にもゾロゾロうるせえババアどもやジジイどもが雁首揃えて診断書を待ち受けてんのよ、何もなかったなんて気軽に報告したって、今更彼奴らのプライドが収拾つかないのよ、それくらいあんただって年の功で想像つかないの、仮にも医者でしょう、色んな患者診てきたんじゃないの、あんた馬鹿なんじゃないの」
 口角泡を飛ばすという表現は正に、この瞬間の為に発明されたのではないかと思われるほど適切で絶妙な描写力を備えていた。劇しい怒りを生々しい暴力の形で剥き出すのではなく、異様な饒舌さの荒波へ溶かし込もうとする母親の歪んだ面差しを、私は幌の暗がりに隠れて妄想した。一体、彼女は何に怒っているのだろう? 私のことが本当に心配で堪らないのなら、老練な医者に何の異常もないと診断されて安堵はしても、その診断に納得が行かないと牙を剥き出して喚き立てるのは常軌を逸した振舞いではなかろうか? 彼女の怒りの本質は奈辺に存在するのか? その露わに表出された苛烈な瞋恚の根源は、果たして息子に対する真摯な慈愛であると言い得るのか?

「ヘルパンギーナ」 4

「大きく口を開けてごらん、坊や」
 一歳の誕生日を過ぎた幼児の不貞腐れたような真顔を老眼鏡越しに鋭く睨み据えて、老い耄れた医者は灰白色の立派な眉を顰めた。伸び放題に伸び切った眉毛の尖端は栄養が行き届かない所為もあって猫の毛のように細く繊弱に見える。私は黙って年老いた医者の皺だらけの顔を見凝め、弛んだ皮膚の光沢の無さを飽くなき探究心で見物し続けた。
「大人しいね。まあ、未だ一歳になったばかりでしょう。物を言わんでも奇異ではない」
「でも、殆ど声も出さないんです。喃語と言うんですか? そういう、意味のない音も出さないのです」
「思慮深いのかも知らん。訳の分からんことは口に出したくないと。そういう気質なんじゃありませんか」
「気質って、そういう問題じゃあないでしょう」
 蔵部先生は老境に至って色々な世俗の煩悶を超越しておられるのか、殆ど声も喃語も発さない幼児の発育に気を揉んでいる新米の母親の苦悩を、実にあっさりと無責任に蹴飛ばして、眉毛同様、随分と痩せてひ弱くなってしまった純白の口髭を指先で漫然と捻り続けた。個人差があるというのは尤もな正論であるが、普通の幼児ならば誰でも小鳥の囀りのように傍からは確りと意味が取れずとも本人としては何らかの意味を籠めて発している不可解な発声が、殆ど絶無と称してよいほど聞こえないのだから、そう簡単に個人差という魔法の呪文で片付けられても母としては納得しかねるのである。普通、患者やその附き添い人というのは医者に対して縋るような期待を以て診察を求めるのであり、そこで冷淡な対応を示されれば苛立つのは当然の現象であろう。私の母は頗る平均的な人格の所有者であったから、蔵部先生の暢気極まる診断に柳眉を逆立てるのは、強かに呑み過ぎた後の胃の腑の逆流と同等の止むを得ない成り行きなのである。
「いやあ、奥さん。気質というのは、寧ろこういう幼い時分にこそ、はっきりと顕れるのですな」
 母の露骨な苛立ちを一向に気に留める様子もなく、蔵部先生は持ち前の春風駘蕩たる気質と積み重ねた年功の豊かな稔りに支えられて、幼児の発育に関する年季の入った持論を惜しげもなく開陳した。だが、気質というものが「三つ子の魂百まで」という古来の俚諺に表現されている通り、未だ碌に口も利けない年頃のうちから着々と完成されているという具合の省察を出し抜けに、厳かな口調で語って聞かせられたところで、母の立場にしてみれば話の筋目自体が的外れなのだから感銘も糞もない。寧ろ却って蔵部先生の医者としての技能に対する不信と、加齢ゆえの衰弱の著しさに対する確信を、同時並行で高めてしまうばかりだ。
「何でもかんでも、発育は早い方が宜しいと思い込むのは、間違いですな。少なくとも私は、そのように考えております」
「ですが、声も出さないんですよ」
「ですから、口の中に特段の異常はありませんよ。舌も口蓋も人並みだ。器質的な欠損は認められませんな。安心しなさい」
「安心なんか出来ません。現にこの子は物も言わないし、赤ん坊らしい声も出さないんです」
 唯でさえ逆立っている柳眉をポートタワーの如く猛然と吊り上げて、母は蔵部先生の重たげな瞼に埋もれている色の薄い黒眼を堂々と睨みつけた。こういう場合、母親の本能というのは破天荒なほどに逞しくなるものだ。彼女は蔵部先生の誠意を疑い、医者としての篤実さを疑い、彼が息子の緘黙に対して真剣な顧慮を示さないことに関して、マグマのような不満を溜め込み、高ぶらせつつあった。
「そうは言ってもね、君の息子は健康だ。ほら、こっちへおいで」
 乳母車に鎮座したまま、真珠のように円らな瞳で年老いた医者の長過ぎる眉を見凝めていた私は、彼の誘惑に微塵も反応せず、寧ろ柔らかい小さな唇を頑迷なほどに真直ぐ引き結んだ。僅かに身を強張らせて、私の隠された本性に厳密なメスを差し入れようともしない老爺の油断に、密かに安堵の溜息を漏らす。だが、問題は母親の機嫌であり、その胸底に新たに萌した医者への度し難い不信感であった。彼女は、蔵部先生の老衰が愈々深刻な段階に達しつつあることを、抑え難い悪意と共に確信しつつあった。若しも彼が義父の親友でなかったら、こんな古ぼけた蒼然たる潰れかけの開業医の門扉を敲くなど、絶対に有り得なかったに違いないと、彼女は自分の置かれている境遇の具合の悪さに心理的に歯咬みした。そもそも、こんなに入り組んだ複雑な血縁関係の渦中に、ほんの出来心で足を踏み入れたこと自体が、本質的な過ちであったのだ。彼女は現在の夫、極めて凡庸な男に過ぎない桐原惺と戸籍を重ね合うまでは長らく、殿方という存在と昵懇になった例がなく、従って男という動物の特性や本質を見抜く為の眼力の錬磨に就いて、年齢に釣り合わぬほど恐ろしく未成熟な状態であった。桐原家の長子に嫁ぐという決断が如何なる性質の未来図を招き寄せるものなのか、それさえ自分の頭では精密に判断しかねる体たらくであったのだ。男、或いは牡と端的に呼び換えても構わない、そういう存在と結び合い、互いの肉体と精神の細部にまで吐息を届かせ、舌先を這い回らせたとしても、それだけで相手の本質を、魂魄の絡繰を明瞭に解析し得たなどと思い込んではならない。結局、玉葱の皮を幾ら剥いても束の間の「深部」だけが視界へ広がるように、男の正体を見極める為には何度も交わるくらいのことでは少しも解決に繋がらないのだ。それが答えであり、最終的な本質だと確信してみたところで、暴かれた真実の側が、そのような身勝手な結論に色目を遣う義理はない。桐原惺の人格的な瑕疵だけではなく、彼個人と付き合っているだけでは決して見えて来ない、いわば血の錯綜のようなものが、婚姻した後の母の視野には頻繁に映じるようになったのである。それは母に限らず、世間の誰にでも共通して襲い掛かる社会的な宿命なのであり、彼女だけが苛立ったり憤慨したり悲嘆したりするのは少し自己陶酔が過ぎるのであるが、そういう一般論的なバランスを考慮する精神的余裕を保ち得ないほどに、黴臭い医院の診察室へ通されて息子を粗笨に扱われた桐原峯子の不満は底知れぬ強度を湛えていた。一体、この老い耄れは真面目にこの子の不調を、その本質的な要因を捕捉しようという至極当たり前の医学的な情熱を、きちんと胸の中に宿らせているのだろうか? 鈍くなった脳味噌の回転、弱まるばかりの心臓の喘ぐような脈拍、そうした身体的な衰弱の徴候と共に、医者としての職業的な倫理観や理想主義さえも、すっかり使い古されて微細な亀裂に覆われてしまったゴムタイヤの表面のように、頼りなく乾涸びているのではなかろうか? 彼が桐原哲雄との間に特別な親密さを保持していなければ、母は忽ちカバーの破れかかった椅子を蹴立てて乳母車を大仰にUターンさせ、千葉街道に面した立派な総合病院へ、タクシーでも雇って速やかに赴いていたに違いない。だが、不幸にも彼女の義父は蔵部憲吉という地元に根差した老練な医師への信頼を過分に膨れ上がらせている。その絶大な信頼は最早、客観的な証拠など一切必要としないほどに絶大であり無根拠な代物であるから、覆しようがないし、余計な讒言を試みれば却って火の粉は此方へ降り掛かる虞の方が高い。納得が行かないにせよ、老齢の為に限界まで磨き抜かれた強情で不遜な医者の自信は、乗り越えるには余りにも険阻な断崖絶壁であり、母は黙って溜息を吐きながら退却する以外に選択肢を持たなかった。
「先生もこう言ってることだし、あんまり神経質にならない方が良いよ」
 診察室と繋がり合った隣室で医療器具の洗浄やらカルテの整理やら、諸々の医学的な雑務に携わっていた肥満の婦長が、釈然としない様子で項垂れ、無邪気に身を捩ったり頬を膨らませたりする愛息の顔に名状し難い感情を秘めた眼差しを注いでいる我が母親に、励ますような口振りで話し掛け、痩せて骨張った肩口に優しく掌を置いた。その優しさに、私の母親が素直な感謝を懐く理由はなく、却って婦長の見え透いた気遣いは癪に障るかも知れなかった。彼女は不自然な柵というものに、すっかり骨の髄まで草臥れて、自ら選び取った婚姻の素晴らしさと正しささえも、胸を張って正しいと信じられるか、威風堂々と謳歌し得るか、心許ない心理的情況へ落ち込んでいたのだ。
「大体、母親というのは慌ててちゃ駄目よ。母親は、子育ての新米だ、素人だって、言うでしょう? だから、混乱しても仕方ないんだと。けれど、そういうのはあたしに言わせりゃ、甘ちゃんね。赤ん坊は息を吸うのも初めてなのよ。不安だというのなら、そっちの方が比較にならないわ。言葉も分からないし、ミルクの飲み方も知らないのよ。母親は堂々と踏ん反り返ってやらなきゃ、赤ん坊が心配がるわ」
 如何にも世慣れた老練の婦長で御座いますという具合の口振りで滔々と持論を語る婦長の厚かましさに、私の母は沈黙を貫いたまま、凝と堪えていた。蔵部先生は、自分が矢面に立たなくとも良くなったことに気付いたのか、すっかり緊張の糸が千切れたような面構えで立ち上がり、壁際に設けられたシンクに向かって入念に両手を洗い始めた。その単調な水音が鼓膜に触れることも、そのときの尖り切った母親の精神にとっては不愉快な騒めきであった。彼女は殆ど、恨んでいた。恨んでいたという形容が相応しいほどに、その魂の奥底で煮詰められた厄介な憎悪は、凛冽たる響きと共に研ぎ澄まされつつあった。
「おい、ジジイ」
 堪えかねた母親の唇が、甲虫の角に捉えられた辛子明太子のように頼りなく顫えながら開いた。普段の母親からは考えられない、陰気な小声で、その荒々しい口調には明瞭な敵意が迸っていた。水音に掻き消されて聞こえないのか、蔵部先生は彼方此方に染みの目立つ年代物の白衣を纏った背中を、無防備に此方へ晒し続けていた。息を呑んで凍りついた婦長の膨れた鯔のような腹が、私の横たわる乳母車の傍で、微かな熱気を発していた。

「ヘルパンギーナ」 3

 物が言える年頃に至っても、私は寧ろ積極的に緘黙の姿勢を重んじていた。この季節の幼児が舌足らずの口調でどのような言葉を発するものか、それを不自然にならぬように再現し続けることに関して、胸の内に一向に自信が湧いて来なかった為である。そうであるならば、沈黙は金、雄弁は銀という古来の俚諺に従い、唇を塞いで舌禍の萌芽を予め摘み取っておくのが賢明な振舞いであると言えるだろう。同世代の子供たちの振舞い方を見て倣おうにも、幼稚園へ上がるまでは有用なサンプルが身近に多数存在している訳でもなく、大体、余所の子供たちを真似なければ子供らしく振舞えないというのは、如何にも鈍重な子供である。必然的に、無口で不活発な幼児としての自己形成を否応なしに強いられた私の鈍重な成育を、両親も親族も非常に心配した。医者へ診せた方が良いんじゃないかとか、舌や口蓋の構造に先天的な欠陥があるんじゃないのかとか、乳母でも雇って初等教育を仕込ませた方が良いんじゃないかとか、兎に角彼是と多彩な角度から変化球の意見が続々と抛り込まれるので、父親は未だしも、母親の方は随分と気が滅入った様子で、半ばノイローゼのような状態にまで沈みかかっていた。こういう場合に、親族が軒並み徒歩で移動し得る範囲内に暮らしているのは絶望的に忌々しい条件であって、母親にしてみれば殆ど四面楚歌の窮境であったに相違ない。彼らは彼らなりの切実な良心に基づいて、桐原一族の直系の嫡男の成長具合を憂えて様々な忠告を投じているのだが、どれも尤もらしい根拠は備えているにせよ、所詮は素人の脳髄の中に湧き出した妄想に類する着想でしかないから、本気で受け取って取り組んでみたところで大した成果は出ない。無論、私としても、緘黙を重視することによって却って周囲の注視を集めることになっては本末転倒であるから、愈々追い詰められた母親が発狂の手前の不安定な高波の如き精神状態を持て余した揚句、私を医者へ連れて行くと言い出した段になって、どうにか二言三言でも子供らしい発言を試みねばならなくなった。医者からこの子は脳味噌に器質的障害があるとか、或いは単に精神的なストレスを抱えているようだとか、そういう尤もらしい診断を下されてしまえば、誰もがその判決文を有難がって大騒ぎを始めてしまい、私の奇怪な本性が見透かされてしまう危険は高まるであろう。私は慎重な性格であったから、自らの保身を希って、そういう小賢しい計算を繰り返すことが苦痛ではなかった。生き延びる為なら、手段は選べない。後に学習して分かったことだが、それは嘗て関東圏のそれなりに立派な武将であった頃の経験から導き出された肉体的な哲学のようなものであったのだろう。草の根を分けてでも殺すべき獲物を捕えて致命的に屠り、泥水を啜ってでも片腕を斬り落とされてでも余喘を保つこと、それは私がこの世界の秩序と構造に関して所持している乏しい信条の中で、最も根本的な理念である。先ずは生き延びて、たとえ芋虫のような見苦しい姿に成り果て、四肢の自由を奪われようとも、蛆の群がる屍体にならぬことが肝要なのだ。
 近所の開業医の小児科へ、高価な乳母車に乗せられて私の小さな体躯は運ばれていった。蔵部医院くらべいいんという年季の入った看板が路傍に面して高々と掲げられているその町医者は、蔵部憲吉くらべけんきちという如何にも堅苦しく融通の利かない、煉瓦塀の如き字面の姓名を有する老爺の経営する古びた診療所で、その老人は桐原家の総帥である桐原哲雄氏と小学校以来の無二の親友であり、従って桐原家の子供たちは、高熱を発したり下痢を垂れ流したり扁桃腺を腫らしたり鼓膜の奥に膿を溜め込んだりすると必ず、旧千葉街道へ面した蔵部先生の門扉を敲くのが、半世紀以上も続く問答無用の慣わしとなっていた。高潔な山羊のような純白の細い髭を脂で固めた蔵部先生は、医業に仕える身分でありながら葉巻が大好物で、何度も咽頭や気管支に炎症を患って臨時休業を決め込んでいる不養生で無反省な痩せぎすの好々爺である。建物自体も頗る年代物で、くすんだ白色の混凝土の壁は霹靂のような傷や蔓草のような罅割れを其処彼処に抱え込んでいて、閲してきた月日の底知れぬ厖大さを暗黙裡に物語っていた。そこへ住まっている祖父の幼馴染の医者も当然のことながら今では廃用間近の耄碌した人物だが、それでも現代医学の目紛しい発達の恩恵を見事に蒙っているのか、桐原哲雄ほどではないけれども自分の手足で大体の用は足せるし、風邪の類ならば充分に診療出来るだけの医学的技倆を辛うじて保っていた。私が生まれて間もない頃に、長年の連れ合いを咽頭癌で亡くしてから随分と老け込んだという話で、それまでは案外桐原哲雄に匹敵するくらいの達者な老人であったのかも知れない。盆暮れには桐原家との間に中元歳暮の進物を交わし合う間柄で、どうやら書道の心得があるらしく熨斗紙の表書きは人任せにするのを嫌って必ず自分で毛筆を握るのが拘りであったが、年々字体が達筆になり過ぎて判読の難易度は上がる一方であり、不運にも贈答の時期に体調を崩した場合には単なる墨の縺れ合いのように見えることさえあった。それでも長年維持してきた慣習を革めるのは忸怩たるものがあるのか、愈々卒中で倒れて右手が利かなくなり医家を廃業するに至るまでは、頑固に自筆での表書きを貫き通していた。祖父の方でも竹馬の友の強情で剛毅な性格を知り抜いているのか、筆先が安全靴に踏みつけられた家守のように苦しげにのた打ち回っていても、不確かな指先を虐使する蔵部先生の苦闘を見苦しいなどと嘲弄することは絶対に控えて、寧ろ励ますように憐れむように、居間の座椅子に胡坐を掻いて感慨深げに熨斗紙を見凝めて暫く黙り込んでいるのであった。
 だが、そういう蔵部先生の詳細なプロファイルに就いては後々少しずつ学んでいったのであり、物を言わない乳幼児の行く末を心配して一族が騒ぎ出した頃には未だ、彼の眼力に対する不信感はなく、従って本性を見透かされて声高に指弾されるかも知れないという危惧が尽きる理由はなかった。医者というのは無条件に偉いものであるという刷り込みが記憶の断片に捻じ込まれており、それが私を力尽くで不安にさせ、日々地道に積み重ねている営々たる努力が破綻するかも知れないという懸念は、見た目には理由の分からない嬰児の泣きじゃくりとして表現された。この子は自分が何処へ連れて行かれるのか、幼い本能で明瞭に感じ取っているんだわ、だから決して知恵遅れなんかじゃないわ、と母親は言い募ったが、一旦定まった方針を無造作に覆す訳にもいかないのが桐原家長子の惺と、その跡取りである私とに課せられた立場というものであったから、母の抗弁は直ちに却下された。母としても、白痴の息子を産み落としたなどと罵られるのだけは絶対に我慢し難いことであったから、医者へ行く必要などないと言い張りたかったのだ。追い詰められた私が如何にも態とらしく舌足らずの口調で「ママ」と二三度繰り返した御蔭で、彼女は大喜びでこの子は口が利ける、見た目は鈍臭くても本当は賢い子なんだと熱り立って触れ回ったが、その試みも捗々しい効果を上げるには至らなかった。一遍医者に診てもらうべきだというのは、桐原一族の総帥である祖父の意向に即したものであったからだ。誰も祖父の決定に逆らうことは出来ないし、耄碌の件は都合良く棚上げして、桐原哲雄は蔵部憲吉の医者としての技倆に絶大な信頼を捧げていた。幼馴染、彼らの年齢を考えれば、その付き合いの深さは殆ど血族と同等の強靭さを備えている訳で、生半可な身内よりも共に過ごしてきた歳月は長いのだから、祖父が蔵部先生の診療所へ孫を連れて行くことに関して、誰の異論も認めないのは避け難い結論であると言えた。だから最終的に、母親は涙ながらに息子の診療を受け容れたのだ。
 がらんとした医院の大きな窓は、どれも軒並み磨り硝子で、八月の夏の真昼の鮮烈な光さえ、その分厚い隔壁に濾されて、不健康に色褪せて見えた。耄碌して、すっかり足腰の弱くなった老爺が経営する医院である以上、建物まで古びて刻んだ年輪の果てしなさを痛感させるのは止むを得ない現象であろう。だが、私の中身はもっと古く、最早想像することさえ困難であるような時代の不透明な残滓を全身に纏わりつかせているのだから、彼の古さを罪悪のように罵る訳にはいかない。黴臭いような、或いは何らかの医学的な薬品の臭いなのか、静まり返った待合室のどんよりと澱んだ空気の中には、異様な、不穏な、何とも名状し難い運命が待ち受けているかのようなイメージが氾濫していた。私は乳母車に、いや、ベビーカーとやらに載せられて、緩やかに覆い被さる幌の隙間から、その忌々しい光景を凝と観察していた。開いた円らな瞳は単に赤児の無垢な精神の表れのように、第三者の眼には映じたであろうが、私は何も考えていない空っぽの、タブラ・ラサの人間の雛型ではなく、古びた魂を時空の彼方から持ち越した奇矯な存在であった。
 受付へ、幾つも段差を踏み越えて不用意に揺さ振られながら(母は愈々差し迫った診察の瞬間に怯えて、精神の均衡を危うげに傾がせていたのだ)、私は重態の敗兵のように運搬された。受付の窓口で待ち構えていた年配の肥った女は、乳母車、いやベビーカーの寝台に横たえられた無邪気な赤ん坊の茫漠たる表情に、慈愛に満ちた、観音様のような眼差しを無遠慮に注ぎかけた。全く、赤ん坊ほど見られることに無防備で無抵抗な存在は、他に想像し難い。その点では殆ど、飼猫にも等しい受動的な立場を強いられている。見られることに逆らえないのは紛れもなく人権への冒涜であり、尊厳に対する陰惨な侮辱である。
「婦長です」
 肥った女は無防備な被害者からゆっくりと視線を外して、怯える余りに険しく強張ってしまった母の顔を無造作に見凝めて名乗った。
「予約されていた方かしら。確か、桐原さんのところの」
「そうです」
 母の口調は、荒涼たるサハラ沙漠に点在する岩屋よりも乾き切った、退屈な音律に縁取られていた。内側に溜め込まれた種々の不快、親族たちの高圧的な提案の数々に対する遣る瀬ない憤懣が、そのまま軋むような和音を奏でているのだ。無論、恰幅の良い婦長の側では、訪れた患者の保護者の内なる葛藤など管轄外であるから、その口調に籠められた隠微な意味合いなど、歯牙にも掛けなかった。歯牙にも掛けないどころか、彼女は無遠慮に乳母車の中へ寝かせられた私の顔を覗き込もうと、母に断わりの一言さえ投げ与えずに薄手の化繊で出来た幌をばさりと押し上げた。その単刀直入な振舞いに母は顔色を変えたが、莞爾として微笑む婦長の男勝りの面構え、それは恐らく医療の現場という疾風怒濤の凛冽たる戦場に長く身を挺してきたが故の鍛え上げられた風貌なのであろうが、その逞しい眼差しと微笑みを前にしては、彼是と不躾な罵りの文句を並べ立てる訳にもいかない。そもそも、彼女は祖父の友人が経営する、こじんまりした医院の被用者なのであり、婦長の傲然たる態度に仮借無い批判を浴びせれば、その禍いは巡り巡ってブーメランの如く帰還して母の繊細な蒼白い眉間を断ち割ること必定であったから、固より我慢する以外の選択肢は存在していないのであった。両者の不均衡極まりない関係性は、片方が看護する側であり、もう一方が診療を受ける側であるという非対称性によっても猶更強化されており、しかも実際に蔵部先生の耄碌した指先による触診を蒙るのが幼気な嬰児では、そのアンバランスな権力の秩序が覆される見込みは皆無に等しいと言って差し支えなかった。
「喋らないんですってね」
 一頻り、年老いて脂の薄くなった指先で私のぷっくりと膨れたマシュマロの如き頬を(父方の伯母である相模恭子女史は、それを「紅ほっぺ」と呼んで大層可愛がってくれていた)突き回した後で、婦長は真面目な顔になって母親の眼を脅すように見据えた。その鋭利な猛禽の剣幕に気圧されて半歩退却しながら、母は躊躇いがちに頷いて、婦長の追及に慎重な対処を試みた。
「まあ、個人差ってものがあるからねえ。小さいうちは、特にバラバラよ、育ち方ってのはね」
 受付の右手にある、ブラインドで仕切られた診察室への入口を一瞥してから、婦長は灌木の幹のような腰回りに両方の掌を押し当てて、鼻息を荒くした。象牙色の蛇腹のようなブラインドは色褪せていて、所々に黄色い汚点が目立ち、如何にも長年の手垢の蓄積に窶れているように見えた。人間に限らず、事物には必ず表情というものが備わっていて、無論それは人間の眼で眺めるから表情があるように見える訳で、そこには必ず比喩的な解釈という人間の古き良き文学的慣習が関与している。その象牙色の蛇腹の仕切りは、もう何十年も同じ場所に腰を据えて、待合室と診察室との間に具体的な境界線を生み出し続けてきた、その永年の労苦が皺に詰まった埃のように、歪んだ蛇腹の谷間へ沈々と溜まっている。

「ヘルパンギーナ」 2

 私が生を享けた桐原家は、千葉県千葉市花見川区に居を構える古くからの地主の家柄であった。区域を南北に流れる花見川の滔々たる水面の輝きは、転生した私の眼にも眩しく映り込んだ。広々とした敷地は、私の生みの親が自力で勝ち得たものではなく、累代の遺産を馬鹿馬鹿しいほど高額な相続税を支払いながら受け継いできた桐原一族の厖大なる僥倖の余禄に与っただけの話で、偶然にもこの土地へ暮らしていた祖先の幸運が、遥かなる時空を隔てて、見ず知らずの末裔にまで単純に波及しているのである。最初に土地を切り拓き、農地を開墾して水路を引いた人々の並々ならぬ労苦は尊敬に値するが、私の父親である桐原惺きりはらさとるは石を投げれば直ぐにぶつかるであろうと思われるほど日本国内に数多く生息する、背広を着て会社へ日々通う凡庸な被雇用者であり、無尽の曠野へ鍬を突き入れて痩せた土を耕すところから己の生涯を成り立たせていこうとする祖先の気概など全く受け継いでいない、受け継いだのは伝来の財産だけである。「売り家と唐様で書く三代目」と古人は七光りの子孫を皮肉ったものであるが、桐原惺という男は、名前だけ見れば漢籍の切れ端の如く大層な文字を親から授かっているというのに、千葉市中央区の不動産屋へ勤めていて、崇高な学識などには無縁と言って差し支えない。だが、崇高な学識と無縁であり、累代の先祖が継承してきた広大な土地の力で美味しい想いを堪能しているからと言って、それを潔癖な革命家のように指弾するのは私の主義ではない。何故なら、千葉常重としての私の掠れた署名のような記憶の原野にも、そうした土地の領有ということへの飽くなき執着の残響が微かに谺しているからである。土地を持つこと、或る縄張りに基づいて生計を立てること、郷土に異様な情愛を捧げること、それらの奇怪な特質は人間の魂に根差した原始的な本能を成しているのだ。
 桐原家の土地は花見川の西側に沿って飛び飛びに広がっており、矢張り数百年の星霜を閲するうちには折々の経済的な事情に強いられて、所領の切り売りやら行政による収用やらといった世知辛い事件にも巻き込まれてしまうものなのであろう。だが、買えば凄まじい金額を対価として支払わねばならない「土地」を、或る家系の末端に列なる形で生まれ落ちたというだけのアプリオリな理由だけで殆ど自動的に手に入れられ、我が物顔で扱える身分というのは稀有な役得であり、恵まれた境遇にあると言わねばならない。固定資産税やら相続税やら贈与税やら、彼是と尤もらしい名目で役人に銭金を毟られる立場は確かに気苦労の堪えぬ厄介な運命とも言い得るが、損得勘定というのは往々にして中庸へ落ち着くように神の手で操られているものなのである。何かを得る代わりに何かを失うという地上の摂理は、私たちの五本の指先が一度に掴める量を物理的な法則によって制限されている以上、免かれ得ない厳正なる鉄の掟と捉えて素直に諦めるより仕方ない。
 累代の地主の家柄に生まれついたことが、まさか生涯の方針を決した訳でもあるまいが、桐原惺は私立の大学を出ると不動産売買の世界へ潜り込み、それからは年がら年中、暗く陰気な色合いの背広に袖を通しっ放しで過ごし、軈て銀行の事務員と付き合い出して所帯を持った。籍を入れて程無く、祖父の名義であった瑞穂町の土地を譲り受けて、知り合いの施工会社へ見積もりを値切りに値切って、若造には相応しくない立派な三階建ての一軒家を拵えた。私は彼の長子として産み落とされ、祖父にとっては大事な初孫であったから殊の外手厚い待遇の中で揺籃に寝かされ、何ら不自由な想いを味わうこともなく着々と肥り、見る見る背丈を伸ばした。無論、不自由はないとは言っても、前述した通りに私は赤児の自分からはっきりとした知能を蓄えていたので、柔らかく無防備な幼子の体裁を保ちつつ生きるのは不便とも不本意とも言えた。
 私が生まれた当時、父は未だ二十代後半の若さで、競争の厳しい不動産屋の末席に列なる身分でもあったから高い給与を望むべくもなく、従って我が家の台所事情は特別に明るく華やかなものではなかった。然し、終の栖を購うのに土地の代金を払わなくて済んだ訳だから、当然のことながら月々の銀行への債務返済の負担は頗る軽く、その分の浮いた銭金で人並みの贅沢を愉しむくらいは余裕綽々の話であった。初めての息子を可愛がり、どんな品物でも買い与える為に必要な資金の確保にも難渋しなかった。借家に住まうよりも割安な代価で立派な戸建ての持ち家へ暮らせるという恵まれた条件だけが、その理由ではない。先祖代々の土地を分け合って暮らす桐原家の一族は、花見川の西岸にうじゃうじゃと雑草のように密集して暮らしている。近隣の親族が、桐原家当主である矍鑠たる祖父を筆頭に入れ代わり立ち代わり、搗き立ての温かい餅を想起させる私の愛くるしい顔を眺めに陸続と訪れる環境ゆえに、桐原惺の一家は、息子の為の小遣いや贈り物の類には全く不自由せずに済んだのである。高価な肌着、高価な玩具、高価な寝具、高価な涎掛け、高価な粉ミルクに高価な紙オムツ、どれでも父母が欲しがる素振りさえ見せれば、気前の良い年配の親戚たちは幾らでも財布の紐を緩め、クレジットカードの伝票へ颯爽とボールペンを滑らせて、誇らしげに桐原の家名を書き入れることに躊躇いを示さなかった。実際、花見川の西岸に点々と建ち並ぶ豪壮な民家の多くは、桐原家の血筋を受け継いだ人々によって所有されていた。明治の末年に浪花町の家で産婆の手を借りて現世へ抛り出された祖父の桐原哲雄きりはらてつおは、私が生まれた当時には既に米寿を越していたが、その頑健な肉体と頑迷な精神は未だ現役の風格を失ってはいなかった。土地を人に貸したり、或いはアパートや駐車場を拵えて経営したり、様々な方法で持ち前の巨額の不動産を活用することに情熱を燃やし続けてきた祖父は、近所の住人にも顔が利いて、区役所の重鎮たちとも睦まじい仲だという噂であった。乗り越えてきた年月の重みを物語るように深く刻まれた無数の皺は確かに、彼が所謂「晩節」へ疑いようもなく脳天まで埋もれていることの明瞭な証左であったが、杖も持たずに両膝をきちんと持ち上げて歩くその姿は、老年の閑寂とも衰微とも無縁の貫禄に鎧われていた。彼には未だはっきりとした明瞭な意識があり、由緒正しき桐原一族の筆頭に立つ長者としての威信があり、豊かな財産と輝ける名誉と数多くの知己があり、従って耄碌するには条件が整っていなかった。生きることに恋々たる感情を隠そうともしない祖父の雄々しい生き様は、桐原家の人々にとっては頼もしくもあり、同時に鬱陶しくもあった。
 私の母は元々、地方銀行に勤める小綺麗な風貌の事務員であった。旧姓は朝河、婚姻した後は桐原峯子きりはらみねこを名乗った。彼女は物静かな性格の女性で、仕事を通じて知り合い、懇親会の名目で開かれた大規模な呑み会の席で何故か隣に擦り寄ってきた桐原惺と、何の因果か知らないか永久に添い遂げる婚姻の契りを結ぶことになった。それまで彼女は世間の殿方と真っ当に親しく付き合った経験を持っていなかった。学生の時分から、読書と数学の問題を解くことの二つだけが趣味であり生き甲斐であった静謐な魂の持ち主である彼女にとって、根本的に女とは異なる生態を有する男の世界へ襟を寛げて躙り寄ることは長らく、絶対に有り得ない選択肢であったのだ。それでも運命の歯車は私たちの与り知らぬ閉域で、善悪を問うことさえ虚しくなるような不可解な陰謀を次々と生み出し、私たちの霊魂を瞬く間に呪縛してしまうものであるから、それまで頑なに貞操を守り抜いていた彼女の潔癖な防禦は、大した理由もないままに索然たる陥落を遂げた。愛情だろうか? 互いの美質に眼を奪われ、心を惹かれ、末永い幸福を誓い合ったのだろうか? だが、私の考えでは、そんなものは欺瞞である。祝言を挙げるということは、当人たちがどのように考えていようと、思いも寄らぬ角度から突き立てられた種々の奇妙な因縁の絡まり合いに導かれているのであり、それは個人の思惑を遥かに超越している。当人同士の好きだの嫌いだの、横恋慕だの天邪鬼だの、そういう「惚れた腫れた」の細々とした組手は究極的には一文の価値も持たない。結局は行き着いた先で顧みれば、何だかふわふわとした気分で訳も分からず眼前の道程を辿っていただけの、そういう落ち着かない心境で幕を引くだけである。
 銀行員であった母と、不動産屋の社員であった父との間に、誰かの崇高な導きで稲妻が走り、火花が散り、その性的な結合の末に五体満足の赤児が生まれた。そこまでの筋書きには何の支障も瑕疵もない。ただ問題は、その愛らしい赤児の中身が奇抜な来歴を引き摺っていたという、その一点に関わっていた。見た目は無垢で純粋で世間知らずの赤ん坊であるにも拘らず、その柔らかな膚の内側には奇怪な魂魄が予め準備されていたという驚くべき事実は、平凡な夫婦であった桐原家の長子とその夫人にとっては不幸な命運であったに違いない。並外れた野心を滾らせる訳でもなく、父祖から受け継いだ豊饒な資産のお零れに与ってのうのうと生きることに僥倖しか見出さずにいた桐原惺にとって、人生とは凡庸な幸福に肩まで浸かることと同義であった。生温い風呂に半身浴で何時までも堕落した時間を貪るように、彼は生きることの本質を平凡な枠組みの中で窮屈に己自身を縛り上げることだと決め付けて疑わなかったのだ。だから、その意味で、私という存在の出生は、その見掛けの上での幸福さとは裏腹に、注意深く埋められた巧妙なゲリラの地雷のように、潜行する不幸の塊としての危うさを備えていた。無論、私は幼子でありながら、つまり無造作に開け放った唇の縁から澄明な涎を延々と垂れ流したり、TPOを弁えずに己の内なる生理的欲求に指示されるままに排泄を繰り返したり、飲み過ぎたミルクを誰にも予測のつかぬタイミングで吐き戻したりする、穏やかなじゃじゃ馬の如き可憐な存在でありながらも、一端の知性は持ち合わせている訳で、しかもその知性を迂闊に表面化させては世間に怪しまれるということも、口舌の器官が未熟で物が言えない段階で学んで肝に銘じておいたので、私の千葉常重としての本性が早々に露顕してしまうという事態は、幸いにも回避することが出来た。平凡な幸福を愉しむことが人間の本懐であるという親譲りの有難い処世訓に従うならば、肉体と魂との間に奇怪な乖離を起こした赤児であるという事実を赤の他人に見抜かれることは、絶対に免かれるべき悲惨な事故であると言わねばならない。前世の記憶を引き摺っている、不可解な成熟を遂げた嬰児というイメージが、口さがない連中の耳目に触れた途端、この天網恢恢疎にして漏らさずの現代ウェブ社会においては如何なる悲劇と災厄が我が身を襲っても何ら奇異ではない。

「ヘルパンギーナ」 1

 日本の片隅で生まれた平凡な私に語れることなど、そうそう幾つもある筈がないのは、読者諸賢も既に御明察であろう。薄暗い湿っぽい秘境、母親の胎内からドリルのように旋回して狭苦しい子宮口を抉じ開け、やっとの思いで外界の新鮮な空気を肺臓一杯に吸い込んで、人生の崇高な起点に現れた私の此れまでの日々は、実に凡庸極まりない代物であった。当たり前のように産科の新生児室へ担ぎ込まれ、移動する小さなベッドに寝かされ、すやすやと惰眠を貪ったり、或いは何事か不愉快を禁じ得ずに顰め面でああでもないこうでもないと大袈裟にぐずってみたり、実に卑俗な嬰児の所作を一通り巧みに演じて、潤沢な母乳と高価な粉ミルクを交互に浴びるほど呑みながら育った私は、容貌も十人並みであった。母親は嘸かし可愛く感じただろうが、私自身の容貌が十人並みである事実と、それが腹を痛めた母親の依怙贔屓の眼には、飛び切り輝かしい絶世の美貌に映るという事実とは、取り立てて矛盾するものではない。私は母親の腕に抱かれ、その乳臭い胸許に四六時中鼻先を埋めながら順風満帆、日進月歩の勢いでどんどん肥えていった。背丈が伸び、脚の力が強くなり、表情の類型が豊かになり、私は嬰児だけに天与の財産の如く下賜される特別な愛くるしさを持って、生まれ落ちた桐原家の話題を独占し、親族一同の関心を一手に引き受け、華々しい脚光を浴びまくった。桐原家の人々は、私の顔面に刻み込まれた何の変哲もない皺の一つ一つまで、痘痕も笑窪の精神で絶対的且つ積極的に誉めちぎってくれた。それが今日の私の堅固極まりない自尊心を涵養する一番の温床として役立ったことは論を俟たない。私の自我が歪に膨れ上がって醜い水風船のような柔らかさと危うさを兼ね備えるようになったのも偏に、幼少期に浴びた夥しい慈愛の麻薬的な効果によるものだ。
 だが、湯水の如く浴びせ掛けられる愛情の麝香めいた、噎せ返るような息苦しさの経験を欠いて、誰が自分自身を心から愛せるようになるだろうか。少なくとも私に関して言えば、十人並みの容貌を肚の底から慈しんで蝶よ花よと優しく受け止めてくれた桐原家の人々の純粋な気質に、感謝の言葉を幾らでも述べる腹積りである。彼ら彼女らの献身的で盲目的な愛情をたっぷりと蜂蜜のように耳の孔へ流し込まれた御蔭で、その後の人生がどんなに糞みたいな筋書きを辿ろうと、自分には未だ何かしらの価値が残っている筈だと楽観的に思い込むことが出来るようになったのだから。私は自由であり、敬愛されるべき存在であり、偉大なる跡継ぎなのだ。
 然し、桐原家の人々は私の見た目の嬰児らしい愛らしさに眼を奪われる余り、私の内なる本性に就いての理解を極めて不充分な仕方でしか保つことが出来なかった。それは御互いに憐れむべき不本意な事態であったと言えるかも知れない。誰もが私のことを桐原家の待ち望まれた嫡子、桐原幸也きりはらゆきやと信じ込んで疑いもしなかったが、厳密に言えば、私は桐原幸也ではないのである。私の本来の姿、魂の本源的な形態は、そのような上っ面のアイデンティティとは無縁の人格を有している。即ち、私は千葉常重ちばつねしげなのである。何を言っているんだ、こいつは、と思われる虞は充分に弁えている。桐原幸也として現世に生を享けた瑞々しい嬰児の「本源的な人格」が、千葉常重という古めかしい氏名を名乗るとは一体、どういう意味なのか、途方に暮れる読者の方は大勢おられるだろう。無論、それらの予測される事態は総て、無理からぬ反応である。字面だけを読んでその行間を推し量ろうにも、通常の論理では、桐原幸也という名称で家の床を這い回り始めた幼気な嬰児の内側に、千葉常重という本源的な人格が潜んでいるというのは、繋がりようのない話であるからだ。
 無論、困惑しているのは私も同様である。物も言えない舌足らずの赤児でありながら、私は確かに成熟した大人の、しかもかなり年季の入った古株の人格を明瞭に意識しているのである。そんな奇怪な事態が、何故起こり得たのか? 私は固より、天地の狭間に生ける万人に訊ねても、満足の行く答えを導き出せる人物は皆無であるに違いない。誰でも世間一般の俗塵に塗れた大人という生き物は、一つの肉体には一つの人格しか宿ることが出来ないという牢固たる固定観念に縛られているからである。いや、この言い方は適切ではない。厳密には、彼らは肉体と魂との間に不可分の融合を信じ切っている。或いは、外見と内面との間には決して切り離すことの出来ない強固な癒着が生じていると信じ切っている。生き方は顔に出るとか、人は見た目が九割だとか、そういった言説が大手を振って巷間を罷り通るのも偏に、そうした信憑が極めて根深く、説得力に満ちているからだろう。経験的な知識に基づいて、何もかも論じて疑いもしない人間の度し難い通弊が、こんなところにも顔を覗かせている訳だ。
 だが、事実として起こったことを、理窟に合わないことだと蹴飛ばしてみせるのは、思慮深い大人の選択すべき態度ではない。理窟がどのような仕組みで動いていようとも、事実が厳然として存在するならば、どう考えても事実の方が正しいに決まっているのだ。私が赤児の身形でありながら、その柔らかな膚の下に無骨な武者の風格を潜り込ませているなどと、戯けたことをほざくなと罵られたとしても、現実そのものが書き替えられることは有り得ない。その有り得ないことを起こす為に眉を吊り上げたり語気を荒らげたりするのは、みっともない悪足掻きだ。
 無論、中身がどうであろうと、発達の不充分な肉体の檻に囚われていては、内なる本性を明かす術もないというのが、幼児期の私に課せられた足枷であった。柔らかな頬に無骨な頬を押し当てて話し掛けてくる、骨張った大人たちの脂ぎった膚、若しくは年老いて脂っ気が抜けてかさかさと枯葉のようになった老人たちの膚、それらが私の頬に触れる度、本当は不快感に堪らなくなり、身を捩って逃れ、散々に文句を言ってやろうと意気込むのだが、実際には泣くか喚くか、その程度の貧しい選択肢しか与えられていないのである。泣けば先方も驚いたり慌てたりして身を退くが、それも常に穏便に運ぶ話とは限らない。彼らは絶えず上機嫌という訳ではなく、無力で可愛い嬰児が相手であったとしても、時には懸命に泣き叫ぶ健気な赤児の狷介な態度に、どうやら苛立ちを禁じ得ないでいるらしい場面が、度々眼前に展開された。そのときの彼らの殺気立った空気は、赤児の柔らかな膚に速やかに見えない圧力を及ぼした。産毛が粟立ち、小さな心臓が紅い血液を濁らせ、手足の先がすうっと冷えていく。赤児は、見た目よりも周りの世界の仕組みを緻密に理解しているものなのだ。少なくとも私の場合はそうであった。何しろ私は、赤児でありながら大人の風格と貫禄を懐中に隠し持っていたのだから。
 千葉常重という古めかしい名前は、誰から貰ったのか、はっきりと覚えていない。ただ漠然と、殆ど失われてしまった前世の記憶の断片の中から、まるでそれだけが糸の切れた凧のように、ふわりと生まれ変わった私の前頭葉辺りへ引っ掛かったのである。薄くぼんやりとした海馬の奥底の風景、そこでは私は武者であった。厳めしい鎧甲冑に身を纏い、荒々しい奔馬の背へ鞍を括りつけて跨り、朝霧や夕霧や夜霧の中を疾駆する勇壮な武者、その漠然としたイメージだけは頭の片隅に絶えず残響していた。だが、生まれ変わった後の私に遺された記憶はその程度のもので、後は千葉常重という重厚な、古色蒼然たる氏名だけであった。だが、確かに自分は生まれたばかりの真っ新な人間ではないという自覚は色濃く存在しており、それが私を太々しく厚かましい嬰児に仕立てる最大の要因であった。
 魂と肉体との調和、それはこの世界では確かに大切に扱われ、相応の敬意を支払われている固定観念である。子供には子供らしい精神が宿り、老人には老人らしい精神が宿り、男には男らしい内面が、女には女らしい内面が備わっているべきであると、誰もが素朴に思い込んで疑わない。だから、男らしい髭面の男が嫋やかな女の愛嬌を漲らせてくねくねと腰を揺すったり小指を斜めに跳ね上げたりすると忽ち色物扱いを受け、迫害されたり嘲笑されたりするのである。見た目と中身の不一致、それが問題なのだ。そうした乖離の程度が或る想定された常識の範囲内に留まる場合には「ギャップ」などという胡散臭い蕃国の言葉で讃えられたりもするが、例えば私のように、赤児の中身に転生した武者の脂ぎった魂が嵌め込まれているといった「行き過ぎ」の場合には、誰しも口の端を凍らせてしまうのである。その辺りの消息は長じるに連れて、徐々に明瞭の把握し得るようになってきた。無邪気に喃語を繰り返している分には可愛らしい嬰児も、大人顔負けの口答えを理路整然と仕掛けるようになればもう、弾圧の対象に鞍替えであろう。
 それでも未だ、生粋の乳幼児であった時期には、内面と外見との齟齬は、それほど深刻な事態を齎さなかった。何かしら尤もらしい自己主張を試みようにも、未成熟な声帯や気道や舌や顎関節が、私の思うが儘の自己表現を否応なしに妨げていたからである。どんなに腹黒い謀略や浅ましく厭らしい欲望をふつふつと滾らせていたとしても、それを表立って吐き出す為の技術が備わっていなければ、厳重に鎖された鉄扉の不本意な開放を危惧する必要も生じない。だが、迂闊に口を開けばきちんと大人の鼓膜にも聴き取られてしまうような水準の声を獲得した段階で、自己制御は私という人間にとって、最大且つ喫緊の課題となった。幼い外見と、薹の立った内面との奇怪な落差が人目に触れれば、甚だしい混乱を招くこと必定である。血の繋がった親子であろうと、その親密な絆ゆえにどんな異常性も容認されると思い込むのは間違いで、親子であり血族であるからこそ却って忽せに出来ない問題というのは幾らでもあるものだ。

「夏と女とチェリーの私と」 10

 長谷川が退職してから、予備校の内部では知らぬ間に水道管の継ぎ目が地中深くで不意に破れるように、何処からか紗環子先輩との後ろ暗い噂が無数の背鰭や尾鰭を伴って流れるようになった。それなりに年齢の進んだ冴えない男が俄かに職業を鞍替えするのは、世間の常識に照らしてみても確かに不自然な話であったし、況してや私や柏木の勤める予備校は手狭な所帯であるから、長谷川の退職は充分に大きな事件として受け止められたのだ。そこから種々の揣摩臆測が盛大に紡ぎ出され始めるのも止むを得ない成り行きであろう。誰だって退屈な日常に一服の莨のような刺激、即ち醜聞を欲するものだと、私は一端の大人にでも成り上がった積りで密かに結論付けたが、内心は決して穏やかではなかった。良くも悪くも、紗環子先輩の身を襲った度外れの災害(それは確かに人生における災害と呼ぶほかない)に対する複雑な感慨を禁じ得なかったからだ。彼女は余りにも不幸であった。汚らわしい中年の男(そのように断言し得るのは私が若く、穢れようにも穢れる術を持たない腐りかけのチェリーボーイであったからだが)とつまらぬ情事を営んだ為に周囲の同情を掠れさせ、剰え交通事故によって失明し、美しい顔面に深刻な傷痍を帯びてしまった彼女の人生の急展開は、彼女に一方ならぬ憧憬を懐いていた私の精神にとっては他人事ではなかった。それは黒々とした運命の墜落であり、絶望と憎悪の交響曲であり、端的に言って哀れな末路であった。一命を取り留めた先輩が、あの煉獄のように近寄り難い病室のベッドからどのようにして脱却し、失われた光の埋め合わせの為に数多の困難な努力を試み、軈て新しい世界の方角へ靴紐を結び直して出立し得るのか、その厖大な積み重ねを想像するだけで、私は堪え難い妄想的な嘔気に囚われた。此れから彼女の人生には一片の希望もない。彼女が此れまで積み上げ、築き上げてきた、それなりに祝福に値する生涯の成績は粉微塵に打ち砕かれ、何の意味も持たない無言の残骸へ堕落してしまった。もう、彼女には、その掌にはどんな輝きも握られていない。
 二十一の誕生日を迎えたのを契機に、最早然したる未練も覚えなくなっていた予備校の職業を辞することにした。いや、辞するなどと大袈裟な言い回しを用いるのは単なる下っ端の使い走りに過ぎない私の分際では僭越であり、糞生意気というものだろう。先輩の一件以来、私はそれまで切実に抱き締め、熟成させてきたセックスへの憧れを衰微させていた。一見美しく華やかに見える女性も、その着飾った清潔な表面の裏側には底知れぬ煉獄を湿っぽく閃かせ、滾らせているものなのだと悟ったからである。いや、単純に精神を圧し折られ、男根を殴りつけられたのだとも言い得る。チェリーのまま、私は半永久的な戦闘不能の状態に陥り、身動きすら取れなくなった。老成の実際の空虚、それは私にとって永遠の監獄であった。そこから逃れようにも、汚濁に満ちた世界の醜さは噎せ返るほど堪え難い。使用される前から萎えてしまった私の股間の小人、或いは千切れかかったゴムホースは、御役御免の宿命の中でひっそりと齢を重ね、寿命の尽きた陰毛を幾度も家のフローリングへ枯葉のように舞い散らせ続けるのだろう。
 予備校を辞し、学業も投げ出した宙吊りの私は、長谷川の弛んだ臀部を追い掛ける訳でもあるまいが、実家のある金沢へ帰還することに決めた。柏木を筆頭に、束の間の大学生活で知り合った友人たちがささやかな送宴をチェーン展開している安めの居酒屋で開いてくれて、私は自分の躰が不可解にも透き通っていくような、今まで経験したことのない虚脱を味わっていた。薄弱なアルコールの中に、自分の魂の片鱗が溶け込んでいくような感覚さえあった。私は私の青春を卒えようとしている。無論、青春などというものが実際にこの私の躰の内側に存在したのだとしたら、という仮定付きだが。
 私が講師を辞めるときは、随分迷った。何故、辞めなければならないのか。私は京都にいる間に手頃な女の股座を押し開いて、童貞を捨てようと思ったのだが、それは「愉楽」というものへの憧れ、その甘美で大人めいた成熟の境地に対する漠然とした憧れであった。講師という生活を続けて、そのチャンスを狙い続けることも出来た筈だ。紗環子先輩が不幸の泥濘に嵌まり込んで手を握ることさえ出来なくなったとしても、それだけで彼女の魅力を否定する必要はない筈だ。私はそう思ったので、愉楽への憧れなどと言うけれども、結局は己の面子を重んじる矮小な名誉慾というものが邪魔をして、私はそういう自分の臆病さを嘆いたものであった。私は一向希望に燃えていなかった。私の憧れは「童貞を捨てる」という形態の上にあったので、そして内心は童貞を捨てることが不安であり、誰しも経験する成熟の階梯を辿っていない自覚と不安、悔恨と絶望を既に感じ続けていたのである。
 京都駅から北陸地方へ向かう特急列車に乗り込んで発車のベルを待ちながら、私は黙って混み合うホームの雑多な観光客の群れをサバンナの動物でも眺めるように漫然と見凝めていた。私という人間は、此れで一旦打ち切りだ。脱け殻になった躰を引き摺って、敗軍の将のような心で、私は北へ落ち延びる。もう直ぐ夏が遣ってくる。金沢の市街地は、嘸かし酷暑であろう。