サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

Cahier(七十三回目の終戦記念日・追憶と風化・八月十五日の焔のような夏の光り)

*今日は七十三回目の終戦記念日であるという。毎年八月十五日が終戦記念日であることは知っている。私の父方の実家は広島にあり、亡くなった祖母は原爆が光るのを自分の肉眼で目撃したと言っていた。

 テレビでは全国戦没者追悼式の映像が幾度も断片的に流れていた。松戸にある実家へ妻子を伴って久々に遊びに行き、騒ぎ立てる娘の傍らで、私は寝そべって漫然とテレビの画面を眺めていた。

 昨秋から集中的に読み続けている三島由紀夫の作品は、戦争という時代の陰翳が漆黒の下地の如く隅々まで浸透しているように感じられる。昭和の元号と共に生まれ、国家の滅亡と自己の物理的な死とが手を取り合って予定されている戦時下の青春を過ごした彼が、短い生涯の中で、戦争の記憶から完全に解き放たれることなど有り得なかったに違いない。敗戦によって百八十度の転回を遂げた世相の姿に、違和感を拭えなかったとしても、それは彼の個人的な罪科ではない。

 こういう日々に、私が幸福だったことは多分確かである。就職の心配もなければ、試験の心配さえなく、わずかながら食物も与えられ、未来に関して自分の責任の及ぶ範囲が皆無であるから、生活的に幸福であったことはもちろん、文学的にも幸福であった。批評家もいなければ競争者もいない、自分一人だけの文学的快楽。……こんな状態を今になって幸福だというのは、過去の美化のそしりを免かれまいが、それでもできるだけ正確に思い出してみても、あれだけ私が自分というものを負担に感じなかった時期は他にない。私はいわば無重力状態にあり、私の教養は古本屋の教養であり、(事実、戦争末期には、金で素直に買えるものは古本しかなかった)、私の住んでいたのは、小さな堅固な城であった。

 ――そして不幸は、終戦と共に、突然私を襲ってきた。(三島由紀夫「私の遍歴時代」『三島由紀夫文学論集Ⅱ』講談社文芸文庫 P278-P279)

 戦争の悲惨と害毒を糾弾し、恒久的な平和を希求する人々の合唱の狭間に、こうした文章を置いてみると、如何にも不謹慎な言い分に聞こえることは確かである。無論、作者は決してこの個人的感慨を、普遍的な論理に昇華しようと試みている訳ではない。ここには、作者が「金閣寺」において提示してみせた「認識から行為へ」という主題に基づく悪戦苦闘の淵源が谺している。

 戦没者の遺族が高齢化し、戦争を直接に経験していない戦後生まれの世代が全体の三割を占めるようになったと、テレビのニュースは告げていた。戦争の記憶を語り継ぐことの重要性は、喫緊の課題として我々の暮らす国家と社会を扼している。けれども語り部の言葉が、戦争の悲惨な性質に対する慨嘆と、永続的な平和に対する切実な祈りだけで占められてしまえば、それもまた「風化」の歴然たる症状の一つということにはならないだろうか? 戦争の記憶は、必ずしも「火垂るの墓」に登場する不幸な兄妹のような、受動的な被害者たちだけの持ち物ではない。それは実に様々な角度から検討され、追憶されるべき巨大な全貌を有している。恒久平和の理念を声高に訴えるだけで、戦争の悲惨を語り継いだことにはならない。恐らく、それが「語り継ぐこと」に関わる本当の難しさというものであろうと思われる。

三島由紀夫文学論集 II (講談社文芸文庫)

三島由紀夫文学論集 II (講談社文芸文庫)

 

 

ニヒリズムの多様な範型 三島由紀夫「鏡子の家」 5

 引き続き、三島由紀夫の『鏡子の家』(新潮文庫)に就いて書く。

④「美」の超越的な範型、或いは審美的ニヒリズム

 この世界の事象に如何なる意義も価値も認めないことが、ニヒリズムと呼ばれる精神的情況の特質であるとするならば、新進気鋭の芸術家として登場する山形夏雄の感受性は、図らずもニヒリズムとの間に親密な盟約を締結しているように見える。作者はそれを芸術という営為の一般的な特質として語っている。無意味な世界、即ち「虚無」を専門的に取り扱う腕利きの技術者、それが芸術家の本領なのである。

 感受性に富んだ人間の生き辛さを、夏雄が露ほども持たないことは驚異だった。彼は自分の感受性と外界との、他人との、社会との衝突を嘗て知らなかった。その感受性は、手ぎわのいい掏摸のように、外界からただ彼の気に入ったタブロオを、誰にも気づかれずに切り抜いて来た。自分の豊富に苦しめられたことは一度もなく、一種の清澄な欠乏をたえず感じていた。

 その大人しい、やさしい心やりに充ちた、人に愛される性質は、一体こんな性質が先にあって彼の感受性を富ましたのか、それとも生れつきの鋭敏で無私の感受性が、傷つきやすいわが身を衛るために、そういう性質をこしらえたのか、彼自身だって答えるのが難かしかったろう。強いて均衡を求めもしないのにおのずから均衡を保ち、彼が外界の自然に対して何の意味も求めようとしないので、自然も安心してその美しさを委ねて来た。美術大学を出て以来二年間特選をつづけているのに、この温和で軽率な若い日本画家は、自分の才能のあるなしをさえ、ついぞ思い煩ったことがなかった。(『鏡子の家新潮文庫 P23-P24)

 作者の考える理想的な恩寵に恵まれた芸術家の風貌には、世界に対する徹底的な受動性が刻み込まれている。彼の主体性の欠如、薄弱な闘争心、本能的な均衡は、彼が世界に対して如何なる意味も求めず、黙ってそれを受容していることに基づいている。尤も、この受動性の特筆すべき均衡は、必ずしも手放しで称讃されるべきものではない。

 彼は確かに世界に対して如何なる意味も求めていない。豊饒な感受性が切り取る美しい「タブロオ」を見凝めて嘆賞するだけで、彼の精神は稀有の均衡を保持し続ける。だが、それは審美的な感受性の効能によって、彼の精神が堪え難い虚無に直面することを免かれているというだけの話ではないのか。「美」という超越的な基準に一切合財の判定を委任することによって、個別的な虚無の蠱毒を退治するという特異な健康法の成果に過ぎないのではないか? 彼は自らの才能の有無を思い煩う必要に迫られることさえなく、只管に感受性の収穫する甘美な果実に惑溺している。「自分の感受性と外界との、他人との、社会との衝突」を経験せずに済んでいるのは、彼が「美」以外の如何なる基準にも関心を示さない審美的なニヒリズムの虜囚であることの結果だが、煎じ詰めればそれは不徹底なニヒリズムであり、密かに感性的な美という「価値」を忍ばせた欺瞞的なニヒリズムなのである。

 彼の目はただ見てしまう。いつも好餌を探しており、彼の目の好きなものを一瞬ものがさずに見てしまう。それは必ず美しかった。しかし時あってさすがの彼にも、一抹の不安の湧きのぼることがあった。

『僕は果して自分の目の愛するものを、悉く愛していいのだろうか?』(『鏡子の家新潮文庫 P25)

 世界に対して如何なる意味も求めない夏雄の感受性は明らかに、一つの至高の価値に対する飽くなき欲望を燃え盛らせている。その欲望の対象が、具体的な意味、社会化された意味と直接に関連するものではないとしても、つまり彼の感受性の欲する対象が一般的な意味や価値と直結するものではないとしても、それが一個の主観的な「価値」であることは否み難い事実である。彼は審美的で感性的な価値を絶対化することで、或いはそうした絶対化を強いられることによって、それ以外の一切の社会的な価値を黙殺している。その「黙殺」の側面だけを挙証すれば、確かに彼は一人の明確なニヒリストだが、そこには「審美的」という但し書きが常時欠かせない。彼は「美」という至高の理念に総てを明け渡すことによって、日常的な現実に対するニヒリスティックな超越性を確保しているのである。

 しかし風景というものには、丁度絵巻を繰ってゆくように、発端もあれば終末もあった。風景にむかうときの心の用意を、眠るまえの心の準備にたとえれば、頭が冴えて、心象がいたずらに躍動して、眠りに逆らうように見えながら、ある瞬間から、突然眠りへの陥没がはじまるように、風景の中へ陥没する状態は、思いがけない瞬間に突如として齎される。なるほど画家は風景を目を以て見、もっともよく見るときにはもっとも明晰に見ている。しかしこのような明晰さの極限は、突然襲いかかる眠りと、ほとんど同種のものなのであった。(『鏡子の家新潮文庫 P116)

 こうした「明晰さの極限」においては、画家の眼は如何なる社会的な意味によっても汚染されず、また遮蔽されてもいない。そのとき画家の眼は確かに一つの虚無的な境地へ到達している。けれども、その明晰さは、芸術的な感動と一体化した現象であり、感性的な「美」に対する欲望の働きと不可分なのである。従って、画家の明晰さを純然たるニヒリズムと同列に論じるのは精確ではない。画家の明晰さは、諸々の世俗的な意味や価値や観念を排除することによって初めて成り立つ認識の形態であるが、それは予め審美的で感性的な規範に制約されているのである。その枠組みの内部に限って、芸術家のニヒリスティックな精神は稼働し得るのだ。

 このとき夏雄は独特の、深い感覚のとりこになった。突然風景の中核へ、自分が陥没したのが感じられたのである。それは冷静さの極致にいて、同時に、目もくらむほどの幸福感に見舞われる特殊な状態で、しかも彼の目はこの上もなく明晰に風景を見ていた。(『鏡子の家新潮文庫 P118)

 こうした「風景の中核」に対する精神的な「陥没」の現象は、夏雄があらゆる心理的な意味の体系から逸脱して、純然たる「感受性」の領域に自己の一切を投入した状態を指し示している。彼は錯雑した心理的複合体の抑圧を免かれ、如何なる意味にも帰結しない感性的な対象だけを見据えている。「明晰である」ということは、換言すれば「感受性に埋没している」ということだ。それは深井峻吉がボクシングという純然たる「行為」に挺身することで、不毛な「思考」の慣習を棄却するのと同種の営みである。だが、夏雄の意識が如何に世俗的な価値観、社会的な規矩から自在に解き放たれているように見えたとしても、彼の虚無が或る個人的且つ審美的な基準を密かに内包している事実は動かし難い。

 見て、感じて、描くこと。この活きて動いている世界を、色と形だけの、静止した純粋な物象に変えてしまうこと。それは何か怖ろしいことだったが、夏雄はその怖ろしさを感ぜず、最初恐怖を抱いた両親も、いつしか世間的な評価を担った才能という言葉に安心した。それはしかし依然として怖ろしいことだった。彼は物を見、事実彼には何かが見えるのだった!(『鏡子の家新潮文庫 P139)

 こうした芸術家の境涯に、道徳的な規範や経済的な法則が介入する余地はない。画家の眼は、一切の事象を「静止した純粋な物象」として捉える。そうした世界で道徳的な善悪や経済的な効果を論じても無益であることは言うまでもない。その意味では、確かに芸術家は「虚無」の取り扱いに長じた専門家であると言えるだろう。けれども、そこには猶、一抹の「意味=価値」が消え残っている。芸術家のニヒリズムは、飽く迄も審美的な感受性という至高の理念を信仰することによって与えられる、限定的な虚無なのである。美しいものだけを眺め、美しくないものを視野から除外する画家の「冷静」と「明晰」は、真実に対する直截で冷徹な認識であるというよりも、偏狭な主観性の大胆な発揮なのだ。

 これは飛切上等の預言であったが、同時に不吉な預言でもあった。硝子とか露とか天使とか宝石とか、そういうものが人間的な比喩と云えようか? 子供のころ、父が彼を兄弟と一緒に海へつれて行った。波は澎湃と高まって砕け、おそろしい響きを立てた。兄たちは喜々として海へ入った。夏雄はおびえて、それ以来、海へ入ろうとしなかった。自分の人生には決して事件が起らないと彼が予感しはじめたのは、多分このときからである。(『鏡子の家新潮文庫 P140)

 「意味」は人間的な世界を形作る重要な礎石であり、頑強な紐帯である。それを解けば社会の秩序は忽ち瓦解してしまうだろう。そういう人間的な価値の体系から距離を保ち、総てを「純粋な物象」へ還元しようとする夏雄の芸術的な性質は、虚無的な態度であるというよりも、審美的で主観的な態度であると看做すべきだ。芸術家のニヒリズムは、社会的な行動に対する禁欲的な方針の維持を前提としている。もっと咬み砕いて言えば、諸々の具体的な「行為」から一線を劃して退いておくことが、総てを「純粋な物象」として眺める為の条件なのである。

 夏雄がたった一刹那の落日の風景をその目でとらえたとき、彼は時と共に滅びるべきものを、紙上にとらえて確保したのであったが、こんな分解作用を経て、個々の細部は、ますます時間の要素を洗い去られた。そうするためにも画家は時間の力を真似るのであって、あらゆるものが不変の資料に還元されるあの永い時間の労力を、彼はおそるべき神速に変え、またたくひまにすべてを腐敗に追いやって、色彩と形態の原素、このまったく空間的な原素へと、解体し還元してしまうのだった。

 こうしてあのふしぎな落日の風景は、意味を帯びた言葉からは完全に遮断され、音楽からも、幻想からも、象徴からも遮断されて、純粋に空間的な要素の集合になった。そのとき彼ははじめて、一枚の絵画の生れる出発点にいたのである。(『鏡子の家新潮文庫 P142)

 外界の風景を芸術的な作品に変換していく過程の詳細な描写は、審美的なニヒリズムの備えている特殊な毒素の作用を克明に物語っている。芸術家という存在の反社会的な性質に就いて、作者は明瞭な認識と自覚を保持している。「世間的な評価」を根拠として、その特異な性質に社会的な規矩との和解を認めることは、表層的な錯覚に過ぎない。芸術家は一切の道徳的な関心、つまり社会や共同体が個人に対して要求する諸々の規範への屈従を本質的に軽侮している。彼らの審美的なニヒリズムは、一般の社会が信仰している道徳的な世界観とは異質な、専ら感性的な「異郷」の世界観を信じて、それのみに従属するのである。

 若しも芸術家の実存的な危機というものが有り得るとしたら、それは審美的ニヒリズムの虚無的な超越性が破られるときに顕れるだろう。感性的な「美」の理念に対する純一無雑の隷属が覆され、審美的なニヒリズムの垣根を食い破って、世俗的な「意味」の厖大な塊が精神の領野へ雪崩れ込むとき、芸術家の不敵な虚無は亀裂に苛まれ、感性に対する無限の信奉は禁じられ、創造される作品は汚水に塗れるように通俗的な規矩やイデオロギーに穢されるだろう。

 大人しい、やさしい心やりに充ちた一人の青年は消えてしまう。彼は今芸術家であり、制作のために虚無を招来した。そしてこんなおそろしい作業を自分一人の画室で仕了せた夏雄には、たちまち、躍動した、いたずら心に充ちた子供の魂が顔を出すのである。

 まことに喜戯的なこの魂! 無意味を容認し、無意味をつゆほども怖れない魂の前に、制作のさまざまな無限の自由がはじまり、感覚と精神の放蕩がはじまる。彼は形象と色彩をこねまわし、あちこちへ動かし、逆さにし、横にし、……自分自身にも定かには知られていない一つの秩序にむかって、永いこと無秩序を玩具にしているのである。

 こんな作業には、まさしく苦渋のうちに歓喜がにじみ、理性のうちに陶酔がまじって、綿密な技術的配慮が放恣な感覚的耽溺と一緒になっていた。(『鏡子の家新潮文庫 P143)

 芸術家のアモラルな自由、善悪の彼岸に置かれた遊戯的な自由は、審美的なニヒリズムとして、社会の一隅に危険な異次元の領野を開拓している。無意味な世界を、感受性の要求に従って取捨選択し、遊戯的で無秩序な境界線を縦横無尽に走らせること、そうした自己目的化した運動に果てしなく没入し耽溺すること、それが芸術家という実存的様式の基本的な原風景である。

 夏雄はその幼年期の絶対の幸福感のなかで、生涯に彼の見るべきあらゆる美しいもの、美しい風景や鳥や花や人間の顔などの、いわば型録に目をとおしてしまったような気がする。爾余の人生のいかほど新鮮な発見も、こんな型録から想像された美しさには及ぶべくもない気がする。幼ない彼が見た風景は、決して消え去ることのない落日のうちに燦然として、湖はかがやき、湖畔の森は瞑想に沈み山々は紫紺に映え、たとしえもなく広大で、しかも路傍の草花や礫までが微細に見え、……どこにも人影がないのである。

『どうして人間がいないのだろう』と幼ない彼も不審に思った時があったにちがいない。『人間が一人もいないのに、どうしてこの世界はこんなにも完全なんだろう』

 人間的関心の少しも芽生えぬうちから、美的関心がこの子供を蝕んでいた。それは言葉や習慣を学ぶよりさきに、彼の心をしっかりとらえ、彼の見る世界を、しんとした色彩だけの無人の場所に変えてしまっていた。(『鏡子の家新潮文庫 P257)

 こうした回想と感慨が「金閣寺」における溝口の抱えていた問題と同じ構成を有していることは明瞭である。あらゆる感性的な美しさに先立って、或る絶対的な「美」の範型が存在しているというプラトニックな信憑、そして決して人間の参入を許さない「美」の峻厳な原理、こうした主題は総て「金閣寺」の中で徹底的な追究を享けている。換言すれば、こうした「美」の超越的な範型による内面の支配が、芸術家の「虚無」を支える根源的な条件なのである。人間が感性的な領域に溺れる為には、予め「美」の超越的な範型が存在しなければならない。その起源が遥かな幼年時代に存在するという推測は、格別の根拠を有する想像ではない。重要なことは、その範型が個別の感性的な美しさを超越しているという一点に尽きている。

 そういう考えは煽てや己惚れの結果としてではなく、物心ついたときから彼に備わっていたのだ。何ものも彼の純潔を毀つことができないというこの考え。もし世間で言うように、醜悪な現実というものがあるなら、それははじめから無力な筈だった。何故なら彼の目がむりにも醜さを発見しようとするところでは、それは必ず非現実的なものになったから。(『鏡子の家新潮文庫 P263)

 夏雄の「純潔」が「人間的関心」に対する「美的関心」の優越に根拠を置いていることは明らかである。だが、人間として生を享けながら、死の間際に至るまで完全に「天使」の如く日々を過ごすことが本当に可能だろうか? 如何なる「醜悪な現実」も「非現実的なもの」として排斥するような感性的形式が、永劫に持続するということが有り得ようか? 夏雄の実存的危機は、彼が「美」の絶対的な範型の齎す感性的な支配から脱して、否が応でも「醜悪な現実」を捉えなければならなくなった瞬間に到来するだろう。

 夏雄はこんな議論に子供らしい危険を感じた。第一、芸術作品とは、目に見える美とはちがって、目に見える美をおもてに示しながら、実はそれ自体は目に見えない、単なる時間的耐久性の保障なのである。作品の本質とは、超時間性に他ならないのだ。もし人間の肉体が芸術作品だと仮定しても、時間に蝕まれて衰退してゆく傾向を阻止することはできないだろう。そこでもしこの仮定が成立つとすれば、最上の条件の時における自殺だけが、それを衰退から救うだろう。何故なら芸術作品も炎上や破壊の運命を蒙ることがあるからであり、美しい筋肉美の青年が、芸術家の仲介なしに彼自身を芸術作品とすることができたとしても、その肉体における超時間性の保障のためには、どうしても彼の中に芸術家があらわれて、自己破壊を企てなくてはならないだろう。筋肉の錬磨と育成は、肉体を発展させることでもあるが、同時に時間的法則の裡に、衰退の法則の裡に、肉体を頑固に閉じこめておくことであるから、それは芸術行為ではないのであって、自殺に終らぬ限り、その美しい肉体も、芸術作品としての条件を欠いている筈である。(『鏡子の家新潮文庫 P277-P278)

 「美的関心」に支配された世界では、一切は「超時間性」或いは「無時間性」の虜囚と化し、必然的に「純粋な物象」へと姿を変える。「時間的法則」を免かれるがゆえに、そこでは総ての人間的な「行為」が禁じられる。夏雄の審美的な世界に「人間」の姿が根本的に欠如しているのは、こうした経緯に由来する事象なのである。「時間的法則」を免かれ得るという幻想的な理念の下で初めて、芸術家は無限に審美的な遊戯の渦中へ耽溺することが出来る。夏雄のニヒリズムは、つまり「虚無」との無際限な戯れは、人間的な秩序を成立させる根源的な条件である「時間的法則」を解除することによって、暫定的に獲得される甘美な悦楽なのである。

鏡子の家 (新潮文庫)

鏡子の家 (新潮文庫)

 

ニヒリズムの多様な範型 三島由紀夫「鏡子の家」 4

 引き続き、三島由紀夫の『鏡子の家』(新潮文庫)に就いて書く。

③「自然」と「実相」に基づくニヒリズムの超越的性質

 あらゆる他者の存在を「鏡」のように扱い、己の外面的な価値を確かめることで内在的な虚無に抵抗する舟木収のナルシシズムは、高利貸を営む辣腕の社長である秋田清美という「醜い女」との邂逅を通じて、急激な転回を遂げることとなる。

 口もともそんなに悪くはないのに、小鼻の怒った鼻がすべてをぶちこわしている。体は中肉で均整がとれているが、脚は大そう太く、それを目立たせるかのように踵のない靴を穿いている。そして身のこなしがひどく固いのである。

 一瞥して収は、醜い女だ、不吉な鳥のような女だと思った。こういう女が何をたのしみに生きているのか、収には想像することができない。(『鏡子の家新潮文庫 P349)

 冷静且つ客観的に眺めれば、作者の筆鋒は無礼なほどに秋田清美の醜貌を強調している。この端的な事実に基づいて言えるのは、作者が「醜い女」の典型を、舟木収の実存的な物語の中に登場させる必要性に迫られているということだ。換言すれば、秋田清美という女性の抱懐している実存的な戦略は、収の根深いナルシシズム的実存の様態に対して、重大な影響を及ぼす資格と権能を備えているのである。

 通例、愛されない人間が、自ら進んで、ますます愛されない人間になろうとするのには至当の理由がある。それは自分が愛されない根本原因から、できるだけ遠くまで逃げようとするのである。

 清美の場合は、これとはちがっていた。根本原因から、すなわちその顔の醜さから、一歩も逃げようとしていなかった。その醜さを作ったのは自然であるのに、清美は自然を信仰していた。そしていつかしら醜い顔を、自然の真相の、象徴的なあらわれだとすら考えるようになった。それは山のはざまに荒々しい形を露呈している蒼黒い巌の顔や、春、微生物の繁殖が海のおもてにえがく、嘔吐を催おすような色の巨大な顔や、古木の洞にコルク質や茸が堆積して作る真黒な顔や、……そういう顔と同じようなものである。ついには醜さが清美の役割になり、仮面になった。祭の踊り手が奇怪な仮面の顔をあちこちへ振向けるように、清美はその醜い顔を、あまたの債務者のおのおのへ振向けるだけでよかった。それで何人かが確実に死んだのである。(『鏡子の家新潮文庫 P358)

 こうした論理には「金閣寺」に登場する柏木の陰翳が被さっているように感じられる。美的なものの幻想的な性質を排し、飽く迄も苛烈な「実相」を暴き出すことに倫理的な意義を、或いは実存的な戦略を見出すという柏木の方針は、秋田清美の信奉する「自然」の論理と類似している。

 清美の使命は、苛酷な現実の真相を剔抉して、それを衆目に晒すことである。如何なる甘美な幻想も壮麗な耽美も、彼女の悪魔的な論理の前では虚しく砕け散るしかない。

 真暗な壁の前をうろうろして、せいぜい電気洗濯機やテレヴィジョンを買う夢を見る。明日には何もないのに明日をたのしみにする。その場へ私が出て行って、裸の現実を見せてやるだけで、みんな仰天して自殺したり心中したりという騒ぎになる。月賦販売や保険と同様に、私はただ時間の正確な姿を見せてやるだけにすぎないのに。そうして私のほうが確かに親切なんだわ。ころげおちる時間、斜面の時間、加速度の時間、……それこそ本当の時間なのに、月賦販売業者が見せてくれるのは、猫かぶりの時間、平坦な時間、糖衣にくるんだ時間の姿なんですから」

 清美はこの世の真相を人々に見せたいと希んでいた。それが清美のいわゆる自然であった。(『鏡子の家新潮文庫 P357)

 清美の信じる「自然」や「裸の現実」の酷薄な形態は、明らかにニヒリズムの強靭な源泉である。彼女はニヒリスティックな現実に直面することこそ、最高の「救済」であると看做している。無意味な現実、如何なる意味にも価値にも保護されていない裸形の現実、それだけが彼女の信仰の対象なのだ。だが、そこには様々な意味や価値に覆われた人間の社会に対する隠然たる悪意と敵愾心が屹立している。意味に縋り、ニヒリスティックな現実を峻拒しながら生きようと試みる人間の生の一般的な様態を、清美は真っ向から否定しているのである。ニヒリズムに対する拒絶は、清美の論理に従うならば「反自然的なこと」(P356)なのである。

 清美の話題は又死のことに戻った。あの真実の時間、傾斜し、加速度にころげおちるあの時間、あれを自分の掌中に納め、あれを手綱のように握って自分は別の平坦な時間を御してゆくことに、しんから退屈した彼女は、今度は自分があの急斜面を辷り下りてみたいと希むようになっていた。真相を保持しているだけでは物足りず、自分が真相そのものになること、自分が事件そのものに化身すること!(『鏡子の家新潮文庫 P359)

 予定された「死」に基づいて一切の実存的な価値を剥奪すること、それによって「平坦な時間」に対する超越的な自由と権力を確保すること、これは三島由紀夫の過去の作品、例えば「青の時代」の川崎誠が懐いていた、実存に対する侮蔑的な自由に酷似している。彼は毒薬を保持し、自らの生涯を何時でも切断し得る手段を確保することで、一般的な生の「平坦な時間」を制約する諸々の観念的な抑圧を免かれた。自らを死者に擬することで、生者の世界に冒瀆的な介入を行なう自由を得ること、それがニヒリズムの積極的な性質である。

 だが、そうした生き方は如何なる瞬間においても「死」に対する恐懼や不安を所持してはならない。死に対する否定的な判断が混入した瞬間、豪胆なニヒリストの危うい綱渡りは惨めな失墜に変貌する。生に対する一抹の執着さえ、ニヒリストの超越的な論理を崩壊させる致命的な痛撃の役割を果たすのである。

 換言すれば、ニヒリストが生に対する超越的な自由の特権を確保する為には、死に対する積極的な欲望の介在が不可欠なのである。タナトス、つまり死に対する衝動だけが、ニヒリスティックな自由を支える唯一の根拠なのだ。

 こうした清美のニヒリスティックな論理と、常に他者からの承認と欲望を我が身に享けることで自己の実在性を確認する収の論理が相互に逢着したとき、如何なる状況が現出するだろうか?

 世の常の関心では飽き足りず、収が求めていたのは、彼に対するひりひりするような苛烈な関心だった。彼を愛撫するだけでは足りず、彼を腐蝕するような関心だった。今まですべては彼の肌の上をとおりすぎただけであったが、自分の存在をたしかめるために、あの一瞬の痛みにまして確実なものはなかった。彼が正に必要としていたのは痛苦だったのだ。(『鏡子の家新潮文庫 P392-P393)

 自己の実在性に関する絶えざる疑念、いわば自己の「無意味」に囚われるという形式のニヒリズム、それが舟木収という人格を支配する実存的な特質である。彼は「自意識のニヒリズム」が生み出す精神的な飢渇に抗すべく、美しい外面に自己の実存的な根拠を置こうと努めた。他人の欲望の対象に自らの優れた外面を供することで、つまり他人に求められ願われることで、彼は自己の実在を確認することが出来たのである。しかし、そうした充足は束の間の幻影に過ぎず、彼が抱懐している「実在の不全」という感覚は決して根本的な快癒を見なかった。何故なら、それは飽く迄も自己の外面に対する関心、即ち「彼の肌の上をとおりすぎただけ」の関心に過ぎず、鏡の投影を経由することで初めて確かめられる実在感の水準を超えなかったからだ。彼はその飢渇を肉体の鍛錬によって埋め合わせようとしたが、それさえ充分な実在感の確保には帰結しなかった。他人を経由するのではなく、自律的な仕方で実在の感覚を保持すること、それが収の最終的な理想の形態なのである。

 だが、如何なる他者の承認も伴わずに、人間が自己の存在を定義して、そこに意味を賦与することは原理的に不可能である。何故なら、意味というものは常に社会的な性質を備えており、決して自律することの出来ない、いわば「関係性」そのものの凝縮された姿であるからだ。

 収の特異性は、彼の人格が他者の「関心」に対する深甚な依存を宿している点に基づいていると思われる。彼にとって「肌の上をとおりすぎただけ」の関心が物足りなく感じられるのは、そこに若干の「間隙」が介在している為であろう。彼が欲するのは、自他の境界線を突破すること、自他の存在を融合させること、自己という輪郭そのものを抹消することではないのか。空っぽの自分を補填する為に他者の存在を要求する収の実存的な野心が向かう最終的な目標が、自他の境界線を超越した「融合」に置かれるのは少しも奇態な論理ではない。

 だが、彼は愛する者との根源的な融合という不可能な夢に単純で感傷的な憧れを懐けるほど軽率な人間ではない。そういう夢想に殉ずることが出来るならば、彼の苦悩はもっと凡庸な解決策によって報われたかも知れない。彼が空虚な自己を解消する為には、つまり自己の「価値」を実感する為には、単なる想像的な融合の感覚だけでは不足している。

 自分の脇腹に流れる血を見たときに、収は一度もしっかりとわがものにしたことのなかった存在の確信に目ざめたのである。ここに彼の若々しい肉があり、それを傷つけずにはやまない他人の強烈な関心があり、絶望的な愛の情緒が彼に向けられ、かくてつかのまの爽やかな痛みがあり、まぎれもない彼自身の血が流れていること、……これで存在の劇がはじめて成立し、痛みと血が彼の存在を全的に保証し、彼の存在をめぐる完全な展望がひらけたといえる。『これこそは世界の裡における存在のまぎれもない感覚なのだ』と収は思った。『僕ははじめて望んでいた地点に達し、すべての存在の環につながったのだ』やさしい、なまめかしい血の流出。肉体の外側へ流れ出る血は、内面と外面との無上の親和のしるしであった。彼の美しい肉体が本当に存在するには、筋肉の厚い城壁に囲まれていたままでは、何かが足りない。つまり血が足りなかったのだ。……しかも収に存在を確信させてくれた痛苦と血は、いずれは収の存在を滅ぼすためにしか働かないだろう。(『鏡子の家新潮文庫 P393)

 「存在の確信」とは何か。自分がこの世界の内側に明確に存在しているという実感は、何によって齎されるのか? それが己の肉体から流れる「血」と、己の肉体が感受する「痛苦」によって齎されるという奇怪な論理は、如何なる条件に依拠しているのか?

 彼は「存在の確信」に餓える日々を過ごしてきた。彼は自己の実在性の感覚を得る為には、必ず他人の視線と欲望を希求する。言い換えれば、彼は外在的な事物、つまり「鏡」や情婦といった自己の外部に存在する事象の中に見出される「自己の反映」だけを手懸りに、自己の存在を確認するという迂遠な手続きの累積の中で生き延びて来たのである。自己の存在の保証を、他者への投影の内部にのみ求め得る状態、だが、それは収の望む理想的な実存の形態ではない。それらは飽く迄も暫定的な次善の方策に過ぎない。彼はもっと確実な「存在」の保証を欲している。

 こういう言い方が適切かどうかは分からない。若しかすると、収が他者に求めていたのは、官能的な欲望や好意ではなく、つまり一般的な女の愛情ではなく、敵意や憎悪や殺意だったのではないか? 自分の存在を滅ぼそうとする他者の破壊的な欲望、それを通じて、彼は「すべての存在の環」との関係を恢復する。それは紛れもなく、他者への全面的な癒合、全面的な屈服、全面的な隷従に対する実存的な要請である。他者の手で破壊され、自己の輪郭を消去されること、それによって「死」を通じた絶対的な他者への参入を果たすこと、これこそが収の憧れる最終的な理想の姿ではないだろうか? その予感に囚われることで初めて、彼は「存在の確信」に辿り着く。無論、それは破滅的な逆説に支えられた脆弱な信憑であろう。

 死の予感によって生を支えること、それは三島由紀夫の造形した数多のキャラクターに共通して見られる実存的な戦略である。だが、収における「死」は、例えば「青の時代」の川崎誠における「死」の戦略的な操作性とは異質である。川崎誠は「毒薬」を所持することで常に自殺という遁走の選択肢を握り締め、それによって生に対する冒瀆的な自由を確保するというニヒリスティックな戦略を展開していた。その写し絵は、秋田清美というキャラクターの裡にも見出すことが可能である。だが、収にとって最も重要な課題は、生に対する冒瀆的な自由、裁量、権限を獲得することではない。彼の切実な目標は「存在の確信」を手に入れることである。

 秀麗な美貌に恵まれても、頑健な肉体を作り上げても、他人の賞讃と陶酔に取り巻かれても、彼の希う「存在の確信」は到来しない。最終的に必要であったのは、結局のところ「死を感じる」という一点に尽きるのではないか。死の危険を実感することで、相対的に自己の存在を確認することが出来るという論理は、それほど突飛な代物ではない。

 収はその日以後、こんな情死の観念に憑かれてしまった。昼も夜も、たえず脳裡にこの考えがあった。しかし痛みと云っても剃刀の刃のほんの軽い一触しか思いうかばず、自分の本当に求めているものが痛苦だとわかっていても、すぐその観念上の痛みには快楽がまじって来ていた。すると死も、舞台の上の死と同じことになった。

 死の決して繰り返されぬ性質が、収の空想を安易にしていた。空想はどんなに安易であってもよく、空想上の感覚がいかに実際と隔たっていてもかまわない。何故ならこうした空想の重なりの果てに、実際の死にいよいよ手をつければ、行為は仮借なく進行し、死は現前して、二度とくりかえされることはないからだ。(『鏡子の家新潮文庫 P394-P395)

 死の予感が生の実感を保証するという論理自体は凡庸であろう。しかも、そのとき予測される死の様態は所詮、生きている人間の拵えた空想に類するものであるに過ぎない。換言すれば、そのとき人間は空想の中で「死という観念」と戯れているだけであり、本当の物理的な「死」は必ずしも重要な意義を持たないのである。

 彼は本当なら、持ち前の見栄からも、美しい女と死にたい。しかし現実の美しい女は、彼に死を冀わせるに足りないのである。だから清美の顔のことは考えまい。清美の魂のことだけを考えよう。それは暗鬱な魂、他人の不幸と自分の絶望とに鍛えられた魂で、収の内部に力づよく浸透して来て、彼の若い血まみれの体を望んでいた。その目は世界の外側から彼を見張り、彼のぐらぐらした存在を漆喰でこの世の上にしっかりと固め、彼の証人になり、……そうして彼の肉と血を欲しがっているのである。(『鏡子の家新潮文庫 P395-P396)

 清美が収に寄せる絶対的な関心、それは殺意や憎悪と同等の性質を備えた愛情の形態、例えば「愛の渇き」で杉本悦子が示した死臭の漂う愛情の形態である。「絶望的な愛の情緒」は、健全で倫理的な愛情、相手の自立と尊厳を庇護するような肯定的な愛情とは完全に異質なものであり、端的に言えば「妄執」である。だが、そもそも収は生半可な「愛情」では満たされず、もっと他人の病的な執着を欲していたのだ。極限まで強められた妄執は、他者を破壊し咀嚼する強烈な衝動に転化する。その衝動が「情死」という現実を齎すとき、舟木収という人格の輪郭は解体され、存在の総てが他者に吸収され、併合される。完全な所有、完全な隷属、完全な毀損が成し遂げられる。

 そんな事件は無数に起っていた。しかしみんな架空の出来事だった。世界中が、張りぼての大道具に囲まれた、表側だけの、異常に明るく照らされた、夜も昼もない劇場になってしまっていた。

『僕は求められている。僕には役がついた』

 一つの比喩のように、収はそう考えることを好んだ。すると架空の世界が自分のまわりで独楽みたいにぐるぐる廻りだすような気がした。彼は熱烈に求められている。搾り皿の上で果汁を搾り出される檸檬のように求められている。粉々にされてしまうまでに求められている。(『鏡子の家新潮文庫 P396-P397)

 他人から絶対的な関心を向けられることで、自己の内面の空虚を補填し、他者の存在を全面的に受容することで「存在の確信」に到達するという迂遠な論理が「情死」という夢想に帰結するのは自然な成り行きであろう。彼は寧ろ自己の存在が徹底的に毀損されることを望んでいる。審美的な鑑賞と陶酔の対象という立場に留まるのでは物足りない。それだけでは、彼が「存在の確信」に到達する条件としては不充分である。殺意にまで高められた「絶望的な愛の情緒」が介在しなければならない。破壊され、呑み込まれることで初めて、収は自己の存在の実在性を信仰することが出来るようになるのだ。

 行きずりの娘たちの視線も、このひそかな傷口には届かない。人知れず蓄えられた傷は、流星みたいに彼を社会の外へ弾き出したのだ。『しかし僕はもう影じゃない。決して影じゃない。傷つき、痛み、滅んでゆく肉体だ』やがて彼の体は傷に埋まるだろう。清美と死ぬ前に、一度そこらの娘を連れ込んで、その目の前で裸になってやろう。娘はおどろいて目をおおうだろう。

 収はとある安酒場で、髪を長く伸ばした青年たちが、かれらの精神の傷についてくどくどと議論していたのを思い出した。収はこの連中を蔑んだ。精神の傷をみせびらかす奴らに、彼の肉体の傷を見せてやったら、おそらく言葉を失うにちがいない。自分たちが実は存在せず、精神は影の影であることに、ただの一度も気がついたことのないあの連中。(『鏡子の家新潮文庫 P401-P402)

 精神的なものに対する収の侮蔑は、例えば「思考」に対する深井峻吉の侮蔑と、同一の方向性を有している。それは精神や意味や価値といった諸々の厄介な観念の喪失、つまりニヒリズムという疾病から快癒する為の方策だと、これまで私は考えてきた。だが、それは逆転した推論だったのではないかという気がする。意味や価値の否認、この世界には如何なる意味も価値も存在しないという強力な見解、それがニヒリズムの呈する最も主要な症状であるとするならば、彼らは寧ろ積極的に「虚無」を望んだのではないか? 峻吉が暴力的な政治団体に加盟し、聊かも信仰していない大義名分を借用して、怪我で止むを得ず断念したボクシングという夢の延長のように「敵」との戦いに身を投じたことも、煎じ詰めればニヒリズムという魔法を自らの実存の根底に据えたということに他ならない。或いは秋田清美の「自然」に対する信仰もまた、世界の無意味と無価値を積極的に承認するニヒリズムの典型的な事例に他ならない。収が「傷つき、痛み、滅んでゆく肉体」に固執するのも、彼が「精神」という「影の影」を信頼する意志を持ち得ないからであり、その背景には「精神的なもの」全般を虚妄と看做すニヒリズムの作用が濃密な影響を及ぼしている。

「誰がって、……僕と女だ。僕がするか、女がするか、要するに僕の肩をやさしく一叩きするだけで、僕は死の中へのめり込むんだ。その堺目がすっかり薄くなり、オブラートみたいに薄くなって、芝居と現実と、生きていることと死んでいることと、僕にはもう大した違いと思えないんだ。おかげでやっと僕は、人が立派だという肉体を持ち、若くて、健康で、何も考えず、何もせずに、ここにはっきり存在していることが自分でわかるようになったんだ」(『鏡子の家新潮文庫 P410)

 如何なる意味も価値も認めないニヒリズムの視点に立脚すれば、空想と現実、生と死の間に大仰な区分を設ける必要性は皆無である。生きることも死ぬことも、恣意的な選択の俎上に載せられるだけで、そこには特権的なヒロイズムなど毫も存在しない。

 肉体が実在であることの最大の特徴は、それが滅亡を、換言すれば「死」を孕んでいるからである。「影の影」に過ぎない精神には元来、滅亡という危殆の萌芽が含まれていない。滅亡は、それが確かな実在であることの逆説的な証明なのだ。

鏡子の家 (新潮文庫)

鏡子の家 (新潮文庫)

 

サラダ坊主風土記 「盛岡・小岩井」 其の五

 そのホテルの二階には露天風呂を含めた大浴場があり、その周辺が「おまつり広場」と称する空間になっている。夜に限って、祭りを模した射的やスーパーボール掬いなどの出店が並び、イベントスペースではビンゴ大会や和太鼓の演奏などが行なわれるのである。

 私は夕食で三杯も呷った銀河高原ビールが全身を駆け巡っていて、若干ふらついているというのに、酔った勢いで別に得意でもない射的に金を払って挑戦した。今まで生きてきた過程において、射的に挑んだ経験は概ね皆無に等しかったので、渡された玩具の銃の尖端に見様見真似でコルクの弾を詰めたものの、引鉄を絞っても一向に発射されない。装填の為のレバーをガチャリと引っ張ることを忘れていたのだ。見兼ねた屋台の店主(尤も、本当の店主ではなく、ホテルの従業員であるが)が、装填のレバーに注意を促してくれたので、漸く勝手が分かり、改めて照準を睨み据えて五発の弾丸を発射したが、総て流弾に終わった。隣で二歳の娘は好奇心に満ちた瞳を私の動作に向けて注いでいた。何も起こらなかったので、私が何をしようとしているのか、今一つ理解出来ない面持ちであった。

 その後は、妻がビンゴ大会に参加した。なかなか的中しないが、商品がなくなるまで延々と籤を引き続ける制度なので、粘り強く待てば誰にでも恩寵の訪れる見込みがある。膝の上に乗せた娘は衝撃を加えると光り出すゴムの玩具に夢中である。やがて妻がビンゴを達成して賞品を選ぶ為に土俵のような舞台へ上がった。ミニオンの縫い包みを貰ってきてくれと頼み、序でに娘を土俵へ登らせる。娘は嬉しそうな恥ずかしそうな、何とも言えぬ子供特有の複雑な表情で、妻から受け取ったミニオンの縫い包みを抱きかかえた。

 部屋へ引き上げてから、私は独り大浴場へ向かった。折悪しく月の障りに当たった妻は、広大な浴場へ浸かることを断念し、娘と二人で部屋に残った。脱衣所の籠に眼鏡を抛り込む。酷い近眼の私は、露天風呂へ入っても、眼鏡を外してしまうので景色がぼんやりとしか捉えられない。仮に眼鏡を着用して入っても、湯気で曇って視界が白濁するので、何れにせよ明晰な眺望は愉しめないのである。残念な話である。

 それでも、夜の露天風呂からは、東天に昇った月と、闇に沈んだ夏山の稜線が見渡せた。夜更けの山には、不吉な魅力が漲っている。人間的なもの、街並や舗装された道路や建物や、電線や水道管や行き交う自動車、そういった人工的な技巧の類を悉く包み込んで、闇の淵へ引き摺り込んでしまう神秘的な恐ろしさが蟠っているように感じられる。人間の恣意的な判断や解釈を超越したものに触れることは、人間的な絡繰や習慣や規則や、つまり所謂「俗塵」に塗れ尽くした己の存在を浄化するような効能が備わっている気がする。聊か大袈裟な感想ではあるけれども。

 翌朝は早々と起き出してビュッフェ形式の朝食を摂り、部屋に戻った後は再び妻子を残して独り、浴場へ向かった。穏やかな午前の夏の光が流れ込む大浴場は閑散としていて、私以外に浴客の姿は見えない。試しに眼鏡を掛けてみると、戸外である所為か、暑くて浴場との寒暖差に乏しい所為か、レンズが曇らない。改めて明るい夏山の風景に眺め入る。夜間に仰ぎ見たときのような感慨は特に起こらない。総てが白日の下に晒されている所為で、世界が平坦に映じる。

 チェックアウトを済ませ、十時半のシャトルバスに乗り込んで盛岡駅へ取って返す。十六時五〇分発の東京行き「はやぶさ」で帰投する予定なので、未だ大分時間が残っている。妻に何処か往きたいところはないのかと訊ねられ、私は歴史的な街並が保存されていると伝え聞いた鉈屋町へ往こうと提案した。その界隈には「平民宰相」と呼ばれて一身に大衆の敬愛を集めながら、東京駅で刺されて非業の死を遂げた原敬菩提寺である大慈寺もある。バスの案内所で道順を訊ねると、直通の路線は存在しないと言われたので、タクシーで向かうことに決めた。大慈寺の前で下ろしてもらい、娘を担いで堅牢な石段を登る。人影は皆無で、夏の劇しい光と囂しい蝉時雨だけが辺りを領している。何だか、三島由紀夫の「天人五衰」の幕切れの場面を想起するような情景である。尤も、寺内の敷地はそれほど宏大ではない。

 茹だるような暑さに苦しみながら、鉈屋町の界隈を歩き、古びた町家の外観を眺めながら、南大通りへ出て盛岡バスセンターを目指す。そろそろ昼食の献立を思案する時刻である。「Nanak(ななっく)」と称する小体な商業ビル(廃業した百貨店の跡地であるらしい)を物色してみるが、今一つ心を惹かれる店が見つからない。通りに面した停留所に滑り込んできた盛岡駅行きの路線バスに辛うじて駆け込み、涼しい車内で一息つきながら、フェザンへ行くことを決議する。

 盛岡冷麺の店は混んでいたので諦めた。向かいの肉料理の店に入り、昼食を摂る。注文したハンバーグは滅法旨かった。ソースも肉も絶妙な味付けである。その後は只管に土産物の物色に時を費やした。本館から少し離れたフェザンテラスの雑貨屋(東北の伝統的な工芸品を活かした雑貨類を商っている)にも足を延ばしたが、娘が大便を排泄したと申告してきたので、速やかに本館のトイレへ引き返した。

 土産物の購入も卒えて、娘は眠りに就いて、愈々遣ることがなくてパン屋のイートインで休憩した。余裕のある旅程は私の尤も切望するものであるから、不満はない。旅先で時間に追われるのは気鬱である。娘は帰りの新幹線の中でもずっと熟睡していた。私たちは存分に浴びた日光の所為で灼けた肌を携えて、幕張への帰路を急いだ。

 以上が、今夏の旅の想い出である。

サラダ坊主風土記 「盛岡・小岩井」 其の四

 小岩井農場の涼しい喫茶店で軽食を済ませた後は、土産物売り場を見物して幾つか日持ちのする菓子を購い、腕時計の文字盤に急かされるように正門を出て、待合室で路線バスの到着を待った。予定よりも一本早い、盛岡駅まで直行する便である。

 行きの便はマイクロバスのような構造の車体であったが、帰りの便は普通の路線バスであった。ベビーカーを折り畳み、優先席に腰掛ける。娘は妻が膝の上に抱えて座った。

 東口のロータリーでバスを降りると、再び猛烈な暑気が総身に纏わりついた。燦々たる午後の日光が膚を舐め回すように焼き払う。西口の観光バス用の発着場へ、今夜投宿するホテルの送迎バスが来るまで、一時間以上の猶予があった。

 市街地へ出て観光するには中途半端な猶予である。鉈屋町という界隈に古い歴史的な街並が保存されているとガイドブックで読んだので、行ってみたい気持ちもあるのだが、いかんせん盛岡駅から交通の便の悪い場所にある。徒歩で往復するのでは、恐らくバスの時刻に間に合わない。諦めて駅ビルに入り、タリーズコーヒーで時間を潰す。娘はベビーカーに横たわってすやすやと眠っている。農場で直射日光を浴びながら随分と躁いだから、疲れたのだろう。比較的、深い眠りである。

 定刻が迫り、エレベーターで駅ビルの二階へ上がり、駅のコンコースへ出る。コインロッカーに預けておいたキャリーバッグを回収し、東西自由通路を渡って西口のロータリーへ出る。二九番乗り場はロータリーの端にあり、見れば既に巨大な観光バスが停まっていた。男性の運転手がバスの外に佇んでいる。嵩張る荷物を車体の脇腹にある収納スペースに預かってもらい、閑散たる車内へ乗り込む。年配の乗客が数名いるだけで、耳障りな話し声も聞こえない。定刻を迎え、バスのドアが自動で閉まる。傾いた橙色の陽光を浴びて、バスは再び雫石川に沿って我々を鶯宿温泉の方角へ運び始めた。

 少しずつ山深くなっていく景色の中に、巨大な湖水が姿を現した。時折樹影に紛れながら、その広範な水面は幾ら進んでも絶えることがない。雫石川との境目にダムを有するその湖は、御所湖と称するらしい。我々を乗せたバスは湖水の縁に沿って延々と西方へ向かい、つなぎ温泉の旅館の群落を左手に見ながら通過して、どんどん山奥へ分け入っていく。

 やがて到着した我々の泊まるホテルは、広大なゴルフコースに隣接していて、敷地の中に四季の花々が咲き誇る庭園を備えていた。ロビーに入ると、前夜に泊まった盛岡市内のビジネスホテルとは比較を絶した広大で立派な眺望が視界を圧倒した。夥しい数のソファと、絨毯を張った緩やかな螺旋状の階段があり、ロビーの床に穿たれた水路には数匹の鯉が悠然と泳いでいる。背の高い女性の係員に案内され、四階の露天風呂付き客室へ通されると、正面の窓から遠くの夏山が見渡せた。荷物を下ろし、座卓の上に置かれた茶菓の塩羊羹を一つ平らげる。娘が欲しがるので少し千切って口へ運んでやったが、余り好みではなかったらしい。

 居間の障子を開け放つと、硝子越しに浴室が出現した。檜だろうか、木製の湯舟に掛け流しの温泉が滾々と注がれて、縁から濫れ出ている。白い玉砂利の敷かれた向こうは隔てのない露天の眺望で、夕暮れの山並みが幾つも連なっている。食事の前に汗を流すべく、我々は仲良く風呂へ入った。妻が洗髪を卒えるのを待つ間、先に湯舟へ躍り込んだ私と娘は、小さな盥と白い樹脂の湯掻き棒を用いて遊んだ。最初は熱く感じられ、冷水を足していた温泉も、慣れれば快適で、殊更に冷ます必要もなくなった。小さな娘は温泉に浸かることよりも、湯掻き棒を振り回すことに夢中である。途中、丈の低い踏み台に登っているとき、湯舟から濫れた湯に足許を掬われ、娘は転んで浴室の床に押し流された。しかし涙一滴零さずに平然としている。両親に似て、意地っ張りな娘である。

 湯浴みを卒えて、別館の地階にあるレストランフロアで夕食を取る。創作和食のフルコースである。私は食べ物の好き嫌いが劇しく、特に魚介類に関しては、魚以外のものは殆ど好んで食べない。けれども折角高い金を払って頼んだ料理である。成る可くなら挑戦して、意外に旨いものだという感想に達したい。

 だが、帆立や海鞘は流石に食べることが出来なかった。私は見た目がグロテスクなものに箸をつけることが苦手で、海鞘なんてとんでもない。イメージだけで、もう無理なのだ。帆立は風味が嫌いで、小学生の頃、給食の八宝菜に含まれている干した貝柱を嗚咽しながら嚥下していたほどである。仕方なく、帆立も海鞘も妻に引き取ってもらった。娘はホテルの出してくれた御飯と味噌汁の他に、フェザンの食品フロアで購入した塩味の唐揚げを食した後、食卓の周りをうろうろと歩き回りながら、時折我々の料理に関心を示して、その一部を頬張った。二歳児には贅沢な夕餉である。

 窓際の席だったので硝子越しに、ホテルに隣接する庭園のイルミネーションが見える。食卓に着く客の数は疎らで、辺りは閑寂な空気に占められている。私は銀河高原ビールというのが気に入り、普段は滅多にビールを飲まない質であるのに、グラスを三杯も空けてしまった。適度に酔っ払って、非日常の安らぎに耽溺する。食後は、黒服の男性が娘の為にアイスクリームを用意してくれた。膝に抱え上げて、少量のアイスを食べさせる。食事が済むと、我々は本館二階の大浴場の傍にある「おまつり広場」という空間へ移った。

サラダ坊主風土記 「盛岡・小岩井」 其の三

 盛岡旅行の二日目は、小岩井農場へ遊びに行く計画であった。朝の九時に盛岡駅の東口を発車する路線バスに搭乗せねばならない。早起きしてホテルでビュッフェ形式の凡庸な朝食を摂り、チェックアウトの手続きを済ませて、晴れ渡った午前の街並へ繰り出す。

 バスの案内所で小岩井農場までの片道のチケットを買い、一〇番線の乗り場に並ぶ。やがて到着したのは、内部に座席がぎっしりと列なったマイクロバスのような車体で、畳んだベビーカーを保管するスペースもない。観光バスのように大きな荷物を格納するスペースもサービスもない。この予想外の成り行きには閉口した。幸いにして車内は空席が目立ったので、二人掛けの座席の片側にベビーカーを捻じ込むことにした。

 バスは雄大雫石川の流れに沿って国道を走り、緩やかに迫り上がる地面を踏み締めて、徐々に山奥へ分け入った。途中、JR小岩井駅の駅舎を経由する。如何にも辺鄙な土地に相応しい、小振りで簡素な駅舎である。千葉の田舎にも、こういう駅舎は沢山ある。曲がりくねる山道を登り、やがてバスは広大な駐車場へ辿り着いた。「小岩井農場まきば園」の表玄関である。切符を買って改札を通り、緑色に燃える芝生の広がる園内へ足を踏み入れる。未だ十時にもならないというのに、陽射しは既に灼熱の温度である。

 正門を入って直ぐの場所で、中年の女性がタオルで汗を拭いながら客を待ち受けている。傍らには乳牛の柄の長椅子があり、愛らしい縫いぐるみが整列している。要するに記念撮影をして、カメラマンの撮った写真を売りつけようという商いに従事しているのである。無論、我々はその誘惑に引き摺り込まれた。私は写真を撮られるのが余り好きではないが、こういう場面で写真撮影のチャンスをスルーするという選択肢が妻の脳内に存在していないことは理解している。従って、拒絶という選択肢はない。娘を膝に抱えて、眩しい青空に眼を細めながらファインダーを見凝める。仕上がった写真の中の娘の顔は、頗る不機嫌そうに見えた。起き抜けで未だ調子が出ないのである。

 暑さに堪えかねて、未だ何もしていないのに早速ジェラートを喰らう。遮るもののない農場の芝生は青々と萌えて、陽射しに燦々と灼かれている。その芝生の周辺を周遊するトラクターが運行されていたので、とりあえず乗る。ドライバーの女性が園内の簡単な説明を行なう。遊歩道で繋がれた隣の敷地に牛舎があり、別のトラクターでそこまで連れて行ってくれるらしい。徒歩で向かうと十五分余りの時間を要するという。到底、この暑熱の中でベビーカーを押して十五分も歩く気力はない。未だ午前中なのに、既にない。我々はトラクターに乗って、ゆっくりと隣の敷地へ移った。忽ち、動物の臭気が膨れ上がって我々の鼻腔を悉く塞いだ。古びた牛舎が幾つか見える。

 娘を抱えて、大きな換気扇の回転する乳牛用の牛舎に入る。どの牝牛も夢中で飼葉を喰らい、喉を鳴らして水を飲んでいる。噎せ返るような獣の臭いが充満している。娘はそれほど動物の生態に関心を示さず、直ぐに「いこ」と呟いて移動を促す。別の牛舎には仔牛の群れがいたが、それにも余り興味を持とうとしない。空調の利いた小さな記念館に入ると、そこでは嬉しそうに走り回っている。

 一通り見物してから、再び現れたトラクターに乗って元の敷地へ引き返す。農場の運営する大きなレストランで早めの昼食を摂ることに決めた。要するに暑さに堪えかねたのである。午前のレストランは未だ昼時の混雑を迎えておらず、涼やかに閑散としていた。私はデミグラスソースのオムライスを、妻はトマトソースのオムライスを、娘はキッズプレートを注文した。序でにハロウミチーズのステーキという珍しい品物を頼む。咬み締めると弾力があって、洋風の練り物のような味わいである。なかなか美味しい。乳製品ゆえのコクを感じる。

 食事の後は土産物を商う売店を暫し冷やかして、再び夏の陽光が降り注ぐ農場へ舞い戻った。アスレチックなどの遊具が設置された場所に差し掛かると、娘が俄然好奇心を掻き立てられて騒ぎ出す。シーソーや滑り台やブランコで遊ぶと、大汗を流しながら満面の笑顔で声を立てて歓ぶ。彼女が熱中症にならないか、不安で仕方ない。

 園内の片隅にはトロ馬車というものがあった。軌道を敷設して、その上を馬車が進むのである。馬車鉄道とも称するらしい。中年の物静かな男性が馭者を務め、環状の軌道を、虫除けの白い布に胴体を覆われた巨大な馬の曳く客車に揺られて一周する。途中、馭者が何かの気配を察知して塵取りのようなものを取り出し、老い牝馬の臀部に宛がった。やがて尻の穴から夥しい量の尿が濫れ出した。それを塵取りで受け止めるのである。娘は眼を丸くして「おしっこしてるね」と言った。再び馬が歩き出すと、馭者は塵取りを少しずつ傾けて、軌道の脇に尿を捨てていた。

 来た道を引き返し、再び暑さを避けて今度は喫茶店へ入った。アイスコーヒーと一緒にチーズケーキを食する。娘は冷たい新鮮な牛乳をごくごく飲んだ。日焼けした顔に汗が滲んで、如何にも快活な子供の顔をしていた。

理想と現実、論理と情熱、厖大なる「空虚」 三島由紀夫「宴のあと」

 未だ「鏡子の家」に関する感想文を書き終えていないのだが、三島由紀夫の『宴のあと』(新潮文庫)を読了したので、記憶が褪せる前に記録を遺しておきたいと思う。

 日本における「プライヴァシーの侵害」という法律的闘争の先駆的な事例という枕詞が何時でも付き纏う為に、不当な偏見を通じて眺められることも多いのではないかと思われる「宴のあと」は、そうした社会的な要素を洗い流して繙読してみれば、実に巧みで秀逸な作品である。公刊の当時は、他人の醜聞を仔細に詮索するような積りで、つまり誇大な野次馬根性に衝き動かされて物語を追った読者も少なくなかっただろう。しかし、そういう通俗的な関心を持ち難い後世の読者の眼にも、この「宴のあと」という小説は魅惑的な感銘を授けるに違いない。

 この作品を、日本的な政治の現実を鋭く剔抉したものであるとか、恋愛と政治との相剋を巧みに描き出したものであるとか、そういう具合に評価するのは、行き届いた解釈であるとは言い難い。無論、頗る大雑把に図式を拵えれば、この作品において描かれているのは、廉直な理想主義を掲げる野口雄賢の「革新」と、情実と欲望に塗れた現実主義を信奉する福沢かづの「保守」との複雑な絡み合いと決裂の顛末であると言い得るかも知れない。少なくとも、新潮文庫のカバーに綴られた「恋愛と政治の葛藤」という要約の文言は適切ではない。「宴のあと」において「恋愛」と「政治」は重層的に複合している。換言すれば、作者は「恋愛」と「政治」を同一の次元に封じ込めた上で、犀利な知的解剖を施しているのである。

 尤も、恋愛の政治的性質を解剖するなどということは、作者にとって聊かも目新しい挑戦ではない。早くからフランスの心理小説の伝統に親しみ、その日本的な移植を幾度も試みてきた三島が、華々しい文学的成功の累積の涯に猶も、鍛え抜かれた名人芸を披瀝するだけで、夥しい讃辞に肥大した己の野心を充分に満足させられたとは思えない。同時代の社会的事件に取材し、精緻な心理的駆け引きの百面相を綿々と描写する自家薬籠中の造作の端々に、彼が今まで様々な作品を通じて取り組んできた「虚無」の主題が、油脂の如く滲んでいることを看過すべきではない。

 恋はもう私の生活を擾さない、……かづは靄のかかった木の間からさし入る荘厳な日ざしが、径のゆくての緑苔を、あらたかにかがやかすのを見ながら、こういう確信にうっとりした。彼女が色恋と離れてしまってからもう久しかった。すでに最後の恋もとおい記憶になり、自分があらゆる危険な情念に対して安全だという感じは動かしがたいものになった。

 こんな朝の散歩は、かづの安全性の詩だったのである。年は五十あまりだが、美しい肌と輝く目を保った身ぎれいな女が、こうして広い庭の朝をそぞろ歩く風情を見たら、誰しも心を搏たれて、何かの物語を期待するにちがいない。しかし物語は終り、詩は死んだことを、誰よりも知っているのはかづ自身である。もちろんかづは自分の裡の鬱勃たる力を感じている。同時にその力がすでにたわめられ、御せられて、決して羈絆を脱して走り出したりしないことをよく知っている。(『宴のあと』新潮文庫 P8)

 これは「鏡子の家」に描かれたような空虚な青年たちとは異質な境涯、既に充分な社会的栄達を手に入れ、恵まれた余生が黙って拱手していても自ずと転がり込んでくる富貴な境涯である。だが、そのような富貴の立場が、如何なるニヒリズムとも無縁であると言えるだろうか? 人間の精神を蝕む「虚無」の邪悪な毒性は、社会的栄誉などという不確実な証文によって駆逐することが可能だろうか?

 もう永いこと、かづは盲目になった経験がない。何もかもこの庭の朝の眺めのように、明澄に見晴らしが利き、すべてがくっきりした輪郭を伴ってよく見え、この世にはあいまいなところが一つもない。人の肚の中も全部見透しのように思われる。もう愕くべきことも、そんなにたんとはない。人が利害のために友を裏切ったときいても、ありがちなことだと思うし、女に迷って事業に失敗したときいても、よくあることだと思う。ただ自分がそんな目に会わないことだけは確実なのである。

 かづは人から色事の相談をもちかけられると、てきぱきと巧い指示を与えた。人間心理は数十の抽斗にきちんと分類され、どんな難問にもいくつかの情念の組み合せだけで答が出た。人生にそれ以上複雑なことは何もなかった。それは限られた数の定石から成立ち、彼女は隠退した名棋士で、誰にも的確な忠言を与えることのできる立場にいた。だから当然「時代」を軽蔑していた。いくら新らしがったところで、人が昔からの情熱の法則の例外に立つことができようか?(『宴のあと』新潮文庫 P9-P10)

 しかし現実には、限られた駒の組み合わせである筈の将棋は未だにその全容を解明されておらず、況してや人間の錯雑した心理を有限の関数の絡まりに還元することなど出来る訳がない。こういう言種から、私は坂口安吾の「老成の実際の空虚」という言葉を想起する。結局のところ、こうした明澄な視野は、不透明な現実の側面を捨象することで、辛うじて保たれているに過ぎない。つまり、かづの「安全性の詩」は単なる暫定的な偶然の賜物に他ならないのである。

 意地悪な作者は、かづの身柄を安全な領域から、政治と恋愛の渦中へ突き落としてみせる。野口に対する慕情に身を焦がし、同じ墓に眠るという抹香臭い幻想の虜と化したかづは、降って湧いたような都知事選挙の騒乱に己の一切合財を投じて、総てを失う。革新党の高潔な理想主義が、保守党の腐臭芬々たる金権政治に敗北を喫したことは、錯雑した現実の部分的な断面に過ぎない。それを「日本の非政治的風土を正確に観察した」と評価するのは、外国の「政治的風土」に対する憧憬か、或いは迎合的な配慮の反映に過ぎない。重要なのは、かづが再び「盲目」の境涯へ向かって跳躍し、世界の可塑的な性質を体感することである。物語の冒頭において「かづは今やこの庭に対するように、人間や世間に対している。そればかりではない。彼女はそれを所有しているのだった」(『宴のあと』新潮文庫 P11)と綴られている彼女の明澄な視野は、様々な事件を経由して情熱的な「盲目」の境涯を恢復する。

 かつて小さく折り畳まれていた庭は、水中花のようにみるみる拡がって、謎や不可解に充ちた広大な庭になった。そこには植物や鳥の気ままだが静かな営みがあり、かづの知らないことがいっぱいあって、今日かづがその一つを庭から持ち帰り、少しずつ自分のものにして、小さな薬研で挽き砕き、……掌に指に、薬をまさぐるようにまさぐって試してみても、新鮮な未知の原料はいっかな尽きず、かづを無限に富ましてくれるだろうと思われた。(『宴のあと』新潮文庫 P255)

 この簡潔で明快な小説が、作者の技巧的熟練を随所に感じさせる傑作であることを、最後に附言しておく。

宴のあと (新潮文庫)

宴のあと (新潮文庫)