サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

小説「月影」 16

 犬吠埼から帰った後も、地面から浮き上がったような落ち着かない感覚は一向に衰えず、両親に向かって恋人を紹介したいと告げたときも、私は湧き上がる無邪気な笑顔を抑えることが出来ませんでした。夏休みが終わる前に、週末を選んで岩崎さんを昼食に招く段取りが決まりました。
 けれども、その年の九月は、病身の私にとっては生涯で最も苛酷な季節となりました。新月の晩は随分と穏やかに症状が落ち着いていた代わりに、その後の増悪の劇しさは生き地獄のようなものでした。十五夜の満月を待たずして、私の耳鳴りは刻々と荒れ狂い、犬吠埼のデート以来、まともに外出する機会すら得られませんでした。普段なら昼間は寛解を示すことが多かったのに、酷いときには終日、気の狂いそうな耳鳴りに全身を責め苛まれることもありました。この調子で、本当に岩崎さんと結婚して、彼の人生を支えてあげられるのか心許なく、それでも幸福な未来への憧れは捨て難くて、かつてのように重苦しい絶望の瘴気に精神を蝕まれる日も増えてしまいました。嘔気はきけを堪えて母親の運転する車に乗り込み、大学病院の主治医に夥しい種類の薬を処方されても、根本的な改善は得られず、私は挫けそうになる魂を叱咤して、一日一日を苛酷な修業のように過ごしました。そして遂に、呪わしい十五夜の月が、私たちの暮らす街並の上空に、赫灼と昇る刻限が到来したのです。
 深更に耳鳴りが極限の増悪に至ることは予め分かっていましたから、その日、私は朝から一歩も外を出ず、不測の事態に備えて両親も仕事を休んで在宅していました。余りに症状が酷いとき、私が結婚を申し込まれた歓びさえ忘れ去って、いっそ死んでしまいたいと危なっかしく口走ったことがあり、両親は大事な一粒種の愛娘が、一歩間違えれば自ら首を吊って冥途へ旅立ってしまうのではないかと本気で心配し、私の一挙手一投足を警戒していました。私は自室に籠り、サウンドジェネレータの音量を極限まで高めて、本を読んだりテレビを眺めたり、無為の時間を送りました。岩崎さんは弓道の練習に出掛けている筈でしたが、容態を気遣うメッセージが一時間おきに届いて、私は微かな慰藉を感じました。
 それでも、どんな労わりの言葉すら吹き飛ばしてしまうような劇しさで、忌まわしい耳鳴りは悪化の一途を辿っていきました。黄昏が迫った時点で、その不快な響きは鼓膜を劈くように高鳴り、夕食を摂る余裕さえ失って、私は蒲団に包まって必死に奇蹟的な寛解の訪れを祈っていました。たとえ儚く無益な願いであっても、何かしら自分自身を欺く方法を編み出さなければ、本当に発狂してしまいそうな気分だったのです。
 絶え間ない潮騒のような耳鳴りと格闘する裡に、私の肉体は疲労困憊して、夢と現実との境目は徐々に妖しく揺らぎ始めました。ずっと瞼を閉ざして歯を食い縛っていた所為で、自分が今目醒めているのか、それとも不快な夢に溺れているのか、精確な判断を保つことが難しくなっていきました。堆く募った疲労夢魔を呼び覚まし、耳鳴りがそれを妨げます。その果てしない反復は、まるで残虐な拷問のような仕打ちでした。
 それでも、知らぬ間に私は眠りに落ちていたようです。水溜りのように浅い眠りが、耳鳴りの僅かな間隙を縫って、疲れ果てた私の憐れな躰を浸していたのです。不意に瞼を開いて、曖昧な覚醒と微睡みの中から辛うじて這い出したとき、私は閉ざされた室内が異様な明るさに包まれていることを知りました。閉て切られたカーテンを透かして、夥しい光の洪水が、床に敷かれた絨毯や小さな本棚の縁を照らしています。私は起き上がって、目映い光の源に視線を送りました。
 耳鳴りは未だ続いていましたが、それは今まで満月の夜に必ず奏でられていた不愉快で残酷な響きとは異なり、穏やかな虫の翅音のように、柔らかく私の鼓膜に打ち寄せているだけでした。頭蓋骨の軋むような苦痛は何処か遠くへ去っていました。何かに誘われ、導かれるように、まるで夏の街燈に惑わされる蝙蝠のように、私は寝台を降りて、カーテンで隠された硝子窓に歩み寄りました。誰かの声が聞こえる、と私は思いました。それは明瞭な言葉ではなく、不可解な信号の波動のように、繰り返し同じ一つのメッセージを訴えていました。
 そのとき、背後の扉が開きました。私は振り返ろうとしましたが、どうしても頭を動かすことが出来ず、視線をカーテンの向こうの光源から逸らすことも出来ませんでした。聞き慣れた男の人の声が鼓膜に触れましたが、それが父の声なのか、それとも岩崎さんの声なのか、判別することさえ困難な状態だったのです。兎に角、その声は確かに私の名前を呼んでいました。けれども、私の名を、私の存在を呼び寄せる声は、それ一つだけではありませんでした。硝子戸の彼方からも、懐かしい呼び声が何度も、潮騒のように轟いていました。私はその強烈な誘惑に抗う術を持ちませんでした。半ば自動的に両腕が伸びて、分厚いカーテンの切れ目に指先が入りました。そのまま縁を掴んで一気に開け放った瞬間、私のか細い意識は、決壊する光の洪水に呑まれて、立ち所に消えてなくなりました。

小説「月影」 15

 九月の下旬まで続く厖大な夏休みの間、私たちは疎遠だった時期の物哀しい欠乏の記憶を埋め合わせるように、まるで夏の間だけ姦しく騒ぎ立てる油蝉のように、頻繁に二人きりの時間を重ねました。夏の選抜大会を終えて躰の空いた岩崎さんは、私を色々な場所に連れ出してくれました。彼のお父さんの車を借りて、箱根で一泊したこともあります。岩崎さんの御両親は、俄かに色気づいて忙しそうに日々を過ごす息子のことを軽快な冗談で如何にも愉しそうに揶揄するらしく、その度に彼は不機嫌な表情で私に向かって愚痴を零しましたが、間接的に話を聞いている限り、要するに御両親は自分たちの息子が行き過ぎた堅物ではないことを知って安心し、私たちの関係を密かに祝福してくれている様子でした。そのことは、私にとっても喜ばしい事実でした。何れ紹介するけれど、今は未だ恥ずかしくて気持ちの準備が整わないと、少し子供っぽい口調で嘯く岩崎さんの横顔にも、仄かに誇らしげな輝きが滲んでいて、私はしみじみ、この絆の再生を諦めずに待っていてくれた彼の心意気に感謝しました。
 それでも相変わらず、耳鳴りの症状は続いていて、しかも満月の夜の病状は一際、堪え難いほどに劇しく昂るようになっていました。そんなときは、岩崎さんの温厚な声を電話越しに聞き取ることさえ出来ません。サウンドジェネレータの治療音を幾ら大きく調節しても、焼け石に水です。孤りきりで灯りを消した部屋の枕に顔を埋め、二つの耳を掌で荒々しく抑え込んでも、頭蓋骨の内側に反響する数珠を繰るような響きは一向に和らぎません。そういうときは何も考えられず、日頃の生活から切り離されて、誰もいない水甕の奥底に閉じ込められたような暗澹たる気分に陥ることしか出来ませんでした。
 九月の朔日、症状の和らいだ私は、岩崎さんの車で犬吠埼へ出掛けました。早朝に出発し、果てしなく続く国道を東に向かって直走り、犬吠埼燈台から夕焼けの太平洋を眺める計画です。八月の満月の耳鳴りが殊の外酷く、私が随分苦しんでいたことを知った岩崎さんが、少しでも気晴しになるようにと考えて、私が以前から一度行ってみたいと話していた犬吠埼までの遠出を発案してくれたのでした。燈里と燈台って、何だか神秘的な因縁がありそうじゃないかと、岩崎さんは優しい口調で言いました。漢字が被ってるだけでしょと素気なく反論すると、燈台が船の道標なら、燈里は俺の人生の道標だと、彼は真顔で口にしました。余りに「くさい」科白だったので、却って私の方が恥ずかしくなりました。でも、そんな風に言われて、馬鹿な男だと思いながらも、決して悪い気はしません。
 岩崎さんは、犬吠埼に程近い場所にある小綺麗な旅館の一室を予約してくれていました。車と荷物を宿に預けて、強い潮風に吹かれながら、私たちは日没の迫る高台への道を並んで歩きました。駐在所の前を通り、高浜虚子の句碑が佇む緩やかな坂道を登って、私たちは素朴な外観の白い燈台を行く手に仰ぎました。
 第一等フレネルレンズを用いた骨董品の投光器を見物して嘆声を上げてから、私たちは肩を寄せ合って肌寒い展望台へ登りました。五時半の残照が、荒々しい波頭を一面に粒立たせて、宝石を撒いたように優美な景色を形作っています。円形の手摺に凭れて、人影の絶えた海辺を眺めている間、私は何故か郷愁のような感情に心の奥底を締め付けられていました。美しいけれど荒涼とした海景に、突き出した岩根にぶつかって砕ける波濤の無機質な律動に、得体の知れない不安を掻き立てられたのかも知れません。岩崎さんと会話することも忘れて、私は眼前に広がる日没の光景に魂を吸い込まれていました。夕闇は刻々と深まり、六時を過ぎると辺りは夜の帷に覆われて、海とは反対の方角に僅かな紫色の影が、日の名残りとして蟠っているだけの状態に移り変わりました。
 肩を叩かれて、私たちは潮風に悴んだ指先を結び合わせて階段を降りようとしました。そのとき、岩崎さんが不意に、静かな口調で言いました。
「今度、俺の親に会ってくれないか」
 突然のことで、私は岩崎さんの真意を一瞬、不器用にも掴み損ねました。
「いいけど、どうして急に?」
「馬鹿なことを言うなよ」
 昔、弓道場でバスに乗り遅れた間抜けな私に向かって見せた呆れ顔が、そのときの岩崎さんの表情と重なりました。
「決まってるじゃないか。君と結婚したいんだ」
 思わず立ち止まって、私は言葉を失いました。吹き荒ぶ冷たい潮風だけが、顫える躰の理由ではありませんでした。驚きと当惑と歓びが、複雑な組成を描いて、私の体内を迅速に駆け巡りました。
「直ぐに答えてくれなくてもいい」
 絶句する私の沈黙に堪えかねたように、岩崎さんは顔を背けて、螺旋階段に靴の尖端を向けました。その背中に慌てて縋り、私は息を呑みました。
「御願いします。私の両親に、会って下さい」
 そのとき振り向いて此方を見凝めた岩崎さんの榛色の瞳を、私は最後まで忘れることが出来ませんでした。

小説「月影」 14

 駅前の如何にも古びた雑居ビルの、火災が起きたらどうやって逃げ出せばいいのか不安になるような狭苦しい空間の中に間借りしたその喫茶店は、夕暮れの賑わいに包まれて、エスプレッソマシンが騒がしいスチームの叫び声を響かせ、カップの触れ合う硬い音が幾重にも折り重なって、耳鳴りに悩まされる暇もないような有様でした。久し振りに顔を合わせた岩崎さんは、前よりも少しやつれたように見えました。僅かに伸びた無精髭の陰翳が、店内を彩る薄暗い橙色の燈光を浴びて、一層濃密な暗さを際立たせていました。私はサウンドジェネレータのスイッチを切り、鞄の中に丁寧にしまって、岩崎さんの榛色の瞳を正面から見凝めました。
「外しても平気なのか」
 私の動作を見咎めて、岩崎さんが慎重な口振りで訊ねました。
「どうせ煩いですから。だから、わざわざ耳鳴りを消さなくても大丈夫。それに今日は、割と調子が良いんです」
「それなら良かった。前よりも、明るい顔をしてる」
「ありがとう」
 適切な距離を測りかねて、互いの胸の海底に向かって錘を沈め合うような会話も、そのときの私にとっては決して苦痛ではありませんでした。旋風に吹き飛ばされるようにして剝離したつがいの心をもう一度縒り合わせる為の、臆病なほどに慎重で繊細な作業という印象を享けましたし、昔の誼に甘えるように土足で踏み込もうとしない岩崎さんの優しさに、私は密かな感謝を捧げていました。そもそも彼の好意を蹂躙したのは私の罪で、それでも岩崎さんは何一つ恨み言を口に出そうとはしませんでした。
「もう会ってもらえないかと思っていたんだ」
 彼は穏やかな口調で、コーヒーカップのハンドルを柔らかく握ったまま、僅かに視線の先を俯けて言いました。まるで溜息のように繊弱な響きが、私の鼓膜に優しく触れました。
「ずっと自分のことばかり考えて、冷たく振舞って、ごめんなさい」
 私も彼と同じように、卓子の艶やかな木目に眼差しを落とした状態で、呟くように言いました。
「いや、仕方無いと思う。俺だって同じ立場だったら、とても苦しんだだろう」
「でも、私の苦しみを、貴方を苦しめる理由に使うべきじゃなかったと、今は思うの」
「そうやって今、思ってくれるなら、それ以上の望みは、何もないよ」
 それほど多くの言葉が費やされた訳でもないのに、私は心と心が直に接しているような、滑らかな交流の温もりをひしひしと実感していました。それは劇しい感情の昂揚とは無縁でしたが、その代わりに脱脂綿に吸い込まれていく透明な液体のように、柔らかな感情の断片が静謐な律動を保って、御互いの心の中を行き来しているように感じられました。眦が潤むのを、私は頻繁な瞬きで堪えました。こんな場面で、紅茶に融け入る角砂糖のように頼りなく涙を流すのは、身勝手な自己憐憫でしかないと思ったからです。そもそも彼の恋心に残酷な冷水を浴びせたのは、降って湧いた病に魂を蝕まれた私の側の一方的な都合です。不器用でも、労わりと慰めの手を差し伸べようとしてくれた彼の配慮を乱暴に振り払ったのは私の罪です。涙を流したいのは、本当は岩崎さんの方だったのではないでしょうか。
 湿っぽい会話に飽きて、私たちは主題の定まらない多彩な雑談に耽りました。窓硝子の向こうに群青色の夜が広がり、目映いネオンの灯が複雑に交差する時刻になっても、私たちの会話は途切れることを知らず、今まで抑圧されていた無数の想いが弾けるように次々と言葉に置き換えられていきました。荼毘に付される日を待つばかりだった言葉の屍たちが、続々と甦って明るい陽射しの滾れる街路を再び歩き出したような感じでした。その夜の私たちは、紛れもない幸福の渦中にいました。新月の御蔭で、日が落ちた後も耳鳴りは脆弱な症状に留まっていました。もう一度、最初から始められるのだと私は思いました。決して諦めずに、燃え尽きる気配の見えない持病と付き合い、不完全な現実を完璧な理想と引き比べる不毛な習慣を絶ち切れば、些細だけれど堅実な幸福の時間が、ちゃんとこうして手に入るのだと思いました。
 お店を出て、賑やかな駅前の道を歩きながら、私は未だ帰りたくないと強く感じました。満月が近付いて耳鳴りの症状が悪化する時期には、どうせ夜遊びなんて出来なくなるのです。新月の夜くらい、我儘を言って誰かを困らせたり、親を呆れさせたりしてもいいじゃんと、悪戯っぽいエゴイズムが蛇のような眼を開きました。
 御互いに奥手な性格だったので、それまで私たちは、たった数回しか裸の躰を重ね合わせた経験がありませんでした。親しい友達に問い詰められて、誰にも言わないでねと煩く前置きしてから、その類の話をすると、決まって「初心うぶだね」と笑われるのが長い間の慣習でした。けれども、その晩の私は、日頃の根深い羞恥心を神様に取り上げられたかのように、少し大胆な気分になっていました。思い切って岩崎さんの腕に縋ってみると、人前でじゃれ合うことが苦手な岩崎さんの躰が反射的に強張るのが分かりました。
「未だ帰りたくないです」
 何処かで習い覚えた科白を、仄かに上擦った声で滑らせると、岩崎さんは困った表情を浮かべて、けれども私の腕を強引に振り払おうとはしませんでした。

小説「月影」 13

 私を拾ってくれた奇特な私立大学は、世田谷区と杉並区の境目に、古びた住宅街に囲まれて、広大な敷地を構えていました。市川の実家から、御茶ノ水と新宿で乗り換えて、片道一時間ほどの行程です。長い春休みの間に、私はサウンドジェネレータを装着した状態で、意識的に重たいお尻を持ち上げ、勇気を奮い立たせて外出する訓練に励みました。未だ肌寒い三月の上旬、通学の予行演習として、京王線の下高井戸駅まで意を決して孤りで足を延ばしたこともあります。
 少なくとも日中の時間帯に関しては、サウンドジェネレータの医学的な威力は充分な恩恵を私に授けてくれることが、その春休みの個人的な「修業」を通じて判明しました。折々の耳鳴りの程度や、自分自身の精神的な状態に応じて、音量や音質をきめ細かく調整しながら、私は少しずつ、人工的な音波に鼓膜を委ねる生活の枠組みに馴染んでいきました。機械の形状は聊か無骨ですが、イヤホンを帯びて街中を行き交う人々の姿は有り触れているので、私のサウンドジェネレータが見知らぬ他人の訝しげな視線を浴びることは殆ど皆無と言って差し支えないほどでした。中には私のことを、若くして難聴を患う不幸な少女と誤解して、此方が戸惑うほど親切に接してくれたり、労わるような寛大な微笑を贅沢に投げ掛けてくれたりする方々もいました。それは私が今まで想像もしなかった、過分な温もりに満ちた現実でした。薄暗い部屋に閉じ籠り、あらゆる熱意や関心と冷淡に絆を絶ち切って、恋人の愛情さえ粗雑に扱って顧みなかった頃には、そんな待遇が自分を待ち受けているとは少しも考えたことがありませんでした。自分が無力な存在であるという事実に打ちのめされて、立ち上がることも動き出すことも叶わず、そんな私を周囲の人々も冷ややかな奇異の眼で眺めていると、一方的に思い込んでいたのです。言い換えれば、私は鏡のない部屋で、漆黒の暗闇に向かって勝手に想い描いた歪んだ自画像に怯え、その反動のように四囲の世界を憎んでいたのです。
 入学式を終えて、私は積極的に周りとのコミュニケーションを図りました。原因の分からない耳鳴りに悩まされて、それをこのイヤホンのような機械で緩和しているのだという話を、成る可く屈託のない華やいだ表情と明朗な口調で伝えるように心掛けました。腫物を触るような遠巻きの扱いを、初対面の人たちに強いることで、望みもしない垣根を築き上げてしまうような成り行きを絶対に避けたいという想いがあったのです。此方から何でもない些細な事柄のように、先手を打って説明する習慣を貫いたことで、学友たちは穏やかに心を開き、私の個人的な苦悩に適切な共感を捧げてくれました。それだけでも、暗い部屋に閉ざされた冬の日々に比べれば、私は遥かに幸福でした。
 しかし残念なことに、耳鳴りの病状は決して目覚ましい改善を示そうとはしませんでした。新月の朝に最も静謐な寛解に至り、満月の夜に向かって徐々に劇しさを募らせていく奇怪な律動も、変わらずに保たれていました。定期的な投薬、入念な問診、眠れない夜更け、それらの反復は、私の人生と分かち難く結び付き、母親と胎児のように絶対的な融合を遂げつつありました。しかも私の実存的な融合は、十箇月後に予定される分娩のような終着駅を期待することさえ許されないのです。その厳格な事実が齎す不安と絶望は、新しく作り上げた友情の環に抱かれて、和やかに談笑している時間の中でも、微かに顫える毛細血管のように、絶えず私の意識の片隅を刺激し続けていました。部屋のカレンダーに月の満ち欠けを記す習慣も廃れませんでした。幾ら逃げ出そうと思っても、耳鳴りの予兆は常に私の肉体の内側を駆け巡っていて、定刻になれば、束の間の夕凪を覆すように必ず私の耳許に帰ってくるのです。それはまるで意地悪な運命のように、決して私という獲物を手放そうとしませんでした。気休めに過ぎないサウンドジェネレータを耳の孔から毟り取って、アスファルトの舗道に叩きつけてやりたいという衝動に駆られたことも、一度や二度ではありません。しかし、そういうマイナスの感情に呑み込まれることは、再びあの薄明の部屋へ舞い戻り、閉ざされた冬の記憶の深みに溺れることを意味していましたから、私は歯を食い縛って、迫り上がる破滅的な情熱に抗い続けました。不幸な宿命に屈して、無辜の他人を恨んで、無意味な傷口を幾つも開かせるような真似は、もう二度と繰り返してはいけないと自分自身の魂に向かって誓っていたのです。
 久々に岩崎さんから連絡が来たのは、ゴールデンウィークの到来を間近に控えた頃でした。はっきり別れるとも別れないとも決めないまま、関係の行方を店晒しにしていた罪悪感に気圧されて、私は大学入試に合格したことさえ、彼に伝えていませんでした。互いの近況を報せる簡単な遣り取りの後で、君の気持ちが落ち着いたのなら一度逢いたい、時間を作ってもらえないだろうかと岩崎さんは言いました。そして私たちは五月の新月の晩に、錦糸町のカフェで待ち合わせる約束を交わしました。

小説「月影」 12

 別れるのならばせめて、きちんと時間を作って互いの気持ちを伝え合い、その上で最終的な結論を出すのが、まともな「御附合おつきあい」をしていると自負する男女の間で守られるべき掟だと、後から顧みれば思うのですが、その冬の私には、一般的な正しさというものに気を配る余裕さえ残っていませんでした。自分自身に襲い掛かった得体の知れない不幸に感情も思考も押し潰されて、他人を思い遣る気力を保つことが酷く困難になっていたのです。そもそも私にはもう、恋するということの意味がよく分からなくなっていました。見知らぬ赤の他人ならば、何の感情も懐かずに恕せるというのに、かつて世界で一番好きだと思えた貴重な人のことが、却って凄く忌まわしい存在のように感じられるのは、とても不条理な話ではないでしょうか。
 恋心が、自分に欠けているものを、他人の取り柄や魅力で埋め合わせようとする情熱ならば、岩崎さんが、身動きの儘ならない私の分もたくさん練習して、弓道の試合で活躍して栄光を浴びることは、私にとっても有難い歓びであるべきでしょう。それなのに、私は無力な自分と輝く彼とを比較して、その落差に絶望し、絶望を煮立てて憎悪や怨恨に変えてしまいました。自分が素気ない態度を取ったことの結果なのに、連絡の疎遠になった岩崎さんのことを、私は薄情な男だと感じて恨みました。彼の愛は、その程度の情熱に過ぎなかったのだと偉そうに品評して、そんな愚かな男と関係を清算したことに、大きな価値を見出そうと足掻いていました。あの人は、少し周りより弓を射るのが上手で、爽やかな好青年の仮面を被っているだけの、単なる詐欺師の一種だと思い込もうとしました。けれども、それもやがて虚しくなって諦めました。それを失ったからと言って、わざわざ過去の想い出まで自分の手で冒瀆したり侮辱したりする必要はありません。墓穴を暴いて亡骸を損なうような惨たらしい行為に、安易に手を染めるべきではありません。
 弓道も天体観測も断念し、生まれて初めての恋心とも疎遠になった代わりに、私は受験勉強に励みました。もともと学業を嫌う性格ではなかったし、耳鳴りの勃発に怯えながら漫然と部屋に籠っているくらいなら、自分に出来ることを何かしら探して取り組むべきだと思い直したのです。とはいえ、私の殊勝な悔悛は聊か遅過ぎて、センター試験まで二週間の猶予しかありませんでした。教科書や参考書の暗記に集中しようと意気込んでも、夜が更けて潮騒のような耳鳴りが襲い掛かれば、意識はどうしても千々に乱れてしまいます。済崩しに消え去った岩崎さんとの関係、それに纏わる複雑怪奇な心情の片鱗も、耳鳴りと共に俄かに、私の魂の深部まで濁流のように押し寄せてきます。寝不足も祟り、昼夜の感覚が麻痺して、この調子では無事に卒業出来るかどうかも危ぶまれるという状況に陥りました。私はこの世界の底辺を這い回っているような気分でした。絶対的に酸素の量が足りず、常に背筋を丸めて喘いでいるような感覚が消えませんでした。
 けれども新月の晩だけは、私は安らかな眠りに溺れることが出来ました。満月の夜に最大の増悪を示す耳鳴りの症状が、まるで月齢の遷移に応じるかのように、新月へ向かって和らいでいくことを、そのときの私はもう明確な法則として自覚していました。子供の頃、飽きずに見入って覚えた朔望の記号を、私は部屋のカレンダーに書き込みました。その記号を指で辿る短い時間、私は縋るような想いで新月の暗い円を見凝め、祈っていました。いっそ月なんか丸ごと永遠に欠けてくれたらいいのに。そうしたら、この不愉快な耳鳴りもきっと夏の驟雨のように、長い人生の一時期を画した束の間の苦難として過ぎ去ってくれるのに。月さえ満ちなければ、失われることのない恋心もあったのに。自分が情熱を傾けられる事柄に対しても、変わらずに真っ直ぐ、本気で向き合い続けることが出来た筈なのに。それが無益な弱音に過ぎないことは勿論、自分でも分かっていました。泣き言が現実を書き換えてくれることはないと、本当は知っていました。不意に、誰もいない孤独な部屋の中で、夥しい涙が濫れ、私の襟首を濡らしました。その涙もまた、無益なものであったかも知れません。それは単なる数条の透明な体液でしかなく、私の悲しみは、追い詰められた動物の示す生理的現象の、一つの典型に過ぎなかったかも知れません。
 悪運が強いと言うべきでしょうか。大した勉強もしなかった割に、私は辛うじて第二希望の私立大学へ進む権利を勝ち取ることが出来ました。十八歳の私の行く手には未だ、歩むべき道程が残されていたのです。入学式までの厖大な休暇の間、私は少しでも未来に向かって踏み出す勇気を奮い立たせる為に、専門医の助言に基づいて、サウンドジェネレータを装着することにしました。不快な耳鳴りから意識の焦点を逸らす為に、小さな治療音を発生させる補聴器のような外観の機械です。不幸な境遇の奥底に蹲って世界を呪詛する生活に、私はもう飽き飽きしていました。どんな手段を駆使してでも、他人からどう思われようとも、私はこの閉ざされた孤独な部屋から、広大な外界へ脱出することを強く切実に望むようになっていたのです。

小説「月影」 11

 時折、罅割れるような不快な耳鳴りを感じるようになったのは、高校三年生の頃でした。鼓膜の表面を何かが引っ掻くような物音が聞こえることもあれば、遠くから等間隔で放たれる不可解な信号のように、同じ響きが断続的に聞こえてくることもありました。前触れもなく、何か特定の場面で必ずその症状が顕れる訳でもなく、それは気紛れなタイミングで私の意識を支配しました。特に日暮れを迎えると症状は劇しく悪化しがちで、外の世界の音が悉く耳鳴りに掻き消されてしまうときもありました。
 両親に相談すると、彼らは非常に心配してくれました。それは少し常軌を逸した過度な動顛の仕方で、直ぐに私は近所の開業医の許に連行され、その診断が曖昧な対症療法に終始すると分かると、父が医者に強硬な談判を試みて、大学病院への紹介状を書かせました。衝立の向こうで操作される立派なオージオメータが、私の鼓膜に様々な波形と強さの信号を送り、詳細な問診が繰り返され、数種類の医薬品が処方されましたが、頑固な耳鳴りは劇的な改善を示さず、寧ろ徐々にはっきりと増悪ぞうあくしていきました。特に満月の夜には、砂浜に佇んで潮騒に耳を澄ましているかのように、耳鳴りは聴覚の領域を隅々まで埋め尽くしてしまい、誰かに話し掛けられても何一つ聴き取れず、騒がしい沈黙と孤独の裡に抑え込まれ、幽閉されているような陰鬱な気分に陥りました。最初にその強烈な耳鳴りに呑まれた夜は、強い恐怖が心臓を圧迫して、今にも気を失ってしまいそうでした。
 両親に限らず、岩崎さんも私の症状の悪化をとても心配していました。眠れない夜半には、本当は電話で岩崎さんの声が聞きたいのに、耳鳴りが酷くて総ての交信を妨げてしまうので、不安と絶望は一層劇しく募りました。送られてくるメッセージの、絵文字を使うことなんて想像もしていないような、無骨な文字の一つ一つが、ぎりぎりの状態に追い詰められた私の孤独な魂を慰める微かな蜘蛛の糸でした。耳鳴りの所為で睡眠が足りず、夜明けが訪れても寝台を抜け出すことさえ叶わない日々が続いて、それまで熱心に打ち込んでいた弓道の練習も、夏休みには毎年欠かさず出掛けていた天体観測の旅行も(その年は確か、天文学部の皆で志賀高原へ遠征する予定でした)断念せざるを得なくなりました。
 春から都内の大学に進んだ岩崎さんは、相変わらず弓道の鍛錬に熱心でした。父方の祖父母から貰った自慢の黄櫨の和弓を携えて、夏の全国大学弓道選抜大会では、チームの準優勝に大きく貢献し、大学から表彰を享けていました。それは勿論、岩崎さん自身が色々な困難を乗り越え、厳しい訓練に堪え抜いて努力を重ねてきたことの成果でしたから、私は素直に尊敬し、また祝福の気持ちを懐いていました。けれども、自分の病状が日毎に増悪して、日々の生活において段々と自由が利かなくなってくると、岩崎さんの輝かしい活躍に対して、或る不穏な感情が滲んでくるのを抑えることが難しくなっていきました。悔しさなのでしょうか。子供っぽいプライドの所為でしょうか。特に耳鳴りが酷くて殆ど一睡も出来ずに過ごした明け方、大学の朝練に出掛ける岩崎さんから、おはようのメッセージが届くときなど、私の胸底に生い立った陰湿な嫉視は、どんな野蛮な攻撃も自分自身に許してしまいそうなほどに切迫して、泣き言や恨み言の種子を育みました。眼裏に浮かび上がる、岩崎さんの雄々しく凛々しい射法八節しゃほうはっせつの型が、思うように巻藁まきわら練習さえ熟せない自分の不幸な境遇を冷然と嘲笑しているような、そういう不合理な被害感情が日夜、滾々と湧き出して止まりませんでした。同時に、かつて憧れ、美しく夢見たものを、自分の都合で憎まなければならない厄介な現実が、私の心を繰り返し傷つけ、刻々と衰弱させつつありました。他人への度し難い妬みと、自分自身への道徳的な嫌悪の狭間で、私はどうやって呼吸し、どうやって生き延びればいいのか、重苦しい時の推移に堪えればいいのか、分からなくなっていました。
 別れた方が良いのかも知れない、好きでいても自分が苦しく、また相手の感情を損なうばかりではないかという疑念が、私の胸の裡を頻繁に去来するようになりました。あらゆる行動が億劫で、耳鳴りの鎮まった日中でも、不意に症状の昂じることが怖く、街中へ出歩こうという気分になれません。日頃、学業と弓道に加えて、飲食店のアルバイトにも忙しい岩崎さんが、辛うじて躰の空いた貴重な時間をデートの為に割いてくれようとしても、疲れ果てた私は、明るい返事さえ吝しんで、彼の気遣いを踏み躙ってばかりいました。冬が来る頃には、岩崎さんからの連絡は途絶えがちになりました。罪悪感と寂しさと、一抹の安堵が、年の瀬の静かな部屋に閉じ籠る私の心を包みました。この苦しみと哀しみから、どうやって抜け出せばいいのか、その答えを明確に示してくれる人は、私の周囲には誰一人として存在していませんでした。

小説「月影」 10

 恋するということは、素敵なものだと、中学三年の夏の私は学びました。普段は暖簾を潜ることのない街角の中華料理屋に岩崎さんと二人きりで入って、一緒に熱い拉麺を啜り、その帰り道、遅くなり過ぎた言い訳を頭の片隅で彼是と組み立てていたら、不意に手を握られ、所謂「告白」という種類の言葉を贈られて、気持ちが動転しながら、それでもここで引き下がったら折角のチャンスを逃がしてしまうと勇気を奮い立たせ、私も同じ気持ちですと伝えて、その瞬間に岩崎さんが照れ臭そうな笑顔を抑えきれなくなったのを見て、私の心の中にも何だか栗鼠のように温かい幸福な鼓動が高鳴ってくる、そういう一連の経緯を通じて、私は恋愛というものに多くの人々が否応なく惹かれていく理由の一端に触れたような気がしました。
 それにしても、恋する気持ちというのは不可解な心の動きです。人は誰も、自分がどんな人やどんな物事を好きになるのか、その明快な基準を事前に持ち合わせている訳ではありません。「恋に落ちる」という言い方が密かに暗示しているように、それは不意に踏み締めた床板が割れて全身が崩落するように、私たちの所属している現実へ走った稲光のような亀裂として、眼の前に差し迫ってきます。誰もそれを上手に制御することなど出来ません。いえ、こんな言い方は少し大袈裟過ぎるでしょうか? 自分の許に俄かに顕れた恋心の情熱を、特別な奇蹟のように、大切に扱い過ぎているでしょうか? それも含めて「恋する」ということであるならば、世の中にこんな美しい幻想が他に考えられるでしょうか。勿論、私の恋心には伏線がありました。私は岩崎さんのことを素敵な先輩だと日頃から感じていましたし、弓道という古風な競技に熱中すればするほど、その優れた先達に対して尊敬の念を強めていくのは当然の心理でしょう。そうやって内圧を高められた尊敬が、例えば熱せられた液体が或る透明な境界線を飛び越えて気体へ変じていくように、特別な好意に発展するのは、この世界の古びた慣習なのだと思います。そうやって絆は結ばれ、世界は色彩を改めて、私たちは特別な関係という領域へ足を踏み入れていくのです。
 けれども物語の始まりの日には誰でも、相手の総てを理解した上で情熱的な恋に落ちる訳ではありません。私たちの眼は、いつも限られた視界だけを捉えています。私は岩崎さんのことを殆ど何も知らないと言っても差し支えない状態で、誰の差し金なのか、きっと信心深い人なら神様の御配慮の賜物だと考えるのでしょうが、兎に角「運命」というものに導かれ惑わされて、そういう秘められた関係の段階へ進みました。「付き合う」という言葉が含んでいる具体的な内訳を、明晰に理解している訳でもないのに、私は岩崎さんの告白にはっきりと同意していました。私は彼のことが特別な男性に見えていました。それは、彼が弓道の上手な男の子だったからでしょうか? 私は中学生で向こうは高校生で、この学年の絶対的な境目が(大人にとっては誤差の範囲に過ぎないとしても)同学年の男子たちには備わっていない年上の貫録を彼に授けているように見えたのでしょうか? 或いは、不器用で女の子に慣れていない雰囲気に安心したのでしょうか。行動は優しいのに、口調や物腰はそんなに媚びるようなものではないという二面性に惹かれたのでしょうか。残念ながら当時も今も、私には確実な答えを導き出す力が宿っていません。
 岩崎さんにとっても私にとっても、単なる秘められた恋心ではなく、明確に訴えられた愛情、包み隠さず表現された愛情を通じて誰かと結び付くことは生まれて初めての美しい経験でした。恋愛に慣れ親しんだ男女のように、露骨な技巧に就いて周りの友達と忌憚なく話し合うという開放的な習慣と、私たちは縁遠いカップルでしたから、関係の進展は蛞蝓よりも鈍間のろまだったと思います。御互いの存在を掛け替えのない恋人と認め合う仲になったというのに、最初のキスを交わしたのは八月の終わり、真夏の錬成大会が済んだ後でした。苛酷な練習が一区切りついて、新学期の始まりまで五日ほどを残した空洞のような時間の中で、私たちは江ノ島まで二人きりで遠出をしました。見慣れた制服でも汗臭い弓道衣でもなく、爽やかな香りの滲むお気に入りの私服を身に着けて、江ノ電の古風な列車に揺られて、夏の終わりの海を見たのです。片瀬の海岸を散策し、飛び交う鷗を見上げ、混雑する砂浜を眺めながら、私たちは御互いの手を握り締めました。微かに指先を絡める方が逆に恥ずかしく、子供のようにぎゅっと力強く繋ぎ合って、汗ばんだ温もりを感じながら、私たちは湿っぽい海風に吹かれる弁天橋を渡りました。きらきらと輝く相模湾には幾つも船影が浮かび、私たちは御伽噺の始まりのように幸福でした。私たちの心は二つとも、恋愛という甘美な幻想の裡に閉じ込められて、どんな擦過傷とも無縁な場所で、軽やかな呼吸に溺れていたのです。