サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

幸福論

サラダ坊主の幸福論 20 セネカ先生のストイシズム(十二)

引き続き、古代ローマの賢者セネカ先生の有難い教えに就いて個人的な感想を認めておきたい。 セネカ先生の幸福論は明らかに、古代ギリシアに発祥した旺盛な哲学的思考の系譜に自らの濫觴を得ている。つまり、神話的な解釈に惑わされず、事物の構造や実質を万…

サラダ坊主の幸福論 19 セネカ先生のストイシズム(十一)

引き続き、古代ローマの賢者セネカ先生の幸福論に就いて、私的な評釈を進める。 理性には、感覚の刺激を受け、感覚から最初の情報を得ながら――理性が活動の端緒を得、真実の把握を目指す原動力を得るのはこの感覚以外にはないからだが――外的なものに向かわせ…

サラダ坊主の幸福論 18 セネカ先生のストイシズム(十)

引き続き、古代ローマの賢者セネカ先生の幸福論に就いて私的な評釈を試みる。 さらに、善きものと同様に、悪しきものにも快楽が内在し、有徳の人が優れたものに喜びを覚えるのと同様に、恥ずべき人間も自分が耽る不道徳なものに喜びを覚えるという事実もある…

サラダ坊主の幸福論 17 セネカ先生のストイシズム(九)

引き続き、古代ローマの賢者セネカ先生の幸福論に就いて個人的な探究を進める。先生は「幸福な生について」と題された書簡形式の文章において、エピクロス派の門徒たちが開祖の教義に反して(不当な曲解に基づいて)「快楽」を人生における「最高善」と看做…

サラダ坊主の幸福論 16 セネカ先生のストイシズム(八)

引き続き、古代ローマの賢者セネカ先生の幸福論に就いて個人的な探究を進める。 「しかし、精神も快楽を覚えるはずだ」、そう言う人もいる。いかにも、精神にも快楽を覚えさせ、奢侈と快楽の審判人の席につかせるがよいのである。精神をしてみずからを、感覚…

サラダ坊主の幸福論 15 セネカ先生のストイシズム(七)

引き続き、古代ローマの賢者セネカ先生のストイックな幸福論に就いて私的な評釈を進める。 ある種の自由さをもって論じ始めたのだから、こうも言えよう、幸福な人とは、欲望も覚えず、恐れも抱かない人であるが、ただし理性の恩恵によってそうであるような人…

サラダ坊主の幸福論 14 セネカ先生のストイシズム(六)

引き続き、古代ローマの政治家であり偉大な哲人であったセネカ先生の幸福論を繙読し、私的な評釈を試みる。 敷衍した定義が望みなら、原義を何ら損なうことなく種々の様相をもたせて、また別様に言い換えることもできる。なぜなら、幸福な生とはこうだと言っ…

サラダ坊主の幸福論 13 セネカ先生のストイシズム(五)

引き続き、セネカ先生のストイックな幸福論に就いて探究を続ける。先生の幸福論は、古代ギリシア以来の伝統的な主知主義に根差し、自らの精神を生の支配者に任じて、外在的な事物に惑わされない堅牢な「自家発電」の境涯を形作ることに重きを置いている。あ…

サラダ坊主の幸福論 12 セネカ先生のストイシズム(四)

引き続き、古代ローマの高名な政治家であり、ストア派の優れた哲人でもあったセネカ先生の倫理学的知見に就いて検討を進める。 われわれは、外見が見栄えのするものではなく、純粋で、安定し、隠れて見えない部分ほど美しさを増す善きものを追求しよう。それ…

サラダ坊主の幸福論 11 セネカ先生のストイシズム(三)

引き続き、セネカ先生のストイックな御高説を拝聴し、自らの幸福論的探究の充実に役立てたいと思う。 私がここで言う「俗衆」には、花輪をかぶった連中も、ギリシア風の外套を着込んだ連中も含まれている。(幸福な生というものを考える際)私が目を向けるの…

サラダ坊主の幸福論 10 セネカ先生のストイシズム(二)

引き続き、古代ローマの政治家であり思想家であったセネカ先生のストイックな御高説に就いて私的な論究を進めていきたいと思う。 セネカ先生の倫理学的な省察において重要な位置を与えられているのは「理智」及び「自立」の二つの美徳である。これらの概念の…

サラダ坊主の幸福論 9 セネカ先生のストイシズム(一)

エピクロス先生の幸福論に就いて一通りの検討を卒えたので、今度は古代ローマの政治家であり思想家であったセネカ先生の御講義を拝聴したいと思う。 セネカ先生は一般にストア学派の哲学者に分類されるが、此処では敢て煩瑣な哲学史的問題に深入りする必要を…

サラダ坊主の幸福論 8 エピクロス先生の静謐な御意見(七)

引き続き、古代ギリシアの賢者エピクロス先生の幸福論に就いて検討を進める。生前から「享楽主義」(hedonism)の汚名を着せられ、著しい歴史的曲解に曝され続けてきた先生の倫理学的な知見が、実際にはヘドニズムの特徴である「絶えざる飢渇」への正統な処方…

サラダ坊主の幸福論 7 エピクロス先生の静謐な御意見(六)

引き続き、古代ギリシアの賢者エピクロス先生の幸福論に就いて検討を進める。既に前回までの記事で、私はエピクロス先生の幸福論と「快楽」に関する考え方が、過激で貪婪な「享楽主義」(hedonism)とは一線を画すものであることを確認し、強調した。先生が幸…

サラダ坊主の幸福論 6 エピクロス先生の静謐な御意見(五)

引き続き、古代ギリシアの賢者エピクロス先生の幸福論に就いて検討を行なう。 快は第一の生まれながらの善であるがゆえに、まさにこのゆえに、われわれは、どんな快でもかまわずに選ぶのではなく、かえってしばしば、その快からもっと多くのいやなことがわれ…

サラダ坊主の幸福論 5 エピクロス先生の静謐な御意見(四)

引き続き、エピクロス先生の此岸主義的な幸福論に就いて私的で地道な検討を進めたい。先生は「メノイケウス宛の手紙」の中で、人類の歴史とは切っても切れない不可分の関係にある「欲望」の種類に関して腑分けを試みておられる。 つぎに熟考せねばならないの…

サラダ坊主の幸福論 4 エピクロス先生の静謐な御意見(三)

引き続き、古代ギリシアの偉大なる賢者エピクロス先生の学説の検討に取り組む。 だが、多くの人々は、死を、あるときは、もろもろの悪いもののうちの最大なものとして忌避し、あるときはまた、この生における〈もろもろの悪いもの〉からの休息として〈むなし…

サラダ坊主の幸福論 3 エピクロス先生の静謐な御意見(二)

今回は古代ギリシアの哲学者、エピクロス先生の幸福論の内実に就いて、より具体的な検討を進めていきたい。 さて、わたしが君にたえず説き勧めてきたことを、それこそが美しく生きるための基本原理であると理解して、習いおこなうべきである。まず第一に、神…

サラダ坊主の幸福論 2 エピクロス先生の静謐な御意見(一)

先般「サラダ坊主の幸福論」と銘打って見切り発車で始めた続き物の企画であるが、端的に言って「幸福」とは実に多義的な概念である。それをどのような角度から、どのような趣旨で捉えようと考えているのかによって、当然のことながら「幸福」という言葉の定…

サラダ坊主の幸福論 1 開幕の口上

不図思うところがあり、今回から断続的に「サラダ坊主の幸福論」と銘打って、甚だ輪郭の曖昧な「幸福」という観念を主題に、古今東西の先賢の書物を渉猟し、特定の分野に固執することなく、成る可く横断的で柔軟な思索を積み重ねていこうと発起した。 思うと…