サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

2018-03-01から1ヶ月間の記事一覧

ストイシズムの閉鎖的な快楽

人間は絶えず、あらゆる種類の欲望に取り巻かれて、危うく不安定に揺らぎながら生きている。欲望は人間の主体的な理性に先立って、人間の深層から殆ど如何なる脈絡も持たずに迫り上がってくる、自律的な衝動である。その欲望が発する要求の総てに唯々諾々と…

「人間」は「人間」を所有出来ない

かつて世界と人間は超越的な「神」によって支配されていた。或いは「神」の名の下に、人間によって支配され、所有されていた。だが、時代が進むに連れて、人間が人間を所有物の如く扱うことの道徳的弊害が自覚されるようになり、倫理的な要請が高まり、フラ…

「私」を解体する力としての「恋愛」

恋愛というのは必ずしも自発的な意志によって制御されるものではなく、往々にして突然、意識の枠組みを揺さ振るような形で、知らぬ間に押し寄せる感情の形態である。無論、それが所謂「恋人」同士の関係性として立ち上がる為には、理性と意志の力に多くを負…

「慈悲」と「恋情」の境界線

愛することは、或る人間をバラバラに解体することへの根源的な抵抗として定義されるべき営為である。愛することは、相手を腑分けすることの対極に位置する。対象の総てを丸ごと包摂し、その総ての要素を善悪や好悪に関わりなく受容することが愛の本質であり…

一切皆苦(坂口安吾をめぐって)

生きることは常に苦痛に汚染されている。生きるという営為自体が、本来は起こり得なかった超自然的な奇蹟を無理に持続するような作業なのだから、そこに不自然な苦しみが生じるのは自明の帰結である。 宇宙の探査が発達しても、一向に地球外の生命体との出逢…

共犯的幻想としての「恋愛」

恋するとき、人は盲目になると、よく言われる。確かに恋愛が幻想である以上、そして私たちの認識や理性に奇怪な覆いを被せる心理的な魔術である以上、傍目には恋する当事者たちの言動が、有り触れた現実に対する理性的な判断を欠いているように見えることは…

恋愛の無倫理性

恋愛という極めて主観的な営為には、倫理という規範的な理念が存在しない。恋愛を道徳的な御題目によって縛ったり制限したりすることには意味がない。それは恋愛を殺戮する為に下される鉄鎚のようなものであり、恋愛の根源的な反社会性に対する掣肘である。…

「愛情」に就いて

最も原始的な愛情の形態を、動物的な交接への欲望だとするならば、最も純化され高められた愛情の形態は、神々しい「無償の愛」或いは「無私の愛」である。無論、如何なる見返りも求めない愛情という崇高な理念が、宗教的な幻想の産物に過ぎないことは、経験…

「愛」と「理解」の相剋をめぐって

人を正しく愛する為には(愛情に正しさという倫理的規範を求めるのならば、という仮定的な条件下において)、相手の考えや心情を精密に理解する為の努力を怠ってはならない、という尤もらしい命題が頻々と唱えられている。それは一見すると、疑いようのない…

サラダ坊主風土記 「花見川」

先日の休みに、用事があって妻と娘と共に区役所へ行った。天気が良かったので、少し風は冷たいが、自転車で行った。京成とJRの線路を渡る地下道を潜り、税務署の近くのステーキハウスで遅めの昼食を取ってから、平坦な道を走って、花見川を越えた。 用事自…

Cahier(禁忌・罪悪・実存)

*この世界には、数え切れぬほど多くの「禁忌」が存在し、人間の心理と生活を縦横に縛っている。昨年の暮れから読んでいる三島由紀夫の「禁色」には、女を愛することの出来ない美青年の苦悩が描かれているが、例えば「同性愛」というものに対する社会的な禁…

Cahier(蹉跌・苦悩・里程標)

*昨夜、仕事の後、退職を希望する部下の社員と酒を交えて話をした。強く慰留しようという意思を持って、その場に臨んだ訳ではない。ただ、自分の経験を踏まえて、幾つかアドヴァイスを試みた。 その女の子は、典型的に仕事が出来ないタイプである。第一に自…

Cahier(「神」という、或る垂直な関係性)

*夏目漱石は百余年前の昔、「草枕」の冒頭に「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」という著名な文句を書きつけた。一世紀が経っても、地上の事情は変わらない。大半の問題は人と人との狭間で起こ…

サラダ坊主風土記 「佐原・香取神宮」

珍しく日曜日に休みを取った。特に狙った訳ではない。普段なら人手が足りなくなる日曜日に、たまたま人手が揃っただけの話である。娘も未だ小さいので、特に旗日の休みに固執する理由もない。寧ろ週末は何処へ出掛けても混み合っていて、時間と労力を空費す…

「結婚」に就いて

結婚は、恋愛という感情的な熱病とは根本的に異質な、或る社会的な制度である。恋愛が常に個人の情緒だけを頼りに営まれるのに対し、結婚は飽く迄も社会的な制度の規定に拘束されている。恋愛は常に主観的な営みであって、それが傍目には如何に不毛で愚昧な…

「恋愛」に就いて

恋愛とは、簡単に要約すれば「特定の対象への執着」である。或いは「究極の依怙贔屓」と呼び換えてもいい。 日本語には「愛憎相半ばする」という表現があるが、実際、特定の対象への執着としての「恋愛」は、相手に対する肯定的な感情だけで純粋に構成されて…