サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

2017-07-01から1ヶ月間の記事一覧

「断片化」としての小説(カフカの「中断」、メルヴィルの「集積」) 2

前回の記事の続きを書く。 「ロゴスの単一性」を重要な特質として帯びる「物語」=「ロマンティシズム」の堅牢な秩序に対して、様々な手段を駆使して叛逆と簒奪を試み、単一的なロゴスの彼方に「世界の本質的な多様性」を見出そうとするのが、小説的なリアリ…

「断片化」としての小説(カフカの「中断」、メルヴィルの「集積」) 1

池内紀の編輯した「カフカ短篇集」(岩波文庫)を読了した。覚書を認めておきたい。 フランツ・カフカの小説を読むとき、読者は必然的に作品の「完結」に就いての思索に導き入れられることになる。単に彼の遺した三つの長篇小説(「失踪者」「審判」「城」)…

夢に似た捩れ 「カフカ短篇集」を巡る雑録

最近、ドイツ文学者の池内紀氏が翻訳と編纂を担った「カフカ短篇集」(岩波文庫)を少しずつ読んでいる。淡々とした筆致で、波瀾万丈の壮大な物語とは程遠い、素描のような掌編が並んでいる。どれも独特の味わいがあり、不気味さと諧謔とシニカルな省察が緊…

虚実の迷宮 ウンベルト・エーコ「バウドリーノ」に就いて

ウンベルト・エーコの『バウドリーノ』(岩波文庫)は、ヨーロッパの歴史や思想に関する該博な知識を素材として組み立てられた奇想天外な冒険活劇である。この小説の奥深い含蓄を、西洋の文化に余り馴染んでいるとは言い難い私のような人間が精確に理解する…

「意味」からの遁走 中上健次に就いて 4

「枯木灘」という作品が、主観的な抒情性の閉域を打破する為の企てを含んでいると考えられることに就いては既に述べたが、その目論見が十全に成功しているとは言い難い。少なくとも作者は「枯木灘」の緊密な出来栄えに最終的な結論を見出したとは考えていな…

「意味」からの遁走 中上健次に就いて 3

「枯木灘」において試みられた「固有名の導入」という措置は、絶えず「秋幸」との関係性の内部において表出されていた世界の諸相を、主観的な抒情性の閉域から解放する働きを担っている。無論、単に登場人物に「名前」を授けるだけで、主観的な抒情性の閉域…

「意味」からの遁走 中上健次に就いて 2

だが、自分の母親を「母」ではなく、一個の独立した人格として客観的に把握するような認識と思索の形式が、或る抽象的な努力を要するのだとしても、つまり「母親」を「母親」として捉えることの方が遙かに個人の体感としては「リアル」なのだとしても、そう…

「意味」からの遁走 中上健次に就いて 1

中上健次の出世作である「岬」の世界は、土俗的な湿り気に満ちている。その湿り気が作中に充満する「情緒」の派生的な効果であることは論を俟たない。中上健次が「岬」において描き出す光景は、或る一族の閉鎖的な側面であり、その描写が及ぶ領域は極めて限…

批評は常に出遅れている(無論、それは罪ではない)

批評というものは、必ず何らかの対象の存在を必要とする。あらゆる批評的言説は常に、批評を受ける対象の現前を要請する。それは意識が常に「何かに就いての意識」であることに似通った消息である。 だが一方で、批評もまた自立した作品として存在することが…

サラダ坊主風土記 「両国」

先日、妻と二人で久々に外出した。幼い娘は、義母が一日預かって面倒を見てくれた。有難いことである。そういう協力がなければ、小さな子供を抱えた夫婦が二人きりで外出する機会を得ることは、とても難しい。 そういう貴重な機会であるのに、事前に綿密な計…

ラッダイトの断末魔(Singularityの問題)

人工知能(artificial intelligence、AI)の急激な発達に伴い、様々な労働の現場において、機械が人間の代役を務めるようになるだろうという予測が、昨今の世間を賑わせている。代表的な事例としては、米グーグルによる自動運転技術の積極的な開発が筆頭に挙…

批評と創造(或いは、その「融合」)

考えることは、所謂「創造性」とは無縁なのだろうか。 そんなことはない、寧ろ考えることこそ、真の創造性が成り立つ為には不可欠の条件なのだと、直ちに反駁してもらえるだろうか。だが、この問題は入り組んだ観念によって構成されていて、厳密に検討を始め…

改憲ラディカリズムの葬送曲

詳しいことは知らないが、先日、安倍総理が今秋の臨時国会において、憲法第九条を巡る改憲草案を提出すると明言し、物議を醸しているらしい。今年の憲法記念日にも、2020年度までに改憲を実現すると息巻いて、総理は世間を騒然とさせた。改憲に関する論…