サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

2016-01-01から1ヶ月間の記事一覧

崇高な児童文学 上橋菜穂子「精霊の守り人」

小学生の頃だったろうか。 私の母親は生協に加入していて、週に一回、決まった曜日に商品の分配が団地の一角で行われる習慣だった。読書の好きな長男坊のために、母はたまに生協を通じて本を買ってくれた。何度もそういう経験はあったように思うが、具体的に…

「斃す」のではなく「隠れろ」 「メタルギアソリッド」の齎した革命をめぐって

長い間、私にとってゲームとは「敵を倒す」ことこそ正義であるような世界だった。次々に現れる敵を倒すべく、例えば「ぶちスライム」を延々と棍棒で殴り殺して経験値を溜め込んでいくような作業も、強くなる為だと思えば退屈でも堪えられたものだ。レベルが…

サラダ坊主風土記 「長野」(善光寺・小布施・湯田中) 其の二

saladboze.hatenablog.com 今日は随分以前に最初の記事を書いたまま、ずっと放置しておいた紀行文の続きを書こうと思う。何故そのように思い立ったのかは自分自身でもよく分からない。だが、此間「20歳」というテーマに合わせて当時の自分の生活や感情を思…

「世捨て」という欲望の根強さ 坂口安吾と車谷長吉の類縁性について

以前に書いた記事の中でも触れているが、私の好きな作家の好きな小説に共通して見出せる主題に「世捨て」というのがある。文字通り、俗世間との絆を断ち切って無一物の境涯へ至りたいという欲望なのだが、私はそのような欲望が時代を隔ててそれぞれ異質な書…

顔が見えないとき、人は幾らでも「残酷」になれる

以前、ナチス・ドイツによるユダヤ人のホロコーストを背景に、日本人外交官の半生を描いた映画について記事を書いたことがある。 saladboze.hatenablog.com saladboze.hatenablog.com その中で私はユダヤ人哲学者レヴィナスの「顔」という概念について軽く触…

「よそゆき」の言葉 / 「普段着」の言葉 個人的な文体について

昨年の八月下旬にこの「サラダ坊主日記」というブログを開設して以来、私はずっと「ですます調」の文体で記事を書いてきた。特別に深い理由があった訳ではなく、ブログというメディアを生まれて初めて運営するに当たって、見知らぬ人々に語りかけるのに突慳…

極めて甘美な「挫折」の寓話 「ブキーポップ・ミッシング ペパーミントの魔術師」をめぐる回想

もう随分昔、勿論それが随分であるかどうかは人によって意見の分かれるところだが、私が十代前半だった頃、書店の所謂ライトノベルと呼ばれるジャンルの棚には、上遠野浩平の「ブギーポップ」シリーズが平積みにされていて、話題を呼んでいた。当時小学生か…

思い出はいつもキレイだと、昔、テレビで歌っていたけれど

今週のお題「20歳」 十代の頃、私はいつも鬱屈した、満たされない思いを抱えて日々を生きていた。特別で崇高な悩みの種を抱えていたという訳ではない。誰だって十代の半ばから終わりにかけての季節に、原因も定かでない訳の分からぬ迷妄という奴に囚われるこ…

野放図で猥雑な「語り」の力 佐藤亜紀「バルタザールの遍歴」

どうもこんばんは、サラダ坊主です。 今夜は佐藤亜紀氏の小説「バルタザールの遍歴」について書こうと思います。 元々新潮社から単行本が刊行された後、絶版を経て現在は文春文庫に収録されているこの作品の特徴的な魅力は何と言っても、その独特でシニカル…

「書くこと」の始まり 村上春樹「風の歌を聴け」

どうもこんばんは、サラダ坊主です。 都心では結構な積雪があったようですが、私の暮らす千葉県船橋市の片隅には薄らと霙の混じった雨が劇しく降っただけで済んでしまいました。休日なので暖房の効いた家に引き籠っていたのですが、午下がりにはもう、窓の向…

ヤン・ウェンリーという生き方

どうもこんばんは、サラダ坊主です。 小説というものの存在する意義や、それが齎す様々な価値について、漫然と考えを巡らせることがあります。過去にアップした記事の中でも、そのような主題を巡って綴ったものが幾つかあります。 saladboze.hatenablog.com …

「宿命」に関する、言葉で編まれた肖像画 沢木耕太郎「若き実力者たち」

どうもこんばんは、サラダ坊主です。 本日は沢木耕太郎さんの「若き実力者たち」というノンフィクションについて書こうと思います。最初に読んだのが自分が幾つの時だったか、もう精確には思い出せないのですが、とにかく夢中になってページを捲った記憶が今…

この世界に「平日」など存在しない

今週のお題「今の仕事を選んだ理由」 どうもこんばんは、サラダ坊主です。 今夜は少し体調が優れないので、余り明確な主題は定めずに気楽に書き流そうと思います。というような導入の文句を冒頭に掲げるのは、読んでくれる方々に対して失礼な発言かも知れま…

「極楽の専門家」であること 武田泰淳「異形の者」について

どうもこんばんは、サラダ坊主です。 本日は武田泰淳(1912-1976)の小説「異形の者」について書きます。この奇妙な小説を初めて繙いたのは既に何年も前の話なのですが、何度開いて読んでみてもすっきりと呑み込めない細部が豊富に含まれていて、随…

「著作権」という商業的思想=ルールについて

どうもこんばんは、サラダ坊主です。 今朝、スターバックスでコーヒーを啜りながら、はてなブログのトップページを眺めていたら、はてなダイアリーの記事において2000件以上の歌詞の無断転載が行われているということで、JASRACから削除依頼が来て…

自然と交わること、俗界と交わること 坂口安吾「風と光と二十の私と」に関する覚書

どうもこんばんは、サラダ坊主です。 今夜は過去にも幾度か触れたことのある坂口安吾という作家について、再び文章を草したいと思います。先日の中上健次に関するエントリーを書いている最中に、もう一度、坂口安吾について書いておきたいという考えが迫り上…

「血」が騒めき、吠え立てる 中上健次「岬」について

どうもこんばんは、サラダ坊主です。 本日は癌で早世した作家、中上健次の出世作「岬」について書こうと思います。 戦後生まれの作家として初めて芥川賞の栄誉に輝いたこの作品は、和歌山県新宮市で生まれ育った中上氏の故郷をモデルとして綴られたもので、…

「意味」の向こう側 小説は何故「描写」するのか?

どうもこんばんは、サラダ坊主です。 今晩も何の需要があるのか分からない個人的な文章を書き殴ります。 世の中には無数の「小説」と呼ばれる文章の塊が氾濫しており、それは作者の流儀や気質や主義主張などに応じて実に多様な生態系を構築しています。何と…

「自由」よりも「隷属」を欲する 谷崎潤一郎「春琴抄」をめぐって(マゾヒズム的欲望について)

どうもこんばんは、サラダ坊主です。 昨年の暮れ、安部公房の「砂の女」という小説を巡って下記の記事を綴りました。 saladboze.hatenablog.com 安部公房の代表作である「砂の女」という著名な小説について、「自由」という切り口から漫然と考えてみた訳です…

「正義感」は残酷な享楽の一種ではないのかという仮説(サディズム的欲望について)

どうもこんばんは、サラダ坊主です。 正月休みも終わり、世間もいよいよ平常営業を再開した印象ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。小売業の私は年の瀬も大晦日まで、年明けも二日から初売りで出勤と、盆も正月もないような日々を送っており、ブログの更…

堆積する時間の中を生きていく 是枝裕和監督「海街diary」

どうもこんばんは、サラダ坊主です。 2016年、明けましておめでとうございます。 元旦を迎えたばかりの夜更けに徒然と、例によって勝手気ままな雑文を草したいと思います。 昨年、幾つか見た映画の中で一番印象的だったものはどれだろうと、先日何となく…