サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

社会・政治・経済

恋することは愛することと重ならない 3

「結婚=生殖の一体的運用」というイデオロギーを解体することは、広義の「共生」に対する人間の欲望を適切に保護する手立ての一環となるだろう。「恋愛結婚」という理念は、共生的愛情に「恋情=性的欲求」の要素を強制的に附加することで「生殖への欲求」…

恋することは愛することと重ならない 2

「恋愛の自由化」及び「恋愛と結婚の一体化」という二つの社会的な趨勢が齎す現代的な困難は、様々な指標を通じて可視化されている。未婚率の上昇、離婚件数の増加、晩婚化、少子化、核家族化といった社会的現象は、上記の二つの潮流の合理的な帰結である。 …

恋することは愛することと重ならない 1

「恋愛」と「結婚」を一体的なものと看做す価値観は、それほど歴史の長いものではない。江戸時代の日本においては、未婚の男女の間で行われる性交は「不義密通」として断罪の対象であった。言い換えれば「自由恋愛」という観念は聊かも公共の標準ではなかっ…

「迂遠な独裁」としての民主主義

「民主主義」(democracy)は、一般に最も穏健で現実的な、つまり現代の世界においては最善の政治的選択肢であるという印象を纏っている。だが、我々の推戴する代議士たちの不毛な闘争の風景を眺める限り、このような印象が如何なる根拠に基づいているのか、茫…

「道徳的要求」に就いて

ここ数年、主として芸能人の不倫関係に関する批判的な報道が巷間に氾濫し、渦中の当事者たちは矢衾のように猛烈な批判を浴びて、社会的な制裁を享けた。私人による制裁を禁じた近代法の理念を蹂躙するような振舞いであるが、彼らの境遇を憐憫する声は特に聞…

「性暴力」と「非婚化」の時代

①「性暴力」の排他的原理 昔に比べて統計的に増えているのかどうか知らないが、最近テレビやネットのニュースを眺めていると、随分と性犯罪に関する報道が頻繁に挙げられているように感じる。セクシャル・ハラスメントに関する社会の認知度は着実に向上して…

祝祭的空間としての「百貨店」 / 日常的空間としての「コンビニ」

十九世紀のフランスに発祥したと言われる「百貨店」(department store)という業態が斜陽の季節を迎えてから久しい。市場規模は既に対極的な業態である「コンビニ」(convenience store)に追い抜かれ、その凋落の趨勢が底を打つ気配さえ見えない。三越伊勢…

「役割」に就いて

人間は純粋に一人きりで生活を成り立たせていくことは出来ない。現代のように、あらゆる事柄が分業化されている世界では猶更、表面的には孤独な、自閉的で個人的な私生活が可能に見えても、実際には、高度な分業と他者との相互的な依存が、生活の前提に据え…

「児童虐待」に就いて

先日、五歳の女の子が虐待を受けて死亡したというニュースが流れていました。 如何にも惨たらしい、そして独善的な惨劇です。概要を聞いているだけで胸が締め付けられるような事件です。虐待を日常的に行なっていたと思われる父親と、それを黙認していた母親…

「不義密通」に就いて

江戸時代、日本では配偶者以外の人間と肉体的な関係を持つことを「密通」と称して、厳しく禁圧していた。独身の男女同士が関係を持つことさえ「密通」の定義に含まれていたのである。 公共的な規律に基づいた「婚姻」以外の総ての性的関係を「不義密通」と看…

ハラスメント、即ち「関係性の事故」に就いて

先般、財務省の福田淳一事務次官が、テレビ朝日の女性記者からセクシャル・ハラスメントの廉で告発され、メディアや国会は大騒ぎになっている。私は事態の審らかな経緯を理解していないが、告発された当人は自分の言動がセクハラに該当するとは認めず、寧ろ…

「人間」は「人間」を所有出来ない

かつて世界と人間は超越的な「神」によって支配されていた。或いは「神」の名の下に、人間によって支配され、所有されていた。だが、時代が進むに連れて、人間が人間を所有物の如く扱うことの道徳的弊害が自覚されるようになり、倫理的な要請が高まり、フラ…

根源的性質としての「弱さ」

以前、長谷川豊という人物が自身のブログに、人工透析患者に対する誹謗中傷の記事を投稿し、社会的な問題に発展したことがあった。彼の言い分は、医者の勧告を無視し、節制を怠って発病し、揚句の涯に人工透析を受けることになるのは患者としての罪悪だ、と…

ラッダイトの断末魔(Singularityの問題)

人工知能(artificial intelligence、AI)の急激な発達に伴い、様々な労働の現場において、機械が人間の代役を務めるようになるだろうという予測が、昨今の世間を賑わせている。代表的な事例としては、米グーグルによる自動運転技術の積極的な開発が筆頭に挙…

改憲ラディカリズムの葬送曲

詳しいことは知らないが、先日、安倍総理が今秋の臨時国会において、憲法第九条を巡る改憲草案を提出すると明言し、物議を醸しているらしい。今年の憲法記念日にも、2020年度までに改憲を実現すると息巻いて、総理は世間を騒然とさせた。改憲に関する論…

「虚言」に就いて

加計学園による獣医学部新設を巡って、第二次安倍内閣の「頽廃」に関する様々な憶測と報道が日夜飛び交っている。太平洋を隔てたアメリカ合衆国では、トランプ大統領の「ロシアゲート疑惑」に関する政治的な混乱が白熱している。北朝鮮では示威的なミサイル…

「罪悪」に就いて

何が悪なのか、何が罪なのか、その定義を厳密に見極めようと試みても、視界は一向に晴れようとしない。罪悪という言葉自体は充分に歴史的な手垢に塗れているように見えるが、その内訳は極めて多様で、様々な社会的条件に四方八方から制約されている。つまり…

「独裁者」に就いて

最近、米国のドナルド・トランプ大統領は、ロシアとの「不適切な関係」を取り沙汰されて、四方八方から攻撃を受けている。ロシアのラブロフ外相に同盟国(イスラエル)から入手した機密情報を流したということで、国内の情報機関からも敵視されているらしい…

「コミュニケーション」に就いて

現代は「コミュニケーション」という理念が異常に重視され、魔法の言葉として濫用される時代である。多くの人々が「コミュ力」(コミュニケーション力)の多寡を競い合い、自分は「コミュ障」(コミュニケーション障碍)であるという奇怪な卑下を用いて、不…

高等教育の無償化に関する個人的な懸念(或いは「妄想」)

どうもこんばんは、サラダ坊主です。 今日、仕事を終えて家に帰り着き、遅い夕食を取りながらテレビの電源を入れて「報道ステーション」を眺めていると、安倍内閣が2020年の憲法改正実現を宣言したというニュースが偶々眼に留まりました。 その報道の中…

政治的に無力なものの「聖性」

政治的な実権を剥ぎ取られた存在が、それゆえに強大な政治的権威を保持するようになるということは、我が国においては、それほど奇怪な事態ではないように思われる。少なくとも、坂口安吾が「堕落論」の中で指摘しているように、日本古来の「天皇」という制…

肉声と省察(それは誰が語っているのか?)

世の中には定説として認められている考え方や、或いは一般的な常識として流布している思想信条などが無数に存在する。だが、それらの多くは主語を欠いていて、誰の発案したものなのか、明確に見定めることが難しい。 だが、どんな考え方にも、具体的な生身の…

「検索不能」という価値

世の中、誰でも何でも分からないことはパソコンやスマホで手軽に「検索」して調べるのが当たり前になっている現代社会において、相対的に「検索出来ない情報」の価値が増大していくのは、考えてみれば至極必然的な成り行きである。誰かが「情報化」したもの…

「出生」と社会的合意

典拠が何だったか、具体的に思い出せないまま書くが、先日、2016年の日本における嬰児の出生数が遂に百万人を割り込んだという報道に接した。 少子高齢化が、成熟した、古びた国家である日本の「宿命」だという論調は長い間、私たちの社会における共通の…

人工知能は、書くことの秘儀を駆逐してしまうのか?

文章作成を主務とした人工知能(AI)が実用化され、色々な方面で活躍しているという。その記事作成能力は恐るべきもので、既定のテンプレートに厖大な情報を紐づけることで、客観的な事実を伝達する為の文章を瞬く間に書き上げてしまうらしい。文法的に精…

己の「無明」を悟るべし

新聞記事やテレビの報道番組などでも、よく見かける慣例の一つに、「破綻」という単語を「破たん」と表記する、というものがある。私はあれを眼にする度に何とも歯痒く、情けないような気分に陥ってしまうのだが、無論、あれは当用漢字という国家の指針を遵…

冤罪弁護士

先日、NHKで「冤罪弁護士」として知られる今村核氏に関するドキュメンタリーが放送されていた。番組の優れた出来栄えも然ることながら、何と言っても今村氏の独特なキャラクター、或いは生き方と、日本の刑事裁判が抱えている現状の問題点が興味深く、法…

「歴史」は「未来」を証明する

古文書や絵巻物といった歴史的遺産には、当時の人々の暮らしや習俗、思想や信仰が断片的に刻みつけられている。それらの古びた世界の「常識」は、現代に暮らす私たちの信奉する凡庸な「常識」とは随分、隔たっているように見える。同じ土地に住み、同じ人類…

詩を書いても何にもならない

また、思い立って詩を書いている。そういう根拠の不確かな思いつきに衝き動かされるのは、私の人生における根本的な慣習である。 詩なんか書いても仕方ない、という想いは昔からあった。そもそも、詩歌というものには、世間的な需要が殆どない。或いは、そう…

「自由」の重圧に堪えかねて

私が生まれ育った社宅には、それなりに大きなベージュの本棚があって、それは今も両親が終の栖として定年後に購入した東松戸のマンションの和室に聳え立っている。母親の本は、料理や裁縫に関する書籍や雑誌が大半を占め、他にはフランス語の小さな辞書、そ…