サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

他者の不幸を歓ぶ者たち 1

 連日、俳優の不倫に関する批判的な報道が巷間を賑わせている。世間で識者と目される人々が、様々な観点から道義的な批難を寄せている。当事者と直接的な関係を持たない市井の人々も、声高に不倫の罪を犯した男女の人格的な欠陥を論い、その精神的な未熟、道徳的な頽廃を口汚く痛罵している。その謎めいた情熱には、凄まじい強度が備わっている。

 三人の幼い子供を抱えた妻を放置して、若い女との不道徳な恋愛に溺れていたという経緯から、同様に育児に奮闘する世代の女性からの反発が極めて強烈であるらしい。また、彼らの家庭が周囲から羨望と祝福を以て迎えられた「理想的な婚姻」の産物であり、そのイメージの余慶で当事者である男性の社会的な地位や信用が高騰していた為に、今回の報道で生じた理想と現実との「落差」が頗る大きく、猶更「裏切り」や「詐欺」といった世人の印象を強めたのだろう。

 他方、当事者と無関係な人間が、本来ならば「私事」であるべき家庭の問題に、安全な場所から苛烈な問責を一斉に加える風潮に関して、異議を唱える声も少なくない。不道徳な人間に対しては社会的制裁を下すのが正しい振舞いであるという合意が、現下の極めて手厳しい糾弾の輿論を涵養している訳だが、不倫或いは姦通は、現状の日本国の法律によれば、刑事罰の対象ではない(かつては「姦通罪」という法律が実在したが、それは既婚の男性と未婚の女性との密通を処罰しない)。専ら民法上の不法行為であり、当事者間の紛争においてのみ、その善悪が議論されるべき問題である。また、現行の日本国憲法は明確に「私的制裁の禁止」(第三十一条)を定めており、法的な手続きに基づかない個人への攻撃は抑止されている。言い換えれば、法律に基づかず、個人的な道徳観念に依拠して、他者の行為を断罪することは、憲法に反する犯罪的行為なのである。

 不倫そのものの善悪と、不倫した人間に対する私的制裁の良否は、区別して議論されねばならない。配偶者の不倫によって有形無形の被害を蒙った側が、相手の不法行為を問責し、然るべき賠償を要求するのは当然の権利である。但し、それは民法による裏付けに基づいた請求であり、純然たる道義的責任とは区別して考えなければならない。何れにせよ、不倫に関連する諸々の問題に就いて、他者を問責する権利があるのは、被害を受けた当事者と法律の条文だけである。直接的な利害を共有しない第三者が、不倫という過失を犯した人間を糾弾し、剰えその詳細な内情を世上に曝露するのは、明らかに筋違いである。過剰な場合には、却ってその曝露の行為が刑事上の名誉毀損罪、信用毀損罪、侮辱罪を構成する虞もある。

 無論、他人の不倫の報道から、不快な感情を喚起される人々が存在することは理解出来る。例えば自身も過去に同様の被害を受け、当事者の苦悩に深く共感する場合には、他人事であっても、自分のことのように憤ったり嘆いたりするのは自然な感情である。しかし、それが第三者による私的制裁を正当化する根拠としては認められないことは明瞭である。共感するのは個人の自由であるが、共感は制裁の根拠にはならない。自分と同じ苦しみを他人が蒙っているときに、共感や憐憫を喚起されるのは人情としては自然なものであるが、第三者による私刑が、共感の誠実さによって正当化されることは有り得ない。

 今回の件で言えば、不貞行為を働いた男女が、裏切られた配偶者の側から問責され、然るべき賠償を請求されることは、社会的正義の理念に適っている。少なくとも、裏切られた配偶者の側には、相手方の裏切りを糾弾する権利が明確に認められている。しかし、裏切られた配偶者に共感する世上の人々には、不貞行為を働いた男女に対して有形無形の制裁を加える権利はない。インターネットに攻撃的な書き込みを行なうことが「私的制裁」に直ちに該当するという社会的な合意が形成されているかどうかは分からないが、他者への誹謗中傷と、それを殊更に公表する行為は、たとえ摘示の内容が事実に即しており、対象となる人物が犯罪者であったとしても、刑法上の名誉毀損罪を構成する。誤解されがちだが、他者に就いて不名誉な情報を公然と流布するという行為は、その情報が厳密な真実であったとしても、立派な犯罪なのである。

 但し、不都合な事実の摘示に関して、それが公共の利害に関わり、専ら公益を図る目的であるならば、摘示の内容が厳密な真実であることを証明出来る限りにおいて、名誉毀損罪の成立は阻却される。公務員の汚職などは、それが真実であると認められる限りにおいて、公然と曝露しても名誉毀損罪で訴えられることはない。では、今回の俳優たちの不倫の曝露は、公共の利害に関わり、公益に資する行為であると言えるのだろうか?

 「公務員または公選の公務員の候補者」に関する事実の摘示に就いて、刑法の条文は「公益を図るもの」として擬制される旨を明瞭に規定している。従って公務員の行状に関して、真実を摘示する場合には、結果として当該の公務員の名誉が毀損されたとしても、摘示した人間が処罰されることはない。この規定を踏まえる限り、件の俳優たちは公務員ではないので、上記の擬制の適用を受けることはない。また「公訴が提起されるに至っていない人の犯罪行為に関する事実は、公共の利害に関する事実とみなす」という規定に就いても、不倫は民法上の「不法行為」であって刑法上の「犯罪行為」ではないので、名誉毀損罪の成立を阻却しない。

 それならば、今回の件に関する過剰な報道は、如何なる根拠に基づいて正当化されているのだろうか? 若しも不貞の当事者たちが無名の庶民であったならば、彼らの不倫に関する事実を大々的に報道することは、明らかに名誉毀損罪を構成する行為である。また、不貞の当事者である彼らの未熟な人格を攻撃的な言辞を以て痛罵することは、恐らく侮辱罪を構成するだろう(侮辱罪に関して言えば、そもそも公益とは無関係な行為なので、ネットで悪意に満ちた批難を口汚い表現で投じている人たちは残らず、刑事罰に問われる危険を孕んでいるのではないか。如何なる理由があろうとも、他者を公然と侮辱する行為は、法律によって保護されないのである)。

 著名な役者の不倫の内情を曝露すること、それは公共の利害に関わり、公益を促進する行為であると言えるのだろうか? 少なくとも彼らの不貞行為は、不法行為の被害者である裏切られた配偶者の利益を毀損しているが、彼女が妻として享受すべき当然の利益は、公共の利益であるとは言えないだろう。彼らの不貞行為自体が毀損するものは公益ではなく、限られた私人の利益であるから、不貞の事実を公然と摘示する行為は、その正当性を認められない。また「公訴が提起されるに至っていない人の犯罪行為に関する事実は、公共の利害に関する事実とみなす」という規定に就いても、不倫は犯罪行為ではなく検察官による公訴の対象に該当しないので、同じく適用されない。

 それならば、彼らの不貞行為は、如何なる公共の利害と関連するのだろうか。例えば、今回の不貞の発覚により、世論の激越な反発が生じ、彼らを起用していた多くの企業が損害を蒙った。それゆえに、彼らの軽率な行動を糾弾する論調は広く見受けられる。しかし、そもそも不貞の事実を公然と摘示する連日の報道がなければ、こうした損害は生じなかった筈である(名誉毀損罪は、不法行為を理由に成立を阻却されない。つまり、不倫した人間であっても、その名誉は法的に保護される)。その意味では、公共の利益を毀損したのは寧ろ過剰な報道の方ではないかとも考えられる。また、不貞の報道によって当事者である俳優たちは職業上の不利益、経済的な損失を蒙ったが、それが報道機関による公然たる摘示の結果であることは明白である。私人の不貞を曝露することが公益に資すると認められない限り、不貞の報道(=公然たる摘示)は明確に名誉毀損罪を構成する。