サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

2017-02-01から1ヶ月間の記事一覧

近代化の原理(再び「燃えつきた地図」について)

安部公房という作家は、「都市」と「沙漠」の双方に強い関心を有していた作家である。批評家の柄谷行人は「都市」と「沙漠」が共に「共同体の間」に存在する領域であることを、確か「言葉と悲劇」に収められた講演録の中で指摘していたように記憶するが、実…

多様性と画一性

ジョン・スチュアート・ミルの「自由論」(光文社古典新訳文庫)を漸く読了した。 この書物は「自由」という哲学的な観念を理論的に位置付ける為に書かれたものではなく、著者の視線は極めて実践的な次元に立脚しているように感じられる。体系的な論文である…

サラダ坊主風土記 「丸の内」

今日は弟の結婚式に出席してきた。丸の内の、皇居の近くにある瀟洒なホテルで盛大に挙行された華燭の典は、天候にも恵まれ、新郎新婦の晴れやかな門出に相応しい一日であったように思う。 我が家には一歳に満たぬ幼い娘が一人あり、妻は親族ゆえに留袖の着付…

「死者の眼差し」に潜む「明晰」

大岡昇平の「野火」は不穏な小説である。その不穏さは、題材の異様さ、つまり敗色濃厚な南方戦線への従軍経験という、誰の身にも平等に降り掛かるとは言い難い経験の異様さに基づいていると言えるが、無論それだけではない。語り手のメンタリティの異様さが…

人間本来無一物

車谷長吉の「赤目四十八瀧心中未遂」は、今まで読んだ中では屈指の精神的衝撃を、私の心に齎した異様な小説であった。作者の数奇な人生遍歴が彼方此方に投影されているらしいが、彼が「私小説」という文学的理念に強烈な執着を示すことで知られた作家だから…

「神なき世界」と、条理の否定(死んだのは「ママン」ではなく「神」だったのだろうか?)

アルベール・カミュの『異邦人』(新潮文庫)は、世界的にも日本国内においても非常に有名な小説だが、実際にどれくらいの数の人々が、あの決して長大でもない薄い一冊の小説を読み通して、その内容を熟読玩味しているのか、心許ないような気がする。あの有…

書斎と機械人形

縁があって「本が好き!」という書評サイトに、過去にこのブログでアップした読書感想文の類を幾つか転載し始めている。 www.honzuki.jp 古びた書棚から、暫く手つかずのまま放置していた本を引っ張り出して埃を払うように、こうして過去の記事を漁って転載…

戦後の焼け野原を疾駆する「バケモノ」の思想 坂口安吾「堕落論」について

今日は坂口安吾の「堕落論」に就いて書くことにする。 このブログでは、過去にも幾度か「堕落論」に言及したことがある。中学生時代に初めて手に取り、茹だるような夏の退屈な午後に繙いた「堕落論」の衝撃は、今も私の胸底から、その轟くような残響を掻き消…

「自由主義」という見果てぬ夢

ジョン・スチュアート・ミルの「自由論」(光文社古典新訳文庫)を少しずつ読んでいる。マルクスの「共産主義者宣言」(平凡社ライブラリー)と一緒にAmazonへ注文したのに、他の本を読むことに時日を費やして、居間へ店晒しにしていたのを漸く繙き始…

政治的に無力なものの「聖性」

政治的な実権を剥ぎ取られた存在が、それゆえに強大な政治的権威を保持するようになるということは、我が国においては、それほど奇怪な事態ではないように思われる。少なくとも、坂口安吾が「堕落論」の中で指摘しているように、日本古来の「天皇」という制…

「沖縄」という政治的な場所 5

今回で連載は五回目である。思いのほか書き終わらず、考究が長引いている。 saladboze.hatenablog.com saladboze.hatenablog.com saladboze.hatenablog.com saladboze.hatenablog.com 今回は、作品の掉尾に置かれた車椅子の青年の独白の引用から始めたいと思…

「沖縄」という政治的な場所 4

今回で連載四回目である。 saladboze.hatenablog.com saladboze.hatenablog.com saladboze.hatenablog.com 前回の記事で、私は車椅子の青年の発言に着目し、彼が「何もしないこと」を自らの役割として担っていることに関して、断片的な省察を積み重ねた。今…

「沖縄」という政治的な場所 3

前回の続きを書く。 saladboze.hatenablog.com saladboze.hatenablog.com 前回の記事では、車椅子の青年が位置付けられている文学的な役割に関して、一つの問いを設けた。つまり、車椅子に乗らなければ自力で移動することの難しいアメリカ人の青年の形象を通…

「沖縄」という政治的な場所 2

先日の記事の続きを書く。 saladboze.hatenablog.com 前回の記事で、私は村上春樹の「ハンティング・ナイフ」という小説を読解するに当たって、作中に登場するアメリカ人の車椅子の青年を、どのように位置付けるのかという問題が、重要な鍵を握っているとい…

「沖縄」という政治的な場所 1

在日米軍の普天間基地移設に伴う措置の一環として、沖縄県名護市辺野古の埋め立て工事が再開され、沖縄県知事の翁長氏、名護市長の稲嶺氏を中心に反発が強まっているという報道に接した。 私は人生で一度も沖縄へ足を踏み入れた経験がなく、沖縄という土地が…

「存在しないものだけが美しい」という理念 2

「存在しないものだけが美しい」という理念は、あらゆる倫理と対立する、若しくは倫理的なものと無関係に存在する命題である。存在しないものであるからこそ、美しく感じられるという精神的な構造には、絶えず死臭が染み込んでいる。 無論、あらゆる「美しさ…

グローバリズムとコミュニズム

先々週くらいから、乾石智子の『魔道師の月』(創元推理文庫)を読むことに飽きて、居間に積み上げたまま店晒しにしていた『共産主義者宣言』(平凡社ライブラリー)を鞄に入れて持ち歩き始めた。 私は共産主義という思想の意味を少しも理解していない。私の…

サラダ坊主風土記 「安房鴨川」 其の四

今回の記事で連載は最後になる(予定)。 saladboze.hatenablog.com saladboze.hatenablog.com saladboze.hatenablog.com 鴨川シーワールドは、少なくとも関東地方ではそれなりに名前の知られたレジャー施設であり、名物のシャチのパフォーマンスも観覧した…

肉声と省察(それは誰が語っているのか?)

世の中には定説として認められている考え方や、或いは一般的な常識として流布している思想信条などが無数に存在する。だが、それらの多くは主語を欠いていて、誰の発案したものなのか、明確に見定めることが難しい。 だが、どんな考え方にも、具体的な生身の…