サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

2016-08-01から1ヶ月間の記事一覧

文学的「悪食」の精神

小説に限らないが、例えば小説に代表されるような芸術的な作物というものに関して勝手な印象を懐くのは個人の自由であろう。或る作品に触れて、どのような感想を持つかは体質によっても趣味によっても異なるのは当然である。だが、たまに出喰わすのが「読み…

「草枕」と「真鶴」

昨日から、夏目漱石の「草枕」(岩波文庫)を読み始めた。古めかしい措辞や単語を正しく理解する為に幾度も註釈のページと本文とを往復しているので、読む速度はなかなか上がらないが、急ぐ理由も特に見当たらないので構わない。 小説というものに、正しく普…

「神話の解体」としての小説・不可避なユーモア

小説の役割は、神話的な超越性とその厳粛な面差しを破壊することに存する。小説が所謂「物語」との間に決定的な断絶を見出すのは、こうした事情に拠っている。「物語」は、神話的な超越性や、その厳粛な外観との間に著しい親和性を有している。 だが、こうい…

今更ながら、達者な語り口 太宰治「津軽」

太宰治の「津軽」という半ば随筆めいた小説、いや、そもそも随筆とか小説といった区分が問題にならぬような領域で書かれた散文体の作品を、遅れ馳せながら、生まれて初めて通読した。昨日の午後、幕張新都心の蔦谷書店で買い求めて、つい先ほど読み終えた。…

「サラダ坊主日記」開設一周年記念の辞

この「サラダ坊主日記」というブログを開設して、遂に一年の月日が経過した。どうでもいいようなことではあるが、何事も節目を重んじるのは人として大切な心掛である。 昨年の8月25日に最初の記事を投稿してから、丁度一年後の今日までに累計で300件余…

日本語の懐ろに抱かれて

カフカの「変身」を読み終えた後、安部公房の小説でも読もうかと思い立ち、二階の書棚を漁っていたら偶然、トルーマン・カポーティの「遠い声、遠い部屋」(新潮文庫)が眼に留まった。随分と昔に松戸の書店で買ったきり、どうにも巧く馴染めずに放置してあ…

少しずつ、何かが溜まっていくように

去年の春先から断続的に書き継いでいた一〇〇枚ほどの小説を、或る新人賞へ送った。それで一つ区切りがついたような気分になって、新しい小説を起稿した。このブログにアップしているファンタジー的な作品とは毛色の違う内容である。思いつくままに書き進め…

「記述する運動」そのものとしてのカフカ

カフカの文章が備えている徹底的なリアリズムの感触は、それが過不足のない巧みな表現力を発揮しているということの結果ではない。私の考えでは、カフカの文章が写実的であるように見えるのは、彼が対象に関する綿密な認識を蓄積しているからではない。例え…

「ゆるキャラ」と八百万の神々

現代の日本には夥しい数の「ゆるキャラ」が存在しており、日々増殖の一途を辿り続けている。私がその片隅に三年ほど暮らしていた船橋市には「ふなっしー」という屈指の有名ゆるキャラが棲息していて、世間には熱狂的な愛好家も少なからず存在しているらしい。…

「芸術」は本質的にビジネスではない

芸術はビジネスとの間に接点を持ち得るが、本来的にはビジネスとは無関係な領域である。芸術がビジネスとして成立し得るのは、あらゆるものを商業的な領域に引き摺り込もうとする資本主義的ドライブの要請であるに過ぎない。 だが、現代のようにあらゆる事象…

狂気とユーモア・異様に明晰な覚醒・見落とされた違和感・カフカ「変身」

フランツ・カフカの名高い小説「変身」(新潮文庫)を読み終えた。 彼是と文学的な話柄に就いて偉そうなことを書き殴っている割に、カフカの「変身」も読んだことがなかったのかと笑われるかも知れないが、それは仕方のないことである。とりあえず読んだので…

成長の拒否ではなく、無効化 ゆうきまさみ「究極超人あ~る」

ゆうきまさみの傑作「究極超人あ~る」は、学園を舞台に据えたコメディであり、その意味では有り触れた類型の一部として回収されてしまうかもしれない。実際、この作品に詰め込まれている種々のマニアックな細部やユーモアは、爆笑に次ぐ爆笑を呼び覚ます為…

「表現」の価値 / 「伝達」の価値

或る事物の価値を、その商業的な効果によって推し量るという習慣は、資本主義の原理に骨の髄まで犯された現代の私たちにとっては、日常的に慣れ親しんだ作法である。糊口を凌ぐために、少なくとも何らかの形で商売に携わる以上は、誰しも「売上」という問題…

小説を書くという、不自然な営み

小説を書くという行為は、極めて不自然な作為の連続であり、そこに作者のナチュラルな声というものの生起を期待することは出来ない。たとえ現実の出来事を素材に用いていたとしても、小説は本質的にフィクションであり、嘘を塗り重ねる営みである。それは自…

Cahier(書き手の論理・保坂和志のコンセプト・分業社会への苛立ちと警鐘)

*保坂和志という作家は、様々な文章を通じて、小説を完成された外在的な対象として取り扱う評論家的な態度を批判している。彼のコンセプトは、小説という文学的営為を「書き手の側に取り戻すこと」である。何故、書き手の側に取り戻さなければならないのか…

「小説」の多様な生態系

話は小説に限らないが、小説ということに的を絞って書かせてもらうと、人間がそれぞれの個性というものを不可避的に備えざるを得ないことと相関するように、小説というのは実に多様な形式を取り得るし、それらは一見すると互いに全く異質な原理によって綴ら…

サラダ坊主風土記 「筑波」

今日、仕事の休憩中に妻からのメールを開いて初めて知ったのだが、茨城県つくば市にある西武百貨店が2016年度中に閉店することが決まったという。 私は二十三歳から二十五歳にかけての時期、テナントの店長として筑波西武で働いていた。辞令が下るまで、…

サラダ坊主風土記 「金沢」

昨年の春に妻と金沢へ旅行に出かけた。私は以前から金沢という土地に憧れを懐いていて、北陸新幹線の開業から間も無い頃に、例の「かがやき」という列車に乗り込んで東京を発ったのである。一応は新婚旅行という名目もあった。飛行機が怖くて堪らない私にと…