2018-04-01から1ヶ月間の記事一覧
引き続き、中上健次の「枯木灘」と「地の果て 至上の時」に就いて試論を書き綴りたい。 ②「枯木灘」の世界を支配する「愛慾」と「淫蕩」の原理 前回の記事で、私は「枯木灘」の世界において、繰り返し描写される竹原秋幸の「労働」に附与された「神話的な性…
前回に引き続き、三島由紀夫の『沈める滝』(新潮文庫)に就いての感想を書く。 ②「快楽」という意味に包摂されない女体 数多の女と関係を持ちながら、絶えず相手の背負っている「現実的属性」との錯雑した交流を注意深く拒み、自らを「無名の任意の人間」と…
三島由紀夫の『沈める滝』(新潮文庫)を読了したので、断片的な感想を書き留めておきたい。 ①「愛情」という観念を信じない男の肖像 三島由紀夫が「沈める滝」という作品の内部に植え付け、鋳造した城所昇という人物の如何にも観念的な造形には、仄かに「禁…
①「労働」の神話的な性質、あらゆる「記憶=意味」からの離脱 中上健次は「岬」から始まる所謂「紀州サーガ」を書き上げることによって、時代に冠たる偉大な作家へ成長したと看做すのが、世間に流布する通説である。批評家の柄谷行人は、盟友である中上健次…
先般、財務省の福田淳一事務次官が、テレビ朝日の女性記者からセクシャル・ハラスメントの廉で告発され、メディアや国会は大騒ぎになっている。私は事態の審らかな経緯を理解していないが、告発された当人は自分の言動がセクハラに該当するとは認めず、寧ろ…
自分では如何に厳しく冷静に現実を見凝めている積りであっても、人間の主観には必ず生得的な偏倚と後天的な歪曲の二つが絡み付いているものである。純然たるリアリズムというのは理論的に想定された不可能な観念に過ぎず、実際の生身の人間は決して「純然た…
目下、三島由紀夫の『沈める滝』(新潮文庫)を読んでいる最中なのだが、不図思い立って再び『禁色』(同上)に就いて考えたことを備忘録として書き遺しておく。 ⑤同性愛の形而上学的性質と「享楽」 私は同性愛というものの実態に就いて具体的な知見を持たな…
*三島由紀夫の『潮騒』(新潮文庫)を読み終えて感想文を書いたので、今日から同じ作者の『沈める滝』(新潮文庫)を繙き始めた。未だ冒頭の数ページしか読んでいないので、具体的な感想など書きようもないが、主役の城所昇の人物像には「禁色」の南悠一と…
三島由紀夫の『潮騒』(新潮文庫)を読了したので、感想を書き留めておく。 新潮社文学賞と称する栄典の第一回を授与された「潮騒」という小説が、三島由紀夫の文学的経歴においては極めて異色の風合いを備えた作品であることは、多くの論者によって指摘され…
人は誰しも幸福であることを願うものだが、幸福には厄介な側面が備わっている。それは「何事も起こらない平穏に順応する」という論理的構造を含んでいるが、その幸福な平穏は必ずしも人を満足させない。退屈は人を殺しかねない。古伝に「小人閑居して不善を…
人間は誰しも、自分と他者とを隔てている根源的な境界を打破し、超越したいという欲望に精神を搦め捕られている。この普遍的な欲望を簡潔に「共同性への欲望」と名付けてみたい。自分という孤立した個体の枠組みから離れて、絶対的な境界線を踏み越えたいと…
引き続き、三島由紀夫の『禁色』(新潮文庫)に就いて書く。 ④或る芸術家のサディズム的な欲望(「精神」と「感性」の二元論的構図) この作品の前半を占める物語の主要な枠組みは、老齢の作家である檜俊輔の迂遠な復讐譚である。彼は過去に数多の「愚行」を…
引き続き、三島由紀夫の『禁色』(新潮文庫)に就いて書く。 ③「妻」の視点とストイシズム 物語の後半で、養子縁組した愛人を悠一に寝取られた男が、逆恨みの余りに悠一の同性愛を告発する手紙を、南家に送り付ける場面が登場する。悠一は自分が異性愛者であ…
引き続き、三島由紀夫の『禁色』(新潮文庫)に就いての感想文を認めておく。 ②「鏡の契約」とナルシシズムの虜囚 「禁色」において、檜俊輔が企てた女たちへの陰湿且つ残酷な復讐は、南悠一の「絶世の美青年でありながら、女性を愛する能力を持たない」とい…
昨年末から営々と読み続けていた三島由紀夫の『禁色』(新潮文庫)を昨夜、漸く読了したので、感想の断片を書き留めておく。 優れた小説は、単純明快な一つの物語の筋によっては構成されず、単一の包括的な原理によって一義的に支配されることもない。そこに…
*明日から、新年度が本格的なスタートを切る。何処の会社でも家庭でも組織でも、卒業の別れ、異動や転職の別れ、移住の別れを一通り嘆いたり悲しんだりして、新しい生活への心構えを整えた後の、愈々の門出の場面が数多く演じられるのだろう。私の勤め先は…