2020-04-01から1ヶ月間の記事一覧
引き続き、古代ローマの賢者セネカ先生の幸福論に就いて、私的な評釈を進める。 理性には、感覚の刺激を受け、感覚から最初の情報を得ながら――理性が活動の端緒を得、真実の把握を目指す原動力を得るのはこの感覚以外にはないからだが――外的なものに向かわせ…
引き続き、三島由紀夫の短篇小説「偉大な姉妹」(『ラディゲの死』新潮文庫)に就いて書く。 おのが野心に名前を与えるために興造は苦しんでいた。彼が富を考える。すると学校門前の、小さなとりすました小町娘がいる菓子屋の、その許多ここだの鹿の子や桜餅…
三島由紀夫の短篇小説「偉大な姉妹」(『ラディゲの死』新潮文庫)に就いて書く。 この作品が、三島の遺した夥しい短篇の群れの中で、如何なる芸術的序列を賦与されているのか、如何なる世評が過去に試みられてきたのか、私は知らない。ただ自分の私的な感想…
引き続き、古代ローマの賢者セネカ先生の幸福論に就いて私的な評釈を試みる。 さらに、善きものと同様に、悪しきものにも快楽が内在し、有徳の人が優れたものに喜びを覚えるのと同様に、恥ずべき人間も自分が耽る不道徳なものに喜びを覚えるという事実もある…
三島由紀夫の短篇小説「箱根細工」(『ラディゲの死』新潮文庫)に就いて書く。 丹後商会は写真機を商う店である。銀座西七丁目にあって、裏通りの地味な店構ではあるが、銀座に二十年つづいている店はそうたんとはない。主人は二代目である。先代が地歩を築…
三島由紀夫の短篇小説「日曜日」(『ラディゲの死』新潮文庫)に就いて書く。 戦後的な風俗、経済的繁栄に基づいた「幸福な日常」への期待を露骨に嫌いながら、猶も世間の喝采を浴びて威風堂々たる文豪の地位を築き上げた三島由紀夫は、極めて風変わりで屈折…
三島由紀夫の短篇小説「花山院」(『ラディゲの死』新潮文庫)に就いて書く。 中古の陰陽師は、欧洲中世の錬金道士のような神秘な知識の持主として重んぜられていた。彼には上代の呪術卜筮のたぐい、大陸の怪奇な道教や占星術、そのほか雑多な魔術的知識があ…
引き続き、古代ローマの賢者セネカ先生の幸福論に就いて個人的な探究を進める。先生は「幸福な生について」と題された書簡形式の文章において、エピクロス派の門徒たちが開祖の教義に反して(不当な曲解に基づいて)「快楽」を人生における「最高善」と看做…
引き続き、古代ローマの賢者セネカ先生の幸福論に就いて個人的な探究を進める。 「しかし、精神も快楽を覚えるはずだ」、そう言う人もいる。いかにも、精神にも快楽を覚えさせ、奢侈と快楽の審判人の席につかせるがよいのである。精神をしてみずからを、感覚…
引き続き、古代ローマの賢者セネカ先生のストイックな幸福論に就いて私的な評釈を進める。 ある種の自由さをもって論じ始めたのだから、こうも言えよう、幸福な人とは、欲望も覚えず、恐れも抱かない人であるが、ただし理性の恩恵によってそうであるような人…
引き続き、古代ローマの政治家であり偉大な哲人であったセネカ先生の幸福論を繙読し、私的な評釈を試みる。 敷衍した定義が望みなら、原義を何ら損なうことなく種々の様相をもたせて、また別様に言い換えることもできる。なぜなら、幸福な生とはこうだと言っ…