サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

現し世の幸福を厭離する心 三島由紀夫「花山院」

 三島由紀夫の短篇小説「花山院」(『ラディゲの死』新潮文庫)に就いて書く。

 中古の陰陽師は、欧洲中世の錬金道士のような神秘な知識の持主として重んぜられていた。彼には上代の呪術卜筮のたぐい、大陸の怪奇な道教占星術、そのほか雑多な魔術的知識があつまっていた。純理と神秘との間に弁別がなかったこの時代のこととて、彼は学者であると同時に魔法使いであった。陰陽師は過去をわきまえ、現在を見、未来を知った。そのかたわらにはまた、人間に関するあらゆる知識が彼にそなわっているものと信じられていた。(「花山院」『ラディゲの死』新潮文庫 p.126)

 三島由紀夫の作風に就いては、様々な修飾が附せられてきた。理智的で壮麗な美文を駆使し、和風の自然主義に基づく露悪的な「私小説」の伝統を嫌って、聊か人為的なロマンスの構築に精励する鬼才の作家、というのが通俗的なラベリングではないかと思われる。実際の生活に取材し、真実を赤裸々に吐露する自虐的な告白趣味は、日本の近代文学において、文学的価値の高低を決する重要な指標或いは道徳的規範として崇められてきたが、三島由紀夫という作家は明らかに、そうした女々しい情緒的な風潮を嫌っている。私小説の典型と目される太宰治の文業への嫌悪を声高に公言し、自らの出世作に「仮面の告白」という表題を附した三島の作風は、レイモン・ラディゲを筆頭に、フランスの心理小説の様式に学んだ理智的で犀利な「解剖」の筆致を、その才能の中核に据えている。

 しかし、彼は単なる無味乾燥な理論家ではなかった。その作品は、極めて人工的で作為的な虚構に過ぎないと頻々たる批判に晒され、真実の剔抉を金科玉条とする文学的道徳の迫害を一身に蒙り続けてきた。実際の事件に取材しても、彼の目的は不合理な現実の精緻な再生に存するのではなく、現実を一つの特異な夢想に変造することに重点を置いていた。彼は比類無い観念的饒舌を通じて、退屈な現実を自在に攪拌した訳だが、その志向の根底には、幻想的なロマンティシズムの情熱が滾々と湧出していたのである。奇態な幻想と犀利な論理を縫い合わせ、倦怠を催す日常的風景から遥か遠く隔たること、それが彼の文学的な方針であった。そうした浪漫主義の重要な源泉として、日本の古典文学や歴史的伝承に関する彼の分厚い素養が度々活用されてきたことは、夙に知られた事実である。現代的な事件を扱う際には酷薄な解剖の筆鋒が目立つ一方、古典に取材した作品においては、三島の浪漫主義的な側面が鮮明に滲み出る傾向が強い。陰陽師という「純理と神秘」の融合を象徴する存在を取り上げた「花山院」の一篇は、三島自身の才能の性質を比喩的に浮かび上がらせていると看做しても恐らくは許されるだろう。

 なかでも当時の宮中で最も重く用いられ、最も高い声名を馳せていたのは安倍晴明であった。一つには彼が卑しからぬ家門の出であったのにもよる。右大臣阿倍御主人の裔、大膳大夫益村の息子がこの晴明である。晴明の官職は際立って高いものではなかったが、主上をはじめとして貴顕のいつわりのない畏敬のこころを、彼ほど確実に掌に収めていた人はなかった。天文博士であり、穀倉院の別当であった晴明は、うつろいやすい政治的勢力の隆替の間に伍して、動かしがたい一種の権力の保持者であった。いわば博士は神秘の世界に君臨していた。この夜の世界は、人々が笑ったり嘆いたり、栄達に心をなやましたり、愛人を失ったといっては泣き、外戚の地位を得たといってはよろこんだりする昼の世界、つまりありのままの人間の世界よりは、はるかにひろい版図を占め、はるかに深い構造をもっていた。そこでは人間の運命も、蟻や小鳥の運命とかわりがなかった。局の奥で嘆き悲しむ上臈の涕泣も、穴に隠れて飢を泣く狼の仔の唸り声と大差はなかった。晴明の心には、ただ一面の夜が、一面の星空があるだけであった。星は規則正しく仮借なく運行し、その秩序のまにまに、人間も鳥獣も、たえず生れては死に、死んでは生れていた。(「花山院」『ラディゲの死』新潮文庫 pp.126-127)

 矮小な人間的生活の単調な律動、日常という言葉で指し示される反覆的な秩序、それらへの抑え難い嫌悪と怨嗟は、三島の作風の中核を成す特質の一つである。彼は運命と呼ばれる巨大な必然性に打ちのめされる人間の激越な悲喜劇を愛し、道徳的な幸福というものの価値を過小に鑑定した。古代ギリシア・ローマの倫理的なモラリストたち、例えばエピクロスセネカといった人々は、感情の乱脈を排撃し、理性による統治と、欲望の抑圧を美徳として重んじた。それだけが幸福に至る捷径であると喝破したのである。その意味では、三島由紀夫の作風及び思想は明瞭に反幸福論的な性質を帯びている。運命の采配に囚われず、脚下照顧の精神に基づいて、現状に充足し、過剰な欲望を節倹することを重んじる幸福論の要諦を、彼は露骨に貶下し、蔑視している。彼の作品に登場する重要な人物は皆、矮小な道徳的安寧への自足を峻拒し、専ら過激な情動の乱高下に挺身することを求めているのだ。謂わば感情に殉ずること、不合理な情熱に魂を委ねること、つまり浪漫主義の精神に耽溺すること、これが三島の内面を領する根源的な衝迫である。その衝迫と、磨き抜かれた理智的な王権との相剋が、彼の複雑な生涯を難解な旋律のように形作っているのである。

「女御がみまかってから、私は蟬の抜殻のようだ」と帝は考えられた。「何ものも私を慰めないし、何ものも私を力づけない。この地上で確かなものといったら、それは何なのだ。人間が三度三度食事をするということか? 地上の確かさはそれに尽きるのか? それだのに、そういう確かそうなものを見、その確かさに安心している人たちを見ると、私は笑いたくなる。女御がいたときは一刻も永遠のように思われた。幸福な一刻だったからだ。今でもやはり、永遠のように思われる一刻がある。不幸な一刻、退屈な耐えがたい一刻だからだ。してみると、時というもの、私たちの生きていることの唯一の仕方がない理由というものも、こんなにあやふやな当てにならないものであろうか? 『時』は私たちの生きていることの徒な所以をいいきかせるために流れているのであろうか?」(「花山院」『ラディゲの死』新潮文庫 p.132)

 例えば倫理的なモラリストならば、つまり道徳的幸福の信奉者ならば、恐らく「人間が三度三度食事をするということ」の裡に揺るぎない賢者の幸福を見出すだろう。平穏な日常が無限に繰り返されることこそ、至福の淵源であると説いて倦まないだろう。けれども花山院は、そのような平板な幸福を愛せず、寧ろ軽蔑せずにはいられない気質の持主である。劇しい愛憎、断ち切り難い執着は、道徳的幸福にとっては不倶戴天の宿敵である。しかし花山院は、そのような熾烈な情動の乱脈を鎮めることに同意しない。これは一つの精神的不均衡、理智の衰弱に起因する凡庸な病弊に過ぎないのだろうか? 少なくとも主知主義的な幸福論は、そういう診断を仮借なく下すだろう。絶世の美女であろうとも、未練は絶ち切るに如くはないという合理的な結論が、花山院の苦衷を冷ややかに嘲笑することになるだろう。

 そうではなかった。帝は怒ってなどいられなかった。帝は若々しい、ほとんど子供らしい無垢なお心で、この夏の夜の月光のなかを歩いていることに一種の喜悦を見出しておられた。一年ぶりで帝のなかに何か無邪気な喜びがあふれた。恋人を失って絶望した十九歳の少年は、つかのまおのれに刑罰のように課していた苦患をのがれて、くっきりした影法師を見まもりながら歩いていた。どこへ行くともわからなかった。このまま凡てが何事かに叶っているような心地がされた。(「花山院」『ラディゲの死』新潮文庫 p.136)

 出家遁世に際して花山院が見せる暫時の朗らかな心境は、現し世からの解放に対する喜悦の所産なのだろうか。彼は現し世の厳めしい摂理、つまり「人間が三度三度食事をするということ」に代表される類の規約を免除され、謂わば「夜の世界」へ移行しつつある。それは「運命」の支配する領域へ移転すること、人間の賢しらな生活を冷眼視する立場へ跳躍することを示唆しているのではないか。彼は「生」の超越を図っている。激越な愛憎や悲喜は、道徳的な生の規矩を超過している。彼は一つの夢想的な象徴に化身しようとしている。

 生を制御すること、欲望や情動を道徳的な規矩に服属させること、それらの創意工夫は、超越的であるというよりも、内在的な態度であると看做すべきだ。生を蔑視する者は、生活の細目に関して道徳的配慮を徹底しようなどとは考えもしないだろう。生を一つの逃れ難い律動として受容する者だけが、道徳的配慮に対して実存的な関心を寄せる。けれども道徳的配慮を嫌悪し、情動や欲望の法外な暴騰に殉じることを択ぶ人々は却って、生の内在的な統制から除外され、超越的な圏域へ、つまり「夜の世界」へ放逐されてしまうのである。彼らは生きることから逸脱し、その法外な情動や欲望は、現し世における悲惨な破滅を齎す。生きることから食み出してしまうほどに劇しい情熱、死を以て購われる以外に途のない途轍もない情熱、その悲劇的な栄光を描き出すことに三島は無類の執着を示した。「生きることに向いていない」とは、こういう消息を指す表現であろうと思われる。

ラディゲの死 (新潮文庫)