サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

2016-09-01から1ヶ月間の記事一覧

百年先も、古びない言葉を

言葉は、時々刻々と古びていく宿命を背負っている。或いは、言葉は「ナマモノ」であると言い換えることも出来る。単純に語彙や文法が古びて、時代の一般的な通念に合わなくなっていくだけではない。その言葉が発せられた当時には意味のあったことでも、時代…

本当の言葉、転職の現実

昨夜の記事に書いた通り、今日は面接を二社受けてきた。 saladboze.hatenablog.com どちらも人材派遣、職業紹介などの事業を展開する会社で、私はキャリアコンサルタントという職種に応募した。名前は仰々しいが、要するに営業である。 昨夜、仕事の帰り道、…

「転職」の根底にある想い

今日は終日、会議だった。私の職種は小売業の尖兵なので、日頃は店舗に通勤するのだが、月に三回ほど、東京の事務所へ会議に出掛けていく。売上や収益に関する対策の立案や、商品計画や労務管理やら、会社の方針説明やら、その他の細々とした雑用も含めて、…

会社が私を縛るのではない。私が私を縛っているのだ。

「自縄自縛」という言葉がある。文字通り、自分で自分を縛るという意味だ。 自分の本心を掘り下げて、今まで余り直視した例のない暗がりにまで鼻面を突っ込んで、深く覗き込んでみようと努めるのだけれど、自分で自分の躰を抓るときのように、どうしても手加…

「妻」と呼ばれる人々

世の中には色々な役割があり、誰しも社会、或いは世界という大きな天蓋の下で、何らかの地位を占めながら生きている以上は、そうした役割の仮面やら鎧やらに縛られる宿命からは逃れられない。夫婦というのも役割の一種で、私たちの社会の礎になる、微小な単…

限られた時間の中で生きること

連日、転職を巡る諸問題が私の頭を悩ませている。そう書くと、酷く苦しんだり憔悴したりしているように聞こえるかも知れないが、思い詰めてはいない。ただ、考えなければならないこと、改めて検討しておかなければならないこと、それらが泡沫のように次々と…

「情」の問題

引き続き、私の人生において目下、最重要の問題である「転職活動」を通じて考えたことを徒然と書き綴ることにする。 直属の上司に退職の意思を打ち明けたところ、上には報告せずにおくから考え直せと言われ、数日が経過した。今でも退職、転職という基本的な…

「現場主義」という魔法の言葉

小売業界に限らず、店舗と本部、支店と本店、工場と本社といった組織の区分は、企業の体制としては珍しいものではない。いや、企業だけに留まらず、どんな組織でも、実際に活動する拠点と、各地に点在する拠点を統括する中枢的存在というのは、一定の規模を…

「理想」を持つことの意義

今日、転職の為の面接を受けに、久方振りに横浜方面まで足を延ばした。 そこは個別指導の学習塾を展開している企業で、色々と面接官の方に質問を投げ掛けてみた。どんなことでも訊ねてくれ、総て正直に答えるからと大見得を切るので、私は気になったことを幾…

あの曲がり角の向こうには、どんな景色が広がっているのだろうか?

自分の想いを掘り下げることの重要性について、考える日々が続いている。彼是と雑多なことを書き散らす習慣は、このブログを始める以前から十年以上も続いている。十代の頃は、もっと訳の分からない個人的な走り書きのようなものを、ノートに書き溜めていた…

それまで存在しなかった「世界」を切り拓く為の苦闘

転職を志すに当たって、自分自身の本心を振り返り、その内側、その奥底に底流している感情や思念を探り出そうと、連日こうして文章を書き殴っている。書き進めるうちに、少しずつ見えてくるものもあれば、余計に深みに嵌まり込んで真実が遠退いてしまうよう…

社会と直接つながる生き方はできないだろうか?

前回の記事に通じる内容を書く。 saladboze.hatenablog.com 大学を卒業し、企業などの法人に就職して、与えられた役割を全うすることで生活の保障を得る。こうした仕組みは、私たちの暮らす社会においては極めて強固で堅牢な「型枠」として存在し、機能して…

転職すれば世界が変わるだろうという思い込み VS 転職したって世界は変わらないだろうという思い込み

転職すれば世界が変わるだろうという思い込みは、今の仕事に、或いは直接仕事に関わらずとも自分の現状に不満がある場合に、恩寵のように降臨する美しい幻想であろう。転職という言葉に固執せずとも、環境を変えることで今の自分から脱皮出来る、今まで出来…

言葉の瞬発力・機動力・柔軟性

saladboze.hatenablog.com 先日、上記の記事で「ですます調」の文体で書く決意を表明したばかりなのに、早くも「ですます調」で書くことに歯痒さのようなものを感じ始めて、困っている。困っていると言い出した傍から、こうして「ですます調」を抛棄している…

或る組織の内側でしか通用しない「価値観」

どうも今晩は、サラダ坊主です。 最近、転職活動を始めました。 今の会社には、二十歳のときから十年も御世話になっており、愛着もあるのですが、自分の心の中でどんどん、この会社で働くことへの意欲が失われつつあるのです。その理由は複合的なもので、簡…

書くことで、人の「想い」に触れる

どうも今晩は、サラダ坊主です。 数日間、更新を怠っておりました。 最近、これから自分はどういう人生を送っていきたいのか、或いは送っていきたいと思っているのか、そういうアイデンティティに関わる問題に就いて、考え込む日々が続いています。 これはな…

表現することは、肯定すること

どうも今晩は、サラダ坊主です。 今日の記事の主題は、表題に掲げた通り、「表現することは肯定することではないか」という着想に就いて、考えを巡らせることにあります。 何故、表現することが肯定することと結び付けられるのか、という疑問を、いきなり抽…

信じられないものを信じているように振舞う苦しみ

どうも今晩は、サラダ坊主です。 連日、己の「本心」と向き合うという主題を巡って記事を書いています。これは私にとっては結構重要な問題であり、遡れば少年期の頃からずっと解決し切れないままに持ち越し続けている難問です。 例えば私は中学生の頃、生ま…

「本音」という言葉を、甘く見てはいけない

どうも今晩は、サラダ坊主です。 内容的には、前回の記事と繋がり合うものになりそうです。 saladboze.hatenablog.com 書くことの目的、或いは本質に関して、これまで私は、幾度か記事を認めてきました。無論、書くことの目的などという抽象的な御題目に対し…

確信を持って語れることが、私に幾つあるだろう?

どうも今晩は、サラダ坊主です。 こうしてブログを書いたり、或いは日常の会話の中で意見や感想を交わしたりするとき、私たちは実に多くの「考え」や「認識」を語っていますが、その考えが常に「確信」によって支えられているという方は、いらっしゃいますか…

理解しがたいものへの不寛容 / 「多様性」をめぐって

どうも今晩は、サラダ坊主です。 人間にはそれぞれ、個性というものがあります。無論、遺伝子の配列によって予め定められた生体的な宿命であるとか、或いはそもそも人間という霊長類の一種が集合的に備えている特質であるとか、そういった先験的な条件によっ…

「文学的なもの」への曰く言い難い憧れ

どうも今晩は、サラダ坊主です。 私は小さい頃から本を読むのが好きで、小学校一年生の参観日で「将来の夢」というテーマで一人ずつ簡単な発表をする機会があったときには、幼稚園児の頃から愛読していたヒュー・ロフティングの「ドリトル先生」シリーズ(井…

見知らぬ人に、語り掛けるように

不図思い立って、今日から暫く「ですます調」の文体で記事を書こうと思う。その後付けの理由も、ですます調で書いてみる。 saladboze.hatenablog.com どうも今晩は、サラダ坊主です。 元々、開設当初は、ですます調の文体で書き綴っていた当ブログですが、上…

出世間、超俗、芸術の効果 夏目漱石「草枕」に関する覚書

先日、夏目漱石の「草枕」(岩波文庫)を読み終えた。 漱石の実質的な処女作である「吾輩は猫である」と比較しても、恐らくは漢籍の表現がベースとなっている措辞が数多く散見して、読み辛さは此方が上である。読者を煙に巻くような、何とも名状し難い流動的…

世界が終わるとしても、私は今日を生きていかねばならないし、会社が潰れても、夜明けはどうしたってやってくる

何とも不可解な表題の記事になる。大して深い理由はない。最近、漠然と考えていることを例によって書き綴るだけだ。 二十歳前後の頃、私は働くことが嫌いだった。幾つか会社を辞めて、当時の家族に迷惑を掛けたこともある。十代の半ばくらいから、所謂社会的…

あらゆるものを語ろうとする欲望の結晶

小説や詩歌、それら一般に「文学」と称されるものの本質は、あらゆる物事を言葉に置き換えようとする偏執的な欲望の衝動に存すると、私は思う。絵画があらゆる色彩と光と形態を描き尽くし、音楽があらゆる旋律と響きを奏でることを試みるのと同じく、文学は…