サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「現場主義」という魔法の言葉

 小売業界に限らず、店舗と本部、支店と本店、工場と本社といった組織の区分は、企業の体制としては珍しいものではない。いや、企業だけに留まらず、どんな組織でも、実際に活動する拠点と、各地に点在する拠点を統括する中枢的存在というのは、一定の規模を越えた段階で必ず必要とされるものなのではないだろうか。

 また愚痴っぽい文章になるが、私はずっと小売の現場で責任者として働いている。責任者といっても、私の一存で物事が決まる範囲というのは極めて限られている。会社の規模が大きくなり、管理が厳しくなるに連れて、唯でさえ乏しかった権限は年々縮小の一途を辿っている。管理が厳しくなる、統制が細かな部分にまで及ぶようになる。いわば「繁文縟礼」のような些末な規則が幅を利かせるようになる。はっきり言って、煩わしい。勿論、そうした些末な規則が定められる背景には、相応の事情がある。大抵の場合は、些末な失敗の為に思いの外、厄介な揉め事が発生したか、若しくは法律の改正に伴ってコンプライアンスの観点から是正の措置を取る必要が生じたか、何れかが原因である。

 過去の失敗に学び、そこから必要な改善の方策を練ることは今日、社会の常識に登録されている。過去の失敗から何も学ばずに同じ過ちを繰り返し続けるのが「馬鹿」の特性であることは論を俟たない。しかし、そうやって過去の失敗を記録し続けることによって、組織が講じねばならなくなる措置の数は無限に増えていく。理論上、是正されない過ちは悪性の腫瘍の如く肥大して、やがては組織全体を重篤な病へ追い込んでいくという医学的なメタファーの下に、危機管理の重要性が声高に叫ばれ、非常に眼の細かい規則の網が世間を、人間を覆い尽くしていくようになる。こういう世界で生きることは、精神的な窒息の危険すら惹起する。だが、誰も回り始めた歯車を押し留めることは出来ない。

 だが、人間の脳味噌のキャパシティというのは、幾らコンピュータが発達したところで物理的には変わらないのであり、無限に増大していく総ての規則を暗記して実行に移し続ける「生ける六法全書」のような人間が大量に養われ得るような社会でもない。規則は確かに大事だ。例えばスポーツやゲームは規則だけで成り立っているようなものだ。社会に出て働くにしても、資本主義という「規則」の下で運営される企業は皆、同じ基準を遵守しながら、収益の追求に明け暮れている。

 管理する側は、それを制定するだけで実行はしなくても済む立場であるから、割と理想主義に傾きがちである。青臭い正論を墨守することに奇妙な陶酔でも見出しているのだろう。だが、繁雑極まりない規則の遵守を要求される現場の人間にとって、それらの規則は往々にして「机上の空論」のように感じられ、著しい精神的消耗を強いられるのが通例である。管理者たちは「現場が大事」だと呪文のように唱えたがるが、そうした発想は容易に「現場の責任」という御題目と掏り替えられてしまう。現場が大事というより、管理部門が現場の力に依存し過ぎていることが問題なのだ。管理する側が現場という曖昧で不透明なものに依存しつつ不信感を懐いていること、これが日本社会における「本社=現場」の構造的乖離を悪化させる要因の一つである。言い換えれば、現場で生起している事態への管理者たちの「把握」の程度が低いことが問題なのである。

 何もかも数値的な指標に還元して、現場の実態を語ろうとする管理者たちの紋切り型の心構えは、現場の恐るべき複雑さに対する抑圧的な暴力である。但し、彼らの抑圧的な暴力の根底に「現場」という「飼い馴らされることのない野犬」への恐怖と警戒が息衝いていることは、現場の人間も自戒の念と共に認識しておかねばならない要点であると言える。現場の活力や固有の運動性は、管理する人々の精神的な疲労を果てしなく増大させる一種の「暴力」である。

 重要なのは、管理する側の標榜する「現場主義」という理想が、現場の人間の考える「現場主義」とは根本的に異質な観念であることを正しく理解する点に存する。管理者たちは決して現場の活力を扼殺しようとは考えていない。ただ、彼らの眼に映る現場の「生理」は時に余りにも横暴で、原理原則や理念から逸脱し過ぎているように見えてしまうのだ。だから、彼らは明確な規則を導入し、尤もらしい理窟をその背面に据え付けて、獰猛な現場の犬たちを従わせ、無軌道な暴走を予防しようと企てる。一方、現場の人間は、そうした管理者の制定する規則の「権威」に、一方的で理不尽な「命令」という要素を見出して主体性を圧し折られたような気分に陥り、規則への反抗や黙殺という穏やかならぬ行動を選び取ってしまうのである。両者の擦れ違いが不幸で、生産性を欠いた現象であることは言うまでもない。互いに相手の本意を探り合い、過剰に怯え合って、それが却って反動的な攻撃性となって表出されることもある。

 収益を生み出す現場のレベルを如何に向上させ、その活力を維持するか、という問題が、どの企業においても重要な意義を担っていることは確実であろう。だが、現場という「実行部隊」と、管理部門という「司令部」との間に生じる埋め難い空隙、或いは疎隔を、どうやって咬み合わせたらいいのか、今の私には分からない。