サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

2018-08-01から1ヶ月間の記事一覧

「サラダ坊主日記」開設三周年記念の辞

過日、八月二十五日を以て、私の運営する「サラダ坊主日記」は開設三周年の節目を迎えた。 石の上にも三年、仕事を始めたばかりの若者が上司や先輩から「先ずは三年頑張れよ」としたり顔で言われる、あの伝説的な「三年」が経過した次第である。二十九歳の夏…

ニヒリズムの多様な範型 三島由紀夫「鏡子の家」 6

引き続き、三島由紀夫の『鏡子の家』(新潮文庫)に就いて書く。 ⑤「醜悪な現実」とオカルティズム 感性的な「美」の範型に従属し、芸術家として「時間的法則」を免かれた世界で無秩序と遊戯の日々に暮らしてきた夏雄の平穏な境涯は、徐々に「人間的関心」に…

愛慾と殺意の共同体 三島由紀夫「獣の戯れ」

三島由紀夫の『獣の戯れ』(新潮文庫)を読み終えた。 この小説には「愛の渇き」や「美徳のよろめき」に通じる背徳的な愛慾の気配が色濃く漂っている。特に深刻な浮気性の夫に独占欲を懐きながら容易に満たされずにいる孤独な草門優子の姿は「愛の渇き」の悦…

Cahier(七十三回目の終戦記念日・追憶と風化・八月十五日の焔のような夏の光り)

*今日は七十三回目の終戦記念日であるという。毎年八月十五日が終戦記念日であることは知っている。私の父方の実家は広島にあり、亡くなった祖母は原爆が光るのを自分の肉眼で目撃したと言っていた。 テレビでは全国戦没者追悼式の映像が幾度も断片的に流れ…

ニヒリズムの多様な範型 三島由紀夫「鏡子の家」 5

引き続き、三島由紀夫の『鏡子の家』(新潮文庫)に就いて書く。 ④「美」の超越的な範型、或いは審美的ニヒリズム この世界の事象に如何なる意義も価値も認めないことが、ニヒリズムと呼ばれる精神的情況の特質であるとするならば、新進気鋭の芸術家として登…

ニヒリズムの多様な範型 三島由紀夫「鏡子の家」 4

引き続き、三島由紀夫の『鏡子の家』(新潮文庫)に就いて書く。 ③「自然」と「実相」に基づくニヒリズムの超越的性質 あらゆる他者の存在を「鏡」のように扱い、己の外面的な価値を確かめることで内在的な虚無に抵抗する舟木収のナルシシズムは、高利貸を営…

サラダ坊主風土記 「盛岡・小岩井」 其の五

そのホテルの二階には露天風呂を含めた大浴場があり、その周辺が「おまつり広場」と称する空間になっている。夜に限って、祭りを模した射的やスーパーボール掬いなどの出店が並び、イベントスペースではビンゴ大会や和太鼓の演奏などが行なわれるのである。 …

サラダ坊主風土記 「盛岡・小岩井」 其の四

小岩井農場の涼しい喫茶店で軽食を済ませた後は、土産物売り場を見物して幾つか日持ちのする菓子を購い、腕時計の文字盤に急かされるように正門を出て、待合室で路線バスの到着を待った。予定よりも一本早い、盛岡駅まで直行する便である。 行きの便はマイク…

サラダ坊主風土記 「盛岡・小岩井」 其の三

盛岡旅行の二日目は、小岩井農場へ遊びに行く計画であった。朝の九時に盛岡駅の東口を発車する路線バスに搭乗せねばならない。早起きしてホテルでビュッフェ形式の凡庸な朝食を摂り、チェックアウトの手続きを済ませて、晴れ渡った午前の街並へ繰り出す。 バ…

理想と現実、論理と情熱、厖大なる「空虚」 三島由紀夫「宴のあと」

未だ「鏡子の家」に関する感想文を書き終えていないのだが、三島由紀夫の『宴のあと』(新潮文庫)を読了したので、記憶が褪せる前に記録を遺しておきたいと思う。 日本における「プライヴァシーの侵害」という法律的闘争の先駆的な事例という枕詞が何時でも…

サラダ坊主風土記 「盛岡・小岩井」 其の二

岩手銀行の旧本店は、中津川に架かる中の橋の畔にあり、盛岡城跡公園の対角に位置している。それほど巨大な建物ではない。東京駅の丸の内を連想させる赤煉瓦の造作である。 路上の劇しい暑さから逃れるように、我々は薄暗い館内へ入り、入場券を買い求めた。…

ニヒリズムの多様な範型 三島由紀夫「鏡子の家」 3

引き続き、三島由紀夫の『鏡子の家』(新潮文庫)に就いて書く。 ②稀薄な「自己」とナルシシズムの原理 稀有の美貌に恵まれながら、一向に売れる見込みのない役者稼業を営んでいる舟木収は、自己の稀薄な実在感に絶えず悩まされている。 「それから……」 と又…

サラダ坊主風土記 「盛岡・小岩井」 其の一

過日、妻子を伴って二泊三日の岩手旅行へ出掛けて来た。その備忘録を認めておく。 私にとって岩手県は未踏の地である。そもそも東北地方に余り縁がなく、昨年の夏に訪れた仙台も、初めて足を踏み入れた場所であった。旅先の選定に際して、未踏の地であるとい…