サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

Cahier(七十三回目の終戦記念日・追憶と風化・八月十五日の焔のような夏の光り)

*今日は七十三回目の終戦記念日であるという。毎年八月十五日が終戦記念日であることは知っている。私の父方の実家は広島にあり、亡くなった祖母は原爆が光るのを自分の肉眼で目撃したと言っていた。

 テレビでは全国戦没者追悼式の映像が幾度も断片的に流れていた。松戸にある実家へ妻子を伴って久々に遊びに行き、騒ぎ立てる娘の傍らで、私は寝そべって漫然とテレビの画面を眺めていた。

 昨秋から集中的に読み続けている三島由紀夫の作品は、戦争という時代の陰翳が漆黒の下地の如く隅々まで浸透しているように感じられる。昭和の元号と共に生まれ、国家の滅亡と自己の物理的な死とが手を取り合って予定されている戦時下の青春を過ごした彼が、短い生涯の中で、戦争の記憶から完全に解き放たれることなど有り得なかったに違いない。敗戦によって百八十度の転回を遂げた世相の姿に、違和感を拭えなかったとしても、それは彼の個人的な罪科ではない。

 こういう日々に、私が幸福だったことは多分確かである。就職の心配もなければ、試験の心配さえなく、わずかながら食物も与えられ、未来に関して自分の責任の及ぶ範囲が皆無であるから、生活的に幸福であったことはもちろん、文学的にも幸福であった。批評家もいなければ競争者もいない、自分一人だけの文学的快楽。……こんな状態を今になって幸福だというのは、過去の美化のそしりを免かれまいが、それでもできるだけ正確に思い出してみても、あれだけ私が自分というものを負担に感じなかった時期は他にない。私はいわば無重力状態にあり、私の教養は古本屋の教養であり、(事実、戦争末期には、金で素直に買えるものは古本しかなかった)、私の住んでいたのは、小さな堅固な城であった。

 ――そして不幸は、終戦と共に、突然私を襲ってきた。(三島由紀夫「私の遍歴時代」『三島由紀夫文学論集Ⅱ』講談社文芸文庫 pp.278-279)

 戦争の悲惨と害毒を糾弾し、恒久的な平和を希求する人々の合唱の狭間に、こうした文章を置いてみると、如何にも不謹慎な言い分に聞こえることは確かである。無論、作者は決してこの個人的感慨を、普遍的な論理に昇華しようと試みている訳ではない。ここには、作者が「金閣寺」において提示してみせた「認識から行為へ」という主題に基づく悪戦苦闘の淵源が谺している。

 戦没者の遺族が高齢化し、戦争を直接に経験していない戦後生まれの世代が全体の三割を占めるようになったと、テレビのニュースは告げていた。戦争の記憶を語り継ぐことの重要性は、喫緊の課題として我々の暮らす国家と社会を扼している。けれども語り部の言葉が、戦争の悲惨な性質に対する慨嘆と、永続的な平和に対する切実な祈りだけで占められてしまえば、それもまた「風化」の歴然たる症状の一つということにはならないだろうか? 戦争の記憶は、必ずしも「火垂るの墓」に登場する不幸な兄妹のような、受動的な被害者たちだけの持ち物ではない。それは実に様々な角度から検討され、追憶されるべき巨大な全貌を有している。恒久平和の理念を声高に訴えるだけで、戦争の悲惨を語り継いだことにはならない。恐らく、それが「語り継ぐこと」に関わる本当の難しさというものであろうと思われる。

三島由紀夫文学論集 II (講談社文芸文庫)

三島由紀夫文学論集 II (講談社文芸文庫)