サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

サラダ坊主風土記 「盛岡・小岩井」 其の五

 そのホテルの二階には露天風呂を含めた大浴場があり、その周辺が「おまつり広場」と称する空間になっている。夜に限って、祭りを模した射的やスーパーボール掬いなどの出店が並び、イベントスペースではビンゴ大会や和太鼓の演奏などが行なわれるのである。

 私は夕食で三杯も呷った銀河高原ビールが全身を駆け巡っていて、若干ふらついているというのに、酔った勢いで別に得意でもない射的に金を払って挑戦した。今まで生きてきた過程において、射的に挑んだ経験は概ね皆無に等しかったので、渡された玩具の銃の尖端に見様見真似でコルクの弾を詰めたものの、引鉄を絞っても一向に発射されない。装填の為のレバーをガチャリと引っ張ることを忘れていたのだ。見兼ねた屋台の店主(尤も、本当の店主ではなく、ホテルの従業員であるが)が、装填のレバーに注意を促してくれたので、漸く勝手が分かり、改めて照準を睨み据えて五発の弾丸を発射したが、総て流弾に終わった。隣で二歳の娘は好奇心に満ちた瞳を私の動作に向けて注いでいた。何も起こらなかったので、私が何をしようとしているのか、今一つ理解出来ない面持ちであった。

 その後は、妻がビンゴ大会に参加した。なかなか的中しないが、商品がなくなるまで延々と籤を引き続ける制度なので、粘り強く待てば誰にでも恩寵の訪れる見込みがある。膝の上に乗せた娘は衝撃を加えると光り出すゴムの玩具に夢中である。やがて妻がビンゴを達成して賞品を選ぶ為に土俵のような舞台へ上がった。ミニオンの縫い包みを貰ってきてくれと頼み、序でに娘を土俵へ登らせる。娘は嬉しそうな恥ずかしそうな、何とも言えぬ子供特有の複雑な表情で、妻から受け取ったミニオンの縫い包みを抱きかかえた。

 部屋へ引き上げてから、私は独り大浴場へ向かった。折悪しく月の障りに当たった妻は、広大な浴場へ浸かることを断念し、娘と二人で部屋に残った。脱衣所の籠に眼鏡を抛り込む。酷い近眼の私は、露天風呂へ入っても、眼鏡を外してしまうので景色がぼんやりとしか捉えられない。仮に眼鏡を着用して入っても、湯気で曇って視界が白濁するので、何れにせよ明晰な眺望は愉しめないのである。残念な話である。

 それでも、夜の露天風呂からは、東天に昇った月と、闇に沈んだ夏山の稜線が見渡せた。夜更けの山には、不吉な魅力が漲っている。人間的なもの、街並や舗装された道路や建物や、電線や水道管や行き交う自動車、そういった人工的な技巧の類を悉く包み込んで、闇の淵へ引き摺り込んでしまう神秘的な恐ろしさが蟠っているように感じられる。人間の恣意的な判断や解釈を超越したものに触れることは、人間的な絡繰や習慣や規則や、つまり所謂「俗塵」に塗れ尽くした己の存在を浄化するような効能が備わっている気がする。聊か大袈裟な感想ではあるけれども。

 翌朝は早々と起き出してビュッフェ形式の朝食を摂り、部屋に戻った後は再び妻子を残して独り、浴場へ向かった。穏やかな午前の夏の光が流れ込む大浴場は閑散としていて、私以外に浴客の姿は見えない。試しに眼鏡を掛けてみると、戸外である所為か、暑くて浴場との寒暖差に乏しい所為か、レンズが曇らない。改めて明るい夏山の風景に眺め入る。夜間に仰ぎ見たときのような感慨は特に起こらない。総てが白日の下に晒されている所為で、世界が平坦に映じる。

 チェックアウトを済ませ、十時半のシャトルバスに乗り込んで盛岡駅へ取って返す。十六時五〇分発の東京行き「はやぶさ」で帰投する予定なので、未だ大分時間が残っている。妻に何処か往きたいところはないのかと訊ねられ、私は歴史的な街並が保存されていると伝え聞いた鉈屋町へ往こうと提案した。その界隈には「平民宰相」と呼ばれて一身に大衆の敬愛を集めながら、東京駅で刺されて非業の死を遂げた原敬菩提寺である大慈寺もある。バスの案内所で道順を訊ねると、直通の路線は存在しないと言われたので、タクシーで向かうことに決めた。大慈寺の前で下ろしてもらい、娘を担いで堅牢な石段を登る。人影は皆無で、夏の劇しい光と囂しい蝉時雨だけが辺りを領している。何だか、三島由紀夫の「天人五衰」の幕切れの場面を想起するような情景である。尤も、寺内の敷地はそれほど宏大ではない。

 茹だるような暑さに苦しみながら、鉈屋町の界隈を歩き、古びた町家の外観を眺めながら、南大通りへ出て盛岡バスセンターを目指す。そろそろ昼食の献立を思案する時刻である。「Nanak(ななっく)」と称する小体な商業ビル(廃業した百貨店の跡地であるらしい)を物色してみるが、今一つ心を惹かれる店が見つからない。通りに面した停留所に滑り込んできた盛岡駅行きの路線バスに辛うじて駆け込み、涼しい車内で一息つきながら、フェザンへ行くことを決議する。

 盛岡冷麺の店は混んでいたので諦めた。向かいの肉料理の店に入り、昼食を摂る。注文したハンバーグは滅法旨かった。ソースも肉も絶妙な味付けである。その後は只管に土産物の物色に時を費やした。本館から少し離れたフェザンテラスの雑貨屋(東北の伝統的な工芸品を活かした雑貨類を商っている)にも足を延ばしたが、娘が大便を排泄したと申告してきたので、速やかに本館のトイレへ引き返した。

 土産物の購入も卒えて、娘は眠りに就いて、愈々遣ることがなくてパン屋のイートインで休憩した。余裕のある旅程は私の尤も切望するものであるから、不満はない。旅先で時間に追われるのは気鬱である。娘は帰りの新幹線の中でもずっと熟睡していた。私たちは存分に浴びた日光の所為で灼けた肌を携えて、幕張への帰路を急いだ。

 以上が、今夏の旅の想い出である。