サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

Cahier(夏季休暇・東北・疲労の価値)

*月末に連休を取って家族旅行へ出掛けることにした。行き先は盛岡と小岩井農場である。昨年の夏は生まれて初めて仙台と松島を周遊した。二歳の娘を連れているので、行き先の選定には頭を抱えることが多い。自然に触れさせてやりたいと思うものの、本当の大自然へ連れて行くには幼過ぎる。十中八九、疲れて直ぐに抱っこをせがむだろう。整備されていない大自然の中を、二歳児を抱えて夏空の下、延々と歩くのは緩慢な自殺以外の何物でもない。

 妻の両親は青森の人で、私の両親は父が広島、母が山口である。私自身、大阪府の北辺に生まれ育った人間で、西日本の方面には漠然たる親しみを覚えるが、東北はその過半が今も未踏の地である。交通の利便に優れた仙台でさえ、三十を過ぎて初めて訪れたのだ。岩手県盛岡市は本州の中で最も涼しい都市の一つであるらしく、避暑という観点から眺めれば好適の土地柄であろう。日常の労苦を束の間忘れて、見知らぬ異郷の時間に埋もれてみたい。

*私は坂口安吾という作家が好きで、その主要な随筆は概ね読んでいるが、小説の方は「白痴」や「風博士」くらいしか知らず、傑作として名高い「桜の森の満開の下」も「夜長姫と耳男」も未読のまま過ごしている。いずれ本腰を入れて、その厖大な作品の深みに分け入りたいと考えているが、三島由紀夫の主要な長篇の通読という計画が未だ完了していないので、暫く夢想は塩漬けの状態が続くだろう。

 坂口安吾の生まれ育った新潟も、私の数多い未踏の地の一つである。死ぬまでに一度訪れてみたいと思っている。新潟の風土を感じることは、坂口安吾の文業をもっと深く理解する為の一助となるのではないかと期待している。尤も、新潟の風土から、坂口安吾という独創的で破天荒な個性を演繹することは出来ないだろう。

*直属の部下である女性社員が、自らの結婚式を挙げる為に連休を取得していた都合で、木曜日からずっと勤務が続いている。同じタイミングで娘がアデノウイルスに罹患し、遅番の日も朝から面倒を見る日が続いたので、寝不足が昂じて余計に疲労が溜まった。明日、東京支社で行われる会議を終えれば、久方振りの休日を迎える。生まれて初めて祝電というものを送った。無事に届いたか心配していたが、律儀に御礼のメールが送られて来たので、虚空に漂わずに済んだようだ。

 朝から晩までの勤務が続くと、疲労は募って日々を乗り切ることだけで精一杯になるが、峠を越えた後の束の間の安らぎには独特の味わいが含まれている。現代的な価値観に基づけば、疲労というものは撃退すべき罪障の代表に過ぎないが、言い換えれば、疲労とは熱心で旺盛な生活の証明でもあるのだ。昔、部下の社員が誰かを叱責するときに「疲れない仕事なんて仕事じゃない」という趣旨の言葉を使っていて、その厳格な意識に感心した覚えがある。尤も、自殺者が毎年三万人を越え、種々のハラスメントや過重労働が社会的な課題として論じられている昨今の日本で、そのような発言を不用意に行なえば、様々な批判を浴びるかも知れない。だが、疲労を一義的に忌避すべき不本意な状態のように看做して、そうした価値観を固定化するのは余り賢明でも建設的でもない。「心地良い疲労」というものの成熟した味わいと魅力は、そう簡単には色褪せないし、そもそも決して人間の心身に否定的な影響を及ぼすものではない。一生懸命何かに従事したという感覚は、人間の精神に動物的な健康を恩寵の如く齎す。疲労しないことを目的に据えた人生は、根本的な誤謬に塗れているように思われる。