サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

サラダ坊主風土記 「佐原・香取神宮」

 珍しく日曜日に休みを取った。特に狙った訳ではない。普段なら人手が足りなくなる日曜日に、たまたま人手が揃っただけの話である。娘も未だ小さいので、特に旗日の休みに固執する理由もない。寧ろ週末は何処へ出掛けても混み合っていて、時間と労力を空費する場合が多いので、平日に休む方が性には合っているのだ。

 大事なのは、曜日よりも天候である。先日までの厳しい寒さが、三月に入った途端、俄かに緩んでいる。今日は二十度近くまで気温が上がり、晴天に恵まれるという予報だったので、前日から妻に何処かへ出掛けようと誘われていた。行先が思い浮かばぬままに当日を迎え、普段の休日よりは少し早めに起き出して、朝食のパンを焼いて齧った。

 折角の好天である。二歳の娘がのんびり散歩出来るような場所がいい。携帯でささっと調べたら、佐原の古い街並みと香取神宮を散策するコースを紹介しているページに行き着いた。香取神宮には、前から一度行ってみたいと思っていたので、さっそく妻に提案した。了承を得て、十一時半過ぎにJR幕張駅を出る千葉方面行の総武線各駅停車に乗ることに決めた。調べてみると、その電車に乗っても、佐原駅へ到着するのは十三時半である。想像以上に遠い道程だ。だが、そういうことを言い出したら切りがない。明日、交通事故で死ぬかも知れない、儚い浮世の人生である。思い立ったら吉日、愚図愚図言わずに出掛けてしまうのが一番いい。

 携帯の乗り換え案内の指示に従い、稲毛で成田空港行きの快速列車に乗り換え、成田駅で銚子行きの成田線に乗り換える。天候は酷く穏やかで、眠たくなるような眩しい光が辺りに満ちている。成田から佐原まではたった五駅しかないのに、到着まで四十分余りを要した。駅の間隔が広いことに加え、駅毎の停車時間が随分長い。車窓から眺められる風景は大半が田野と雑木林で、彼方に地平線が窺える。極めて平坦で、静寂に満ちた景観である。

 佐原駅で用便と喫煙を済ませ、正面の乗り場で個人タクシーを雇った。バスも出ているらしいが、ベビーカーを携えているし、知らない街で知らないバスに乗るのは、億劫なものである。老齢の穏やかな運転手が、香取神宮へ向かう途次、佐原の古い街並みに差し掛かった辺で、土地の簡単な案内をしてくれた。金沢にも倉敷にも京都にも消え残っているような類の、年季の入った家屋の黒々とした外観が、小野川の流れに沿って列なっている。観光客と思しき人影も、駅前には全く欠けていたが、忠敬橋の近辺には数多く見られる。

 香取神宮まで、タクシーで十分ほどの距離である。参道の入り口には飲食店や土産物屋が幾つか固まっている。穴子の幟に惹かれて、私たちは遅めの昼餉を取ることに決めた。私は穴子天丼と笊蕎麦のセット、妻は穴子の天笊である。娘は行きの車中で既に握り飯を二つ平らげていたが、欲しがるかも知れないので、一応串刺しの焼き団子を注文しておいた。だが、娘は団子には一切眼もくれず、定食の味噌汁をねだるばかりで、仕方なしに子供用の匙で少しずつ掬って飲ませた。握り飯二つの威力が、確り胃に効いているらしい。座敷の席に通されたので、娘は食事よりも歩き回ることの方に夢中である。御蔭様で、昼餉は無事に済んだ。

 食事を終え、ベビーカーを押して砂利の坂道を苦労しながら這い上がり、手水舎へ辿り着いた。脇の喫煙所で一服してから戻ると、娘は流れ落ちる手水の飛沫に手を晒して御満悦である。見知らぬ老女が、そんな娘の姿を嬉しそうに見守っている。ここの水は非常に綺麗で呑んでも害がない、日本百名水に選ばれたほどの上質な水だと、訳知り顔で教えてくれた。

 拝殿へ向かう途中、娘は手頃な木の枝や枯葉を拾って、てくてく歩いていた。拝殿へ通じる門の下で、石段の上に慎重な手つきで枝葉の類を安置し、舌足らずな声で「待っててー」と言う。妻が社務所御朱印を貰いに行く間、娘は新たに拾った杉の枝葉を扇子のように操って、地面の砂利を掃き清めることに熱心であった。

 賽銭を投じ、二礼二拍手一礼の古式に則り、普段は余り気にも留めない神様に家内安全無病息災を願う。娘はその間もずっと砂利を払うことに夢中である。子供の謎めいた情熱というのは、何度見ても不思議なものである。

 佐原から千葉へ帰る列車は、一時間に一本しかない。余り遅くならぬように、参拝を終えると直ぐに引き返すことにした。タクシーは見当たらず、発車間近の循環バスが偶々エンジンを吹かしていたので、急いで乗り込んだ。道の駅を経由して、小野川の古びた家並を通り過ぎ、駅のロータリーまで運ばれる。眠気の昂じた娘を抱え上げて、駅舎へ走る。四両編成の千葉行きの総武本線が、やがてプラットフォームに走り込んできた。