My Reading Record of “HARRY POTTER and the Goblet of Fire”
英語学習の一環として取り組んできた J.K.Rowling, HARRY POTTER and the Goblet of Fire, London, 2014 を漸く読了したので、感想文を認めておきたい。
英文で617頁に達する分厚い書物であるから、全篇の通読には骨が折れた。しかし、明らかに自分の英語読解力が向上しているという喜ばしい手応えを実感している。無論、細部に亘って悉く英単語やセンテンスの精確な意味を審らかに把握し、理解しているとは言えない。けれども、少なくとも全く意味の分からない箇所というのは確実に減りつつあるし、記憶している語彙や定型的表現の数は徐々に増え、私の海馬に蓄積されつつある。この調子で訓練を継続していけば、年末には相応の水準まで私の読解力は進歩しているのではないかと楽観的な展望を懐いている。
「ハリー・ポッター」シリーズの第四作に当たる本書では、ロード・ヴォルデモート Lord Voldemort に追従するデス・イーター Death Eaters たちの暗躍と彼らを粛正する特殊部隊 Auror の登場、過去の様々な犯罪と裁判、不幸な事件の数々が徐々に明らかにされていき、物語の全体に暗鬱で抑圧的なトーンを投げ掛けている。物語の言及する範囲はホグワーツ校内に留まらず、魔法省 Ministry of Magic の存在感が一挙に強まり、例えば第一巻の HARRY POTTER and the Philosopher's Stone に比べて、政治的=社会的な色彩が濃くなっている。学齢を重ねる毎にハリーの直面する課題や困難、冒険の性質は苛酷さを増している。それは或る数奇な運命に見舞われた少年の成長を物語るというシリーズの基本的なコンセプトに由来する自然な段階的変容であると言えるだろう。直面する課題の難易度や苛酷さの上昇はそのまま、ハリー自身の内面的成長と照応している。
事実、ハリー・ポッターという潜在的才能と生得的栄光に庇護された少年の眼を通じて、読者は我々の所属する社会において日夜生起している諸々の艱難、課題、現象に直面し、対処に必要な振舞いを仮想的に経験しているのであり、それこそが文学、或いはフィクションの有する根本的な機能であると言える。我々の頭脳は他者の経験に共感したり、記憶力と想像力を用いて憑依的な追体験を行なったりする力を宿している。その崇高な機能を活用して、他者の経験や智慧を共有することは、人類の爆発的な発展を推進してきた基礎的な営為である。自分自身が実際に肌身で経験し得る事実の数は限定されている。物理的な制約、時間的有限性、実存に関する先天的条件などが、我々がそれぞれに選択し得る人生の範囲を必ず狭めてしまう。それゆえに我々は、他者の経験を拝借することで、人生の新たな局面や分野を開拓したり、或いは眼前の難事に対処するのに有益な智慧や効果的で実践的な手法を学んだりすることを慣習としてきたのである。
ハリー・ポッターの経験する多様な事象は、魔法という非現実的な衣裳を纏っているとはいえ、その基本的な素材自体は紛れもない我々の社会的現実の内部から汲み上げられている。リタ・スキーターという性悪のジャーナリストが書き散らす様々な新聞記事によって標的とされた人々の威信が左右されたり、集合的な偏見が形成されて人々の言動に影響を及ぼしたりするのも、通信技術の発達した現代の社会に暮らす我々にとっては見慣れた風景である。言論に基づいた暴力によって、人々の社会的生命は過分な称讃を浴びたり、逆に致命的な危機に瀕したりする。偏見と差別が、人類の逃れ難い宿痾であることは、21世紀を迎えた今でも一向に革まる気配の見えない強固な事実である。或いは、ロード・ヴォルデモートとその信奉者たちの行使する過激で無慈悲な暴力によって、社会全体の紐帯が分断され、不信と反目が随所に繁茂し蔓延するのも、日々の社会的・政治的報道を徴する限りでは、現に我々の直面している掛け値なしの真実に他ならない。禁じられた呪文 unforgivable curses を濫用する彼らの非人道的な振舞いは、実際に我々の社会が経験しつつある陰鬱な真実なのである。拡大する格差、深刻な分断、残忍な排外主義は、21世紀の地球を覆い尽くし、猖獗を極めている深刻な病弊であり、それに立ち向かうべき人物はハリーだけではなく、そうした世界を生き延びて破局を免かれ、幸福で穏やかな生活を建設する為に智慧を絞り、具体的な行動を着実に積み重ねていくべきなのは他ならぬ我々である。
とはいえ、作中で語られるクラウチ父子の演じた悲劇などを読むと、この困難な世界の有する絶望的な構造に名状し難い鬱屈を覚えさせられる。デス・イーターに対する苛烈で強硬な弾圧を指揮し、輿論の支持を一身に集めて次期魔法省大臣たることを嘱望されながら、実の息子がヴォルデモートの悪行に荷担していたことが露見し、肉親への愛情よりも自らの社会的名声と職務への忠誠を優先し、息子をアズカバンへ収監する決定を下したバーティ・クラウチの栄光と没落の顚末は、痛ましい不条理に縁取られている。同じ「父親殺し」の罪悪を強靭な紐帯に変えて結び付いたヴォルデモートとクラウチ・ジュニアの連帯は、解決されるべき悲劇の堅牢な性質を如実に物語っている。