サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

Cahier(Polish Your Strength)

*春である。新入社員の配属が始まり、大規模な人事異動が実施され、昨年度の実績を踏まえた人事考課の面談が各所で行われている。私の勤め先は毎年五月が期初である。過去一年間の勤務の成果や各自の成長を振り返り、来期の方針や目標達成に向けて銘々が自身の行動計画を練る時期なのだ。
 過日、私も本部のオフィスで直属の上司と一次考課の面談の機会を持った。期初に設定した成果目標及び行動目標の評価と、個人の能力評価の二本柱で、夏の賞与と来期の給与の査定を行なうのである。その席上、強みと弱みの話に到った。人事考課は、個人の能力の棚卸や客観的な分析を実施する貴重な機会である。他人の眼を通して自己の姿、振舞い、特徴などを点検するのは、有益な時間である。
 長所と短所は表裏一体で、状況に応じて明暗を転じると一般に言われる。上司もそのように前置きした上で、私の仕事の特徴に就いて見解を述べた。群を抜いていると言われた点は、メンバーにルールを遵守させる力、危機管理能力、定めた目標に向かってブレることなく邁進し、達成を図る実行力などであった。同時にこれらの特徴は場合によっては短所にも転じる訳で、明確な目標に向かってやり抜く力は、プラスアルファの成果を求めないという欠点に通じる。また、自分が正しいと信じた途を徹底して突き進む姿勢は、動もすれば、他人の意見を参照して随時、路線転換を行なう柔軟性を欠くことになる。
 上司の見解は、私の腑に落ちた。恐らく私は、自分の考えや見解に揺るぎない自信を持ち易く、他人の見解を重用しないタイプの人間である。無論、他人の話に耳を傾けない訳ではない。しかし、結局のところ自分自身の考えや判断を優先する傾向がある。固より理屈っぽい性格で、他人の意見を一旦受け容れて試してみようと思う前に、あらゆる種類の反論が脳裡に浮かび上がってしまうのである。私が極度の傾聴を示す場合であっても、それは相手の見解に共感しているからではなく(無論、全く共感しない訳ではないが)、効果的で適切な論駁の材料を探しているに過ぎない。相手の議論の綻びや不備を綿密に検索しているのである(常に喧嘩腰であるという訳ではない)。
 もっと周りの意見に耳を傾けて、それを採用してみるべきだという評価は、以前の上司にもやんわりと言われたことがある。自分自身では、別に他人の意見を軽視している積りもないのに、類似の評価を複数の人々から告げられるということは(上司に限らず、妻や知人からも)、そういった姿勢が、自覚している以上に鮮明に滲み出ているということだろう。頗る単純化して言えば、頑迷で、自分の正義を信用し過ぎているということだ。無論、だからこそ逆境に挫けることなく、自分の掲げた目標に向かってブレずに邁進することも出来るのだろう。
 周囲の意見を柔軟に受け容れ、皆で一緒にやってみようという共同的なスタンスの人材に比べれば、私のようなタイプの人間は頗る独裁的・独善的なスタンスであると言えるだろう。私と対極的なタイプの人間は誰ですかと尋ねられた上司は、暫し考え込んだ後に、私より五歳ほど年下の女性社員の名前を挙げた。今から五年ほど前、私は千葉県内の店舗で、彼女と一緒に働いていたことがある。常に明るく、自分が他人の眼にどう映るかということに就いての感覚が極めて鋭敏で、悪く言えば如才ない、腹黒い立ち回り方の得意な女性である。言い換えれば、人間関係の天才である。呼吸するように媚びることが出来るし、しかも媚び方が自然なので厭味がない(ちなみに私は彼女の悪口を羅列しているのではない。自分とは全く異質な才能に、常日頃から感嘆している。彼女は部下として非常に有能な人材であったし、今は私の後任として千葉の店舗で責任者を務めている)。
 自分自身の私的な感情や考えより、周囲を愉しませたり盛り上げたりすることを優先するスタンス、自分一人で判断して決定を下すというより、他人と話し合って一つの意見を作り上げていく合議的スタンス、それを彼女ほど徹底的に磨き上げている人材は稀である。他人の悪口など言わないし、仮に言うとしても極めて迂遠に、巧妙な言い方で仄めかす。必ず周りが笑える程度に稀釈された悪口なので、不快な印象を与えない。絶対的な正義を振り翳して他人を論破することも絶対にない。最終的には、全員が等しく愉しい時間を共有することがゴールなのである。しかし、だからと言って他人の言いなりになる訳でもなく、自分自身の利害を考慮しない訳でもない。悪く言えば打算的な性質で、打算的であるという点に関して言えば私も同類である。要するに、自分の目的を達成するに当たって、他人との関係をどのように利用するかという手法が、私と彼女とでは異なっているのだ。リーダーシップ、或いはコミュニケーションのスタンスが違っていると言ってもいい。
 私が他人に働きかけるとき、主に用いるのは正義と論理である。論理的に構成された正しさに基づいて、私は物事を判断し、決定を下し、他者に共有し、命令し、依頼する。分析することが得意で、皮肉の効いたブラックな諧謔を濫用し、辛辣な批判を加えることに余り躊躇を感じない。それゆえに冷酷だとか、サイコパスだとか、そういったレッテルを頂戴することが多い。無害なユーモアではなく、多かれ少なかれ毒素の混じった攻撃的な軽口や自虐が好みなのである。反論されると血が騒ぐ。毒舌の応酬に興奮する。相手の意見を覆すのも好きだが、覆されるのも嫌いではない。しかし最終的には概ね、自分の見解の正しさを信じ切っている。目上の人間の意見でさえ、内容に納得がいかなければ聞き流してしまう。こう並べてみると途方もなく傲慢な人間だが、それゆえ逆境には強い。他人の意見に左右され難いので、逆境においても淡々と歩み続けることが出来るからである。従って、長期的な計画の遂行には向いている。
 他方、彼女は共感の天才である。相手の話に共感し、反応し、同調する技能が卓越している。批判的なニュアンスの軽口は滅多に用いない。サービス精神が旺盛で、尊敬や賞讃の言葉を極めてナチュラルに駆使することが出来るので、どんな相手にも気に入られる。けれども、その共感は極めて洗練された技巧であって、本当の意味で自分自身を切り売りすることはない。特定の人物にだけ忠誠や愛情を誓うという姿勢が稀薄である。究極の八方美人であると言えるかも知れない。相手が何を歓ぶのかを絶えず観察し、必要な対応を計算している。それゆえ、彼女の本音が何処にあるのか、彼女自身の信念が見え辛い。遠い理想に向かって計画的に進んで行くというより、その都度の瞬発力で勝負する。単一の規範に基づいて物事の全体を管理するということは、余り得意ではない。複数の他者の意向に合わせ過ぎるので、規範を維持し、貫徹することが難しいのだ。その分、状況の変化に応じた機敏な判断力は傑出している。その場の空気を読み取る感覚も冴えている。
 人間の個性は様々である。面談の席上、総てが平均点の人材は評価され難く生き残り辛いと上司は言った。余り偏り過ぎるのも考え物だが、どうやら私は既に随分偏っているようだ。サイコパスならばサイコパスらしく、その強みを鋭利に磨いて生き残るべし。