サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

Cahier(Days when I was younger so much)

*元旦以来、一年の計として英語学習を志し、毎日洋書を読んでいる所為もあり、学習するとは何なのか、どういう本質や特徴を備えているのか、ということを時折考える。他人が未知の物事を学ぶ際にどういう方法論を採用しているのかということに対しても関心が湧出してくる。英単語の暗記にしても、知り合いに尋ねると、単語帳を繰り返し読んで覚えたという人もいれば、書き取りをしないと覚えられないという人もいる。インターネットの世界を渉猟してみれば、多様な人々が実に多彩な方法で語学に取り組んでいることが分かる。何を学ぶかという対象は状況と必要に応じて千変万化するが、何れにせよ自分の個性に適した学習の方法を案出することが肝腎であるのは明白である。特に大人になって銘々の人生を歩むようになると、互いに従事する職業も違えば、置かれている私生活の環境も異なる訳で、必然的に学ぶべき事柄のジャンルや性質は分散する。初等教育の如く、教養課程の如く、誰でも知っているべき社会の基本的事項を一律に学ぶという態度は否応なしに変化を迫られざるを得ない。況してや誰に強いられる訳でもなく、業務上の要求に応じる訳でもなく、自らの私的な関心と情熱に基づいて何かを学ぼうとする場合には、自己の生存の条件に応じた対象と手法のカスタマイズが不可欠である。独学ならば猶更だ。
 私は十代の頃、怠惰な学生であったし、大学は一年で放擲した。その意味で、体系的な高等教育を享受したことがない。受験勉強の類にも碌に身を入れなかった。ただ幸いにして読書の習慣があったから、その恩恵によって多少は知的な関心の対象が拡張された部分はあるように思う。本を読んで感想文を認める習慣も長い間持続している。けれども私は性来我儘な気質で、関心のない事柄に意識を向けさせられることが人一倍苦手だ。勉強しろと言われて勉強する殊勝な精神を欠いていた。怠惰という特性は、極めて弊害の大きい悪徳である。極端に言えば人間の生涯は、知らないことを学び、出来なかったことを出来るようにするというプロセスの無限の反復と累積であり、その意味で怠惰は人間の生命の宿敵である。怠惰である限り、人間は何処にも行けない。新しい世界を切り拓き、見知らぬ生活の形態に足を踏み入れることが出来ない。従って現状から離れた理想を追求する情熱や努力とも無縁である。無論、それが一概に悪いとは言えない。無謀な夢想が人生を空費させる事例も決して少なくないからだ。
 勉強を嫌がる私に対して、かつて父親は言った。勉強している間は、その勉強が何の役に立つかということは分からない。それは実際に勉強してみない限り分からない。だから、勉強してみるべきだ、それは未来の可能性を広げ、人生の選択肢を増やすことに繋がると。私の父親は、学生運動が吹き荒れた時代に東京大学教養学部を卒業した。高校の先生に、お前の頭では東大なんか受かる訳がないと言われて腹を立て、毎日八時間以上勉強して、試験の当日に鼻血が出て答案用紙を汚したと昔言っていた。二十歳の頃、私が就いたばかりの仕事を投げ出したときだ。その死に物狂いの努力の経験があるから、自分を信じることが出来るようになった、あのとき自分はあの苛酷な試練を乗り越えたという自負があるからだ、何でも直ぐに投げ出していたら早晩お前は自分で自分を信じられなくなるぞ、と諭された。
 自分で自分を信じられないということほど、精神的に辛い状況はない。大学を辞めた当時の私は、今思えば、明らかに目的を見失っていた。どういう人生を歩みたいかという鮮明な目標を欠いていた。小説家に憧れていたが、具体的な見通しは何もなく、大した努力もしていなかった。当時の私は、未来の自分が一人前の社会人として会社に勤めたり、結婚して家庭を持ったり、そういう普通の人生を送っている姿を全く想像出来なかった。私は我儘で思い込みの強い性格であったし、聊か不遜で、傲慢で、そのくせ臆病だった。実体のある自信を持っていなかった。相対的に賢く要領が良かったので、勉強もせずに大学に受かったが、何の努力も情熱もなく入ったので、続けることが出来なかった。私には、何かを自分の力で遣り遂げたという経験が欠けていた。部活でも勉強でも社会活動でもいい、自分の軸になるようなものが欠落していた。だから、本当の意味で自分の力を信じることが出来なかった。今思えば、小説家云々という夢は、現実逃避の一種だったのだろうと思う。小説家という職業には、才能さえあれば、社会の夥しい仕来りや制約から遠ざかって気儘に生きられるという浮薄なイメージがあった。恐らく無頼派辺りの古色蒼然たる作家たちのイメージに漠然とした救済の光明を見出していたのだ。事実、今でも私は坂口安吾を敬愛している。けれども、実際問題として才能の有無以前に、毎日来る日も来る日も原稿を書き続ける孤独な生活を自分が本当に欲しているという確信もなかった。
 坂口安吾の作品に「風と光と二十の私と」と題された簡素な、とても美しい自伝的小説がある。その小説の終盤に、当時の作者が、小説家を志しながらも自分の才能の欠如を憾み、現実から逃避する手段として出家遁世に憧れていたという記述が含まれている。その心情は、私には馴染み深いものだ。私も出家遁世に憧れて、高名な禅僧の逸話などを読み漁っていた時期がある。出家も小説家への志望も共に、煩わしい世間を離れて自由気儘に暮らしたいという厭世的な欲望の発露だったのだろう。それは裏返せば、自分には社会や世間に適合する気力も能力も備わっていないという劣等感の反映であったのだと思う。大学を辞めたのも、仕事を辞めたのも、煎じ詰めれば同根の現象だ。
 けれども私は、大学を辞めた年の夏に、年上の子持ちの女性を妊娠させた。それで急遽所帯を持ち、何でもいいから給料を稼いで来なければならなくなった。私は仕事を探し、採用され、そして直ぐに辞めた。それを二回繰り返した。当時の妻の誕生日に、私は二回目の無職となっていた。妻の臨月が間近に迫っていた。私は自分を信じていなかった。自分の能力も未来も。そのくせ、安易に子供を儲けるのだから度し難い愚かさ、軽率さである。そして日傭いで多少の賃銀を稼ぎながら、幸いにして現在の勤め先に拾われた。そこでも最初の上司と折り合いがつかず、日々の暴言や叱責に堪えかねて、一度無断で職場から逃げ出して、辞める積りで行方を晦ました。身内には散々叱られたが、会社は私を叱らなかった。辛い想いをさせて済まなかったと部門の幹部に謝罪された。思わぬ成り行きに、私は動揺した。誰がどう考えても、悪いのは逃げ出した私だ。理由がどうであれ、無断で逃げ出すのは常識に反している。私の妻は、私の両親と共に警察署へ行って、私の捜索願を出した。妻は、警官から私の歯型を用意するようにと言われたらしい。後日、父親に、お前は自分の妻にそんなことをさせるのかと叱られた。考えてみれば、叱られてばかり、正に太宰治が「人間失格」の冒頭に書き付けた「恥の多い人生」そのものである。
 そのとき、私は初めて「この世界には逃げ場なんかない」という考えに想到した。実際には、その後の人生でも何度も、私は逃げ出したいという想いに囚われた。転職も考えたし、異性関係で不始末も犯した。日夜数字を追いかける仕事だから、プレッシャーは尽きず、絶えず何かしらの不安に急き立てられて生きてきたような気がする。現実逃避という言葉は誰にとっても親しいものだろう。追い詰められて逃げ出したくなることは誰にでもあるに違いない。けれども、逃げ出したところで現実は変わらない。それは誰でも知っている。ただ、追い詰められたとき、人間は様々な理窟を駆使して、自分自身を説得しようとするのだ。ここではない何処かに、素晴らしい理想的な環境がある筈だと。
 無論、逃げ出すことが常に罪ではない。虐待される子供、ハラスメントに苦しむ組織人に必要なのは逃亡、或いは脱出という選択肢である。ただ、何れにせよ必要なのは冷静沈着な判断である。衝動に従って振舞えば、多くの場合、賢明な結果には帰結しない。衝動は理性と対立するのではなく、理性を誑かして自分の奴隷に仕立て上げるのである。そのとき、人間は衝動に支配されているにも拘らず、自分は理性的な判断を下していると誤認するのである。
 苛酷な現実に直面したとき、感情や衝動の指示に従うのは得策ではない。結局、好不調の波動に関わらず、人間が取り組むべきことは冷静な判断力の堅持に尽きる。そして人間は、困難な状況、意のままにならない環境に置かれない限り、成長も進化もしない。順境は人を堕落させる。既に容易に熟せることを繰り返すばかりでは、人間は退化する。その意味で、学習の習慣は明らかに人間の精神的衛生を改善し、強化するものである。何故なら学習は常に、自分の知らないことや出来ないことへの挑戦と格闘を含意するからである。それは現実の具体的で実効的な改革を意味する。私は二十歳のときに拾われた現在の会社に、紆余曲折を経て彼是十五年ほど在籍しているが、その間に学んだことと言えば要するに「諦めない」「屈しない」の二語に集約される。何が起きても粘り強く現実的な対策を考え、実行に移す。結局、それ以外に現実を変革する方途は存在しない。その為には、思考の習慣を堅持しなければならない。本を読み、考えたことを文章として形象化するのも、その習慣の一端を成す営為である。「諦めない」「屈しない」というのは単なる感情の抑圧を意味するものではない。逆境に置かれても、思考力や判断力を手放さないことが肝腎である。一般的に人間は、精神的に追い詰められ余裕を失うほどに、感情や衝動の言いなりになる。つまり逆境に置かれた人間は、一時的な感情や衝動の奴隷と化して、理性的な模索の努力に堪えられなくなるのである。如何なる状況に置かれても、自分の知性と思考力を堅持することが、延いては逆境の打開に帰結するのだ。その為には日頃から思考と知性を鍛錬する習慣を身に着けておく必要がある。あらゆる学習は正に、思考と知性の鍛錬に他ならない。極論を言えば、学ぶ対象は何でも構わない。個人が随意に対象を選択すれば、それで差し支えない。重要なのは、快活で機敏な知性の涵養である。それを欠いてしまうと、人間は長期的な指標を見失い、束の間の欲望に押し流され、困難に打ち克つ為の持続的な努力を保てなくなる。一般的に困難な課題は解決に時間を要する。解決に時間を要する課題に取り組む際に、流動的な感情や欲望を用いるのは悪手である。毀誉褒貶はあるだろうが、こうした問題に就いては、セネカなどストア学派の典籍が重要な参考となるように思う。

風と光と二十の私と (講談社文芸文庫)

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生の短さについて 他2篇 (岩波文庫)

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  • 作者:セネカ
  • 発売日: 2010/03/17
  • メディア: 文庫