サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

Cahier(Portrait of the Artist As a Young Suicide)

*引き続き、仕事と育児と英語学習の三本の矢で私の日常は貫かれている。先日はリスニングの勉強の一助になればと思い、近所のブックオフハリー・ポッターの映画のブルーレイディスクを購入した。尤も、本気でリスニングの勉強をするならば、Amazonの展開するAudibleなどを活用して、英語の音声を徹底的に鼓膜へ浸潤させる必要があるだろう。今はリーディングを通じて基本的な語彙や文法、表現を覚え込む段階であると定義しているので、とりあえずAudibleの導入は考えていない。そもそも、一月下旬に予約したiPadが未だ入荷すらしない状況で、電子書籍による読書というファーストステップさえ停滞している状況なのだ。
 先日は、英作文のささやかな真似事を投稿した。未だ拙い技術と乏しい知識のアマルガムに過ぎない仕上がりだが、下手でも構わないから実践を繰り返すことは何事においても上達の秘訣であり、破綻した下手糞な英文だと指弾され嘲笑される懸念は百も承知ながら、勇気を振り絞って試しに電子の海へ放流してみたのだ。あわよくば誰か該博な知識を備えた寛容で慈悲深い方が懇切に添削してくれないだろうかと、淡い期待もないではなかった。何れにせよ、現在の学習の中心は英文の多読の裡に存する。土台を固め、強靭な基礎を構築しなければ、応用や発展的学習も期待される有益な成果を挙げることは恐らく難しいだろう。

*時折、思い出したように読者登録が増える。直近の方々は、私の書いた三島由紀夫に関する記事に関心を寄せて下さったようだ。最近はハリー・ポッターに明け暮れて三島由紀夫の書物に手を伸ばす機会は激減しているが、もっと多読の経験を積んだ暁には、英訳の『金閣寺』や『真夏の死』に挑戦してみたいと考えている。三島の書き遺した流麗な日本語の文章を、生得の日本語話者という恩寵に恵まれた立場でありながら、何故わざわざ英訳で読む必要があるのか、三島の本来的な魅力を味わい損ねるだけの無益な選択ではないかと、保守的な愛読者の方々は疑義を呈するかも知れない。しかし、英訳の三島を読むという経験は、三島由紀夫の構築した日本語の世界を、異質な視野、新奇な観点から捉え直すという点で、非常に有益な営為ではないかと勝手に推測している。三島由紀夫は、天皇を崇拝する右翼的な過激派の側面を持ち、和歌から剣道に至るまで、日本の古典的な文化にも造詣が深く、その文体には古式床しき和語の伝統が随所に織り込まれているが、それゆえに彼を純然たる排外的国粋主義者、或いはxenophobiaのように遇するのは短絡的な誤解である。彼は英語に堪能であると共に、その作品はフランスで発達した心理小説の遺産を色濃く受け継いでいた。レイモン・ラディゲ、ジャン・コクトージョルジュ・バタイユマルキ・ド・サドバルザックスタンダール、フランソワ・モーリヤック、そしてオスカー・ワイルドなど、海外の文学者が遺した作品に関する彼の精緻な分析と懇切な言及を徴する限り、彼は決して偏狭な国粋主義者であったとは言えないし、日本語の伝統に固執する保守的な閉鎖性とも無縁であった。寧ろ「近代能楽集」から「サド侯爵夫人」に至る、彼の遺した芸術的結晶の驚くべき多様性は、その才能が極めて国際的、普遍的な性質のものであったことを明確に立証している。
 けれども、こうした客観的粗描は未だ、三島由紀夫という特異な才能の本質を剔抉し得るものではない。彼の作品を一つずつ入念に読んでいくと、その複雑なキャラクターが、東西の文化の混淆や日本文化に対する愛国的関心といった分析には還元し得ないものであることが明瞭に看取される。彼が或る奇妙な「虚無」に苦しんでいたことは恐らく確実で、それは明らかに太平洋戦争の経験と結び付いているが、だからと言って、戦争の悲惨が、彼の内なるニヒリズムの全面的な始原であるとは言えないと思う。彼は、自らの人生の初期において既に「虚無」の感覚と親密であり、濃密な「現実」の感覚に対する飢渇を宿痾としていた。その「虚無」を、壮麗な言葉と幻想で補填することが彼の前半生における常套であったとするならば、後半生における戦略の要諦は、そうした幻想の畏怖すべき性急な現実化であったと思われる。三島の生涯を貫く重要な要素として「演技」或いは「擬態」が挙げられると私は個人的に考えているが、前半生においては精緻な虚構の形成が重視されていたのに対し、後半生においては、虚構の現実化が企図されたのである。言い換えれば、彼は「作品」と「現実」との華々しい一体化、信じ難い融合を目指したのだ。それは空虚な現実に粗暴な手段で超越的な意味を宿らせようとする痛ましい努力の帰結であったと言えるかも知れない。実際、三島の特異な自殺の顚末は今も猶、彼の人生の全体を一つの特異な物語のように浮かび上がらせている。そして三島由紀夫という人物は、あれほど社会的良識に反した蛮行によって自らの末期を彩りながらも、極めて深刻な水準で、他者の視線を徹底的に内面化した人物であったように感じられる。彼は誰かに見られていない限り、自己の存在の実感を決して確認し得なかったのではないだろうか。

 

金閣寺 (新潮文庫)

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金閣寺(英文版) - The Temple of the Golden Pavilion

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真夏の死―自選短編集 (新潮文庫)

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