読書ノート
安部公房の短篇集『水中都市・デンドロカカリヤ』(新潮文庫)を読んだので、感想文を認める。 同じ新潮文庫に収められている連作短篇集『壁』と同様に、この短篇集にも安部公房の生得的な主題やイメージが繰り返し変奏される形で集まっているように思われる…
安部公房の『壁』(新潮文庫)を読んだので、感想文を書く。 最近は半年以上放置して埃を被っていた自作の小説の続きを書くことに労力を費やしていて、読書ノートを書く時間が確保出来なかった。加之、創造することに夢中になると、分析することには余り食指…
三島由紀夫の短篇小説「死の島」(『鍵のかかる部屋』新潮文庫)に就いて書く。 この作品は「火山の休暇」及び「旅の墓碑銘」と共通する主役・菊田次郎の登場する物語である。菊田次郎は作者である三島由紀夫の分身と思しき芸術家であり、彼の経験と独白を借…
三島由紀夫の短篇小説「果実」(『鍵のかかる部屋』新潮文庫)に就いて書く。 同性愛の女性カップルの悲惨な末期を描いた「果実」は、その全篇が不穏な臭気に覆われている。初期の作品とは異なる稠密で無駄のない硬質な文体は、三島の作家的成熟を濃密に実感…
三島由紀夫の短篇小説「怪物」(『鍵のかかる部屋』新潮文庫)に就いて書く。 我々は日常に「善悪」という珍しくもない定規を振り回しながら、互いの長さや形状が異なるがゆえに衝突や係争を繰り返し、様々な事柄に「善」や「悪」のラベルを貼付して、それぞ…
三島由紀夫の短篇小説「訃音」(『鍵のかかる部屋』新潮文庫)に就いて書く。 有能で人心掌握の技術にも長けながら、その人格の根底において酷薄で、権力に対する妄執に身を焼かれている若い財務官僚の内面の変遷を描いた「訃音」は、アプレゲールの青年たち…
三島由紀夫の短篇小説「慈善」(『鍵のかかる部屋』新潮文庫)に就いて書く。 よしこのような粗暴な決心が、朝子への思いがけない感情の傾斜度に、あとからつけた照れ隠しの理窟であったにせよ、彼はこうして行為を簡単明瞭にジャスティファイしてくれるよう…
三島由紀夫の短篇小説「慈善」(『鍵のかかる部屋』新潮文庫)に就いて書く。 ……かくてまた、三度三度の食事がはじまるのだった。露西亜の或る詩人が書いているように、「僕の前に無限につづく食事の連鎖を見るのは」たまらない。しかし戦争からかえってみる…
三島由紀夫の短篇小説「祈りの日記」(『鍵のかかる部屋』新潮文庫)に就いて書く。 平仮名を潤沢に含んだ女性の一人称による語りは、同じく三島の最初期の作品である「みのもの月」にも共通する特徴的な様式である。フランスの心理小説の伝統と共に、三島の…
三島由紀夫の短篇小説「彩絵硝子だみえがらす」(『鍵のかかる部屋』新潮文庫)について書く。 作家の文体が、年輪の堆積に伴って様々な変遷を遂げるのは当然の現象であり、そこには当人の精神的組成の変貌や、徐々に培われた世智の醗酵などが影響している。…
三島由紀夫の短篇小説「施餓鬼舟」(『ラディゲの死』新潮文庫)に就いて書く。 芸術家とは一体如何なる生き物なのか、如何なる固有の実存的性質を伴っているのかという主題は、三島由紀夫の脳裡を終生去らずに苛み続けた難問であるように思われる。芸術と人…
三島由紀夫の短篇小説「復讐」(『ラディゲの死』新潮文庫)に就いて書く。 三島由紀夫の文業には時折、何らかの「恐怖」を形象化する「怪談」の系譜に列なると思しき作品が登場する。私見では「花火」や「仲間」や「雛の宿」といった作品が、そうした範疇に…
三島由紀夫の短篇小説「ラディゲの死」(『ラディゲの死』新潮文庫)に就いて書く。 少年の平静な目つきに、コクトオが見たものは、危機に抗はむかっている倨傲の影である。この目こそは青年たちがことごとく懐疑派になって、自暴自棄に陥っていた時代に、懐…
古代ギリシアの哲学者アリストテレスの『ニコマコス倫理学』(光文社古典新訳文庫)に就いて書く。 さて、幸福を最善のものと語る点ではおおよその合意が得られているようにみえるが、さらにここでは、より明確に幸福とは何であるかを語ることが求められてい…
古代ギリシアの哲学者アリストテレスの『ニコマコス倫理学』(光文社古典新訳文庫)に就いて書く。 同様のことが、善のイデアについてもあてはまる。というのも、もし[さまざまな善いものに対して]共通して述べることができる或るひとつの善があるとしても…
古代ギリシアの哲学者アリストテレスの『ニコマコス倫理学』(光文社古典新訳文庫)に就いて書く。 さて、以上述べてきた事柄にかんして、ひとつ異論があるだろう。というのも、[イデア論者の]諸説はありとあらゆる善について述べられたものではなく、それ…
古代ギリシアの哲学者アリストテレスの『ニコマコス倫理学』(光文社古典新訳文庫)に就いて書く。 「ニコマコス倫理学」の序盤には、アリストテレスによる師父プラトンへの批判的な言及が記されている。 ここでわれわれは、普遍としての善を考察し、それが…
古代ギリシアの哲学者アリストテレスの『ニコマコス倫理学』(光文社古典新訳文庫)に就いて書く。 プラトンの開創したアカデメイアで、概ね二十年に及ぶ学究としての研鑽の生活を送ったアリストテレスは、古来「万学の祖」と崇められ、西洋の思想や文化に決…
十九世紀ドイツの哲学者アルトゥール・ショーペンハウアーの『幸福について』(光文社古典新訳文庫)に就いて書く。 申し分なく思慮深い生活を送り、自己の経験からそこにふくまれる教訓のすべてを引き出すためには、しばしば回想し、自己の体験・行動・経験…
引き続き、三島由紀夫の短篇小説「ラディゲの死」(『ラディゲの死』新潮文庫)に就いて書く。 三島由紀夫の作品において繰り返し言及され、強調される「行為」という概念は、単なる諸々の行動を包摂するものではなく、恐らくは「生命」と引き換えに敢行され…
三島由紀夫の短篇小説「ラディゲの死」(『ラディゲの死』新潮文庫)に就いて書く。 フランスの夭逝した小説家レイモン・ラディゲに対する熱狂的な偏愛に、三島は随所で言及している。 そのうち、ちらほら翻訳物なども読むようになったが、中学三、四年のこ…
十九世紀ドイツの哲学者アルトゥール・ショーペンハウアーの『幸福について』(光文社古典新訳文庫)に就いて書く。 楽観主義にうながされて、この真理を見誤ると、多くの不幸のもとになる。つまり苦悩がないと、その間じゅう、穏やかならぬ欲望のために、あ…
十九世紀ドイツの哲学者アルトゥール・ショーペンハウアーの『幸福について』(光文社古典新訳文庫)に就いて書く。 私はあらゆる生きる知恵の最高原則は、アリストテレスが『ニコマコス倫理学』でさりげなく表明した文言「賢者は快楽を求めず、苦痛なきを求…
十九世紀ドイツの哲学者アルトゥール・ショーペンハウアーの『幸福について』(光文社古典新訳文庫)に就いて書く。 ともかくここで、知力がかろうじてぎりぎり標準程度であるために「精神的欲求をもたない」人間に言及せずにはおられない。彼らは「俗物(Ph…
十九世紀ドイツの哲学者アルトゥール・ショーペンハウアーの『幸福について』(光文社古典新訳文庫)に就いて書く。 詳しく言うと、私たちの実利的な現実生活は、激情につき動かされなければ、退屈で味気ないものだが、激情につき動かされると、たちまち苦痛…
三島由紀夫の短篇小説「旅の墓碑銘」(『ラディゲの死』新潮文庫)に就いて書く。 この春の巴里、マロニエ、赤い軍帽、女たち、小鳥、テラスの椅子、雲、…… それらは自然の春ではなくて、大ぜいの人間が寄ってたかって作り上げた春であった。マロニエにしろ…
三島由紀夫の短篇小説「旅の墓碑銘」(『ラディゲの死』新潮文庫)に就いて書く。 この物語には、作中人物である菊田次郎の作品の断片が挿入されている。同時に、菊田次郎の友人と思しき「私」を語り手に据えた異なる次元の叙述が、物語全体の地盤を成してい…
引き続き、ドイツの哲学者ショーペンハウアーの『幸福について』(光文社古典新訳文庫)に就いて書く。 だれでも、自分にとって最良で肝心なことは、自分自身であることであり、自分にとって最良で肝心なことを成しうるのも自分自身である。自分にとって最良…
引き続き、ドイツの哲学者ショーペンハウアーの『幸福について』(光文社古典新訳文庫)に就いて書く。 ごく大ざっぱに概観すれば、苦痛と退屈は、人間の幸福にとって二大敵手である。さらに私たちは、この二大敵手のうち、一方からうまく遠ざかっても、もう…
引き続き、ドイツの哲学者ショーペンハウアーの『幸福について』(光文社古典新訳文庫)に就いて書く。 ショーペンハウアーは、個人の幸福にとって最も肝腎なものは「彼自身にとって彼は何者なのか」という問題だと明言している。幸福の根拠を徒らに自己の外…