サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

芸術と反俗 三島由紀夫「施餓鬼舟」

 三島由紀夫の短篇小説「施餓鬼舟」(『ラディゲの死』新潮文庫)に就いて書く。

 芸術家とは一体如何なる生き物なのか、如何なる固有の実存的性質を伴っているのかという主題は、三島由紀夫の脳裡を終生去らずに苛み続けた難問であるように思われる。芸術と人生との乖離或いは相剋を巡って綴られた長篇「禁色」は固より、作者の分身と思しき菊田次郎を主役に据えた数篇の小説(「火山の休暇」「旅の墓碑銘」「死の島」)や、超越的な「美」との格闘を描いた代表作「金閣寺」もまた、芸術家の生活という奇態な主題に深く関与する系譜の作品である。

 しかし房太郎に納得の行かないのは、父の索莫たる説明に、作品のなかのあらゆる感情を加えてみて、それを混ぜ合わしてみても、一人の人間のくっきりした姿が浮び出て来ないことである。作品だけを読んでも、父の人間感情というものは十分につかめない。父から直接聴く説明には、ますますそういう人間感情が欠けている。父は一体どこに「人間感情」を隠して生きて来たのであろうか。房太郎は学生時代に読んで感銘の深かったジャン・パウルの散文「人間感情の常緑について」というのを思い浮べながら、そう考えたのである。

 一体又、父はどうしてそのように、人間感情を隠す必要があったのか? 文学がそういう要求をしたのか? ……そこまで考えると、すべては房太郎の常識に背反して、模糊たる逆説の世界へ霞んでしまう。(「施餓鬼舟」『ラディゲの死』新潮文庫 pp.358-359)

 芸術家とは一体何者であり、その実存における特性は如何なる構造を備えているのだろうか。彼らは先ず、何らかの「作品」を創造する特異な才能の持ち主であると看做されている。如何なる「作品」も生み出さない人物が、滔々と芸術の意義や機密に就いて語ったとしても、それだけでは芸術家を名乗る資格は得られないだろう。それでは「作品」とは一体何か? 一般にそれは「表現されたもの」として理解されている。その具体化された「表現」が何らかの「認識」と結び付いていることは概ね確実であるが、認識を語ることは芸術的創造と必ずしも同義ではない。例えば哲学者は、極めて厳密で明晰な論理の運用を通じて何らかの認識に達し、同時にそれを精緻な言語で説明する。或いは数学者は、数式と記号を組み合わせて、壮大な抽象的観念の体系を構築し、表現する。その意味では「表現」という営為は、無条件に芸術家の専権事項であるとは言い切れない。言語や数字や図式を駆使して、多様な職種の人々が日夜「表現」の応酬に明け暮れている。そこから「芸術」という分野に固有の特質を析出する為には、如何なる論理的手続きが必要なのだろうか。

 優れた芸術を評価する根拠として一般に用いられる規範は「審美的価値」である。絵画や音楽が評価される場合に「美しさ」という観念が黙殺されることは、普遍的な傾向であるとは言えない。しかし、例えば「物語」の価値は「美しさ」という規矩だけで測り得るだろうか。音楽に関しても、所謂「抒情的な美しさ」だけが評価の唯一の基準として用いられる訳ではない。或いは「美しさ」というものは、広義の「感動」に含まれる種別の一つであると言えるかも知れない。この場合の「感動」という言葉は、湿っぽい共感だけを排他的に意味するものではない。例えば「精神の動揺」とでも言い換えるべき広範な定義の概念である。単なる明晰な文章が「表現」として至上のものであるとは言い難い。極めて明晰な文章に、固有の審美的価値が宿ることは有り得る話だが、それが如何なる「精神の動揺」も齎さないのであれば、そうした「明晰な美しさ」は決定的な意義を持ち得ない。

 それならば「感動」とは具体的に如何なる定義を持つのだろうか。あらゆる感情的な混乱が「感動」の呼び名に値するとは言えない。重要なのは、それが「認識の革新」を齎すという点に存する。しかし、このような「認識の革新」は芸術に限らず、あらゆる学問的領野に共通して求め得る普遍的な経験である。芸術だけが独占的に、人々の古びた「認識」の枠組みを刷新する訳ではない。また、一般に芸術的活動が必ず「認識の革新」だけを目指して営まれるとも限らない。古典的で保守的な感覚や感情を慰撫する為に、あらゆる新奇な性質を排除した「表現」が形成される機会も稀ではないからだ。

「すべて文学のためですか」

「そう云えるだろうな。当時の私は、作家として、人間的なものにあまり身を沈めてはいけないという確信を抱いていた。たとえば医者はやはり人間を扱う職業だが、患者に対する同情に溺れてはならぬという彼の自戒も、畢竟するところ、人間の病気を治すという医学の人間的な目的に包まれて、一種の人間的な自戒だと考えることができるだろう。しかし文学はちがう。芸術には人間的な目的というものはないのだ。

 私は自分が幸福になるのを怖れた。幸福とは、人間的なものすべてとの親和の感情だからだ。たとえ家族であっても、私と人間どもとの間には、越えてはならぬ境界があった。そうだ。小説家における人間的なものは、細菌学者における細菌に似ている。感染しないように、ピンセットで扱わねばならぬ。言葉というピンセットで。……しかし本当に細菌の秘密を知るには、いつかはそれに感染しなければならぬのかもしれないのだ。そして私は感染を、つまり幸福になることを、怖れた。(「施餓鬼舟」『ラディゲの死』新潮文庫 pp.359-360)

 芸術家は世俗の規範から外れた奇怪な存在である。それは社会の内省的な自意識のように、社会の内部で生起する様々な事象への冷徹な解剖を重要な機能として含んでいる。芸術の根本に存在する反社会的な特性、断じて社会との融和に甘んじてはならないという厳しい規矩、これらの要素は如何なる意味を持つのか。何故、芸術家は人間的な幸福に感染することを忌避し、排斥しなければならないのだろうか。

 若しも芸術家が人間的な幸福の裡に埋没しながら日々の制作に取り組むとすれば、彼の生み出す作品は、既存の体制に順応する無害な表象と化し、芸術に固有の「認識の革新」という作用は死滅するだろう。何故なら、人間的な幸福に順応した精神は、体制の規範に隷属し、通俗的な価値観を信奉することによって、独自の新しい視野というものを失うからだ。堕落した芸術は、従来の社会に対する衝撃力を喪失し、現状の単なる追認に終始し、社会的な現実とは異なる別様の現実、可能的な現実に関する奔放な想像力を衰退させていく。そうなったとき、芸術家の有する本来的な革命性は消滅し、彼らの作品は娯楽的な製品以上の特別な価値を持たなくなるだろう。現に「芸術=娯楽」という等式を素朴な真理として信じ込んでいる人々はとても多い。彼らにとって「芸術」は数多の「娯楽」の一つに数えられる相対的な選択肢に過ぎない。「芸術」は彼らの精神を震撼する為ではなく、専ら慰撫する為に存在し、機能する。

 世俗的な人間は次々と人生を眺め変える。立身出世した男の自叙伝を見てごらん。彼は雪の中を跣足で駈けたり、炭焼小屋に一夜を明かしたりした少年時代のロマンスを、みんな眺め変えて、一つ一つに意義を与えている。責任とは彼のために存在する言葉だ。作家はちがう。作家は人間と生との冷徹な専門家で、専門家の気むずかしさを持っている。彼が生きるに従って移った見地は、一つ一つ崩れない塔のように、彼の過去に並んでいる。そのどの一つとして、彼にとってはもはや不可変のもので、それだから責任もないのだ。今や地平線上に見える或る塔から、彼が眺めた風景はおぼえているが、その風景を彼はもはや捨てていて、二度とその塔の窓へ眺めにゆくことはない。彼は自分の犯したあらゆる誤謬を正当なものにしなければならぬのだが、少しも修正を施さずに、誤謬も、誤謬でないものも、同じ仕方で正当化するのが芸術家の遣口なのだ。誤謬も、誤謬でないものも、同じ地点で落ち合うのでなければ、われわれは本当に生きたのだとは云えないね」(「施餓鬼舟」『ラディゲの死』新潮文庫 pp.362-363)

 世俗的な人間は、自分の生涯の総体を一つの単純な物語に還元する。頻繁に行われる甘美な追想は、その人生の様々な局面で享受した固有の心理的経験を書き換え、矛盾する事件は随意に捨象され、人為的な物語、自分に都合の良い解釈で鎧われた欺瞞的な物語が誇らしげに完成する。けれども芸術家は、そのような滑らかな物語の造成に抵抗する。一般に小説家こそが虚構の物語を愛し、その繁茂に貢献する種族の人間であるように看做されているが、実際には、彼らは滑らかな物語の造成に様々な方法で刃向かっているのである。言い換えれば、芸術家は「生の修正」という通俗的な手法を頑迷に排斥する生き物なのである。それでは何故、彼らは「生の修正」を断固として峻拒するのか。恐らく「生の修正」こそが「人間的なもの」との幸福な親和に至る為の最善の手段であると考えられるからではないだろうか。芸術家は不合理極まりない「生」の実相を敢然と照射し、その悲惨な構造を浮かび上がらせ、人々の眼前に提示する。それは通俗的な「幸福」を粉々に粉砕する悪魔的な所業に等しい。幸福な人間は、あらゆる事象を読み替え、他者と社会に向かって同意し、如何なる個人的な感情も余さずに譲渡する。彼らは「生の修正」を通じて美しく便宜的な物語を形成し、それを信奉することで揺るぎない「幸福」の湯舟に浸かる。しかし芸術家は、人間に関する真実を剔抉せねばならず、社会が抑圧しているものの内側を掘削せねばならない。

「……それはなあ、お前には想像もつかぬような幸福な生活だった。安穏であるばかりでなく、お前のお母さんは危険でさえあったのだ。毎日ちがう着物を着、目まぐるしいほど髪の形を変えた。……私は生れてから、そんなに人間的なものの近くにいたことはなかった。徐々に私はそれに感染した。人間的なものすべてと私は和解して、この世のしきたりをみんな受け容れた。慣習というものは何と快適だったろう。あるとき、お母さんの作ったパイに、私はうっかり手をつっこんだ。お母さんは笑って咎めた。私は自分のパイだらけになった五本の指を呆れて眺めた。パイはいかにも親密に、まるで当然のように私の指に粘ついていて、私の指を少しも警戒していなかった。それと同じことだ。人間的なものは、もうピンセットで扱われる必要がなかったのだ。……お母さんとの短かい結婚生活のあいだ、私は芸術の幸福な定義を一生けんめい探していた。人間的なものに埋没した芸術の定義を。……しかし困ったことに、幸福な状態は、幸福について考えるのにさえ適していない。そこで自分が不幸だと思う。しかし又、そんな風に不幸だと思うことが、光りかがやくばかりの喜びを私に与えた」(「施餓鬼舟」『ラディゲの死』新潮文庫 pp.366-367)

 若しも人間が、社会的な慣習や規範から発せられる総ての要求を漏らさず受け容れ、そのことに如何なる疑問も不満も懐かずにいられるのであれば、その主観的世界が反俗的な芸術の効用を欲することは有り得ないだろう。融和的で幸福な生活の過程で、芸術作品は単なる娯楽や虚飾以上の価値を期待されなくなるに決まっている。それは生活の枠組みに精彩を与える無害で精緻な工芸品であれば良いのだ。それゆえに幸福な日々は、芸術家にとっては地獄の境涯を齎すのである。美しく明朗な妻の夭折は、本来ならば人間的幸福の悲惨な瓦解と失墜を意味するものである。しかし、その死を「恩寵」と捉える芸術家の生は、寧ろ破滅的な不幸の裡に創造的な光芒を見出す。彼の求める「恩寵」は、人間的幸福の廃墟の中にしか存在しないのである。

ラディゲの死 (新潮文庫)