サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

芸術的実存の解析 三島由紀夫「旅の墓碑銘」 1

 三島由紀夫の短篇小説「旅の墓碑銘」(『ラディゲの死』新潮文庫)に就いて書く。

 菊田次郎と名付けられた本作の主役は、三島の他の作品(「火山の休暇」「死の島」)にも繰り返し登場する、作者の分身と思しき人物である。彼は芸術家であり、その独白を通じて主に語られるのは「芸術」と「生」との関係である。

 このとき、次郎は、定かならぬ音楽のようなもの、すでに日常性を失って溶解せられ深部に蔵された感情の急激な嘔吐のようなものに襲われた。それは目に見えるいかなる姿をももたず、現実のいかなる形相にも似ず、音楽がわれわれの心に最初に入って来るときのあの遣口、肉体の全組織に違和感を与え、それらの組織を別の透明な秩序に組みかえるために、一旦ばらばらにしてしまう遣口を模しているように思われた。これこそは一年前の次郎の旅の記憶であった。(「旅の墓碑銘」『ラディゲの死』新潮文庫 p.276)

 この抽象的で観念的な叙述は、如何なる消息を指し示していると考えるべきだろうか。遠方から風に運ばれて庭の日向へ降り頻る細雨に驚いたとき、次郎の内奥から迫り上がる「感情の急激な嘔吐」は、要するに一年前の世界旅行の記憶に根差している。単に忘却の深みへ沈んでいた記憶が急激に甦ったというだけの話であるならば、殊更にこのような観念的叙述を弄する必要はないだろう。恐らく次郎は単純な追憶に囚われただけではなく、その追憶を通じて精神の全体を書き換えられるような、異なる次元への移行を強いられたのだろう。忘れていた記憶が鮮明に復活した途端に、四囲の現実に対する知覚が一挙に更新され、日常的な枠組みが急速に剝落するということは有り得る話である。美しい音楽に鼓膜を搏たれるように、俄かに総身の感覚が一新され、それまで味わったことのない心理的な現象が押し寄せることは、誰の身の上にも起こり得る事態である。

 昨夜着いて、風呂に入って、次郎は煖房の利きすぎた部屋の安楽椅子に深く凭れて、夜の庭に呼び合う恋猫の声に悩まされながら、本を読んだ。隣室で電話をかけている声がする。長距離電話で新潟の人と話しているのである。まあ、六尺も、という声がきこえたのは、むこうの人が告げた積雪の高さに、おどろいたものらしかった。

 この声は、言うに言われぬ同時性の幻覚を次郎の心に呼びさました。新潟にはたしかに積雪があり、目前に見下ろす庭には雪の影もない。またわずか硝子一枚を隔てて、こちらには温かすぎる室内があり、あちらには確実に寒い戸外がある。さらに隣室にはみしらぬ他人がおり、ここには次郎がいる。そして次郎の外部には皮膚や髪の毛があり、内部には血みどろの内臓がある。彼の働らいている心臓と新潟の雪とは同時に在る。この聯関は何事なのか?(「旅の墓碑銘」『ラディゲの死』新潮文庫 p.277)

 この「同時性の幻覚」という聊か生硬で呑み込み難い言葉もまた、先述した「感情の急激な嘔吐」としての「記憶」の問題と相互に関連しているように思われる。記憶は過去と現在とを同時に顕現させ、認識は外界と内界とを併存させる。言い換えれば、次郎にとっての「現在」というものが突発的に、本来の確固たる輪郭を失いつつあるのだ。甦った記憶は彼を「現在」から引き剝がし、俄かに生じた「同時性の幻覚」は、彼の属する「現在」の根源的な相対性と脆弱性を曝露する。次郎の自己同一性は、危険な動揺の裡に搦め捕られ、その認識と思考は明瞭で疑いようのない確実さを奪われつつある。あらゆるものが揺るぎない必然性を欠いた任意の、謂わば偶発的で恣意的な現象に過ぎないように感じられる。そうした事態に、次郎は少なからず当惑しているように見受けられる。

 この小旅行は、到着匆々、さまざまのささやかな啓示で次郎を慰めた。あくる朝、目ざめの前の、夢ともうつつともつかぬ堺に、彼は自分が巴里の宿にいて、アルゼンチンの友からの電報をうけとり、アルゼンチンへの入国査証をとる面倒な手続のために、もう起きなければならぬと考えて、愕然と目をさました。領事館の旅券申請の受附は、通例、午前中に限られているからである。

 次郎は日本のホテルの一室に目をさました自分を見出して、少し不服を感じた。寝台を下りて、スリッパをつっかけて、厚い緞子の帷をあけに行った。冬の午前のすでに高い日差が流れ入った。庭のはずれには海と島影があり、眼下には枯芝のひろがりがある。

 窓の下に二三本の桜がある。次郎は褐色のやわらかな若葉さえつけた枝々を見ておどろいた。A市の一月は甚だ暖かい。終日日光を浴びているその桜は、のこらず花咲いていたのである。(「旅の墓碑銘」『ラディゲの死』新潮文庫 pp.277-278)

 相互に異質である筈の複数の要素が同時的に併存することの驚異、それが次郎の心を捕えて放さない。彼は、そうした驚異の「聯関」を、超越的で神秘的な啓示のように受け止めている。次々と発見される「同時性の幻覚」の裡に、次郎は何らかの特別な事態、何らかの重要な機密の暗示と片鱗を読み取っているのである。

『遠い新潟の雪とA市の雪のない夜との同時存在……』と彼の心は、謎解きに耽って呟いた。『夢の中の巴里と日本の重複、冬の季節と花咲いた桜の重複、晴れた空と霙の重複……』(「旅の墓碑銘」『ラディゲの死』新潮文庫 p.278)

 しかしながら啓示は、万人の視野に等しく重要な症候として映じるとは限らない。何故、次郎にとって「同時性の幻覚」は興味深い「聯関」として、つまり単なる偶然の連鎖に留まらない超越的な意味を含んだ現象として作用したのだろうか。一つ一つの対照性は、それを認識する者が特別な注意を払わない限り、有り触れた無意味な出来事として断片のまま放置されるだろう。実際、それらの出来事は些少の驚きを齎し得るとしても、鮮明な啓示として解釈されるには余りに凡庸で、神秘的な様相に乏しいように思われる。

『この庭師の熟練……』と次郎は考えた。『彼の熟練を生んだ永い生涯、透明な単純な日常生活の積み重ねにほかならぬその生涯、それを思うと、僕は旅した外国の諸都市で、格別の附合をした人たちよりも、この種の単調な生活をくりかえしている無縁の人たちのことを思い出さずにはいられない。地球のそれぞれの地方には時差があり、一地方の昼は他地方の夜である。南半球の夏は、北半球の冬である。しかしたとえば……』

 馘にでもならない限り、巴里のグランド・ホテルの部屋つきの老女は、今日と同じ日附の午前、次郎の泊った部屋の掃除をし、タオルを取代え、散らかした雑誌や地図類を鏡台の上に片附け、オリーヴ油の小罎の蓋をあけて、中身を少し失敬して、自分の髪になすりつけたりしているにちがいない。又もし冬日のあたたかい今日の巴里ならば、ホテルの階下のキャフェ・ド・ラ・ペエのテラスでは、頬に黒子のある若いギャルソンが、縫取をした土耳古トルコ風のズボンに風を孕んで、珈琲サイフォンの下半部を片手に、快活な身振で客の間を縫いつつ、その珈琲をいそがしく客の茶碗に注いでまわっているにちがいない。また今日と同じ日附の朝、リオ・デ・ジャネイロのコパカバナ・パレス・ホテルでは、太った横柄な中年のボオイが、小車ワゴンを押して次郎の泊った部屋へ新鮮な朝食を運んだにちがいない。丁度今ここの繁みで、老いた庭師が自分の仕事に熱中しているように。

 それはほとんど確実だと謂っていいが、確実だと信じるどんな理由がわれわれにあるのか?

『なぜわれわれはそれを確かめないで安心しているのだろう。なぜほぼ確実というところで安心しているのだろう』

 次郎は愕然としてそう思った。(「旅の墓碑銘」『ラディゲの死』新潮文庫 pp.279-281)

 通俗的な言い方を用いるならば、この場面における菊田次郎の眼差しと思惟は、哲学者の風貌と立場に類似していると言えるかも知れない。誰もが深い関心も寄せずに看過する些細な「聯関」を超越的な啓示のように取り扱い、この世界の確実性に関する真剣で根源的な懐疑を抱え込む辺り、古代ギリシアにおける「タウマゼイン」(thaumazein)の概念に見事な適合を示していると言えるのではないか。尤も、彼の本業は芸術家であって、哲学的な思惟は飽く迄も余技に過ぎない。

 次郎は一体、如何なる疑念、如何なる性質の不安に囚われているのだろうか? 世界の確実性に対する彼の根深い懐疑は「鏡子の家」に登場するニヒリスト、杉本清一郎の思想を想起させる。清一郎は「世界崩壊」に対する確信によって自己の精神を支え、維持している。それと同様に、次郎もまた「世界崩壊」の確信を要求しようと試みているのだろうか? 少なくとも、彼が或る「リアリティの喪失」という病患に苛まれつつあることは確実であるように見受けられる。この場合の「リアリティ」という言葉は、通俗的な社会が多数決の原理に基づいて信奉している一般的な世界観の総体を指し示している。誰もが素朴で簡明な事実として受け容れている世界の構造や秩序に対して、次郎の鋭敏な感受性は一つの疑義を呈している。「我々の信じ込んでいる世界の実相が、果たして堅牢な根拠に基づいていると言えるだろうか」と、彼は密かに訴えているのだ。

 次郎は南米の美しい一都市リオ・デ・ジャネイロに滞在していたあいだ、椰子の並木の木かげ、古い植民地時代の建築に囲まれたとある小径、多くの小島をうかべた海に沿う散歩道、怪魚や馬や薔薇の模様をえがいたモザイクの鋪道、水夫たちが母音の多い言葉で声高に喋っている夕日の港、そこの檣の殷賑、海風に蝕まれた古い船首像などのかたわらを歩いていたとき、また謝肉祭の夜、公園の榕樹が鬱然と垂らした気根にもたれ、男は波斯の奴隷に女は金の耳輪を下げたツィガーヌに扮して、語り合っていた若い一組を目にしたとき、瀕死の人が彼の死のあとにも世界がそのままの姿で存在することに云いしれぬ不合理を感じるのと似た感情に充たされたことがあった。この美しい異邦の一都市からの次郎の出発は、目睫の間にあった。

 われらの死後も朝な朝な東方から日が昇って、われらの知悉している世界を照らすという確信は、幸福な確信である。しかしそれを確実だと信じるどんな理由がわれわれにあるのか?

 次郎は愕然と、自分の周囲を見まわした。舟の影一つ見えない海、右方の湾、その彼方のおぼろげな岬のさま、こんな風景もまた次郎がこれを見ていないときには、変貌しないと誰が断言できよう。(「旅の墓碑銘」『ラディゲの死』新潮文庫 p.282)

 揺るぎない世界の永続という人類の根本的な理念、個別の宗教に属さない、生命の中枢に予め組み込まれ無限の作動を続ける一つの超越的な信仰、これに対して次郎は素朴な懐疑を示している。彼の「タウマゼイン」は、人類の過半が本能の要請に従って無意識に堅持している普遍的な規約の疑わしさに着目することで醸成されている。我々の主観的な認識は「現在」という細かく隔てられた瞬間の内部に閉じ込められていて、累積した記憶が齎す事物の法則性は、そのような離散的現在を一つの滑らかな連鎖に置き換える。この加工が欺瞞的なものではないと断定する根拠は、少なくとも我々の主観の内部には与えられていない。それは生物学的な本能に根差した恣意的な物語に他ならない。その物語の根源的な脆弱性を明確に認識した瞬間から、我々の「幸福な確信」は不穏な瓦解と衰滅を開始する。

 認識の中にぬくぬくと坐っている人たちは、いつも認識によって世界を所有し、世界を確信している。しかし芸術家は見なければならぬ。認識する代りに、ただ、見なければならぬ。一度見てしまったが最後、存在の不確かさは彼を囲繞するのだ。(「旅の墓碑銘」『ラディゲの死』新潮文庫 p.283)

 我々は三島が「認識」と「視覚」との間に設けている意図的な境界線を看過すべきではない。古代ギリシアの哲学者プラトンは「理性的認識」と「感性的知覚」との間に峻険な隔壁を築いて、真の「認識」の名に値するものは専ら「理智」を媒介とした把握に限られると論じた。次郎が「認識」と呼ぶ対象は、例えば「われらの死後も朝な朝な東方から日が昇って、われらの知悉している世界を照らすという確信」である。記憶の貯蔵庫に蓄積された無数の経験を蒸留することで得られる普遍的で無時間的な「真理」(正にプラトン的な意味での「真理」)の確実性を信奉する者は、実存に附随する根源的な不安を幸いにも免かれている。理智の力を信じて疑わないプラトニックな人々の「幸福な確信」を、次郎は露骨に侮蔑している。その侮蔑は、羨望の裏返しであると看做しても差し支えないが、何れにせよ彼は芸術家の矜持に基づいて、哲学者の驕慢な主知主義を控えめに排撃しているのである。彼の考えでは、芸術家は「感性的知覚」の領域に留まり続ける不可避の宿命を負っている。「存在の不確かさ」は、感性的認識の主体に必ず付き纏う非情な掟である。我々読者は、比類無い美しさを誇る「心象の金閣」に憧れながらも、同時に「現実の金閣」が「金閣」の「イデア」(idea)と融合することを切実に願い続けた「金閣寺」の溝口を想起すべきであろう。

『この不確かさ、この不安のただなかから』と次郎は考え進んだ。『あるとき、音楽のように、芸術家の恩寵がかがやき出す。それが新潟の雪の夜とA市の夜、巴里の朝とA市の朝、晴天と霰、冬と桜との重複、あの霊妙な同時存在の幻なんだ。認識によってではなく、単に存在することによって、――もっとも露わな状態で、肉体の裸よりももっと裸な状態で存在することによって、――世界と関聯していると感じるとき、僕自身も、紐育の陋巷に吹きころがされる紙屑だの、マイアミのホテルの絨氈だの、巴里の珈琲係のボオイだの、と同じような仕方で存在しているのである。僕はそれらのものに化身する。その瞬間、見る者と見られる者との差別は失せ、すべては等価値になり、調和の中に並存し、世界を充たした僕の不在を、今度はあらゆるものとの僕の存在の聯関が埋めるんだ。こういう世界の深みまで降りてゆかない精神が、どうして作品などという確実な(紙屑や絨氈ほどに確実な)物体に化身することができるものか!』(「旅の墓碑銘」『ラディゲの死』新潮文庫 p.283)

 プラトンは「本質」と「偶有」との間に区別を設ける。理性を通じて把握される「イデア」の領域においては、事物は純然たる「本質」によって構成され、如何なる「偶有性」も含まない。他方、感性的な知覚の領域においては、あらゆる事物が「本質」と「偶有」との複雑で無秩序な混淆の状態として顕現する。つまり、相互に異質な事物が重なり合っているように見えるのは、プラトニズムの観点から眺めるならば明白な誤謬であり、愚かしい錯覚に過ぎないのである。言い換えれば、プラトン的な理性は、あらゆる事物の体系の裡に厳格な境界線を導入し、その不法な越境を声高に告発するのである。けれども「芸術家の恩寵」は、そのようなプラトン的峻別とは対蹠的な原理に依拠して横溢する。それは如何なる理性的な線分も要求せず、寧ろ不安定で脆弱な溶解の過程である。何が「本質」であり、何が「偶有」であるかという煩瑣な議論は、芸術家にとっては無益な議論である。プラトンの議論は事物の間に明確な「ハイアラーキー」(hierarchy)を設定するが、芸術家が求める「恩寵」は、そうした峻厳なハイアラーキーの廃絶によって齎されるのである。「金閣寺」の溝口が熱烈に希求した「恩寵」もまた、このような「理性的認識」からの脱却と、美しい世界との「融合」の裡に存していたのではないかと推察される。

ラディゲの死 (新潮文庫)