サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

読書ノート

ショーペンハウアー「幸福について」に関する覚書 2

引き続き、ドイツの哲学者ショーペンハウアーの『幸福について』(光文社古典新訳文庫)に就いて書く。 ショーペンハウアーは、自らの皮肉で厭世的な幸福論(この逆説的表現自体が、既に皮肉なニュアンスを帯びている)を起筆するに当たって、アリストテレス…

ショーペンハウアー「幸福について」に関する覚書 1

十九世紀ドイツの著名な哲学者アルトゥール・ショーペンハウアーの『幸福について』(光文社古典新訳文庫)に就いて書く。 三月の初旬に原因不明の高熱を発して二週間ほど仕事を休んだ。四十度の発熱は成人してから殆ど初めての経験で(去年インフルエンザに…

芸術的実存の解析 三島由紀夫「旅の墓碑銘」 1

三島由紀夫の短篇小説「旅の墓碑銘」(『ラディゲの死』新潮文庫)に就いて書く。 菊田次郎と名付けられた本作の主役は、三島の他の作品(「火山の休暇」「死の島」)にも繰り返し登場する、作者の分身と思しき人物である。彼は芸術家であり、その独白を通じ…

「現世」と「常世」の分裂 三島由紀夫「朝顔」

三島由紀夫の短篇小説「朝顔」(『ラディゲの死』新潮文庫)に就いて書く。 哀切なノスタルジーと仄白い怪談の風味を混ぜ合わせた「朝顔」という小品は、自然主義的な自伝よりも、複雑な心理と難解な観念の飛び交う作為的な物語を好んだ三島の文学的系譜にお…

「逸脱」の倫理 三島由紀夫「偉大な姉妹」 3

引き続き、三島由紀夫の短篇小説「偉大な姉妹」(『ラディゲの死』新潮文庫)に就いて書く。 春の雪がちらほら降って来る朝、又ぞろ紋付に着かえて出かけようとする浅子の素振は、さすがに異様な感じを皆に与えた。勝子は見舞金をもって学生監の家を訪れ、こ…

「逸脱」の倫理 三島由紀夫「偉大な姉妹」 2

引き続き、三島由紀夫の短篇小説「偉大な姉妹」(『ラディゲの死』新潮文庫)に就いて書く。 おのが野心に名前を与えるために興造は苦しんでいた。彼が富を考える。すると学校門前の、小さなとりすました小町娘がいる菓子屋の、その許多ここだの鹿の子や桜餅…

「逸脱」の倫理 三島由紀夫「偉大な姉妹」 1

三島由紀夫の短篇小説「偉大な姉妹」(『ラディゲの死』新潮文庫)に就いて書く。 この作品が、三島の遺した夥しい短篇の群れの中で、如何なる芸術的序列を賦与されているのか、如何なる世評が過去に試みられてきたのか、私は知らない。ただ自分の私的な感想…

凡庸な恋路の結末 三島由紀夫「箱根細工」

三島由紀夫の短篇小説「箱根細工」(『ラディゲの死』新潮文庫)に就いて書く。 丹後商会は写真機を商う店である。銀座西七丁目にあって、裏通りの地味な店構ではあるが、銀座に二十年つづいている店はそうたんとはない。主人は二代目である。先代が地歩を築…

画一的幸福の破局 三島由紀夫「日曜日」

三島由紀夫の短篇小説「日曜日」(『ラディゲの死』新潮文庫)に就いて書く。 戦後的な風俗、経済的繁栄に基づいた「幸福な日常」への期待を露骨に嫌いながら、猶も世間の喝采を浴びて威風堂々たる文豪の地位を築き上げた三島由紀夫は、極めて風変わりで屈折…

現し世の幸福を厭離する心 三島由紀夫「花山院」

三島由紀夫の短篇小説「花山院」(『ラディゲの死』新潮文庫)に就いて書く。 中古の陰陽師は、欧洲中世の錬金道士のような神秘な知識の持主として重んぜられていた。彼には上代の呪術卜筮のたぐい、大陸の怪奇な道教や占星術、そのほか雑多な魔術的知識があ…

戦後的ニヒリズムの肖像 三島由紀夫「魔群の通過」

三島由紀夫の短篇小説「魔群の通過」(『ラディゲの死』新潮文庫)に就いて書く。 この作品に登場する人々は何れも癖の強い、奇態な性質の持ち主ばかりである。主役に当たる伊原を除いて、彼らは何れも敗戦による社会の激変によって著しい没落を強いられたと…

「政治」への冷笑 三島由紀夫「大臣」

三島由紀夫の短篇小説「大臣」(『ラディゲの死』新潮文庫)に就いて書く。 この小説は、所謂「政界の内幕」を活写した体裁の作品である。尤も、作者は国家の政策に関する具体的な持論を述べたり、現行の政権に対する批難や嘲罵を露わに示したりする為に、こ…

色欲と懲罰 三島由紀夫「山羊の首」

三島由紀夫の短篇小説「山羊の首」(『ラディゲの死』新潮文庫)に就いて書く。 この作品の主題であり、全篇を束ねる寓意の焦点でもある「山羊の首」の反復的な登場は、太宰治の虚無的な短篇小説「トカトントン」を多くの読者に想起させるのではないだろうか…

納富信留「ソフィストとは誰か?」に関する覚書 2

納富信留の『ソフィストとは誰か?』(ちくま学芸文庫)に就いて書く。 「哲学者」という独特の観念は、師父ソクラテスの特権的な聖別を企図したプラトンによって、数多のソフィストたちの思想的範型の渾沌たる集合から、精密な論理的検証を通じて析出された…

納富信留「ソフィストとは誰か?」に関する覚書 1

納富信留の『ソフィストとは誰か?』(ちくま学芸文庫)に就いて書く。 古代ギリシアの哲学者プラトンに関して、日本を代表する高名な研究者である納富氏が、本書において展開している古代哲学史に就いての緻密な考究の方針は、柄谷行人氏が『哲学の起源』(…

地上の愛慾に身を焦がして 三島由紀夫「みのもの月」

三島由紀夫の短篇小説「みのもの月」(『ラディゲの死』新潮文庫)に就いて書く。 表題の「みのもの月」とは漢字で書けば「水面之月」であり、要するに水面に映じた不安定に揺らぐ月影を意味している。劈頭に掲げられた「往生要集」からの引用が示唆するよう…

「夭折」の再演 三島由紀夫「朝の純愛」

三島由紀夫の短篇小説「朝の純愛」(『女神』新潮文庫)に就いて書く。 昭和期の戦後文学を代表する多才な文豪であった三島由紀夫の業績を要約して、要するに彼の取り扱った最も重要な主題は「アンチエイジング」(anti-aging)であったと断定したら、何を下ら…

近親姦と死者 三島由紀夫「雛の宿」

三島由紀夫の短篇小説「雛の宿」(『女神』新潮文庫)に就いて書く。 この簡素な作品には、歴然たる霊異の彩色が盛られており、官能と禍々しさの入り混じった情景の数々は、単純な怪談とも割り切れない独特の風味を備えている。女子の成長を祈念する桃の節句…

退屈な幸福と、ロマネスクな不幸 三島由紀夫「鴛鴦」

三島由紀夫の短篇小説「鴛鴦」(『女神』新潮文庫)に就いて書く。 一般に「鴛鴦」とは仲の睦まじい夫婦や恋人の比喩に用いられる言葉である。その比喩に相応しく、この作品に登場する久一と五百子のカップルは頗る気の合う二人で、無難で保守的な処世訓の信…

「訓誡」に化身した宗教的愛慾 三島由紀夫「侍童」

三島由紀夫の短篇小説「侍童」(『女神』新潮文庫)に就いて書く。 年長者が教育や訓誡を建前として年少者を寵愛する風習は、例えば古代ギリシアにおける「少年愛」(paiderastia)などの豊富な歴史的事例を備えている。この「侍童」における伊佐子と久の迂遠…

「媚態」のニヒリズム 三島由紀夫「恋重荷」

三島由紀夫の短篇小説「恋重荷こいのおもに」(『女神』新潮文庫)に就いて書く。 この作品を一つの簡素なラベルで要約するとすれば、恐らく「三角関係の話」ということになるだろう。尤も、この短い小説の裡に詰め込まれた幾つかの場面には、一般に「三角関…

紺碧の誘惑 三島由紀夫「蝶々」

三島由紀夫の短篇小説「蝶々」(『女神』新潮文庫)に就いて書く。 この作品で扱われる主題もまた、「女神」という短篇の集成に収められている他の小説と同様に、或る男女の恋愛の様相であるが、極限まで切り詰められた簡素な略画のように見える「白鳥」や「…

「肉慾」の蔑視 三島由紀夫「哲学」

三島由紀夫の短篇小説「哲学」(『女神』新潮文庫)に就いて書く。 古今東西を問わず、人間関係の苦悩というものは地上に途絶えたことがなく、況してや複雑な欲望の混淆する性愛の紐帯に就いては、多くの人間が様々な形態の煩悶や悲劇に苦しめられ、場合によ…

重なり合う私たちの、分かち合う盲目 三島由紀夫「白鳥」

三島由紀夫の短篇小説「白鳥」(『女神』新潮文庫)に就いて書く。 この小説もまた「接吻」や「伝説」と同様に、恋愛の渦中にある男女の繊細な心理の動きを的確に捉え、省かれた筆致でさらさらと描き出す種類の小品である。例えば傑作「金閣寺」における凄絶…

偶然性の「照応/暗合」 三島由紀夫「伝説」

三島由紀夫の短篇小説「伝説」(『女神』新潮文庫)に就いて書く。 例えば「宿命」という言葉は、それを科学的な仕方で厳密に実証することは出来ないにも拘らず、いや、だからこそ、或る強力な信憑として私たちの精神を捕縛し、制約する。総ての出来事を純然…

抒情と想像の糖衣 三島由紀夫「接吻」

久々に三島由紀夫の小説に就いて書く。取り上げるのは掌編と呼んで差し支えない分量の「接吻」(『女神』新潮文庫)である。 さらさらと色鉛筆で手早く描いた簡素なスケッチのような、この泡沫のように儚い作品の裡に、大袈裟な思想的含意を探し求めたところ…

柄谷行人「哲学の起源」に関する覚書 2

柄谷行人の『哲学の起源』(岩波現代文庫)に就いて書く。 本書における著者の意図は、哲学の起源に関する通説を、古代のイオニアに息衝いていた自然哲学及び「イソノミア」と呼ばれる政治的理念を武器として転覆し、読み替えることに存する。それはプラトン…

柄谷行人「哲学の起源」に関する覚書 1

柄谷行人の『哲学の起源』(岩波現代文庫)に就いて書く。 中学生の頃、偶々父親の書棚から、カヴァーのない年季の入った『意味という病』の単行本を発掘して、何の予備知識も持たずにパラパラと頁を捲り始めたときの、あの不思議な昂揚は今でも頭の片隅に残…

ジャン・ブラン「ソクラテス以前の哲学」に関する覚書 6

ジャン・ブランの『ソクラテス以前の哲学』(文庫クセジュ)に就いて書く。 レウキッポスとデモクリトスによって創始された古代ギリシアの「原子論」(atomism)が内包する最も重要な画期性は、その宇宙論が「空虚」及び「無限」の観念を導入したという点に存…

ジャン・ブラン「ソクラテス以前の哲学」に関する覚書 5

ジャン・ブランの『ソクラテス以前の哲学』(文庫クセジュ)に就いて書く。 パルメニデスが存在の本性に就いて明確で堅牢な定義を行ない、イオニアの自然哲学が擬人化された神々の物語に依拠する伝統的な世界観の排撃を目論んで、超越的な表象によるアナロジ…