サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

偶然性の「照応/暗合」 三島由紀夫「伝説」

 三島由紀夫の短篇小説「伝説」(『女神』新潮文庫)に就いて書く。

 例えば「宿命」という言葉は、それを科学的な仕方で厳密に実証することは出来ないにも拘らず、いや、だからこそ、或る強力な信憑として私たちの精神を捕縛し、制約する。総ての出来事を純然たる偶発的な継起として把握し、超越的な意図を少しも信用しないで、総てを不可知の状態へ留置することは、私たち人間の本性に反する。どんな事柄にも、何らかの照応や暗合を読み取り、恐らくは単なる偶然に過ぎない事物の関係さえ、一つの巨大な物語として翻訳すること、それは文学に限らず、あらゆる分野における人間的知性に賦与された生得の機能、つまり「本能」であると思われる。

 事物と事物との間に因果や反映や照応を見出すことは、私たちの認識的能力の根幹に位置するプロセスであり、若しもそれを完全に否定してしまったら、どんな思惟も想像も成り立たなくなるだろう。総てが無機質な羅列と混在に過ぎず、如何なる秩序の介在も期待し得ないのならば、考えることは無益な誤認に過ぎない。事実、そうなのかも知れないが、人間の本性は、そのような偶然性の羅列と散乱に堪えられない。「無意味」という観念ほど、人間の精神を侵蝕する悲惨な病魔は他に考えられない。

 複数の偶然の集積の帰結に過ぎないとしても、例えば総てが過ぎ去ってしまった後の場所から、それまでの人生の軌跡を顧みると、私たちはそこに何らかの必然に導かれた一つの奇蹟的な物語の存在を確信する。過去に行われた些細な決定が、極めて重大な分水嶺であったことを悟って慄然とする。その瞬間には理解し得なかった重要な符合が、未来において明確な筋書きとして整除され、時に「宿命」という表題の物語に集約される。

 この「伝説」という掌編においては、殆ど倒錯的であると思われるような「宿命の予覚」が、神秘的な価値を帯びて作品の主題を成している。一般に「恋愛」が偶発的で相対的な要素に導かれて始まる流動的な現象に過ぎないことは広く知られている。しかし、強力な恋情に駆り立てられているときの人間が、恋人との紐帯を、単なる偶然の悪戯に過ぎないと貶下するとは思われない。彼らは自分たちの関係を「運命的な出逢い」という大袈裟な言葉で形容するだろう。無論、それが事前に定められた揺るぎない「宿命」であることを客観的に立証する術はない。従って、その場合の「宿命」とは一種の宗教的な信仰に等しい。彼らは「宿命」という表題を附せられた一つの個人的な物語を共有する。少なくとも恋愛に関しては、当事者の間で二人の関係が「宿命」の所産であるという合意が成り立っているのならば、外野の沈着な指摘は微塵も価値を持たないのである。

 十三年前の段階で、互いの存在を無意識の裡に求め合っていた一組の男女、という「伝説」の図式は明らかに、超越的な「宿命」の先行を認めることで成立している。彼らは、二人の「邂逅」を「偶然の帰結」として捉える散文的な発想を拒絶している。寧ろあらゆる出来事が、彼らの「邂逅」を予言し、それを現実化する為に配置されていたのだと、事後的に翻訳される。彼らは事後的な認識を過去に向かって投射し、一つの「伝説」という幻想を共有する。こうしたロマンティシズムが、三島由紀夫という作家の内面に繁殖した、牢固として抜き難い宿願であることは明らかな事実である。その欲望は、眼前に生起する散文的な現実を絶えず「宿命的な物語」として翻訳する。如何なる瑣末な偶然も、寧ろそれが瑣末であるからこそ一層、奇蹟のような暗合として、物語を生きる人々の内面に刻み込まれ、崇高な啓示の如く鳴り響くのである。

「ほんとうに伝説のようですわ」

 と少女は呟いた。それから、静かな力を帯びた眼差で青年を見上げて、

「でも、これで伝説は終ってしまいましたのね。私たちは伝説を作り終えてしまいましたのね。お会いしないでいたら永久につづいた伝説を」

「いや、まだ終っていはしない」

 青年はいとしそうに少女の不安をなだめた。

「僕たちは永久に伝説のなかにいるのです。僕たちの出会ははじまったが、まだ終っていはしない。僕たちはまだ本当に出会ってはいないのですよ。あの夜僕が呼び求めた、『まだ見ぬ貴女』と、五つの貴女を泣かせた『まだ見ぬ僕』とは」

「その二人が会ってしまったらおしまいだと仰言るのね」――少女はなお不安そうにたずねた。

「その二人を永久に会わせないようにいたしましょう。そのためには私たちはどうすればいいのでしょう」

 青年はいきなり少女の体を抱きしめて、鹿のような素直な背をやさしく撫でながら耳もとでささやいた。

「こうすればよいのです」(「伝説」『女神』新潮文庫 p.172)

 この穏やかで哀切な末尾の先に、三島が初期の「盗賊」や「岬にての物語」から晩年の「憂国」に至るまで繰り返し取り上げ続けた「情死」のモティーフを想い描くことは、それほど不当な推察ではないだろう。彼にとって「情死」は、或る男女の恋愛を普遍的な「宿命」へ昇華する為の重要な手続きを意味しているのである。人間にとって最も偶発的な事件であるとも言える「死」を自らの意志的な決断に切り替えることは、自分自身の実存的な軌跡を悉く一つの「宿命」に置換する決定打として機能するのだ。

女神 (新潮文庫)

女神 (新潮文庫)

  • 作者:三島 由紀夫
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2002/11
  • メディア: 文庫