「生活」に就いて
「生活」という言葉は、私たちの暮らしの中に、当たり前のように溶け込んでいる。誰もが「生活」という言葉の厳密な定義を改めて検討する必要にも迫られぬまま、遽しい世渡りに齷齪している。例えば「就活」(就職に向けた活動)やら「婚活」(結婚に向けた活動)といった最近の言葉と照らし合わせてみたとき、この「生活」という言葉を「生存に向けた活動」という具合に言い換えることが可能である。
自らの生存を維持する為に行なわれる活動の総体を纏めて、人はそれを漠然と「生活」という言葉を用いて呼称する。そのように考えれば、この世界に「生活」という観念と無縁の人間は誰もいないということになる。死んでいない限り、人間は生きており、生きている以上は否が応でも、生きる為の様々な活動(食事や排泄といった基礎的な生物学的行動も含めて)に精励しなければならない。生活を嫌悪する人でも、自分の心臓が血流を支え、肺臓が酸素と二酸化炭素を交換していること自体に異論を唱える人はいないだろう。
換言すれば、自殺に赴く人々は皆、生活に対する嫌悪を抱え込み、生きる為の活動に明け暮れる日々に抑え難い倦怠を懐いてしまった人々であると、定義することが出来る。場合によって人間は、生きる為に飯を食い、厠へ日に何度も入って踏ん張り、銀行口座を空っぽにしない為に自分自身に鞭打って勤めに出掛けるという日常的な現実そのものを憎悪し、排斥したくなることがある。生きているという事実と、今後も長く生きていたいという願望との間に、単純な因果関係を定言的に求めるのは必ずしも適切な考えではない。生きることへの嫌悪、日々の生活を維持していくことへの嫌悪、そうした負性の感情が降り積もって、徐々に醗酵し、或る日突然、最後の規矩を飛び越えてしまう。生活の圏域から離脱して、涅槃の境地へ物理的に移行してしまう。そのとき、周囲の人々は時に当惑を口にする。仕事振りも真面目で、人柄も良かったのに、何故、世を儚んで自殺してしまったのだろうか、と。しかし、彼は真面目に生活の規矩を守りながら、内面には堪え難い衝動を刻々と肥大させていたのかも知れない。
私が思い立って昨秋から集中的に読み込んでいる三島由紀夫の文業には、こうした「生活への嫌悪」が随所に、署名のように刻み込まれている。彼の生涯には、生活の反復的な秩序から脱して、崇高な「死」の安逸へ逃げ込むことへの憧憬が絶えず反響している。無論、彼はずっと「死への衝動」を素朴に肯定していた訳ではない。例えば「金閣寺」において、語り手である見習いの僧侶が、幼時から憧れ続けてきた金閣寺に火を放つのは、金閣が彼の「生活」への参入と自足を妨礙する存在であったからだ。換言すれば「金閣」は、あの不幸な僧侶にとっては「死」の象徴であり、代理的な観念であったのだ。彼は死を通じて生活からの脱却を図ろうとする悲劇的な欲望と、生活に参与し、生活に没入したいと考える積極的な願望との間で苦悩を積み重ねてきた。金閣寺を焼き払うことは、三島にとって「生活」を尊重する為の重要な決断であり、内在的な誓約であったのではないかと思われる。
生活するということ、生きるということ自体を肯定すること、それは倫理的な観点から眺めれば、一つの根本的な美徳であろう。生存を肯定しない限り、生活の為の思想も行動も生まれようがない。そして生存の肯定は、生命体を支える根本的な原理である。あらゆる破滅的な悪徳は、生きること、生活することへの敵愾心に満ちた否定から生じる。悪徳の成立する根源的な要件は、生に対する嫌悪と拒絶である。生きることを呪うとき、人間は他人が抱え込んでいる生活への憧憬や欲望さえも軽んじて、蔑視するようになる。自分の生存を肯定し、承認出来ない人間が、他人の生存の価値を安く見積もるのは当然の理窟である。
幼い子供を虐待して殺したり、見ず知らずの他人を突発的に襲って命を奪ったりする人々の心にも当然、生きることへの已み難い嫌悪の情が根深く巣食っているのではないかと思う。生きていくことへの堪え難い疲労の感覚、生きていることに意味を見出せない虚無的な心情、そうしたものが他人の命を奪い取り、路傍へ投げ捨てることへの逡巡と躊躇を麻痺させる。そうした思想を、単なる刑事的な処罰によって解消することは殆ど不可能に等しい。生きることに価値を見出さない人間にとって、懲罰が如何なる意味を持つだろうか? それは単なる物理的な抑止以上の効果を持たない。重要なのは、彼らに生活の価値を教え、理解させ、信じさせることである。生活への肯定だけが、世上の陰惨な悪徳を衰微させる根源的な威力を持ち得る。死ぬことに憑かれた人間の法外な自由(例えば三島由紀夫の「青の時代」に登場する川崎誠という青年の有していた自由)を抑え込む為には、生活の価値を信奉させる以外に途はない。死を恐懼しない人間の悪徳を癒やすのは、生きることへの積極的な憧憬だけである。