サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

この世に生きる限り、救済は有り得ないというラディカリズム

 連日このブログで、以前に投げ出したクンデラの「存在の耐えられない軽さ」を再び読み始めたと書いておきながら、数ページ読んだだけでまた興が乗らなくなってしまった。個人的な読書は社会の為でも他人の為でもなく、純粋に己の関心に基づいて営まれるのだから、気分が向かなくなったら幾らでも相手を変えればいいに決まっているのだが、自分で決めた方針を自分で覆すのは何とも歯痒く情け無い話である。

 池澤夏樹が個人編輯したことで華々しく脚光を浴びた、河出書房新社版の世界文学全集にも収録されているクンデラの高名な小説にどうしても食指が動かないのなら、時機が熟するのを気長に待って「天冥の標」の続きでも読もうかと考えたのだが、どうやら私の気分は幾らか殺伐としているらしく、架空の世界を舞台に綴られる壮大な物語に夢中になれるほどの精神的余裕を持てないことが、徐々に意識の上で明らかになってきた。小説というのは絵空事を書き綴るものであり、社会的な功利性の観念とは相容れない領域に存在するメディアの形式である。それは社会と完全に切り離された閉域という訳ではないが、少なくとも何らかの有効な実用性を備えたものであるとは言い難い。どんなに優れた小説も、その特質は個人の私的で主観的な領野に向けて作用することが本懐なのであり、その愉楽は極めて限られた範囲にしか及ぶことのない、密室の興奮である。誰もセックスの快楽を社会的な実用性と結び付けようとは試みないのと同じことで、小説を読む快楽は外界から隔てられたプライベートな空間にしか生息し得ない。

 だが、そういう快楽は慌ただしい俗世の雑事に忙殺されて我に返る遑もない、私のような凡庸な労働者には本来、縁遠いものであるのかも知れない。何を大袈裟なと思われる方もいらっしゃるだろうが、自分自身の懐いた素朴な実感を偽ることは不可能である。クンデラの観念的な思弁に耳を傾けている間、色々と触発されたり刺激を受けたりする部分はあったが、どうやら私の心に余裕が失われているのか、もっと直截な随想や評論の形式で書いてくれた方が話が早いじゃないかと作者を急き立ててしまうような気持ちが、胸底に宿ってしまったのだ。それは作者の罪ではなく、性急な読者に堕落してしまった私の全く個人的な「無明」の責任であろう。分からないものは退屈だと断定することほど怠惰で無味乾燥な感性の形式は他に考えられない。もっと素直に読み解けるようになるまで、今は己の人間的な度量を広げ、器を錬磨する努力を重ねるのみである。

 そうして不意に思い立って岩波新書でも買って読もうかと考え出したのは、自分が余りに物事を知らないという事実を改めて痛感したからであった。それは無論、以前から自明の真実であったのだが、家を建てたり子供が産まれたり人事異動があったりと、春先から目紛しい実生活の変容が続いている所為もあり、今まで通りの考え方や知識や経験では対処することの難しい現実が、真っ新な原野のように幾つも眼前へ開けてきて、自分が想定していた以上に無知で不勉強な人間であるということに、漸く眼差しを向ける機会が得られたという訳なのだ。クンデラの作品を読み解くには、二十世紀を揺さ振り続けた共産主義や独裁といった政治的問題に関する知識が、基礎的な教養として読者の肉体に浸透していなければならない。芸術至上主義を唱導する人々は、芸術を味わうのに知識や経験など不要であると喧伝するかも知れないが、言葉や知識を超越した普遍的な価値が、優れた芸術作品には内在しているというクリアな考え方には疑義を呈さずにはいられない。生まれたての赤ん坊がクンデラの小説を読んで文学的な感動を享受することなど有り得ないのは分かり切った話である。相応の知識と経験がなければ読み解けない作品が存在するということは厳然たる事実なのだ。その場合には、時機が熟するのを待つのも一つの有効な選択肢であろう。

 岩波新書でも順番に読もうかと考えたのは、無知な自分の世界をもっと押し広げていきたいという願望の反映であった。そう考えながら自宅の二階の物置に押し込まれた私の乏しい蔵書の背表紙を眺めているとき、随分前に津田沼丸善で購入して数ページ読んだきりお蔵入りになっていた一冊の本が眼に留まった。末木文美士という学者が書いた「仏典をよむ 死からはじまる仏教史」(新潮文庫)という啓蒙的な書物である。

 私は中学の頃に思春期らしい悩みの渦中に埋もれていて、自分がどういう風な人間で、これからどんな人生を歩みたいと願っているのか、そうしたアイデンティティに関する少年らしい煩悶に取り憑かれていた。幸福になりたい、だが幸福とは何なのか、満ち足りた人生を得る為には何をすればいいのか、そういった事柄が劇しい焦躁と共に脳裡へ押し寄せて、魂に悲鳴を上げさせていたのだ。その頃、どういう契機があったのかは明瞭に記憶していないが、私は禅宗の書物に惹かれ、悟りを開いた禅僧たちの自由闊達な境涯に憧れを懐いた。「不立文字」とか「脚下照顧」とか、「臨済録」の「仏に逢うては仏を殺し」といった過激な文言に潜むアナーキーな感覚は、絶対的な自由を約束し、あらゆる懊悩を払拭する魔術的な方法のように思われたのだ。分かりもしないのに千葉県立図書館で白隠禅師の「夜船閑話」を借りて読んだり、或いは「碧巌録」や「摩訶止観」を松戸市立図書館の閲覧室で繙いたりしたのも、そのような思春期固有の屈折した憧憬に衝き動かされた為であった。

 だが、私の仏教に関する知識は固より断片的で不正確なものである。禅宗という思想が何故、中国で華麗に花開いたのか、後に伝播した日本で更に独自の深化を遂げたのか、といった思想史的な問題は固より、釈迦の教説に関しても一知半解にすら及ばない貧困な知識しか持ち合わせていない有様である。改めて末木文美士の「仏典をよむ」を再読しようと企てたのは、そのような「無明」の状態を打開する為であるが、それは私が出家得度を志しているからではない。例えば以前にこのブログで取り上げた武田泰淳の「異形の者」や坂口安吾の「風と光と二十の私と」、或いは「無一物」という禅僧じみた言葉の頻出する車谷長吉の「赤目四十八瀧心中未遂」といった小説を玩味するにしても、仏教という壮麗な宗教的体系に関する知識が欠けていると、隅々まで愉しむことが出来ない。キリシタンへの弾圧を扱った遠藤周作の「沈黙」を理解するにしても、仏教という世界に関する知識を蓄えることは重要な意義を担うだろう。自分の世界を広げたいというのは、そういうことである。

 長くなったので、続きは次回以降に委ねようと思うが、備忘録を兼ねて書き留めておく。下記の引用を御覧頂きたい。

 他方世界と他方仏を認めることは、大乗仏教の思想的展開に大きな可能性を開くものとなった。

 第一に、それによって、釈迦仏の死後、救済者不在の状況に対して、新たな救済者の可能性を認めることができるようになった。死んでしまった釈迦仏を崇拝することがどれだけ意味を持つのか、という疑問はこれで解決することになる。死んだ仏よりも、現在生きて活動している仏による救済のほうが有効であろう。(49P)

 仏教は原則として、複数の仏を認めない。一つの世界に救済者としての仏は一人だけである。そして私たちの暮らす娑婆世界においては、釈迦は既に寂滅しており、救済者は不在である。つまり、私たちが現世において救済される可能性は、釈迦の寂滅という原理的な事実によって抹消されているのだ。その代わり、大乗仏教は「世界の複数性」という観念を持ち出すことによって、救済の可能性を復活させた。他の「仏国土」へ赴けば、別の仏の慈悲に縋ることが出来る。「西方浄土」を主宰する阿弥陀如来への信仰は、このような背景を踏まえている訳だ。これらの理窟は言い換えるならば、私たちは「生きている限り救われることがない」という意味である。「彼岸」という概念の重要性は、それが宗教的な信仰の本質に位置していることによって担保されている。仏教において「死」と「悟りの境地」が同じ「涅槃」という言葉で示されるのは、死ぬことと異界へ赴くことが同義であり、救済が「彼岸」にしか存在しない為である。宗教が常に「死」と深く関わり合うのは、こうした思想的経緯に基づいているのだ。

 纏まらない文章になったが、今日はこれで擱筆する。

 

仏典をよむ: 死からはじまる仏教史 (新潮文庫)

仏典をよむ: 死からはじまる仏教史 (新潮文庫)