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サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

網野善彦「無縁・公界・楽」に関する覚書

社会

 網野善彦の「無縁・公界・楽」(平凡社ライブラリー)を読了したので、徒然なるままに感想を書き留めておく。

 日本史に関する知識の薄弱な私には、難解な語句や意味の把握し辛い表現なども散見したが、基本的には愉しんで読み進めることが出来た。

 主には「無縁」という概念を駆使して、中世の日本社会の構造や特質に、新たな角度から照明を当てるという趣旨の書物であり、数多の文献を渉猟して豊富な実例を明示しながら、中世の日本において様々な場面で見出される「アジール」に就いて語っていく体裁を取っている。江戸時代の「縁切寺」を例証の嚆矢として、段階的に歴史的な過去へ遡行していくのだが、余りにもアジールの範囲が拡大されて、何でもかんでも「無縁の原理」という言葉で片付けられてしまっているような印象も受けた。著者は「無主の原理」と「有主の原理」が絶えず複雑に絡まり合い、隣り合いながら機能していたという認識を幾度も強調しているが、それさえ苦し紛れの弁明のように聞こえてしまうのは、私の読解が浅薄である所為だろうか。

 尤も、こうした見解をわざわざ表明するのは決して、私が「無縁・公界・楽」という書物の意義を見縊っているからではないし、この貴重で画期的な書物から、新たに学び得る認識や知見は少しも存在しないなどと、傲岸不遜の悪罵を投げつけようという腹積りがある訳でもない。「無縁」という言葉に着目し、その埋没しがちな意義を無数の資料を読み込む営為を通じて浮かび上がらせ、固定化された平板な「史観」を震撼させようとする作者の野心的な企図は無論、私たち日本人にとっては極めて有益な学術的資産である。

 著者は「所有」或いは「私有」という制度が「無縁」という原理によって根底から支えられていることに読者の注意を促している。「所有」が「無所有」に支えられているとは一体、どういう意味だろうか? 少し首を傾げたが、次のように考えれば、その意味を精確に捉えることが出来るのではないかと結論した。つまり、或る事物が何者かによって所有される為には、先ずその事物を「誰にも所有されていない状態」に移行させる必要があるのだと、幾分理窟っぽく定義すれば良いのだ。

 著者は「無縁」の領域が公権力の庇護を享けることで、その独自の輪郭を保っている事例を無数に挙げている。無論、公権力は決して「無縁」の原理を特別に崇敬しているのではなく、そこに逆らい難い歴史的な「抵抗」の要素を見出している。公権力が「公界人」たちに授ける庇護は、獰猛な野犬の首に縄を結び付けるような意味合いを含んでいるのである。著者は、そうした「無縁」と公権力との関係が、幕藩体制の確立された江戸期に至る頃には、「無縁」の勢力の圧倒的な劣位に傾いていることを指摘している。だが、そもそも「無縁」という原理は、何処から生じてきたのか? 何故、社会の秩序から切り離された公界人に、往時の権力者たちは一定の譲歩を示さねばならなかったのか? そうした根源的な問い掛けに、この試論は十全の回答を与えていない。その点に、私は残念ながら物足りなさを覚えた。

 農耕を生業とする人々は、土地に縛られる宿命を持つ。そして公権力は「土地」と「住民」を一括で管理することによって、自らの支配力の徹底的な強化を図ってきた。「戸籍」や「住民票」を通じて版図の人民を管理し、拘束する政治的な手法は、現代においても変わらずに受け継がれている。従って「非農業民」の生活に学術的な関心の焦点を定める網野氏の思索が「土地に縛られることのない人々」=「遍歴する人々」の「無縁的性格」に執着するのは当然である。そうした「無縁」の人々が徐々に遍歴の日々から遠ざかり、特定の土地に囲い込まれていく「屈服の過程」として日本史を眺めることは、一つの創見である。だが、そもそも「無縁とは何なのか」という根源的な問いが解決されない限り、一つ一つの史料の解読は、どうしても恣意的な振幅を抱え込まざるを得ない。

 繰り返すが、著者が「無縁・公界・楽」という色褪せた観念に新たな息吹を吹き込んだ事実は、大いに賞讃されるべき功績であるし、そのような観念を駆使して日本史の通説を転覆させる学術的野心にも、敬意を払うべきであると思う。だが、この書物を読んで私たちが学び得るのは「無縁」という原理の本質ではなく、その具体的な濫觴でもなく、飽く迄も表層的な「事例」の数々である。そこに追究と探索の手懸りを見出すのは当然だが、その手懸りを活用して、著者は如何なる領域に辿り着いたのだろうか?

 何やら批判的な言辞ばかり弄しているが、ここから先は、私なりの着想を勝手気儘に書き殴っておきたい。

 「無縁」という観念が指し示すのは、要するに「世俗的な関係を切断すること」であり、それは宗教的な意味での「出世間」という観念と容易に連絡し得るものである。例えば武田泰淳の「異形の者」という小説は、死に関わることによって「俗世」から乖離した人間の実存を描いている。寺社が「無縁」の場として、つまり一種の「聖域」としての社会的機能を担うのは、そもそも宗教的な観念が「世俗的関係の切断」を中心的な機能として内包しているからであろう。

 「無縁」の領域に属する「公界人」は、俗世間からの逸脱や乖離を、自らの存在の特性として備えている。公界人は、俗世間の秩序や体制、規範によって拘束されることがない。にも拘らず、彼らが世俗的な権力による庇護の対象として遇されるのは何故なのか。それは、世俗的な社会が成立する上で、どうしても彼らのような「異形の者」が必要とされるからであろうと、取り急ぎ推測してみる。世俗的な社会が成立する為には、世俗と関わりのない存在が要請される。一見すると逆説的に感じられる、この簡潔な命題に、私はどのような答えを与えるべきなのだろうか。

 論理的な飛躍を承知の上で、敢えて一歩踏み出してみよう。「無縁」の領域に属する公界人たちが、世俗的権力から切断された存在でありながら、世俗的権力による庇護を享受するという逆説は、彼ら公界人を「共同体の間隙を往来する人々」として措定することによって、明瞭な視野を確保することが出来るのではないだろうか。共同体が存立する為には、共同体の外部を必要とする。それは人間が「単独では存在し得ない」という普遍的な真理と、全く同じ構造を有する話である。共同体は、外部の共同体との間に何らかの交際を持たなければ、自らを維持することが出来ない。そして、外部の共同体と何らかの交渉を持つ為には、何れの共同体にも所属しない中立的な領域を確保することが必要である。そこに登場するのが所謂「公界人」ではないのか。

 寺院のみならず、港湾や市場などの空間が「無縁の原理」を備えていると看做されるのは、そこが様々な共同体の隣接する「間隙」としての社会的機能を有しているからであろう。その意味で、網野氏がアジール的空間の一例として「家=敷地」を持ち出し、無縁の原理の拡大された解釈に踏み込んだのは、早計であったと私は考える。「家=敷地」にまで「アジール」としての社会的性格を見出し始めたら、定義の範囲が余りに散漫となり、却って「無縁」という観念の有する学術的な意義と効力を衰微させる結果に帰着するのではないかと思うのである。

 所謂「都市」が、様々な共同体に出自を有する多彩な人々の入り乱れる「坩堝」として機能し得るのも、それが特定の共同体に所属しない「間隙」として位置付けられている為であろうと、私は考える。言い換えれば、そうした「間隙」においては、誰の身にも附随する共同体的な「出自」が、強制的に解除されるような作用が働いているのである。それは安部公房的な「匿名性」の観念にも関連を持つ「都市」の中核的な秘儀である。「都市」の原理は、そこを往来する人々の「匿名性」によって支えられ、その「匿名性」に基づいて自由で任意な「契約」が随時、結ばれていくことになる。それは様々な柵を切断することであり、人々を或る強固な共同体的文脈から引き剥がし、無名の個体に還元することでもある。「無縁」であることは必然的に「無名」であることと不可分の関係を有する。例えば満員の通勤電車に乗り込むとき、私たち乗客は互いの姓名を知らないし、その背後に控える複雑な社会的経緯に就いても完全に無知である。しかし、そうした匿名性は少しも「都市」の社会的活動を妨げることがない。

 私見では、近代化という過程は、こうした「都市」の有する抽象的な原理を拡張し、共同体的な出自の無効化を推し進める手続きの集積である。それは産業を「土地」から解放するプロセスでもあるし、個人を「家郷」から切り離すプロセスでもある。良くも悪くも都市化の進行が、人間の実存を極めて抽象的で空虚な「自由」の領域へ追い遣っていく強烈な動因として作用することは避け難い。それは確かに「宿命」からの解放であり、自らの意志に基づいて選択し得る「人生」の範囲が拡大することを意味しているが、それゆえの固有の「不安」が却って人間の精神を反動的な共同体主義へ傾斜させることも決して珍しくない。何でも選び得るということは、何もかも自らの判断に依拠して選択しなければならないという重圧を引き取ることに通ずる。サルトルが「自由という刑罰」に就いて語ったとき、念頭に置かれていたのは、こうした消息であったのだろう。

近代化の原理(再び「燃えつきた地図」について)

文学

 安部公房という作家は、「都市」と「沙漠」の双方に強い関心を有していた作家である。批評家の柄谷行人は「都市」と「沙漠」が共に「共同体の間」に存在する領域であることを、確か「言葉と悲劇」に収められた講演録の中で指摘していたように記憶するが、実際、この二つの特殊な領域は「地縁」や「血縁」といった原理によって構築された共同体とは異質な性格を備えているように思われる。

 私は昨日から網野善彦の「無縁・公界・楽」(平凡社ライブラリー)を読み出したところなのだが、この書物の中で執拗に追究されている「無縁」の原理に就いて考えながら、安部公房の「燃えつきた地図」(新潮文庫)を不意に想起した。

 近代化という過程が、様々な要素を含んだ綜合的な潮流であることを鑑みれば、余りに簡略化した議論を提示するのは、真実に対する背反の謗りを免かれないだろう。しかし、或る事物や主題に関して論考を進める場合に、細部の不整合を一旦、捨象した上で、概略的な図式を便宜的に案出するのは、決して無条件に排除されるべき方針ではないと、私は信じる。

 例えばマルクスエンゲルスが「共産主義者宣言」(平凡社ライブラリー)の中で示した、封建制からブルジョア階級の成立に至る社会的基盤の推移の概説は、近代化という極めて抽象的な観念に対する理解を深めるのに、有効な手懸りとして活用し得るものである。封建制が領主と下人の属人的な結びつきによって維持され、尚且つ「土地」に縛られた関係性であるのに対し、ブルジョア階級が依拠する産業的=社会的な構造は、遙かに流動的で国際的な性質を備えている。それは人間や物質を特定の共同体から引き離し、奇妙に国際的で普遍的な存在として「抽象化」する働きを担っているのだ。

 近代化を「抽象化」の或る歴史的な形態として捉えるならば、その潮流に与えられるべき異称は「共同体の解体」に他ならない。無論、それは必ずしも一切の共同体を解体するものではないが、多様な共同体を「国民国家」として統合する過程で、旧来の共同体の秩序が次々に破壊され、無力化されていくことは、極めて広範な現象であると言えよう。

 今日、国民国家という形態は、グローバリズムの異常な亢進によって、解体の危機に瀕している。これは必ずしも比喩ではなく、例えば中東やアフリカの一部においては、所謂「想像の共同体」としての「国民国家」は現実に機能を停止し、泥沼のアナーキズム的渾沌へ雪崩れ込んでいるのが実情である。これは近代化の終焉であると言うよりも、その更なる強化と拡張であると考えるべきであろう。グローバリズムは、近代化という潮流がその内側に含んでいた根本的な原理の、最も過激な表現として具体化しつつある。

 そうした状況において、アメリカやイギリスは「国民国家」という象徴的な統合の形式を維持する為に、反動的な保守化の道を選んでいる。それがグローバリズムへの抵抗であり、近代的国家の頑迷な自己主張に他ならないことは論を俟たない。或いは、国民国家の枠組みを超越するように、イスラム教を基軸とする共同体の衝突も発生している。何れにせよ、それらの動きは既存の共同体を「解体」しようとする無慈悲な外圧に対する激烈な抵抗として定義し得るだろう。

 安部公房の「燃えつきた地図」は、失踪した平凡な会社員の行方を追う興信所の「ぼく」によって語られる。その冒頭には、次のような意味深長なエピグラフが掲げられている。

 都会――閉ざされた無限。けっして迷うことのない迷路。すべての区画に、そっくり同じ番地がふられた、君だけの地図。

 だから君は、道を見失っても、迷うことは出来ないのだ。

 このエピグラフを鵜呑みにするならば、「燃えつきた地図」の主題が「都会」に存することは明白である。安部公房は決して単純な推理小説を書いた訳ではない。通例、推理小説には必ず「謎解き」が含まれるものだが、この「燃えつきた地図」という小説は寧ろ、一般的な意味での「謎解き」など成立し得ない「都会」の危険な性格を浮かび上がらせる為に綴られているのである。

 上記のエピグラフは、所謂「近代化」の根底に潜む根源的な力の性質を、暗黙裡に物語っているように思われる。先日読了した「自由論」(光文社古典新訳文庫)の中で、ジョン・スチュアート・ミルが言及していた「画一化」の働きが、ここにも現れているのだ。別の言い方をすれば、管理社会=監視社会の到来であるとも言えるし、あらゆる事物=存在の「平準化」であるとも言い得る。

 画一化=平準化の作用が極限まで高められ、世界を覆い尽くしてしまったとき、私たちが直面するのは、まさしく「閉ざされた無限」に他ならないだろう。何もかもが均質化され、互いの違いが失われ、つまり固有の性質が剥ぎ取られていく世界では、何処の誰であろうと構わず、同じ「番地」に結びつけられてしまうのだ。「閉ざされた無限」は、私たちの暮らす世界が隅々まで平準化されてしまったときに現れる極端な「悪夢」である。それは「外部の消滅」であると言えるかも知れない。あらゆる共同体が解体され、あらゆる「間」が極限まで拡張されたとき、私たちは「世界の外部」に触れることが出来なくなる。何処まで行っても同じ風景が繰り返され、同じ番地に辿り着く。そのとき「私」という存在の証明は、如何にして得られるのだろうか?

 「燃えつきた地図」という作品が、自己という存在の固有性の消滅に対する恐怖を内包していることは明らかである。何故なら、常に「私」の固有性は「私」が関係する世界の固有性と緊密に結び付いているからだ。それは恐怖の対象であると同時に、都市化する社会が必然的に獲得する「形質」のようなものであると言える。世界が隅々まで同質化され、平準化され、如何なる個性も装着しない純粋な平面のように仕上げられてしまったとき、私たちは自分自身を定義することの不可能性に直面する。一体、固有性とは何なのか? 失われてしまった多様性の代償に、私たちが手に入れるのは完全なる同一性の世界である。そこでは、既に「私」という自意識の存立そのものが根拠を奪われ、瓦解してしまっている。私が私であることと、彼が彼であることの間に、有意な差異を見出すことは出来ない。

 都会の心臓の最初の一と鞭を合図に、数百の整理棚の鍵が、せいぜい五分の誤差で、いっせいに開けられて、似てもいないが区別もつかない通勤者の群が、水門を開けたダムからあふれ出した水の壁のように、いきなり道幅いっぱいにひろがる、あの生命の時……

 私たちは相互に「似てもいないが区別もつかない」存在として鋳型から抛り出される。私が私であることの意味と、彼が彼であることの意味は、充分に交換可能な等価物として定義される。「燃えつきた地図」の語り手である興信所の探偵は、最終的に「自分」と「他人」との反転可能性という不可解な暗闇の中へ落ち込んでしまう。

 そうした特質は、安部公房の作品における「匿名性」或いは「無名性」の問題とも関連している。「燃えつきた地図」と「砂の女」は、何れも「失踪」という主題を作品の構造的な枢軸に据えているが、失踪した人間の名前は、堅苦しく無機質な書類の中に、冷たい符号のように記されているだけで、登場人物の間でその名前が具体的に呼び交わされる局面は皆無に等しい。名前の排除、紛れもない個体の「単独性」を指し示す重要な符牒としての「名前」が排除された世界、それは「似てもいないが区別もつかない」存在が犇めき合う世界のイメージと明瞭に唱和している。匿名であることは、個体としての単独性を持たないということであり、それは言い換えるならば「交換が可能である」という性質を保持していることに他ならない。

 「どんな個体も、相互に交換が可能である」という主題が、安部公房の文学的世界を形成する構造的な条件であると、独断と偏見に基づいて、差し当たり言い切ってしまいたい。それは個人が「自らの名前」に基づいて存在するのではなく、何らかの「役割」=社会的な属性によってのみ規定される「匿名」の存在として現れるような世界である。安部公房的な世界においては「個性」という概念の価値は極限まで切り下げられ、買い叩かれる宿命を負う。重要なのは「個性」ではなく、相対的且つ暫定的に定められた「役割」だけである。そして当然のことながら、社会的な「役割」というものは特定の「軸」を持たず、飽く迄も相互的な諸関係の「結節点」としてのみ規定されるべき、空虚な符号である。それは特定の実体、つまり自立した領域としての実体を保有せず、飽く迄も諸関係の集合体として暫定的に生成され、遠からず解消される。

 例えば「他人の顔」においては、語り手は不幸な火傷の為に自らの「顔」を失い、代わりに精巧な仮面を身に着ける。改めて詳しく論じるまでもなく、人間にとって「顔」が余人を以て代え難い「単独性」の象徴であることは明白な経験的事実である。また「箱男」においては、誰かに見られることを拒むように、純粋な「見者」としての自己規定を行なった人間の生態が詳細に綴られる。「どのように見られるか」という問題が、そして「見られることへの峻拒」という問題が、社会的な関係性という主題に接合することは論を俟たないし、それが「相互に交換可能な存在」の特質を成す一端であることも、否定し難い事実であるだろう。「箱男」という書物には、他人からどのように見定められるかによって、その存在の社会的な特性が決定されてしまうことへの、物理的で果敢で身も蓋もない抵抗が刻まれていると言い得る。

 安部公房的な世界において、「自己」という存在の認証は絶えず危うく揺らぎ、破綻の危険と隣接している。そもそも「自己」など存在しないのではないか、という極端な問い掛けが、その世界には残響している。「燃えつきた地図」において、語り手の探偵が最終的に自己の記憶(それは無論、自己の固有性に関する認証の基盤としての「記憶」である)を失い、探偵としての立場を抛棄してしまうのは、安部公房的世界においては、自己の認証が根源的に不可能であるのと同じ理由によって、他者の「正体」を規定することが不可能であると看做されているからだ。「記憶」による自己同一性の担保は、残念ながら「改竄された記憶」という嫌疑を掛けられることによって容易く崩壊してしまうのである。

 過去への通路を探すのは、もうよそう。手書きのメモをたよりに、電話をかけたりするのは、もう沢山だ。車の流れに、妙なよどみがあり、見ると轢きつぶされて紙のように薄くなった猫の死骸を、大型トラックまでがよけて通ろうとしているのだった。無意識のうちに、僕はその薄っぺらな猫のために、名前をつけてやろうとし、すると、久しぶりに、贅沢な微笑が頬を融かし、顔をほころばせる。

 「匿名の交換可能な存在」という特質を背負うことを強いられる安部公房的な世界においては、何かに名前を与えることは無論「贅沢な」試みである。この疲れ果てた終幕の場面には何故か、恩寵のような明るさが射し込んでいるように感じられる。「過去への通路を探す」という一文は、記憶の同一性を媒介として「自己」の連続性を担保しようとする企てを指していると解釈することも出来よう。そうした社会的な企てを抛棄した上で、彼は何処へ向かって歩き出そうとしているのか? その行方は、この「燃えつきた地図」という小説の中には記されていない。何故なら、既に「地図」は燃え尽きてしまったからである。

多様性と画一性

社会

 ジョン・スチュアート・ミルの「自由論」(光文社古典新訳文庫)を漸く読了した。

 この書物は「自由」という哲学的な観念を理論的に位置付ける為に書かれたものではなく、著者の視線は極めて実践的な次元に立脚しているように感じられる。体系的な論文であると言うよりも、著者が「自由」という主題に就いて自在に考え、言葉を書き記した批評的なエッセイの風格が全篇に行き渡っている。

 ミルは、抽象的で哲学的な概念としての「自由」には、然して関心を懐いていない。彼が考究するのは専ら社会と個人の関係性における「自由」の具体的な要件であり、その適用の範囲に就いて妥当な基準を如何にして定めるべきか、実践的な立場から、具体的な事例を踏まえつつ思索を積み重ねることが、彼の本意であり、眼目なのだろうと思う。

 ミルの提示する見解は何れも断片的で、個別の事例との関係性や文脈をその都度、考慮に入れなければ、彼の丁寧な省察が具体的な有用性を発揮することは困難であろう。これは決して批判ではなく、彼が絶えず具体的な問題を念頭に置いて考究に集中していることの傍証である。彼の態度は、個別の判例を審らかに調べようとする慎重な法曹の趣を備えている。絶えず「反論」との闘争を通じて「真理」の多角的な認識に至ろうとする弁証法的な考究の方針も、検察官と弁護人との論争を通じて「事実」に到達することを重視する近代的な「司法」の原理に通じているように思われる。

 ミルは「自由」の重要性と、その適用の社会的な限界に就いて、行き届いた考察を積み重ねながら、「世論」と「慣習」によって生み出されるデモクラティックな「専制」に対して、絶えず読者の注意を喚起している。多数派の優越、これは所謂「民主主義」の政体を採用している社会においては、常に警戒されるべき厄介な持病のようなものである。私たちは「自由」と「民主主義」が結び付いていることに余り疑念を持とうとはしないが、厳密に考えるならば、デモクラシーが自由を圧殺することは充分に有り得るし、歴史を繙けば直ぐに具体的な事例を探し当てることも可能である。アドルフ・ヒトラーが民衆の熱狂的な支持の上に、あの破廉恥な独裁を築いたことは、デモクラシーの限界を考える上では欠くことの出来ない「証拠物件」であろう。

 民主主義が「多数決の原理」を制度の根幹に据えている限り、ファシズムの再来は常に想定されるべき最悪の危殆である。従って、民主主義を安易に、半ば自動的に「自由」の観念と結び付けるのは軽率な態度であることを、私たちは己の肝に銘じておかねばならない。デモクラシーは「自由」とは無関係に存在する政治的な制度であり、それは君主政や寡頭政の弊害に対する抑止や解決の方策として意義を持つ。つまり、デモクラシーそのものに「自由」を擁護する権能は備わっていないのだ。

 無論、デモクラシーは悪質な独裁者の存立を妨げる機能を含んでいるが、それは相対的な「程度」の問題であり、少なくとも多数派の支持を得た代表者が強権を行使することは、デモクラシーの制度そのものによっては妨害されない。ミルは、多数決の原理に則ったデモクラシーの制度が(デモクラシーが絶対的な王権に対する抵抗として形成されてきたことを鑑みれば、それが多数派の原理を導入するのは必然的な現象であろう)深刻な「画一化」を齎すことに批判的な視線を注いでいる。「画一化」という言葉は、個人の「自由」を数的優位の原理に基づいて抑圧するような社会的作用を指している。それによって個人は、社会における「自由」の行使が及び得る範囲を制限され、知らぬ間に外在的な体制への従属を強めることに荷担してしまっているのだ。

 こうした問題を、根底的に解決する為の処方箋を、ミルが提示している訳ではない。どちらかと言えば、この書物は具体的な思索の「訓練」に供せられた著作であるように感じられる。ミルは根本的な原理を示した上で、それが個別の事態に対して如何に適用されるべきか、具体的な事例の考察を行なっている。だが、それは絶対的な回答を読者に与える為の手続きではないし、そもそも彼は「絶対的な真理」に対する無際限の「疑義」を、デカルトのように貫くべきだと論じているのである。

 絶対的な真理が存在するという一種の偏見は、答えを求めることが本性の一部を成している私たち人間にとっては、抗し難い誘惑の因子であると言えよう。何が正しいのか、それを個人的な思索の末に定めようとも、集団で討議した結果として発表しようとも、絶対的な真理を自称するのならば、その構造的な瑕疵は変わらずに存在し続けることになる。私たちが己の知性を駆使するのは、絶対的な真理に到達する為ではなく、暫定的な正しさを一歩ずつ踏み固めていく為であり、極言すれば、私たちは殊更に「正しさ」を求める必要さえ持ち合わせていない。寧ろ「正しさ」を疑うことに私たちの知性の賭け金は投じられるべきなのである。

 ミルの最終的な意図は「多様性」を確保する為の社会的制度の設計に存するのではないかと思う。それは文字通り「画一化」の潮流に抵抗するものであり、民主主義を悪用した独裁者の専横を葬る為の政治的なコンセプトである。だが、多様性を確保するということは、極めて非効率な統治の形式であり、非効率な意思決定への劇しい苛立ちが独裁者の野望を燃え上がらせることを考えれば、例えばドナルド・トランプのような人物が「自由の国」の大統領の地位に鎮座し得る現代の社会的風土は、絶望的なまでに「画一化」の弊風に染まっていると看做さざるを得ない。私たちが奪還すべきは「自由の多様性」であり、決して「画一化された自由」という奇怪な観念ではない。だが、性急な独裁者たちが、迂遠で非効率な「多様性」よりも、画一的な社会を望むファシズム的な理想像を好むことは論を俟たない。移民を嫌悪し、自らのアイデンティティ純化しようとするナショナリズム的な情熱、アメリカ人を雇用し、アメリカの製品を購入しようという露骨に保護主義的なスローガン、それは「アメリカ」の「画一化」に他ならない。そのような画一化に「自由の国」の人々が何時までも尻尾を振り続ける見込みは、極めて乏しい筈であると信じたい。

サラダ坊主風土記 「丸の内」

サラダ坊主風土記

 今日は弟の結婚式に出席してきた。丸の内の、皇居の近くにある瀟洒なホテルで盛大に挙行された華燭の典は、天候にも恵まれ、新郎新婦の晴れやかな門出に相応しい一日であったように思う。

 我が家には一歳に満たぬ幼い娘が一人あり、妻は親族ゆえに留袖の着付けに時間を割かねばならぬ立場であったから、母が気を利かせて、前泊出来るように会場のホテルへ部屋を抑えてくれていた。私は休みを取って、プレミアムフライデーの丸の内を家族三人で歩き、夕暮れの前には投宿して荷物を解いた。

 誰の匙加減で奮発してくれたのか、私たちの部屋は広々として見晴らしの良い空間で、バルコニーからは東京タワーを含む都心の煌びやかな夜景を眺めることも出来た。翌日の朝食も素晴らしく美味で、結婚披露宴の御馳走を数時間後に控えているにも拘らず、無闇に貪婪な食欲を発揮してしまい、胃袋が張り裂けそうに悲鳴を上げた。

 式の合間に喫煙所へ忍んでタバコを吸っていたら、後から別の客が入ってきた。顔を見ると、先ほど式場で祝辞を述べていた新郎側の主賓である。名前を思い出して、此方から挨拶すると、向こうも私が新郎の兄であることを認識していたらしく、和やかに返事をしてくれた。弟の仕事振りを訊ねると、彼は「真面目ですね。真面目過ぎるくらいです」と言って笑った。

 披露宴会場の受付に飾られていた寄せ書きにも、弟の生真面目な性格を指摘するような科白が目立っていた。「半分死んだ魚の眼」という言葉もあって、随分と手荒い揶揄だなと苦笑しながら、腑に落ちる部分もあった。確かに弟の眼には、以前から余り光が感じられない。別に弟が精神を病んでいるという訳ではない。仕事も順調らしいし、新婦との仲も睦まじい様子だし、何も不自由なことはない、恵まれた境遇である。新郎らしく晴れやかな笑顔を見せる場面も度々あったから、別に何か殊更に心配しなければならない訳ではない。ただ、そう言えば、あいつは何時から、あんな風に光の稀薄な眼つきをしていただろうと、思ったのだ。

 私と弟は歳が二つ違うだけで、幼い頃は何時も一緒に遊んでいた。二歳年長であるに過ぎないのに、底意地が悪く、狡猾な性格でもあった私は、弟に対して兄としての強権を存分に行使した。若しも弟が北朝鮮の指導者であったならば、私はとっくに殺されていたに違いない。

 思春期を迎えてから、私たちは無闇に仲が悪くなった。とはいえ、弟が殊更に何かを仕掛けてくる訳でも、挑発してくる訳でもなく、専ら私が遣り場のない苛立ちを、弟に叩きつけていただけだった。弟も成長するに連れて、昔のように言いなりにはならないから、それが余計に癪に触ったのだろうか。北朝鮮の指導者に相応しいのは、私の方であった。

 防ぎ切れなかったキューバ危機の如く、一度、激発した私は殴り合いの喧嘩を仕掛けて、弟の顔に膝蹴りを見舞い、失神させたことがある。母親が叫びながら揉み合う私たちの躰にしがみつき、仲裁に入った。私は父親から理詰めの説教を受けた。益々、私たちは疎遠になった。

 二十歳になる前に、私は最初の結婚をした。子供を授かってしまったので、慌てて籍を入れることになった。周囲から祝福されることのない婚姻であった。私は二十歳の誕生日を迎える頃に実家を離れて、妊娠した妻と、その連れ子である当時九歳の娘と一緒に暮らすようになった。弟は未だ学生で、実家に暮らしていた。偶に実家へ子供たちを連れて遊びに行っても、弟は自室に引っ込んで滅多に顔を出さなかった。その頃にはもう、小さい頃とは随分異質な顔立ちになっていた。なかなか厳しい眼つきであった。

 一度、実家で大きな法事があり、親族一同が集まって八柱霊園に程近い料理屋で、会食が開かれたことがあった。食後、酔っ払って顔を真っ赤に染めた私が、店の表でベンチに腰掛けてタバコを吸っていると、弟が姿を見せて、珍しく言葉を交わした。「お前は頑張ってると思う」と弟は言った。そろそろ就職活動の時期だったのではないだろうか。「別に大して頑張ってねえよ」という意味合いの言葉を、私は返したような気がする。

 二十五歳の夏に私は離婚した。何故、離婚を許すのだと、弟が怒っていた、という話を後に母から聞かされた。離婚して、私が息子たちと別居するようになった後も、弟は私の知らないところで、息子にお年玉をあげていた。弟なりに、兄貴の我儘で片親になった小さい子供を、不憫に思ってくれたのだろうか。詳しく聞いたことはないし、詳しく聞けることでもない。

 私が再婚した頃には、弟も随分と角が取れてきた様子で、年始の挨拶で実家を訪ねたときだったと思うが、私の現在の妻に和やかに話し掛けてくれた。馴染み易いように気遣ったのだろうか。弟は、家の中では余り陽気な男ではなかったが、仕事も営業であるし、昔から外では快活に振舞っているらしいという話を、母親から聞かされたこともあった。

 余り浮いた話も聞かない弟で、母親によれば、週末の余暇を奪われるのが嫌で恋人と別れたことがあるという。生来、淋しがり屋で、独りで生きることが苦手な兄貴とは異なり、弟は休みの日に独りで河川敷を走って汗を流すことに充実感を覚えるような、奇妙に自立したところがあった。それは自立であると同時に、閉塞であったのかも知れない。いつ結婚するのだろうと、漠然と考えていたが、周囲の反対を押し切って二十歳で結婚した揚句、数年後に堪えかねて家庭を破綻させた兄貴の姿を見て、慎重な方針を固めたのかも知れない。

 私は昔から随分と狡猾なこともしたし、我儘を押し通して親に迷惑を掛けながらも平然と胡坐を掻いているような生き方を選んできた。母の日にも花束一つ贈ったことがない兄貴とは対蹠的に、弟は必ず毎年、両親を食事へ招待しているそうだ。昔から、そういう男だったかなと、不思議に思いつつ、同じ家に生まれながら、兄弟でも随分と異なる生き方を選んだものだと思う。或いは、兄貴である私が余りに親不孝なエゴイストの方針を革めようとしないものだから、埋め合わせるように、両親を愛そうと努めてくれたのだろうか。

 だが、兎に角、二人が幸福な門出を迎えられたことは喜ばしい限りである。もう少し、我儘に生きていく力を、つまり自分の想いに忠実であるような生き方を、素晴らしい新婦の愛情を通じて学んでくれたらいいのではないかと、不肖の兄は御節介ながら、考えたりもした。

「死者の眼差し」に潜む「明晰」

文学

 大岡昇平の「野火」は不穏な小説である。その不穏さは、題材の異様さ、つまり敗色濃厚な南方戦線への従軍経験という、誰の身にも平等に降り掛かるとは言い難い経験の異様さに基づいていると言えるが、無論それだけではない。語り手のメンタリティの異様さが、この作品に持ち込まれた題材の異様さを、独特な方向へ捻じ曲げているように感じられるのだ。

 この小説を一読して直ぐに感じ取れる作者の「口調」と「語法」の特質は、異様に磨き上げられた「明晰さへの意志」であり、執着である。描かれる状況は極めて特殊で危機的であるにも拘らず、それを物語る作者の文体には、混乱や動揺は含まれていない。彼は飽く迄も理論的に明晰であろうと努力し、その努力は絶えず一定の水準を維持し続けている。

 だが、その明晰さは、読者に対する平明さのようなものとは、根底的に異質な何かである。彼はあらゆることを、少なくとも自分が遭遇したことに就いては総ての事柄を、一切の欺瞞から救済し、明晰に見極めようと試みている。何と言えばいいのか、彼は恐らく自分が経験したことの「意味」に就いて、それを問い続けることを永遠に止められないのである。何故、止められないのか。その経験が余りにも異様で、残忍で、酷薄であったからだろうか?

 この小説は、典雅な措辞によって綴られるフィリピンの風景の描写と、語り手の観念的な思弁との、有機的な化合物として形成されている。彼は風景を眺め、その風景の内側から様々な観念の列なりを数珠のように引き摺り出す。この奇怪な営為と執着は、一体何を意味しているのか。

 「野火」という作品が語られるとき、人はそれをカニバリズムの問題と容易く結び付ける。だが、この作品を「カニバリズムを巡る小説」という具合に総括してしまうのは、少なくとも私の個人的感想に照らし合わせるならば、決して適切な解釈であるとは言い難い。確かにカニバリズムの問題が、作品の異様なクライマックスを形作っていると看做すことは可能である。だが、人肉を喰らうことが道義的に許されるか否か、といった次元の問題に、この奇怪な作品の総体を還元することは不当である。この作品にはもっと不可解な「意味」や「観念」の塊が随所に鏤められており、それはカニバリズムの倫理的な問題などという単純な観念には必ずしも結び付かないのである。

 彼の異様な明晰さを、いわば「死者の眼差し」として捉えることは、語り手である「私」が、作品の冒頭から既に「死ぬこと」を半ば宿命として強いられた存在として描かれていることを踏まえるならば、それほど不当な解釈ではないように思う。死を定められた存在として生きること、遠い未来に訪れる「観念」としての「死」ではなく、肉体的にも精神的にも差し迫った領域に存在する、生々しい「映像」としての「死」が、「私」という存在の中核に深刻な影響を及ぼしていることは明らかである。

 目指す朝焼の空には、あれほど様々の角度から、レイテの敗兵の末期の眼に眺められた、中央山脈の死火山の群が、駱駝の瘤のような輪郭を描いていた。

 名状し難いものが私を駆っていた。行く手に死と惨禍のほか何もないのは、既に明らかであったが、熱帯の野の人知れぬ一隅で死に絶えるまでも、最後の息を引き取るその瞬間まで、私自身の孤独と絶望を見究めようという、暗い好奇心かも知れなかった。

 この「末期の眼」が「暗い好奇心」と奇怪な癒合を惹起することによって、この一篇の小説は成立したのだと言い得るかも知れない。彼は既に死ぬことを定められており、死者の眼に己の精神を擬することによって、いわば「認識の怪物」へと変貌を遂げている。

 糧食はとうに尽きていたが、私が飢えていたかどうかはわからなかった。いつも先に死がいた。肉体の中で、後頭部だけが、上ずったように目醒めていた。

 死ぬまでの時間を、思うままに過すことが出来るという、無意味な自由だけが私の所有であった。携行した一個の手榴弾により、死もまた私の自由な選択の範囲に入っていたが、私はただその時を延期していた。

 余りにも生々しい「映像」として差し迫った「死」が、人間の精神に特異な変容を強いるのは必然的な現象であろう。約束された絶対的な「死」は、人間から未来への希望を剥奪するが、そのとき同時に奪い去られるのは「行動」への欲望である。死者は、如何なる行為によっても、現実と繋がることは出来ないし、外界に働きかける権能を根本的に奪われている。死者に為し得るのは、事物の様々な側面を認識し、解釈することだけである。言い換えれば、絶対的な「死」は、事物から一切の「意味」を剥奪し、抹消してしまう。理念も希望も未来も、約束された「死」の前では建設的な意義を持ち得ない。「死」が観念ではなく「映像」として迫るのは、既に彼があらゆる「意味」から見放されているからである。

 死は既に観念ではなく、映像となって近づいていた。私はこの川岸に、手榴弾により腹を破って死んだ自分を想像した。私はやがて腐り、様々の元素に分解するであろう、三分の二は水から成るという我々の肉体は、大抵は流れ出し、この水と一緒に流れて行くであろう。

 にも拘らず、彼は自らの意志で積極的に「処決」を選び取ろうとはしない。それが何故なのかという問題に就いては、彼自身が独特の表現で回答を示している。

 して見れば今私があの空に焦れるのは、及び難いと私が知っているからであろう。私は自分が生きているため、生命に執着していると思っているが、実は私は既に死んでいるから、それに憧れるのではあるまいか。

 この逆説的な結論は私を慰めた。私は微笑み、自分は既にこの世の人ではない、従って自ら殺すには当らない、と確信して眠りに落ちた。

 ここにも「末期の眼」の思想と感情は鮮やかに、明白に息衝いている。死者にとって世界は、純粋な「映像」として受け取られるべきものであり、そのとき、死者の眼に映じる世界は一切の観念から解き放たれ、あらゆる「意味」を漂白されている。だが、その「末期の眼」を語る「私」の意識は、既に「死」の絶対性から遠ざけられた場所にある。「三七 狂人日記」に至って読者は、この作品が精神病院に暮らす六年後の「私」の手で綴られた「回想」であることを知らされる。

 私はこれがみんな無意味なたわ言にすぎないのを知っている。不本意ながらこの世へ帰って来て以来、私の生活はすべて任意のものとなった。戦争へ行くまで、私の生活は個人的必要によって、少なくとも私にとっては必然であった。それが一度戦場で権力の恣意に曝されて以来、すべてが偶然となった。生還も偶然であった。その結果たる現在の私の生活もみな偶然である。今私の目の前にある木製の椅子を、私は全然見ることが出来なかったかも知れないのである。

 しかし人間は偶然を容認することは出来ないらしい。偶然の系列、つまり永遠に堪えるほど我々の精神は強くない。出生の偶然と死の偶然の間にはさまれた我々の生活の間に、我々は意志と自称するものによって生起した少数の事件を数え、その結果我々の裡に生じた一貫したものを、性格とかわが生涯とか呼んで自ら慰めている。ほかに考えようがないからだ。

 この「偶然」が「意味の欠如」を指していることは明白である。「末期の眼」によって純粋な「映像」として把握された世界の実相は、単なる「偶然の系列」に過ぎず、そこに一貫した「意味」を見出そうとする解釈の企ては、真実に対する離反でしかない。だが、彼は何故、そのような「偶然の系列」に執着を示すのだろうか? それは彼が「死者」の側に立って物事を眺めることに、倫理的な責務を感じているからではないだろうか。

 しかし声は私の耳にすら届かない。声はなくとも、死者は生きている。個人の死というものはない。死は普遍的な事件である。死んだ後も、我々はいつも目覚めていねばならぬ。日々に決断しなければならぬ。これを全人類に知らさねばならぬ、しかしもう遅い。

 彼が「偶然の系列」に固執するのは、それが「権力の恣意」によって齎された不幸な運命であるからだ。そして「権力の恣意」を告発する為には、「普遍的な事件」として「死」を捉え直さなければならない。大岡昇平が「野火」を通じて抉り出したのは、そのような「消息」であろう。彼は死者の列に立って世界を「偶然の系列」として眺めることによって、死者の叫び声に唱和しているのである。

人間本来無一物

文学

 車谷長吉の「赤目四十八瀧心中未遂」は、今まで読んだ中では屈指の精神的衝撃を、私の心に齎した異様な小説であった。作者の数奇な人生遍歴が彼方此方に投影されているらしいが、彼が「私小説」という文学的理念に強烈な執着を示すことで知られた作家だからと言って、事実と虚構の境目を厳密に確定しようなどと試みるのは無益な企みであるだろう。

 この小説の全篇を貫く「苦界」の感触は、物語の世界に異様な迫力を附与する根源的な活力となっているが、一見すると「地獄巡り」のように感じられる「私」の彷徨が、単なるゴシップめいた興味を掻き立てるだけならば、「赤目四十八瀧心中未遂」は畢生の傑作にまでは昇華し得なかっただろう。車谷には「贋世捨人」という作品もあったように記憶するが(生憎、私は未読である)、これは彼の文業を支配する中心的な観念に与えられるべき名称としては最適のものである。彼は「無一物」の境涯に異様な憧憬を懐きながらも、決して本当の意味で「無一物」の窮境まで堕落することが出来なかった。それは坂口安吾が「堕落論」に書き付けた一文、即ち「だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。人間は可憐であり脆弱であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる」を想起させる状態である。そこに両者の思想的な親近性を読み取るのは強ち牽強付会とは言えない。何故なら、坂口安吾も若き日には、悟りを開くことに憧れて「世捨て」に対する強靭な衝動に駆り立てられていた人物であるからだ。

 だが、本来ならば「無一物」の境遇というのは、俗人が望んで辿り着ける境遇ではないし、殆どの人間は「無一物」の境遇を殊更に希望して、その窮境へ漂着する訳ではない。「無一物」に憧れるということは、本当に「無一物」の生涯を強いられている苦界の住人たちにとっては嘲笑すべき、或いは唾棄すべき虚妄の情熱に過ぎないのである。両者の根源的な断絶は、語り手である生島と、極道の兄貴の為に風俗嬢として売られる覚悟を決めたアヤちゃんとの訣別の場面によって、読者の眼前へ明瞭に浮かび上がることになる。

 結局、お前は「贋世捨人」ではないか、という痛烈な告発を、アヤちゃんは異様な覚悟を含んだ眼差しと、咄嗟の決断を通じて生島に叩きつける。そして突き放された生島は、苦界を去って尋常の「俗世間」へ帰還していく。それは確かに痛烈な告発の結果に他ならないが、その告発を愛情の一種として解釈するのも、それほど傲慢な選択ではないと信じたい。「世捨てへの欲望」という奇矯な趣味に精神を蝕まれて、現実を見失いかけた男に、お前は俗世の人間なのだから、俗世に戻りなさいと諭すことは、深甚な憐憫の輝きに他ならない。だが、その憐憫が齎す喪失感の恐るべき底知れなさに読後、私は戦慄を禁じ得なかった。彼の眼前で、地獄の扉は堅く閉ざされてしまった。残ったのは、静謐な暗闇だけである。何もかも所詮は夢に過ぎなかった、という残忍な結末は、私の好みに合っている。

「神なき世界」と、条理の否定(死んだのは「ママン」ではなく「神」だったのだろうか?)

文学

 アルベール・カミュの「異邦人」(新潮文庫)は、世界的にも日本国内においても非常に有名な小説だが、実際にどれくらいの数の人々が、あの決して長大でもない薄い一冊の小説を読み通して、その内容を熟読玩味しているのか、心許ないような気がする。あの有名な書き出し、つまり窪田啓作の翻訳によって日本語に置き換えられた冒頭の一節「きょう、ママンが死んだ」だけが、恐らくは切り取り易い断片として重宝され、不条理文学の傑作などという惹句と共に、世間に膾炙している訳だが、そこから先に一歩踏み込もうと試みる人々にとっては、カミュの明晰な文章とは裏腹にぼんやりと輪郭の定まらない「異邦人」の物語の道行は、意外に難解で、馴染み辛いものなのではないだろうか。

 だが、この有名な作品の内部に慎重に張り巡らされた物語の無造作な外貌は、決して作者が冷淡な性格だったからでも、物語の仕組みや構成に就いて無関心であったからでもなく、もともと作品の意図として明確に目指された様式だったのではないか? 語り手のムルソーは、一見すると無気力で冷淡で自堕落で、つまり社会的な規範や秩序に対する唾棄すべき無関心によって貫かれ、支配された人物のように感じられる。それは、確かにアルベール・カミュの文学的野心の産物であり、意図的に生み出され、強調された一つの世界観の表明なのだ。

 この小説に織り込まれたカミュの文学的な問題構成は、恐らく西欧社会に根深く染み込んでいるキリスト教的な価値体系への対立、或いは「抗争」という要素を、その核心に含んでいる。言い換えれば、カミュが捉えようとしたのは「キリスト教」が信奉する「一神教的な天蓋の支配」を否定するような価値観であり、「神なき世界」において、どのように倫理を樹立すれば良いのかという思想的な難問であったのだ。そして「神」を否定することは、そのまま「意味」を否定することに繋がるというのが、キリスト教に占有された西洋社会の原理的な特質なのである。

 彼の文学には頻繁に「不条理」というラベリングが施されるが、重要なのは、そうしたラベリングを覚え込むことではなく、その成立の経緯を綿密に探究することである。彼は何故「神なき世界」に就いて考えようとしたのか? そもそも、彼はこの小説に何故「異邦人」という名称を冠したのか? 少なくとも、この「異邦人」という名称が、キリスト教社会に対する無神論的倫理の対置を企図して考案されたものであることは、概ね確かな事実であろう。彼の根底には、キリスト教社会に固有の道徳や倫理、思想信条に対する不満や抵抗が存在する。そのような意識が形成された背景に、例えば植民地アルジェリアの輝かしく貧しい夏の太陽が関わっているのだと、一つの憶測を組み立てることは容易いが、私は評伝作者ではないので、それに就いては深入りも明言も避けたい。

 ムルソーが対峙するのは、キリスト教によって意味づけられた社会であり、世界である。彼を無気力で冷淡な罪人として裁くのも、キリスト教という価値観の体系である。物事を「天国と地獄」という超越的な「量刑」に基づいて解釈し、配置しようとする思想の形式、そこに彼は深刻で根源的な「欺瞞」を嗅ぎ取った。言い換えれば、彼は身も蓋もない真実を率直に見定める為に、不要な「一神教の天蓋」を払い除ける困難な作業に着手せねばならなかったのだ。そして、無神論的な構図の中で猶も「正しく生きる為の規矩」を地道に造り上げていくことに、彼は人生の大義を求めた。ムルソーが母親の死に無関心な素振りを示すのは、彼が無神論的な構図の中で「キリスト教社会」による「定義」を拒もうとしているからだ。「ママン」は偶然、死を迎えたのではない。「ママン」が死ぬことは、ムルソーの固有の人生においては、必要不可欠の前提であり、根本的な出発点だったのである。