サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「昊の棺」 3

 私たちの結婚式は、海浜幕張のホテルで挙行された。
 一組の男女が、相手を生涯の伴侶として認め、共に家庭を営み、やがて死んでいくプロセスは、動物的な現象でしかない。その幕開けを態々、披露宴という形で世間に知らしめるのは、その動物的な現象に、社会という包装紙を被せる為だ。
 私は結婚式という壮大な茶番を演じなければならなかった。純白のタキシードを身に纏い、清純な人柄を装い、永遠の愛という美しい芝居を上演せねばならぬ。ブーケをトスして次代の幸せ者を占い、遠来の客には車代も支払わねばならぬ。新婦の父親に、バージンロードで愛娘の半生を思い返して泣き濡れる、一世一代の快楽も提供せねばならぬ。兎に角、ならぬことだらけである。
 私は己を律して、与えられた役回りを忠実に熟すことに、厖大な労力を費やした。夏月は、私とは反対に、与えられた美しい役回りに、幸福な女性という役柄を演じることに、無上の歓喜を感じていた。新郎として、同じ芝居を満員御礼に導くことに躍起になっている私の目から見ても、新婦である夏月は幸福の絶頂に爪先で立って、無限の青空を眺めているように思われた。今にも空の彼方に吸い込まれてしまいそうなほどに、彼女は浮足立っていた。その天使のように輝かしい姿態を地上から仰ぐ私の胸には、一抹の孤独が墨汁のように滲んだ。地上と天国との無限の径庭が、共に同じ道を歩む筈の愛しい伴侶を、幻想の住人に変えていた。私は此れから大地に蹠を擦りつけて、果てしない道程を、懸命に這っていく積りであった。東海道中膝栗毛弥次喜多の如く、指環物語のフロドの如く、天竺へ向かう玄奘法師の如く、ザナルカンドを目指す召喚士の如く、自転車で日本列島縦断を志す高校生の如く、東京マラソンの市民ランナーの如く、太陽系の果てを目指すボイジャーの如く、私たちは終わりの見えない旅路に踏み出し、二人だけの物語を、斎場で焼かれるその日まで、仲良く手を繋いで辿らなければならない筈であった。その誓約の表明が、結婚式の眼目であるべきだ。しかし、彼女は地味な誓約よりも華々しいスポットライトの明るさに心を奪われ、高価な洋酒の香りに酔い痴れて、我を忘れているように見えた。そのことが、私には不満であった。
 披露宴を終え、近場の静かなレストランで親しい友人だけを集めた、寛いだ二次会が催され、堅苦しい礼服を脱ぎ捨てた私たちは大いに騒ぎ、浴びるように酒を呑み、子供会レベルの安っぽいゲームに興じて、飢渇に苦しむティラノサウルスのような哄笑で部屋を揺るがし、気恥ずかしい昔語りを、バドミントンのシャトルのように打ち返し合って愉しんだ。傍目には、最高の門出であった。学生時代からの交際を稔らせ、盛大な典礼と共に、蜜月へ突入する私たちの姿は、幸福の色見本に他ならず、その未来には一点の曇りも存在しない。
 口論は、西船橋駅の殺伐と混み合う改札を抜けてから始まった。私が、今日の披露宴と二次会に出席してくれた夏月の友人の女性に就いて、話を切り出したことが喧嘩の火種であった。その女の子は、夏月の大学時代の同級生で、私も当時から何度か顔を合わせたことがあった。夏月と同じ映画サークルに属し、見た目は愛嬌のある丸顔の女の子だが、古き良き東宝系の任侠映画をこよなく偏愛しており、将来結婚して働く必要がなくなったら、背中に龍の刺青を彫り込みたいという突拍子もない告白で、二次会の話題を攫い、満座の爆笑を誘発していた。私がその一件を思い出して話すと、夏月も同じように思い出して笑い始めた。ところが、あんな可愛らしい丸顔の女の子が任侠映画好きだなんて驚いちゃうねという凡庸極まりない感想を私が口にした辺りから、夏月の表情が下り坂になった。雲行きが怪しいなと思う間もなく、彼女は西船橋駅北口のエスカレーターを降りた直後に真顔で立ち止まり、他人の趣味や嗜好は、その外見とは無関係である筈だという正論をいきなり、袈裟斬りのように私に叩き付けてきた。私は慌てて他意は無いことを説明したが、彼女の憤懣は収まらず、外見で人を決め付けて笑うのは言語道断だと詰り続けるので、次第に私も腹が立ってきた。
「別に俺は彼女を馬鹿にした訳じゃない! 意外に感じたという話をしただけだ」
「絶対馬鹿にしてるわよ! 刺青なんて、頭おかしいんじゃないのかと思ってるんでしょ!」
「そりゃ普通の女の子なら考えないだろうさ」
 悲惨な事故を起こすまでは、酒を呑んでも薬を打っても、平気でハンドルを握れるのが、人間の哀しい性というものだ。そして悲劇が起こった後で、或いは決断を済ませた後で、自分が正しいと認めた数式が、本当に精確なものであったのか、今更のように検算する惰弱と、私たちは手を切れずにいるのだ。 

 結婚して二年ほど経った頃の話である。
 ゴールデンウィークに、私たちの暮らす家を、私の両親と姉夫婦が訪問したことがあった。私の実家は豊四季にあり、姉夫婦は茨城県の守谷に住んでいて、何れも私と夏月の暮らす西船橋から、遠く離れた土地ではないが、それまで、親兄弟が訪ねて来たことはなかった。彼らはゴールデンウィークを利用して、ディズニーランドへ出掛ける計画を立てており、アンバサダーホテルへ二泊して、舞浜の楽園を満喫しようという考えであった。その序でに私たちの家を訪れ、食事を共にしようというプランが、持ち上がったのである。夏月は、旦那の両親と義理の姉夫婦の登場に頗る緊張し、饗応の準備に活火山のような情熱を燃やし始めた。
 持ち前の過敏な性格は、彼女の料理に活きていた。調味料の配分も、水加減や火加減も、高い完成度を誇っていた。夏月自身、料理の腕にはプライドを有しており、持てる力を存分に発揮して、最高の料理を私の家族に提供し、舌鼓を「太鼓の達人」の如く乱打させ、禿頭の親父を脱帽させ、家事に厳しい母親を嫉妬に喘がせ、姉夫婦の幼い息子の頬を脱落させ、お代わりを要求する飢えた狼の如き咆哮を連発させようと日夜、準備に余念が無かった。
 当日、晩餐は成功し、夏月が徹夜で作った、牛ほほ肉の赤ワイン煮込みや、鶏胸肉のコンフィや、ムール貝と伊勢海老の入ったパエリヤは、満腔の讃辞に迎えられた。私は精魂込めて料理作りに励んだ夏月の苦心を労うべく、台所で黙々と洗い物に専念し、カウンターの向こうから聞こえる華やいだ歓談を、心地良い音楽のように浴びていた。彼女たちの笑い声が爆竹のように弾ける度に、私の心は、所謂「家庭の幸福」で満たされた。
「そろそろ赤ちゃんは作らないの、夏月さん」
 私は食器を布巾で拭う手を止め、凍り付いた夏月の横顔を見た。彼女は以前から子供を欲しがっており、結婚してからは一度も避妊具を使用していない。しかし、二年余りの歳月が経った今でも、夏月に妊娠の兆候が生じることはなかった。
 夏月は検査を受けることを酷く嫌がり、不妊の嫌疑は宙吊りで放置されたまま、時間だけが虚しく流れていた。別に今すぐ赤ちゃんが欲しい訳じゃないから、と彼女は言った。原因が何れにあるかは、調べてみなければ分からないし、不妊であると決まった訳でもない。それは不発弾のようなもので、刺激を与えれば炎上する危険を帯びていたが、静かに地中へ眠らせておく限りは、直ちに大惨事を惹起することにはならない。
 母親の発言は、愛の巣に激震を走らせ、保たれていた均衡を打ち崩した。人災である。母親は何の悪気もなかったのだが、悪意の欠如が却って我々を追い詰めた。幸い、話題は直ぐに姉夫婦の子供に移り、夏月の顔にも辛うじて、引き攣った笑みが甦った。
 病院に行くか行かざるべきか、夏月は真剣に思い悩み始め、弱々しい声で私に相談を持ちかける場面も急に増えてきた。私は固より、病院に赴いて事の真偽を糺すべきであるという方針を掲げていたので、二人で検査を受けることを提案した。母親の一言が落雷のように、夏月の心を大きく揺さ振っている今こそ、此れまでの連戦連敗の汚名を返上し、彼女の承諾を掴む絶好の機会である。しかし、彼女は決して義母の齎した鉄槌の痛みに屈服して病院へ行こうという風に考えを切り替えた訳ではなく、寧ろ私の「病院なんか行く必要はないよ」という支援的なアドバイスを待ち侘びていたのであった。
「病院なんか行きたくないわ。なんで不妊かどうか、他人に調べてもらう必要があるのよ。子供が出来なければ、それはそれで良いじゃない。あたしは世継ぎを産む為に結婚したんじゃないわ。そんな、出産マシーンになる為にあたしの此れまでの人生があった訳じゃないもの!」
 誰も君のことを出産マシーンだとか思っていない、うちの母親だってそんな積りで言った訳じゃないよ。当然の説諭を重ねても、一旦走り出した激情という奔馬を抑え込むのは難しく、私の伸ばした指先が彼女の手綱を捉えることはなかった。もしも自分が不妊だったら、という想像によって、夏月が心身を竦ませていることは察しがついていたが、医学的原因が分からないうちから色々と考え過ぎて混乱するのは不毛ではないかというのが、私の個人的な意見であった。