サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「昊の棺」 2

 私の自宅は西船橋にあり、彼女が荷物を纏めて立ち去って以来、一人で暮らしている。偶に友達を招いたり、女を連れ込んだりすることもあるが、夏月の不在によって生じた真空を、男臭い酒宴や紙切れのようなセックスで埋めることに、私はいつも失敗していた。
 西船橋から、三鷹行きの各駅停車に乗って市川まで出て、快速の逗子行に乗り換える。八月の熱風は、プラットホームの隅々に浸透しており、待っている薄着の人々は例外なく、汗の雫を光らせている。目的地は決めてあった。江の島だ。この時期は、きっと海水浴やサーフィン目当ての人々で、ごった返しているだろう。空には夏の光が硝子片のように燦めき、雲ひとつ見当たらない紺碧の大空と海は、人々の喧噪を明るく照らし出して、祝福しているだろう。だが、私の目的は、祝福のおこぼれに与ることではなかった。輝かしい夏の熱気に、沈んだ心を温めてもらおうと、考えた訳でもなかった。私の秘められた決意は、夏の江の島の特権的な眩しさには似合わない、或る陰翳を纏っていた。
 大学時代、夏月と初めて二人きりで遠出したのが、江の島だった。お互い、サーフィンやセーリングとは無縁の人生を送ってきたのに、最初のデートに江の島を選んだのは、ロマンティシズムの麻疹に毒されていた所為だろう。焼けた砂浜を裸足で駆け巡るような恋愛に現を抜かす柄でなくとも、若さと、付き合いたての初々しさは、どんな恥じらいも叩き潰す魔力を備えており、海辺で潮風に吹かれながら口づけを交わす痴態にも、大胆に挑戦する勇気を保証してくれるものなのだ。それを美しい思い出として語れるほど、私も無神経ではない。束の間の夢に過ぎなかったことは、痛いくらい承知しているし、今更、あの夏の江の島へ帰りたいなどと、譫言を口走る積りはない。ただ、総てが終わった後に、誰もいない盆踊りの会場を眺めるように、塞がりかけた傷口を自らの指先で押し広げるように、江の島へ行こうと思ったのだ。きっと江の島は昔と大して代り映えのしない風景を、私の行く手に掲げてみせるだろう。変わってしまうのは大抵、風景よりも人の心の方が先なのだ。
 市川駅から横須賀線直通の総武線快速に乗り、南へ向かって大地を駆ける。新小岩錦糸町、馬喰町、新日本橋、東京、新橋、品川。時間が掛かるので眠ろうと思ったが、瞼を閉じても夏の光が染み込むようで、どうしても寝付けない。横浜を過ぎる辺りで、漸くウトウトし始めた。鎌倉から、江ノ電に乗り換える積りだった。鎌倉駅到着のアナウンスと同時に、不意に眼が冴えた。
 何故、江の島なのだろう。展望台から眺めた江の島の断崖の記憶が、私の意識を掠めた所為だろうか。それまで長い間、江の島へ出かけた記憶など、降り積もった塵埃に埋もれたまま、白日の下に晒されることもなかったのに、そのアイディアは忽然と湧き起こって、私の心を瞬く間に占拠してしまった。夏月との関係が冷え込んでからは、その甘酸っぱい追憶は自然と禁じられていた。噛み合わなくなった歯車の立てる耳障りな音は、あらゆる麗しい思い出から、感傷を剥ぎ取ってしまう。劣化した漆喰のなかに、かつて二人が懐いた宝珠のような感情が埋没しているのではないかという期待も、繰り返される口論を通じて、着実に磨滅させられていく。相手の顔を見ることが、苦痛と緊張を強いる。些細な言葉が、悉くマイナスの意味に捻じ曲げられ、相手の人格を認めることが、困難な作業へと変わり果てていく。
 結婚生活は、八年で幕切れを迎えた。八年間という歳月は、何十年も連れ添っている円満な夫婦から見れば、取るに足らない、一瞬の稲光のような時間に過ぎないであろう。大学を卒業して、社会人として三回目の春を迎えた頃に、私たちは籍を入れて、同棲というけじめのつかない共存の形に、法律的な重みを加えた。しかし、民法の条文は、二人の絆を支え、維持する建材としての役割を果たせぬままに、虚しく朽ち果てた。法律で縛ろうとしても、豆腐の如く柔軟で形の崩れやすい人間の心を、理窟で最初から最後まで拘束し続けるのは至難の業だ。ちょっと加減を誤れば、却って律法の縄目が、豆腐の表面に消えない痣や窪みを刻んでしまう。
 別れた後になって振り返れば、何故結婚し、所帯を持ったのか、その明確な動機がどうしても思い出せなくなる。事実に関する記憶は概ね保存されていても、そのとき感じたリアルな情動の記憶は、高野豆腐の水分のように脱落してしまうものだから。後から、適当な出汁を染み込ませるのは個人の勝手だが、それで失われた成分の再生が齎される訳ではない。失われた感情が元通りに甦ることは、原則として有り得ない。捻じ曲がった心の留め金を新品に作り変えるのは著しく困難で、悪戦苦闘している間に、別の誰かの面影が胸に宿ったりもする。時間によって鮮度を奪われた豆腐の使い道なんて、凍らせるぐらいしかない。今でも、夏月の冷たい顔が思い浮かぶ。愉しそうな夏月の笑顔は、思い出そうとしても、掠れて読めない署名のようだ。
 江の島へ夏月と一緒に出掛けたのは、大学最後の夏休みだった。思い返せば、それは私の人生で最後の夏休みだったのかもしれない。社会人になってからは、あの気が遠くなりそうなほどに長い夏の倦怠は、無縁になった。横須賀線に乗って鎌倉駅まで行き、江ノ電に乗り換えた。私たちは、真新しい絆に浮かれていた。行く手に開かれた眩しい白紙に、どんな妄想でも好き勝手に描くことが、そのときの二人には許されていた。夏の江の島は、光に満ちていた。白い砂浜に陽射しが杭のように刺さり、無数のサーフボードが波間に揺れて、水着の女の子の嬌声が飛び交っていた。私たちは手を繋いで、車道の近くの高台に立って、砂浜の賑わいと、果てしなく広がる海原を眺めていた。
「きれいだね」
 夏月が呟くように言った。確かに海は綺麗だった。光のなかで、それは無限の広がりを湛え、私たちの未来の象徴のように美しかった。それが空手形に過ぎないことを、若い私は知らなかった。勿論、夏月も知らなかっただろう。私たちは三時間ぐらい泳いで、くたくたに疲れ果てると、青リンゴのシャーベットを食べ、下らない話で腹を抱えた。夏月が拾った艶やかな象牙色の貝殻を、私はお守りのように鞄へしまった。江の島の展望台から、夕焼けの海を眺めた。あらゆる景色が美しく感じられ、あらゆる出来事が二人を結びつける運命の鎖のように感じられた。江の島の断崖の近くを、鳶が悠々と旋回していた。日が暮れるまで、私たちは展望台から、海と断崖と鳶を眺め続けた。紫色の空は、やがて黒い闇に融けた。
 男と女の世界には、生半可な覚悟で踏み込んではならない。日常の些細な食い違いを、救い難い深刻な亀裂に発展させる悪質な魔物が、家庭という曠野の彼方此方に蜷局を巻いているからだ。その強靭な鎌首に捉えられたら最後、どう足掻いても抜け出せない無間地獄の始まりである。一瞬の油断が、修羅場へ通じる扉を解き放ってしまう。鼾がうるさいだけで、帰りが遅いだけで、生返事をしただけで、食べ物の趣味が合わないだけで、トイレの電球を買い忘れただけで、真夏のゴミ出しを怠けただけで、平和なリビングは密室のリングに早変わりする。どんなに凄惨な試合が繰り広げられたとしても、レフェリーが割り込んだり、セコンドがタオルを投げ入れたりすることはない。
 江ノ電に乗るのは久し振りで、木製の床に靴底で触れると、消え去ってしまった遠い世界の住人に、自分が今、様変わりしたような感覚に擁かれた。知らぬ間に千切れて消えた靴紐の行方を、今まで歩いてきた道程を辿り直すことで、私は発見しようと考えていたのだろうか。夏月は既に私の許を去り、音信は途絶え、その輪郭は、蜃気楼のように手の届かない幻へ姿を変えた。それでも、諦められない何かが、私を前進から遡行へと、強い力で連れ出そうとしていた。
 由比ヶ浜から七里ヶ浜へ向けて、電車は海沿いの土地を静かに走る。和田塚、由比ヶ浜、長谷、極楽寺稲村ヶ崎七里ヶ浜、鎌倉高校前、腰越、そして目的地の江ノ島。空は紺碧に晴れ渡り、夏の光は夥しく、列車のドアが開く度に、煮えた空気が吹き込んで、乗客は顔を顰めた。部活の道具を抱えた夏服の高校生の姿が、異世界に足を踏み入れたという私の感覚を更に強めた。相模湾の海原が、車窓の彼方で硝子の粉を撒いたようにきらきらと輝き、時折、燃焼するマグネシウムのように瞳を射抜いた。