サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「検索不能」という価値

 世の中、誰でも何でも分からないことはパソコンやスマホで手軽に「検索」して調べるのが当たり前になっている現代社会において、相対的に「検索出来ない情報」の価値が増大していくのは、考えてみれば至極必然的な成り行きである。誰かが「情報化」したものを手早く掻き集めていくのは、既に人間の仕事ではなくなっている。重要なのは「情報化されていないもの」を発見する嗅覚の鋭さであり、「検索すること」よりも「検索という新たな形式」を発明し、それを柔軟にグレードアップさせていく知性の機動力なのである。

 言い換えれば、これだけ情報化と検索の技術が発展した時代においては、知識の総量の豊かさを誇ることは必ずしも人間的な威信の発露には帰結しない。無論、知識を蓄え、教養を高めることは誰にとっても人間的な成長と完成の為の、不可避の条件であるには違いない。だが、皮相な情報を掻き集めるだけならば、私たちは既に自分の海馬に頼らずとも、デジタルな信号の大洋に総てを委ねることが出来る段階に辿り着いている。出来上がった情報、誰かの手で予め調理された情報、それらを手に入れること、蒐集すること自体には、特権的な意義は認められなくなりつつある。重要なのは、検索によっては手に入ることのない情報、事物、景色に触れて、それを自分の言葉で解剖してみることだ。

 デジタルな技術の異様な発達が刻々と加速度を高め、世界全体を貪婪な大蛇の如く覆い尽くしていけばいくほど、アナログな領域の価値が相対的に向上していくのは、少しも奇異な現象ではないし、私がわざわざ文章に書き起こさずとも、多くの人々によって既に承認された社会的な現実であるに違いない。出来上がったもの、完成したものの価値は、これから益々目減りしていくだろう。知識の豊かさが、既に誰かの手で完成された公理の暗誦に過ぎないのであれば、そうした「賢さ」は世間から全く評価されなくなっていくだろう。昔は(その「昔」の具体的な年代を明快に指し示すことは出来ないのだが)知識を得ること自体がとても困難な道程であったから、先人の遺訓を大量に脳味噌の襞へ畳み込んでいるだけでも充分に社会的な崇敬を集めることが可能であった。しかし、これだけ情報を検索する速度が向上し、その厖大なデータベースに誰でも容易くアクセスすることが可能になってしまった時代においては、そうした相対的な威信は一挙に残酷なほどの値崩れを惹起することになる。フラッシュメモリーと記憶の容量を競い合うような愚昧な蛮勇を誇示しても、単なる曲芸のようなものとしか受け取られない時代が具現化しつつある。

 そうなったときに、私たちはどのような生き方を求められるのか。明白に言えることは、私たちは誰でも「固有の省察」を掘り当てることでしか、己の価値を保てなくなるだろうという見通しである。この見通しに未踏の愉悦を感じるか、陰気な嫌悪を覚えるかは、その人の生き方の定義によって異なるだろう。これから、既定の価値を踏襲するだけの生き方が、社会的な説得力を喪失していくことは確実である。誰かが相応の労力を支払って「言語化した思想」を、複写機のように頭の中へ仕舞い込むだけでは、誰からも尊敬されないし、敬愛されないし、そもそもそんな人間に新たな価値を生み出す力が宿る筈もない。私たちは今後益々「自立」という人間的条件を勇気を振り絞って獲得し、保有することを社会の側から要請されることになる。自分なりの視点で物事を捉え、自分なりの解釈を磨き上げて、血の通った「定義」を幾つも拵えていく作業だけが、私たちの人生にオリジナリティを授けてくれる。

 言い換えればそれは「正解ではなく誤答を選べ」ということになる訳だが、それは感情的で暗愚な誤答の上に胡坐を掻いて開き直れ、という意味ではない。そのような安易な考え方で世の中を引っ掻き回す愚か者は、何処にでも氾濫している。私は正解だけを目指すような生き方、正解を手に入れることがゴールであると看做すような生き方を、未来の世界は決して容認しないだろうという予感と共に暮らしているのである。私たちは誤解することから出発するしかないし、誤謬の累積の上に自分の歪んだ人生を営んでいくしかない。私たちの眼球が超越的な「神」の視座を宿すことは有り得ないからである。世の中で日常的に口にされる「人は客観的に考え、論じるべきだ」という意見は、決して「神」を目指すべきだという挑戦的な言明ではない。それは誤謬の瓦礫の中で足掻きながら、少しでもマシな答えを作り出していくべきだという倫理的な覚悟の宣言なのである。私たちの考えは常に「誤謬」である。しかし、それでも一向に構わないのだ。重要なのは「愚かであること」を峻拒することではなく、「借り物の賢さ」を否認することである。愚物であることは、人間の生存の根源的な条件なのだから、少しも気に病む必要はない。それよりも他人の作り出した「正解」をカタログのように羅列して振り翳す「不毛な賢者」であることを、徹底的に恥じるべきなのだ。無論、これは自戒の為の論述である。

「出生」と社会的合意

 典拠が何だったか、具体的に思い出せないまま書くが、先日、2016年の日本における嬰児の出生数が遂に百万人を割り込んだという報道に接した。

 少子高齢化が、成熟した、古びた国家である日本の「宿命」だという論調は長い間、私たちの社会における共通の認識として、通奏低音の如く殷々と鳴り響き続けている。その背景には無論、様々な与件が関わっており、例えば若年層の経済的困窮が引鉄となって、未婚率の上昇と晩婚化の亢進、出生数の抑制といった現象が強化されつつあるという見解は、少しも目新しい推論ではなくなっていると言える。確かに金銭的な窮乏が、そして低所得の生活が将来的に改善される見込みが年々乏しくなり、裕福な栄達への希望が着実に痩せ衰えつつある時代の悲観的な風潮が、若年層の婚姻や育児に対する消極的な方針を強めていることは事実であろう。

 だが、経済的な理由だけで総てを説明しようとすることは、偏狭な見方であることに私たちはもっと留意せねばならない。多くの貧しい発展途上国では、日本とは比較にならないほど子沢山の世帯が多い。私の祖父母は、太平洋戦争を潜り抜けた世代であり、その生活水準は現代と比較して随分貧しかったであろうと思われるが、父方も母方もそれぞれ四人の子供を儲けている。貧しさだけを出生率の低下の理由として挙証するのは、経験的に考えて妥当な解釈ではないのである。

 個人主義の発達、ということが、現代社会の特質の一つとして取り上げられ、大仰に語られている場面に遭遇することは珍しくない。実際、この国における近代化の過程は、地縁と血縁の弱体化という現象を限界まで推し進めてきた。それでも未だアメリカのような極端な水準には達していないかも知れないが、日本の地縁と血縁に呪縛された共同体の歴史的地層は、先住民の虐殺を通じて獲得された広大な新天地への入植という形で始まり、独立宣言の採択から未だ240年ほどしか経っていない合衆国よりも遙かに古く根深い。個人主義の発達を妨げる古びた因習の拘束力が極めて濃密であることを、私たち日本人は考慮に入れるべきであろう。

 個人主義の発達、そして社会そのものの成熟が、近代化の齎した豊饒な果実であることは疑いを容れない。私たちは互いの存在を厳格な規範によって拘束し、監視し続けなくとも、平穏な生活を営めるほどの物質的な幸福を、歴史的な努力の積み重ねの末に手に入れることが出来た。物質が行き渡れば、それを力を合わせて守ったり、或いは限られた面子で分け合ったりすることの必然性が失われていく。言い換えれば、物質的な豊かさが社会全体に浸透することに比例して、共同体に帰属することの重要性や必然性は薄らいでいくのである。それが個人主義的な考え方の発達を促し、私たちの考え方、或いは思想信条のスケールを縮減する結果を齎す。

 共同体に対する強固な帰属は、その歴史的な伝統性に対する敬意や理解を育むが、共同体への忠誠が軟化していくと、必然的に伝統への理解は弱まる。つまり、共同体の存続という問題に対する関心が衰微することになる。それが即物的な次元においては「繁殖」に対する関心や欲望の弱体化を招くのは、当然の帰結である。

 私たちは所帯を構えることや子供を産んで養育することに関して、選択の自由を認められつつある。無論、大勢の多様な人間で構成された巨大な社会の変容は、一朝一夕に完成するものではないし、一旦、躰に根付いた価値観の変更には厖大な時間と労力が欠かせない。だから、今でも「家族」という社会的な単位の重要性は、完全には死滅していないし、寧ろ過剰に亢進した個人主義的な傾向に対する反動のように、共同体への帰属を美化する考え方は局地的に強まっているとさえ言える。それは社会全体が高度経済成長やバブルの時代の楽天的な「成長至上主義」から、異なるフェーズへ移行しつつあることの証左である。日本社会は今後、飛躍的な発展を遂げることはなく、静謐な成熟の段階に進んでいくという観測が、この国では最早、支配的な言説の地位を占めつつあるのだ。

 言い換えれば、私たちは再び「貧しさ」の中へ回帰しようとしているのだ。無論、それは戦後直ぐの焼け野原の中で人々が歯を食い縛って分かち合っていた「貧しさ」とは比較にならないほど豊饒な「貧しさ」である。だが、重要なことは、現状の豊かさが今後も永久に右肩上がりの成長を続けることは困難であるだろうというペシミスティックな考え方が、社会的な合意として承認されるかどうか、という点に存する。人は直ぐに与えられたものの価値に倦怠を感じてしまう生き物であるから、既に手に入れてしまった富の総量がこれ以上増えないだろうという観測は、直ちに「貧しさ」として感受されてしまうのである。

 言い換えれば、私たちの国においても、ドナルド・トランプの君臨する合衆国同様に思想と社会的境遇の「分断」は拡大しつつあるということだろう。「家族」という古き良き価値観を重んじて育児に異様な熱意を示す人々が存在する一方で、婚姻や出産という社会的な価値に関心を示さない人々も増加の一途を辿っている。これは極めて困難な問題であり、共同体への帰属と「繁殖=存続」への欲望が同期している以上、私たちは出生率の向上という問題意識そのものの根本的な妥当性に関して、先ず旺盛な議論を展開しなければならないのだ。だが、私たちはどのように問うべきなのだろうか? 何れこの国が滅びても構わないと考えるならば、「繁殖=存続」の原理と手を切ることは少しも咎められるべき判断ではない。しかし、この国が滅びても構わないのか、という恫喝に、既に共同体への忠誠心を失った個人主義者が容易く屈従するとは考え難い。

人工知能は、書くことの秘儀を駆逐してしまうのか?

 文章作成を主務とした人工知能(AI)が実用化され、色々な方面で活躍しているという。その記事作成能力は恐るべきもので、既定のテンプレートに厖大な情報を紐づけることで、客観的な事実を伝達する為の文章を瞬く間に書き上げてしまうらしい。文法的に精確で、事実を精確に、系統的に伝える洗練された文章を、人間が決して追随することの出来ない驚異的な速度で、AIが次々に作り出してしまうという近未来の空想が、いよいよ血肉を伴った現実として具体化されつつあるのだ。

 AIの実用化によって、数多くの職業が近い将来には消滅してしまうだろう、というSF的な発想は今日、少しも荒唐無稽の妄想の類ではなくなっている。自動車の自動運転技術が完成すれば、遅かれ早かれ、この世界から夥しい数のドライバーが退場することになるのは自明の理である。そして、その影響は、文章を書くことを生業とする人々の世界にも波及しているという訳だ。これから、本当の意味で創造的な仕事だけが人類の掌中に残され、それ以外の単なる「作業」は悉く剥奪されていくだろう。そうした近未来の青写真を、荒廃したディストピアのように物語って悲観したり呪詛したりするのは、真っ当な人間にとっては賢明な態度ではない。尤も「創造的な仕事とは何か」という設問に正しい答えを与えるのは容易なことではないから、悲観的な人々を新しい希望の世界へ導いていくのは骨の折れる作業となるに違いない。

 AIは、定められた手順を恐るべき「速度」と「精確性」を維持したまま、無際限に踏襲していくという性質の業務に関して、人間が幾ら束になっても敵わないほどの驚嘆すべき有能さを示す。それはAIに限らず、広義のコンピュータそのものが、その生誕の瞬間からずっと保有し続けてきた「才能」の本質であろう。定められた手順を正しく素早く実行する、という仕事に向いているのが、人間とAIの何れであるか、この期に及んで見苦しい議論を戦わせたところで無益であるのは分かり切った話だ。これから私たちの社会は新しい次元に移行し、いよいよ近代的な価値観の制度疲労は臨界点に達するであろう。古き良きラッダイトの猿真似を試みるのは、醜怪な犬死の原因にしかならない。

 今後、既定のマニュアルの遵守にばかり血道を上げる人々は、職場から放逐されることになるだろう。言い換えれば、誰かの指示に依存して、決まり切った単純作業に従事することしか出来ない人々は、AIの実用化の残酷な衝撃を正面から浴びて斃れることになるだろう。だが、それは本当に不幸で悲観的な天気図であると言えるだろうか? 重要なのは、「正しさ」というものの価値が一挙に下落するであろうという見通しである。文法的に正しい文章を書く能力、誤字脱字を見逃さない能力、つまり「予め定められたルールの遵守と適用」ばかりに特化して磨き抜かれた能力は、株価の大暴落に苦しむことになるのだ。尤も、そうした事態は遙か昔から受け継がれてきた人間社会の「真理」の拡大された形態に過ぎないという見方も充分に成立する。古今東西を問わず、人間の社会は「新しいものを生み出すこと」で進歩してきた。その為に私たちは「考える葦」として生きてきたのだ。どういうことか?

 これからの時代、つまりAIの実用化が充分に推進された時代においては、人間に残された職業的な価値は「考えること」に集約される筈である。行動すること、そして計算したり分析したりすることは、総てコンピュータの爆発的な能力に委任され、私たち人間は、彼らとの間に共存共栄の為の協定を締結することになる。つまり「棲み分け」が物事の鍵を握るようになる。もっと言えば、私たちは常に「何故、それをやるのか」という根源的な定義の追究を、あらゆる職業の現場において携えながら生きることになるのだ。例えば、物流業界の現場の人々は、その過半がAIに仕事を奪われるだろう。少なくとも、物流の仕事を単なる「荷物の運送と揚げ降ろし」だと解釈して疑わないような人々の手許には、AIとの競争力は残らないに違いない。物流の使命が「物を運ぶこと」に尽きるのであれば、AIの方が遙かに適役であることは火を見るより明らかである。私の所属する小売の世界でも、商品の包装や会計の計算などは明らかに人間よりもAIの方が得意である筈で、そうした単純な作業を「小売の使命」だと誤解している人々は、AIに雇用を奪われても文句は言えないのである。単に顧客の注文を受け、必要な売買の手続きを踏むだけならば、人間を雇う必要はない。つまり、AIの発達と実用化は「人間がやるべきこと」を専一に洗い出し、浮き彫りにする為の重要な指標として機能することになるのだ。

 答えの出ている仕事に取り組むのは、AIだけで充分である。彼らは労働基準法の適用を受けないし、年中無休で働かせても差し支えなく、その存在に敬意を払う必要もない。効率を考えるならば、AIでも成し遂げられる業務にわざわざ人間を割り当てるのはナンセンスな判断である。それは「創造的な仕事」であると一般的に盲信されている文筆業の世界においても充分に当て嵌まる真理であるだろう。単にデータを纏めたり、関連付けたりするだけの文章、或いは諸々の情報を予め定められたテンプレートという鋳型に流し込んだだけの文章、それらは人間が書くよりもAIが書いた方が手っ取り早く、精確である。言い換えれば、単なる「情報」に過ぎない文章ならば、人間の手を経由する必要性は皆無であるということだ。

 そうやって段階的な腑分けを経由するうちに、私たち人間に固有の「価値」というものが少しずつ露わになっていく。人間にしか書けない文章、それは客観的な文章や、中立的な文章ではない。自分の立場を明示せず、自分の主体性を注ぎ込むこともなく綴られた「美しい文章」などに、未来の社会は断じて価値を認めようとはしないだろう。

 だが、それは来るべき人工知能社会だけの特質という訳ではない。厳密には、今まで明るみに出なかった真実、多くの余計な障壁に阻まれて、見極めることが困難であった真実が、AIの発達という社会史的な条件を触媒として鮮明に結像するというだけの話ではないだろうか。今も昔も、単なる中立的で客観的な文章に、人間の魂が震撼させられたことは一度もなかったのではないか。精確な情報が要請される場面は無論、社会の到る所に日々出現している。しかし、そうした情報の価値は今後、AIによって管理されることになり、私たち人間は無味乾燥な「正しさ」の監獄から釈放されることになるのだ。

 私が私であることの意味、それを問い詰めない限り、これからの新しい時代の「雇用」を人間が保ち続けることは不可能である。書くことの秘儀など、さっさと駆逐されてしまうがいい。そうやって夾雑物を軒並み取り除いた後に残る一粒の砂金の「価値」を、私たちは真剣に見定めるべきだし、寧ろそれだけを相手取って生涯を卒えるべきである。こうした考え方は極論のように響くかも知れないが、燐寸しか使えない時代に燐寸を使うことの意味と、ライターが存在する世界で敢えて燐寸を用いることの意味との間には、千里の径庭が横たわっている。燐寸が滅び去ることの必然性を、懐古趣味だけで覆すことは不可能であるし、そもそも不健全で因習的な発想なのである。

サラダ坊主風土記 「安房鴨川」 其の二

 先日の記事の続きを書く。

saladboze.hatenablog.com

 前置きばかり長くなって恐縮だが、自分の好きなように書かせてもらいたいと思う。海浜幕張駅から、京葉線を経由して外房線に乗り入れる特急「わかしお」に乗り込み、私たち家族は房総半島の南東部に位置する鴨川市の海辺へ向かって出発した。

 サービス業で生計を立てている私は日頃、曜日に関わらず働く不定休の人間である。だから、世間様が正月や盆の休みで浮々と華やいでいる季節には、人一倍働いて荒稼ぎすることが宿命である。それは一見すると辛いことのように思われるだろうが、逆に言えば、世間様の大半が馬車馬の如く働いているときに悠然と休めるということでもあるのだ。平日の朝、海浜幕張駅には出勤途上の方々が大勢いらっしゃったが、我々は暢気に南総へお出掛けである。殆ど王朝時代の京都の御公家さんの気分である。冷え切った空気の中、コートに身を固めて憂鬱な一日の始まりを迎える人々の波に混じって、我々は優雅に鴨川へシャチのパフォーマンスを見物しに行くのである。殆どドバイの石油王並みの贅沢な御身分であった。

 長年、東葛地域で暮らしてきた私は、海浜幕張を出発した「わかしお」の最初の停車駅である「蘇我」が千葉市の一部であるという理解さえ持ち合わせておらず、てっきり「蘇我市」という自治体が存在するものだと思い込んでいた。私と同棲を始めるまで、幕張の実家を出たことのない生粋の千葉市民である妻から、厳格な訂正を受けたことがある。つまり、私の未知への旅路は、早くも蘇我駅の時点で開始の号砲を鳴らしたのである。随分と近所の段階で未知の領域への門出が始まるということは即ち、普段の私の行動範囲が極めて保守的で狭苦しいという事実の傍証であろう。

 幼い娘の機嫌を取りながら、静かな車内に陣取って流れていく車窓の風景を漫然と眺める。臨海部の工業的な風景が後方へ遠退き、宅地化の進む鎌取、誉田、土気を黙殺するように通過すると、大網駅に辿り着いた。ここも宅地化は進みつつあるが、基本的に風景に対して田畑の占める割合がかなり高まったように感じられる。土気駅までは政令指定都市で県庁所在地でもある千葉市の領分に含まれていたが、ここからは大網白里市に移るので、自治体としての財力の多寡が、駅前の開発の進展具合にも重要な影響を及ぼしているのかも知れない。いよいよ、千葉県の奥地へ足を踏み入れつつあるな、という静謐な興奮が、私の心臓へ微温湯のように広がり始めた。都会化された景色を眺める為に、私は旅へ出た訳ではないのだ。普段の生活では触れることの出来ない異郷の風光を総身に浴びる為に、私は高い特急料金をJRに納めて「わかしお」に乗り込む決意を固めたのである。

 ところが、田舎らしい景観に恵まれ始めたと喜び勇んだのも束の間、茂原駅で私は己の肉眼を、いや厳密には眼鏡による矯正視力を疑うこととなった。車窓から眺める茂原駅周辺の風景が、大網とは比較にならないほど「都会」であったからだ。少なくとも千葉市中央区蘇我駅と平手で将棋が差せるくらいの風格と貫禄は充分に備えていると言えよう。ウィキペディアで調べたところ、茂原市天然ガスの生産量が日本一で、この地域の産業の要衝となっているらしい。私はそれまで茂原市に就いて何の知識も有していなかったが(「こりん星」が茂原市内に存在するという噂は耳にした覚えがある)、実際に茂原駅の景観を自分の眼で確かめ、蒙を啓かれた気分であった。

 だが、茂原を過ぎれば再び景色は、私の期待する辺鄙な眺望を紅蓮に輝く不死鳥の如く甦らせてくれた。やがて辿り着いた上総一ノ宮駅は、総武線を日常的に使用する私にとっては、幾度も耳にしたことがありながら、現物を拝見した例のない伝説的な地名である。下り方面の総武線快速列車は、千葉駅から先は複雑怪奇な枝分かれを行なうことで古来知られており、千葉県の地理に不案内な人間にとっては、「君津行」と「上総一ノ宮行」の違いを論理的に説明することさえ大変な難事なのである。

 上総一ノ宮駅は、総武線快速列車と外房線の直通運転の境界線に当たる。津田沼に暮らし、市川や柏へ通勤していた頃の私にとっては、千葉駅へ足を踏み入れる機会さえ皆無に等しかったので、況してや上総一ノ宮駅というのは空想の中だけに存在する蜃気楼のような空間であった。実際に辿り着いてみれば、長閑な地方の小駅という印象で、いよいよ遠くまで来たものだという感慨に耽るのに相応しい条件が整っていた。尤も、私の暮らすJR幕張駅周辺も古びた商店街が連なる、長閑な地方の一隅に他ならないので、珍しさを感じる筋合いもない訳だが、この「遠くまでやって来た」という感覚は、旅情を掻き立てる為には必須の代物なので、有難く咀嚼させて頂いた次第である。

 私は現在、千葉市内の百貨店に入居するテナントの店長なのだが、他のテナントの従業員の中には、この上総一ノ宮駅よりも更に南へ下った大原駅から通っている人もいる。その百貨店は房総半島全域が商圏であり、東葛地域を除く千葉県全域から顧客が訪れる。当然、大原からも上総一ノ宮からも人が流れてくる訳で、この辺りの土地に暮らす人々にとって、県庁の存在する千葉市の威光というのは、なかなかに侮り難いものなのではないかと、改めて私は感じた。誤解を避ける為に附言すれば、私は決して地方の僻地を嘲ったり蔑んだりしようと思って、こうした文章を草している訳ではない。元々は大阪府の辺境に生まれ育ちながら、不可思議な宿縁に導かれて千葉県に住まうこととなった己の人生を一層深く耕す為に、千葉県という土地の現実に就いて、忌憚のない観察を行ないたいと密かに、極めて個人的な仕方で望んでいるだけである。

 さて、寄り道をし過ぎて再び紙幅が尽きてしまった。続きは、また次回。

サラダ坊主風土記 「安房鴨川」 其の一

 会社から勤続十周年の御褒美に、公休とは別に十日間の連休を貰ったので、一月下旬から二月の頭まで働かずに過ごしている。こういう機会は滅多にあるものではないので、本当ならば一週間くらい遠くへ出掛けたいところだが、一歳未満の娘がいるので、そうした目論見は残念ながら遠い夢想のままである。しかし、折角の連休が勿体ないので、一泊くらいならオムツや離乳食を担いで行っても、それほど荷物の量は膨れ上がらないだろうと考え、近場の旅行先を検討してみた。

 幼い子供、しかも漸く歩き始めたばかりで、靴を履かせて屋外の地面を踏み締めて歩かせるには未だ酷な年齢の、乳歯さえ生え揃わず、ミルクからの卒業も果たしていない小さな女の子を伴って、遠方へ長期間出掛けるというのは殆ど絶望的に困難な作業である。しかも我々夫婦は車を所有しておらず、そもそも私自身は運転免許自体を持っていない。運転席に座ってハンドルを握ったら、その時点で犯罪者である。万が一、そのまま公道を疾駆するような事態に陥れば、数分も経たぬうちに人を撥ねるか、他の車に突っ込むだろうから、何れにせよ犯罪者となる末路は避け難い。

 という訳で、入念な検討の結果、鴨川シーワールドに一泊旅行という計画が組み立てられ、車を持たない私たちはJR海浜幕張駅から外房線特急「わかしお」に乗り込み一路、安房鴨川駅を目指して出立することとなったのである。当日は空は青く清々しく晴れ渡り、絶好の旅日和となった。がらがらの特急列車に乗り込み、静かな平日の午前の光を燦々と浴びながら、ゆったりと揺られつつ見知らぬ土地の見知らぬ風景を眺める時間というのは、この上なく贅沢な代物である。

 私は大阪府枚方市で生まれたが、十四歳の時に父親の転勤の都合で千葉県松戸市へ引っ越して以来、彼是十七年ほどの歳月を千葉県民の末席に列なる者として暮らしてきた計算になる。しかし、その十七年間の過半を松戸市民として頑固に暮らしてきたものだから、常磐線沿線以外の地域には非常に馴染が薄く、房総半島の風物に関する知識は極めて薄弱である。

 私の実感では、JR常磐線を大動脈とする千葉県の東葛地域(松戸市野田市柏市流山市我孫子市鎌ヶ谷市)と、JR総武線を動脈とする葛南地域(市川市船橋市習志野市八千代市浦安市)及び県庁所在地としての千葉市方面との間には、生活や文化の著しい断絶が存在するように思われる。言い換えれば、常磐線沿線に住んでいる人々にとっては、総武線方面の土地へ出掛けることは特別な用事でもない限り、不必要であるということだ。勿論、これは私の個人的な見解であるから、一般論として妥当なものであるかどうかは判断しかねる。

 常磐線と総武線は、JR武蔵野線(新松戸~西船橋)、東武野田線(柏~船橋)、新京成電鉄(松戸~京成津田沼)によって結び付けられているが、両者の関係性は頗る稀薄であるように思う。言い方を換えれば、松戸市柏市の辺りは東京・埼玉・茨城との繋がりが強く、生粋の千葉ではないように感じられるのだ。

 千葉県の形を、あの有名な御当地キャラクターのような生物として捉えたならば、確かに鼻は野田市であり、舌先は浦安市であるかも知れないが、それは本当は、余りにも東京一極主義的なイデオロギーに毒された見方であったのかも知れない。江戸川に沿って広がる松戸や市川、或いはディズニーランドと臨海高層マンションで知られる浦安のイメージで、千葉県の本質を語り尽くそうと試みるのは、適切な態度ではないのだ。それらは東京化された千葉県の表層であり、都会の風を浴び続けて変質し、硬化してしまった千葉県の皮膚なのである。本当の部分は、もっと奥深い場所にあるのではないか。

 こういう意見を述べると、東葛地域に御住いの方々は不快に思われるかも知れないが、私も長らく松戸市民として暮らしてきた日々の実感は記憶として持っている。その上で言わせてもらっているので、どうか御容赦願いたいものである。

 東日本大震災の年に市川市の店舗へ配属になってから、私と総武線との出逢いは始まった。その数年後には津田沼へ移り住み、昨春には幕張へ家を買って遂に天下の政令指定都市千葉市の住人と成り遂せた。だが、それでも私にとって夥しい数の路線が乗り入れるJR千葉駅は今でも魔窟の扉であることに変わりはない。改装して随分と分かり易くなったとはいえ、未だに私は外房線内房線の区別さえ満足につけられない愚者のままなのである。

 そんな私にとって、鴨川への旅路は未知との遭遇にも等しい新鮮な経験であった、と言いたいところだが、鴨川シーワールド自体は十年ほど前、未だ松戸市民だった頃に車で訪れたことがあるので、全くの初めましてという訳ではないことを率直に述べておきたい。それでも、当時の記憶は非常に不鮮明な状態になっていたし、外房線の列車、しかも「房総エクスプレス」の英字のロゴを車体の側面に掲げた特急列車に搭乗するのは紛れもない初体験であったから、私の心には未知なる異郷への仄かな憧憬のような感情は確かに宿っていたのである。

 一向に安房鴨川へ辿り着かないままに、2000字を超えてしまった。続きは次回の記事へ持ち越すこととする。

「存在しないものだけが美しい」という理念 1

 「存在しないものだけが美しい」という理念の形態に就いて書いておきたい。

 予め注意を促しておくが、この「存在しないものだけが美しい」という命題は万人に公認され、あらゆる場面に普く該当するものではない。広範な領域において確認し得る強力な思想の様式であることは概ね確かな事実だが、私自身は決して「存在しないものだけが美しい」という命題を不用意に、あらゆる対象に適用すべきだとは考えていない。

  先日、新海誠監督の「君の名は。」という長篇アニメーション作品に就いて感想を記した。この記事は、そこにおいて繰り広げた思索の積み重ねの、ぼんやりとした残響のようなものである。「君の名は。」という作品は徹底的に「恋愛」のエートスだけを描き切っており、そこには「結婚」に象徴される現実的な地平との意図的な「切断」が介在している、というのが現時点での私の考えである。「恋愛」の論理は、常に「触れられないものを欲望する」という基本的な原則に従って駆動する。触れられないこと、思い通りに扱えないこと、現在の自分の居場所から遠く隔てられた存在に憧れること、これらが「恋愛」に固有の特殊なメンタリティの諸要素である。「君の名は。」という作品は、こうした「触れられなさ」を、物語全体を総動員することで極限まで高めようとしている。終幕において立花瀧宮水三葉は「触れる」ことに成功する訳だが(黄昏時の束の間の「接触」に関しては、「触れられなさ」を更に煽り立てる為の、いわば砂糖に投じられた微量の「塩」のようなものであると思う)、それは「君の名は。」という物語に与えられた一つの決着ではあるものの、作品の本質的な要素であると看做すことは適切ではない。

 こうした「恋愛」のエートスは、私たちの暮らす日常的な現実においては程良く中和され、適切な湯加減で発揮される場合が殆どであり、そうした現実との「妥協」を経由しなければ、「恋愛」のプロセスを「結婚」のフェーズへ軟着陸させることが出来なくなってしまう。しかし、架空の物語の中では如何なる抽象的な実験も、幻想的な飛躍も軒並み、許容される慣わしである。「恋愛」のエートスを極限まで高めたとき、人間の魂はどのような原理に到達するのだろうか? そのとき、人間は「存在しないものに憧れる」のが最も恋愛の情熱を燃え上がらせるに当たって「効率的である」という真理に蒙を啓かれるだろう。

 「恋愛」の熱情と興奮を最も高揚させる方法は「存在しないものに憧れること」である。それを「不可能性の希求」という具合に呼び換えても構わない。この点で、恋愛の情熱は宗教的信仰の情熱に酷似する。決して姿を現すことのない超越的な「存在」としての「神」に恋焦がれることは、所謂「恋愛」の情熱と原理的に同質なのである。

 ここから冒頭の命題が導き出されることになる。「存在しないものだけが美しい」という難解な語句は、要するに「存在しないものに憧れることが最もパセティックである」という命題に他ならない。「恋愛」の精髄を描き出すに当たって、そうした「不可能なものへの欲望」を極度に肥大させてみるのは、いわば美食の追求の涯に人工的な手段でフォアグラを作り出すようなものである。

 例えば「君の名は。」において、立花瀧宮水三葉が触れ合う機会は殆ど与えられていない(入れ替わりの状態を通じて相手の肉体や境遇を理解することは出来るが、それは独立した人格としての「相手」と触れ合ったことにはならないだろう)が、二人の相互的な恋情は寧ろ、そのような不自由な制限を科せられることによって一層、高められているように見える。恋愛においては「逢えること」よりも「逢えないこと」の方が遥かに重要な意義を帯びている。いや、もっと率直に言い切ってしまえば、恋愛の欲望は「存在しないものを欲望すること」ではないのか。

 三島由紀夫の「金閣寺」では、吃音によって外界との疎隔を感じながら育った「私」の特殊な精神的遍歴が描かれるが、その心理的な構造はまさしく、こうした「存在しないものへの欲望」によって占められている。それは「心象の金閣」への欲望という形で描かれているが、この「心象の金閣」は「現実の金閣」から生じたものではない。何故なら「私」は「現実の金閣」を目の当たりにする以前から「心象の金閣」への已み難い憧憬を募らせていたからである。この「心象の金閣」は「私」にとって至高の美の象徴に他ならないが、それは「現実の金閣」の物理的な美しさとは無関係である。

 尤も、この「現実の金閣」は常に「心象の金閣」の美しさに劣り続ける訳ではない。空襲の危機が齎す「滅亡の予兆」が、「現実の金閣」と「私」との審美的な関係性に変革を齎すのである。言い換えれば「現実の金閣」が存在しなくなるかも知れないという危険な兆候が、「現実の金閣」を「存在しないもの」として捉える契機を「私」に授けたのである。

「恋愛」の危険で純粋な形象 新海誠監督「君の名は。」をめぐる断想

 幕張新都心イオンシネマで、今更ながら「君の名は。」(新海誠監督)を観賞してきた。実に印象深く心に残った作品であったので、今更ながら感想を書き留めておきたい。

 この作品は日本のみならず、国境を飛び越えて海外でも幅広く公開され、好評を博しているらしい。日本の現代的な風景を極めて精緻なアニメーションとして具現化した本作が、文化も生活も異なる海彼の人々にも受け容れられ、称讃を浴びるのは、一見すると奇異な現象に見えるかも知れない。実際、多くの国産アニメーションが日本文化の精髄のように異国の人々から絶賛される光景は今日、最早見慣れた景色には違いないが、それが一種のオリエンタリズム的な関心による賜物であると解釈するのは、一面的な見方であるだろう。少なくとも「君の名は。」という作品に関して言えば、重要なのは精緻に描き出された現代日本の細密な風景が喚起するオリエンタリズム的な、エキゾティックな魅力ではない。私見では、この「君の名は。」という作品は頗る抽象的なファンタジーであり、その抽象化された構造は普遍的な訴求力を宿している。抽象的であるとは、どういうことか? それは「君の名は。」が「恋愛」という主題を極めて抽象的なレベルで濃縮して提示してみせた作品であるという意味だ。

 この作品の主題が「恋愛」に存し、それを現実には有り得ないシチュエーションの中でいわば誇張して描き出したファンタジーであることは、誰の眼にも明らかな、端的な事実であると思う。だが、これは単なる恋愛物語であろうか? 確かに、単純で薄気味悪い、或る意味ではナルシシズム的な恋愛を描いた御伽噺であると一蹴することは容易い。例えば、主役である立花瀧と宮水三葉が互いに惹かれ合い、あそこまで劇しく求め合う理由は何だろうか? その具体的な過程が、説得力を持って充分に描き切られているだろうか? 私は、そうは思わない。だが、それは二人の惹かれ合う理由が明確でないことを論って、この作品のリアリティの欠如を断罪する為に述べるのではない。そうではなく、二人が惹かれ合う過程に具体的な意味など求めようがないのだ、という端的な事実を確認する為に、わざわざ指摘しているのである。

 「恋愛」と言われる一つの社会的な、或いは多面的な営為が、どのような構造を持っているのか、この段階で確認しておきたい。世の中に流布する様々な意見、そして私自身の乏しい実体験を踏まえて考えるならば、所謂「恋愛」のエートスを形作るのは「触れることが出来ないものに憧れる」という欲望の形態である。「触れることが出来ない」という条件は、倫理的な禁忌によって齎される場合もあるし、本作のように物理的な制約として齎される場合もあるが、その物語的な機能は同一である。「恋愛」という一つのエートス、或いはもっと端的に言って「ストーリー」は、互いに触れ合うことの出来ない対象同士が惹き寄せられること、そして最終的には結ばれること、これらの要件によって形成されている。

 だが、一般論として隔てられていた二人が万難を排して結ばれることは「恋愛」の最終的な成就である一方、「恋愛」の終焉そのものであるとも看做し得る。成就した恋愛は、つまり目出度く結ばれ合った二人は、それまでとは異質なフェーズに移行することを強いられる。一般的な言葉を用いるなら、それは「結婚」のフェーズである。「恋愛」のフェーズにおいては、隔てられていたものが結合するまでのプロセスが重要な主題となるが、「結婚」のフェーズにおいては無事に結ばれた二人が、その関係をどうやって未来永劫持ち堪えていくか、ということが喫緊の課題に据えられる。従って、これら二つのフェーズにおいては、求められるメンタリティの性質が全く異なっているばかりか、場合によっては積極的に対立する。

 「君の名は。」が露骨なほどに「恋愛」のフェーズだけを重要視した作品であることは明白である。最終的に二人は運命的な邂逅を遂げるが、その後の関係性がどうなっていったか、具体的な描写は一切存在しない。それは「君の名は。」という作品が、極端に「恋愛」という主題を抽象化して扱っている為で、その手続きを円滑に進めるには「結婚」のフェーズは余計な夾雑物でしかないのだ。

 改めて確認しておこう。私見では、この「君の名は。」という作品は徹底的に「恋愛」の構造だけを描き切っている。その意味では、立花瀧や宮水三葉というキャラクターの造形は副次的なものでしかない。無論、作品を単なる抽象的な構図の羅列として痩せ衰えさせない為に、描き出される風景は極めて精密で、登場人物たちの科白回しにも入念な工夫が施されている。だが、それらが副次的な水準に属する要素であることは覆らない。あの繁雑な設定と筋書き、瀧と三葉が互いに入れ替わること、彗星によって糸守町が潰滅的な被害を蒙ること、二人の入れ替わりに三年間の時間的な断層が存在すること、黄昏時の一瞬だけ時間的な断層が解消されること、こうした物語上の諸条件は総て、恋愛の構造を極限まで拡張し、肥大させる為の手続きとして機能している。簡単に言い換えれば、物語の中に現れる諸条件は総て「瀧と三葉を邂逅させないこと」を目的として組み立てられているように見えるのだ。そして、この「邂逅」を禁じる物語上の制約が、恋愛のエートスとパトスを限界まで高ぶらせ、強化するのである。

 物語の仕組み自体は、半ば御都合主義的とも言い得る錯綜した展開を持っていて、厳密に理解する為には時間が要るが、その本質的な主題は極めて明快であるということ、つまり、色々なややこしい物語上の制約や反転が存在しているにも拘らず、描かれているのは「恋愛」だけであるという極端な抽象性、これが「君の名は。」の広範な訴求力を支える要因ではないかと、私は思う。そして極端な言い方をするならば、この「君の名は。」が、恋愛の構造=原理を剔抉する抽象性を最後まで貫く為には、終幕の瀧と三葉の再会のシークエンスは不要であると思う。総ての条件が整ってしまった後で、二人が目出度く出会ってしまえば、そこからは総て「結婚」のフェーズとして語られてしまう。それは「恋愛」だけを主題に据えた「君の名は。」の極端な抽象性にとっては蛇足でしかない。寧ろ総てを一瞬の夢幻の如く忘れ去ってしまった方が、恋愛としての純粋性は大幅に高まり、黄昏時の山頂での束の間の邂逅が特権的な輝きを放って、観客の魂を撃ち貫いただろう。

 出逢ってしまえば、そこからは結婚=現実の単調な列なりが始まるだけである。無論、そこには恋愛と別種の「歓び」が存在する訳だが、少なくとも「君の名は。」という作品の本質が、結婚の「歓び」のようなものの降臨を要請しているとは考え難い。そもそも、この「君の名は。」という作品は、恋愛における「幸福」には関心を寄せていないのではないかと思われる。つまり、新海誠という優れた監督が描こうとしているのは飽く迄も「美しいもの」であって「幸せなもの」ではない。糸守町に彗星が落下して夥しい死者を出すという描写など、悲劇的な美しさの為ならどんな災厄も罪悪も受け容れようとするクリエイターの邪悪な側面の介入を感じさせないだろうか。

 「恋愛は美しく、結婚は幸福である」という公式が、一般論として妥当なものであるかどうかは分からない。少なくとも新海誠監督は「恋愛」を「極めて美しいもの」として描き出すことに執心しているように見える。その為には「結婚」に象徴されるような「現実」との回路を切断する必要が生じる。こうした心性の構造から私が想起するのは、三島由紀夫の小説「金閣寺」である。

 三島は「金閣寺」の美しさの理由を「厳密な一回性」に求めた。この「厳密な一回性」というのは、言い換えるならば「一度滅ぼせば二度と取り戻すことが出来ない」という性質を表している。有限であるからこそ美しい、滅びてしまうものだから美しいという価値観の形式は、結ばれずに消え去ってしまう関係だからこそ美しいという命題と必然的な仕方で結合する。それは一斉に花開いて瞬く間に散っていく「桜」を「美しいもの」として捉える日本的な審美主義に通底している。無限に存在するもの、殺しても幾らでも甦ってくるもの、それは日本的な「美」の範疇からは除外され、排斥される。

 「美しいもの」への固執は、新海誠監督の作品に共通する「精密で美麗な写実性」とも不可分の関係に置かれていると言えるだろう。彼は事物の美しさを描き出すことに卓越した才能を示す。その才能が物語の主題の次元においても「美しさ」に執着するのは論理的な必然である。彼は「美しい恋愛」を描き出すことに半ば宗教的で強迫的な信仰を捧げているのではないだろうか。三島の「金閣寺」においては、語り手の「私」は美の象徴である金閣を焼き払うことによって「生=現実」の方面へ歩き出すことを決意した。だが、新海誠監督は例えば「君の名は。」の凡庸な後日談を描くことに、その個人的な欲望を励起されるだろうか? それは「美しいものへの過剰な執着」を手放すことに他ならない。そうした転換は倫理的な決断として為されるだろう。無論、芸術に倫理が必要であるという固陋な偏見を、私は別に振り翳そうとは思わない。