サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「虚言」に就いて

 加計学園による獣医学部新設を巡って、第二次安倍内閣の「頽廃」に関する様々な憶測と報道が日夜飛び交っている。太平洋を隔てたアメリカ合衆国では、トランプ大統領の「ロシアゲート疑惑」に関する政治的な混乱が白熱している。北朝鮮では示威的なミサイルの実験が立て続けに行なわれ、イギリスでは悲惨なテロリズムが続発している。

 こうした政治的=社会的情勢を総括して「末法の世」だと慨嘆するのは簡単なことだが、別に世の中が様々な問題や障碍を抱え込むのは現代に限った固有の疾病という訳ではない。政治の世界で権力の座を巡る暗闘が戦われるのも、信念と信念が過激な衝突を繰り返すのも、別に昨今に始まった特異な現象という訳ではないのだ。一つ一つの問題を粘り強く把握し、検討を重ね、議論を繰り広げる以外に歩むべき途はない。

 籠池理事長(本稿執筆の時点では、既に退任しているが)率いる森友学園の「癒着」と「忖度」の問題が曖昧な風化を強いられた矢先に、こうして類似の「便宜」に関する醜聞が持ち上がる。勿論、真相を思い込みで論じたり断じたりするべきではないが、同種の醜聞が立て続けに世間の耳目を集めるという事態に、所謂「火のないところに煙は立たぬ」という俚諺を想起させられるのは、決して私だけではないだろう。特に加計学園の問題に関しては、文部科学省の前任の事務次官である前川喜平氏が、安倍総理の圧力を認める証言を公表したことで、火の手が刻々と勢いを増している。

 「総理の御意向」「官邸の最高レベル」といった文言が、新聞やテレビやネットの世界を賑わせている中、菅官房長官は懸案の文書を「怪文書」と断定し、前川氏の私生活における不品行に殊更な言及を行なって、議論の焦点を捻じ曲げることに意を尽くしているが、最近の報道を徴する限り、裏目に出ているようだ。前川氏が「出会い系バー」なる如何わしい店に通い詰めていたという事実を報道した読売新聞は、却って世論の批判を浴び、弁明の社説を発表した。尤も、読売新聞が官邸の大本営発表の一翼を担う「機関紙」であり「御用新聞」であるという批判を、そのまま鵜呑みにするのは公正な態度ではないだろう。そもそも読売新聞社という組織が、今回の問題に関して一枚岩であるという証拠は特に存在しない。

 それにしても奇怪なのは、政府や文科省が「総理の御意向」を示す文書の再調査を拒否する際の定型的なコメントである。「文書の出所や入手経緯が明らかにされていない文書(怪文書という含意であろう)に就いては、再調査の必要を認めない」というクリシェである。常識的に考えれば「文書の出所や入手経緯が明らかにされていない」からこそ、再調査の必要性が生じる筈である。再調査という言葉の定義から議論を始めなければ、真相の究明には着手出来ないと、政府は言いたいのだろうか? これを正当な議論と称することは難しい。

 6月9日の時点で、松野文科相は文書の「再調査」を行なう方針を表明した。世論の反発や野党の追及に、これ以上抗し切れないと判断したのであろう。尤も、政権側は、何も疾しいことがないのなら最初から堂々と再調査に踏み切るべきであった筈だ。にも拘らず、あのような見苦しい押問答の為に時日を費やしたのは、再調査によって「不都合な真実」が明るみに出ることを懼れたからであろうと、普通は推論するものではないか。捏造された怪文書によって、政権が不当な攻撃を受けているのであれば、再調査によって真実を明るみに出すことは、寧ろ政権の存続と名誉に資する作業であろう。異様なまでに頑迷な「再調査の拒否」は、政権が何らかの「不都合な真実」を隠蔽していることの傍証として、第三者には受け止められるに決まっている。そうした成り行きが、政権の頭脳明晰な高官たちに想像出来なかったとは考え難い。世論が騒ぎ立てない限りは、巧く誤魔化して遣り過ごそうと考えていたのだろう。前川氏の証言の信憑性を減殺する為に、下世話な情報を巷間に撒き散らしたのだろう。そのような印象を世間に与えることで計上される政治的な損失を、政権の優秀な幹部たちが想定出来なかったとは思えない。

 「虚言」を弄することは余り褒められた話ではないが、「嘘も方便」という俚諺を徴するならば、常に馬鹿正直に振舞うことが唯一の「誠意」であると極論すべきではないというのも、一つの見識である。だが、仮に虚言を弄するにしても、その水準が余りに低劣であることは、政治家の資質としては絶望的な瑕疵と呼び得るのではないか。直ぐに露顕するような見え透いた虚言を子供のように押し通して、道理を捻じ曲げ、真実を「もう一つの事実」(Alternative facts)に掏り替えようとするのは、幾らなんでも幼児性が露わに過ぎる。直ぐに露顕するような嘘を吐いて、真実の圧迫から逃れようと企てるのは、古今東西を問わず、幼子の振舞いであると相場が決まっている。いや、それでは幼子に失礼であろう。幼稚なまま、馬齢を重ねた人間の特技と称すべきかも知れない。無論、私個人も時に、そのような「もう一つの事実」に縋りたくなることがある。「不都合な真実」から眼を逸らしたくなることがあるのは、万人に共通の性でもあろう。だが、一流の政治家が公共の場で堂々と拙劣な「虚言」を押し通して恥じないのは、流石に社会的な害毒である。

中上健次「地の果て 至上の時」に就いて 2

 中上健次の最高傑作と目され、物語の時系列の上で「地の果て 至上の時」と「岬」の中間に位置付けられている「枯木灘」において、主役である竹原秋幸は、幾度も「土方」という労働が齎す特権的な「幸福」に就いて語っている。

 何も考えたくなかった。ただ鳴き交う蝉の音に呼吸を合わせ、体の中をがらんどうにしようと思った。つるはしをふるった。土は柔らかかった。力を入れて起こすと土は裂けた。また秋幸の腕はつるはしを持ちあげ、呼吸をつめて腹に力が入る。土に打ちつける。蝉の声が幾つにも重なり、それが耳の間から秋幸の体の中に入り込む。呼吸の音が蝉の波打つ声に重なる。つるはしをふるう体は先ほどとは嘘のように軽くなった。筋肉が素直に動いた。それは秋幸が十九で土方仕事についてからいつも感じることなのだった。秋幸はいま一本の草となんら変らない。風景に染まり、蝉の声、草の葉ずれの音楽を、丁度なかが空洞になった草の茎のような体の中に入れた秋幸を秋幸自身が見れないだけだった。(『枯木灘河出文庫 p.106)

 こうした「労働」の幸福、自然との融合を通じた或る種の「解放」の感覚が、この「枯木灘」という作品においては幾度も反復される。そもそも、働くことが自然との官能的な合一を齎すような仕事というのは限られており、資本主義社会に生きる私たちの過半は、そのような牧歌的な風景とは無縁のままに、種々の賃金労働に明け暮れている。無論、作中で描き出される「土方仕事」も、そのような資本主義的なネットワークによる拘束から自由では有り得ない。つまり、中上健次は一種のロマンティックな神話として「土方仕事」を意図的に虚構化した上で表現しているのである。鶴嘴を振るい、大地を掘り返すことが非人間的な「風景」との肉体的な合一を齎すというのは、貨幣経済が勃興する以前のプリミティブな「労働」の風景であろう。

 秋幸はまた働いた。自分が考えることもない一本の草の状態にひたっていたかった。過去も未来もない。風を受けとめ、光にあぶられて働く。土がつるはしを引くと共に捲れ、黒く水気をたくわえた中を見せる。それは土の肉だった。土の中に埋まって掘り出された石はさながら大きな固い甲羅を持つ動物が身を丸めて眠っている姿だった。いや死体に見えた。土の中の石は死そのものだ。肉も死も日に晒され、においを放ち、乾いた。掘り出され十分もすればそれらは風景の中に同化した。(『枯木灘河出文庫 p.107)

 重要なのは、秋幸が「考えること」を拒絶する為に、自然との交歓という生々しく官能的な秘儀に向かって遁走しているという事実に着目することである。夜明けと共に始まり、日没と共に終わる、いわば自然の律動に響き合うような崇高で特権的な労働として「土方仕事」が描き出されるのは、それが人間的なものに対立する要素として、重要な意義を有するからである。では、人間的なものとは何を意味するのか? 少なくとも「枯木灘」においては、それは「路地」の世界を明確に指し示している。複雑に血筋が絡み合い、真実なのか判然としない数々の「噂」が重層的に飛び交い、時に血腥い殺人や淫行が演じられる閉鎖的な領域としての「路地」は、秋幸にとって「人間的なもの」の権化のような世界であり、彼の実存を極めて錯綜した困難の渦中へ縛り付けているのも、そうした「路地」の生み出す、尽きることのない働きである。その根本には「血縁」と「繁殖」のシステムが横たわり、活発に稼働している。

 秋幸は日に染まり、汗をかき、つるはしをふるいながら、耳に蝉の声を聴いた。幾重にも声がひびきあう蝉の声に、草も木も土も共鳴した。それが自分のがらんどうの体にひびくのを知った。秋幸にはその体の中に響く蝉の声が、なむあみだぶつともなむみょうほうれんげきょともきこえた。フサや美恵から子供の頃きいたように、土方をやり土を掘り起こしながら、いつの日か熊野の山奥に入り込んで修行し、足首を木にひっかけてついに崖からぶら下り、白骨になっても経を唱えつづけていた者に似ている気がした。大きな体だった。日に染まりたい、と思った。そして、ふと、秋幸はさと子の事を思った。それは姉の美恵が、実弘の兄の古市を実弘の妹光子の夫安男が刺し殺すという事件で、心労と過労のため狂った頃だった。その女は駅裏新地で娼婦まがいのことをやっていた。秋幸は二十四歳、兄の郁男が死んだ年齢になっていた。その女が、キノエの娘らしいとは思っていた。キノエの娘とは、秋幸の腹違いの妹のことでもあった。だが、確かではなかった。秋幸はその女に魅かれ、その女を買った。寝た。それから半年ばかりたって或る時、平常にもどった美恵が、駅裏の新地で店を持っているモン姐さんにきき込み、秋幸の腹違いの妹をみつけたと連れて来た。(『枯木灘河出文庫 pp.121-122)

 例えば、このような描写と語りの中には、秋幸の内的な分裂と動揺が極めて明瞭に刻印されていると言えるだろう。彼が忌避し、抵抗しようとする逃れ難い宿命としての「路地」の威光は、殺戮と近親相姦の入り組んだ関係性によって、その畏怖すべき深淵を如実に明示している。彼は「土方仕事」を通じて、自然との交歓に己自身を解消していくことで、そのような錯綜した関係性の齎す堪え難い苦しみからの遁走を図っているのである。「がらんどうの体」というのは、彼の願望が束の間、生み出した幻想的な自画像に過ぎない。彼は労働を通じて「がらんどうの体」に変化し、大自然との交歓と融合によって、内的な煩悶や懊悩を除去してしまおうと願うが、そうやって遁走を試みる間にも刻々と、肉体の内部に刻み込まれた様々な、厖大な「記憶」が甦り、彼を「一本の草」である状態から引き剥がしてしまう。

 人間の犇めき合う血腥い世界に傷つけられ、憔悴した人間が厭世的な思想を膨張させ、所謂「花鳥風月」を重んじる隠者的なメンタリティを懐き始める事例は、この国では一種の伝統的な作法であろう。「俗世」に倦んで「彼岸」を求める仏教的な精神、隠者の精神は古来、多くの聖職者や放浪者によって受け継がれてきた重要な実存の系譜である。だが、そうしたメンタリティの不可能性を、秋幸は強制的に理解させられることになる。義弟の秀雄を殴殺した廉で、刑務所に送られてしまうのだ。

 「地の果て 至上の時」は、その秋幸が出所してからの「路地」の変貌の物語である。帰還した彼は、母親や姉から「土方仕事」に復帰するよう勧められるが、それを拒否する。その理由は、単に土木の世界に愛想を尽かしたというような、些末な心理的問題には還元されない。彼の服役中に「路地」を襲った深刻な変貌が、秋幸に「労働の幸福」という夢想に耽溺し続けることを禁じたのである。

 町の地図が大きく塗り変えられているのを車で走って見て充分すぎるほど分かった。元々秋幸の家から海岸までのあたりは田があり畑があったりして建物の少ないところだったが、そこもかつて市の中心を区切るように横たわった路地からの山を削り取った土で埋め立てられていた。農道を広げただけのような折れ曲った道は閉鎖され、信号機の指示どおり左に折れても、道が途中から鉄線で囲われていたり、工事中の看板がバリケードのように道を塞いでいた。さらに国道に沿って走ると峠はなくなり、広角と呼ばれた高台はかすかに他よりも高くなった新開地に成り、高速道路のインターチェンジの工事中だった。秋幸はその土地の変りようにあきれ、そのうちいたるところにむき出しになった赤まだらの土が何者か人為を越えた大きな者が力まかせに地表をはいだ後のように思え、「これじゃ、土方がウケに入って、キャデラック乗り廻すのあたり前じゃの」と良一に言うと、良一は「もうけとるのは佐倉、浜村、桑原、それに成り上った二村だけじゃろ」とつぶやく。(『地の果て 至上の時』新潮文庫 p.43)

 「枯木灘」における「黒く水気をたくわえた」土と、「地の果て 至上の時」における「赤まだら」の土との相違はそのまま、秋幸の精神的な変容の、隔てられた前後の距離に等しい。彼の変貌は、自然との精神的な合一の不可能性に対する自覚、或いは「安住」の不可能性の自覚に基づいている。言い換えれば、秋幸はそれまで自分が嫌悪し、遠ざけ続けてきた「人間的なもの」の中枢に自ら飛び込むことを、決然と引き受けたのである。それが「蠅の王」と渾名される浜村龍造との接近を意味していることは、殊更に附言するまでもない。浜村龍造との急激な接近は、秋幸が逃れられない宿命との対峙を決意したことの反映であると解されるべきなのだ。

地の果て 至上の時 (講談社文芸文庫)

地の果て 至上の時 (講談社文芸文庫)

 
枯木灘 (河出文庫)

枯木灘 (河出文庫)

 

中上健次「地の果て 至上の時」に就いて

 一箇月ほどの期間を要して、漸く中上健次の長篇小説『地の果て 至上の時』(新潮文庫)を読了した。

 この複雑で長大で奇怪な小説を、短い言葉で簡潔に要約したり評価したりすることは殆ど不可能だが、敢えて一言に約めるならば「傑作」ということに尽きると思う。何が傑作なのか、何処が傑作なのか、それを明瞭な言葉に滑らかに置き換えることの出来ない己の未熟を恥ずかしく感じる。

 小説という芸術に如何なる価値や意義を求めるか、或いはもっと端的に効用を求めるのか、それは人によって千差万別であり、その基準を敢えて一律に固定化させる必然性も特に存在しない。ただ、この小説に関する私の個人的な感想としては、ここには紛れもなく一個の痛ましく歯痒い「人生」の光景が刻まれている、それが異様な迫力と遣る瀬なさを伴って痛切に伝わってくる、そこに「地の果て 至上の時」という作品の価値は漲っている、ということが言えるだけだ。

 「岬」「枯木灘」と書き継がれてきた竹原秋幸の人生の物語は、この分厚い「地の果て 至上の時」において、いよいよ壮大な「転調」の刻限を迎えたように見える。「岬」の私小説的な湿り気を帯びたスケッチが、続く「枯木灘」において明確な骨組みを備えた緊密な小説に変貌したように、秋幸の置かれる物語的な環境は「地の果て 至上の時」において、奇妙な「開放」を受け容れて劇的に転調している。その「開放」の原因が「路地」の物理的な解体という抗い難い現実によって齎されていることは明白である。秋幸という私生児を育んだ「路地」の閉鎖された時空は、社会的=政治的な諸条件に衝き動かされるように破壊され、単なる空漠たる虚無へ変貌している。言い換えれば「開放」は「喪失」の陽画として構造化されている。

 過去の作品において、竹原秋幸が絶えず「血族」と「地縁」に対する度し難い憎悪に貫かれていたことを、改めて確認しておこう。義弟の殺害を理由に服役した秋幸は、刑期を終えて故郷の街に戻ってくるが、そのとき、あれほど濃密な愛憎の対象として位置付けられていた「路地」は物理的な破壊を蒙り、単なる雑草の繁茂する空き地に様変わりしている。失われた「路地」の亡霊じみた「意味」を絶えず問い続けながら、彼は憎むべき父親に接近し、その真実を少しずつ己の耳目を通じて確かめ、検分していく。これらの一連の筋書きを簡略な構図に置き換えることは容易ではないし、そもそも、この物語の有り余る「脱線」の累積は、そうした図式化の不可能性を告示する為に選び取られた作法のようにも見える。或いは、そうした図式化を試みながらも絶えず裏切られていく秋幸=作者の懊悩の反映のようにも感じられる。その両義性に満ちた揺らぎが「地の果て 至上の時」という作品の時空に、異様な壮大さを齎しているのだ。

 私は今、この作品に盛り込まれた複数の矛盾する断片を統合するような、俯瞰的な視座を自ら構築する力を持たない。だから、この記事は極めて断片的な認識の寄せ集めに過ぎなくなるだろう。

 何故、浜村龍造が自殺したのか、自殺せねばならなかったのか、その意図は何だったのか、という問題は、この作品を構成する中心的且つ重要な課題であると言えるだろう。それを近代的な物語の失調、という具合に図式化してみたところで、何かが明確になったという気分にもならない。「父殺し」の不可能性という曖昧な文言で、浜村龍造の縊死を片付けることは出来ない。そもそも、秋幸が本当に浜村龍造を殺したいと願っていたのか、それさえも「地の果て 至上の時」を読んでいる間には、確信を持って肯うことが出来ないのである。

 「岬」においては、秋幸の龍造に対する憎悪や敵意はもっと素朴で、明瞭な輪郭を備えた感情として描かれていた。それが義妹との近親相姦という迂遠な方法を辿って表出されたのは、或る意味では秋幸が自分の内なる敵愾心の正体を明瞭に自覚していなかったことの反映ではないかと思われる。彼は近親相姦を通じて、実父に対する復讐を(一矢報いたという程度だが)成し遂げたと考えた。だが、続く「枯木灘」において、その復讐が単なる自己満足であり、全く的外れの攻撃であったことに、秋幸は否応なしに気付かされることになる。そして憎悪は再び、義弟の突発的な殺害という形で噴き出す。それでも浜村龍造という強大な「父親」に致命傷を与えることは出来なかった。

 ここまでの段階では、秋幸の軸足は完全に「路地」と「母親」の側に置かれている。だが、この「地の果て 至上の時」においては「路地」の消滅を契機として、秋幸の軸足は「母親」の領域から「父親」の領域へ、奇妙なほどに滑らかな移行を遂げている。土木から林業への転身は、その象徴的な表現であろう。巻末に付された犀利な解説の中で、作者の盟友でもあった批評家の柄谷行人は「母系的なものと父系的なものとの抗争」という表現を用いているが、実際に「枯木灘」までの竹原秋幸は明瞭に「母親」の生み出した世界の中で「子供」としての視線を維持し続けていたのである。しかし、そのような「母子」の閉鎖的な関係性は「路地」の物理的な解体によって、それに比例するように解体されてしまう。母子の関係性が壊れた後で、浜村龍造に接近する秋幸の振舞い方は、必ずしも「母子」のような親子関係を維持していない。言い換えれば「母子」の関係と「父子」の関係は、同じ「親子」関係ではあるものの、根本的に異なっているのである。但し、この消息を、柄谷行人の言葉を借用して「母系的なものと父系的なものとの抗争」と言い換えるだけでは、私の視野が明るくなることは有り得ない。

 秋幸とフサの関係には、明らかに幼少期からの「母子」の親密な関係性が残響しているが、秋幸と龍造の関係は「親子」と言うよりも「朋輩」に近い。年齢や血縁関係の問題に拘らず、秋幸と龍造は奇妙に水平的な関係性を築き上げていく。

 実際に親子であっても、父親と息子の間には奇妙な水平性が成立し得るという端的な事実は、家族というシステムが「母子」の垂直性、或いはもっと端的に「母親」という中心的な象徴を通じて形成されていることを間接的に示しているのではないだろうか。血縁的なシステムに対する憎悪を、労働の無機質な反復性や、自然という「無生物」への没入という方法によって乗り越えようとしていた「枯木灘」の秋幸は、出所後に直面した「路地の消滅」という現実によって、否応なしに血縁的なシステムの外部へ放逐されることになる。「路地」という母系的な空間、絶えず父親が入れ代わり、母親の同一性によって辛うじて秩序が保たれていくような性質の「家族」が存在する空間の消滅は、彼を吹き曝しの空地へ追い立てることになる。「家族」が消え去れば、残るのは「朋輩」だけである。

 「家族」の同一性が、母親の同一性によって保たれるのが母系的な社会の特質であるとするならば、父親の同一性によって保たれるのが父系的な社会の特質である。そして「母系的なものと父系的なものとの抗争」の狭間に生み出されるのが「朋輩」の原理である。秋幸が龍造との間に「朋輩」を思わせる特殊な関係を築き上げるのは、彼が単に母系的なものから父系的なものへの移行を果たした為ではない。そもそも「家族」という制度が「路地」の消滅によって解体されたことが、両者を「朋輩」として結び付けた根本的な契機なのである。

 だが、一体「朋輩」として結び付くことが、何故、秋幸と龍造において必要であったのか。言い換えれば、この小説における物語と出来事の入り組んだ構造は何故、要請されたのだろうか。この作品の、図式化に対する強靭な拒絶の作用に、私の頭脳は刃毀れするばかりで一向に役に立ちそうもない。巧く考えが纏まりそうにもないので、今夜はこれで擱筆することにしたい。

地の果て 至上の時 (講談社文芸文庫)

地の果て 至上の時 (講談社文芸文庫)

 

「罪悪」に就いて

 何が悪なのか、何が罪なのか、その定義を厳密に見極めようと試みても、視界は一向に晴れようとしない。罪悪という言葉自体は充分に歴史的な手垢に塗れているように見えるが、その内訳は極めて多様で、様々な社会的条件に四方八方から制約されている。つまり、誰にとっても絶対的な「悪」であると認められ得る事案というものは、存在しないのだ。殺人や強姦や窃盗や放火や、そういった陰惨で人間性の「中核」を毀損するような行為さえ、それを殊更に好んで手を染めようと企てる人々が少なからず存在するという事実は、私の心を慄然とさせる。

 例えば怨恨や情痴が殺害の理由ならば、未だ私の精神は辛うじて救われるのかも知れない。恨みに基づいて人を殺すという行為自体は嘔気を催すほど陰惨だが、そこには人間の感情に深く結び付いた「物語」の効果が介入している。その物語の効果が、良くも悪くも「感情移入」や「共感」の働きが関与してくることを許容するのである。然し、それらの罪悪が純然たる快楽に基づいていたり、或いは完全な罪悪感の欠如に基づく「軽率さ」の所産であるという話になると、私は棒立ちの状態に追い込まれずにはいられない。特別な理由も持たずに、愉悦的に、或いは全く自動的に成し遂げられる重大な「罪悪」という観念は、人間性に対する素朴で基本的な信頼を粉微塵に打ち砕いてしまう。

 本質的な意味で邪悪な犯罪は、そもそも「罪悪」という観念そのものに対する否定や排撃として構造化されているのではないだろうか。悪いことだとは分かっているが、詮無い事情に衝き動かされて止むを得ず罪人となった、という筋書きならば、それは結局のところ「罪悪という物語」の枠組みを超越するものではない。だが、罪悪そのものの否定が根底的に介在しているのであれば、それは「罪悪」という人間性の内奥に関わる理念を踏み躙っているということになり、一挙に事態は錯綜を極める。罪悪の意識を持たずに罪悪を犯す人間という造形は、奇妙な矛盾を孕んでいるように見えるかも知れないが、当人の内面においては何も複雑ではなく、飽く迄も自然な仕方で「道理」が成り立っているのである。

 何を「罪悪」と看做すか、或いはそもそも「罪悪とは何か」という議論が、人間の社会性や公共性を成立させ、維持していく上で不可欠の手続きであることは明白な事実である。それは裏返して言えば「正義とは何か」という問いに立ち向かうことであり、良くも悪くも人間の言動を制約する「規矩」に就いて、その必要性を承認するということである。そうした基盤自体が済崩しに蹂躙されてしまえば、私たちはもっと根源的で致命的な「問い」の深淵に沈み込んでいくことになる。そもそも「人間」とは何なのか、という根源的な問いが、私たちの精神を呪縛し、日常的な安定性に亀裂を走らせる。何もかもが、束の間の約束事のように頼りなく、危うく感じられるようになる。抑えつけられていた不安や悲観が露わに噴出する。だからこそ私は、罪悪という問題に抗い難く関心を惹き付けられてしまうのかも知れない。

 世界中で惨たらしい罪悪が繰り返され、積み重ねられ、寧ろそうした禍々しい出来事の連なりが何故、世界の総てを覆い尽くしてしまわないのか、不思議に思うほどだが、そもそも「罪悪」という観念は何処で生まれたのだろうか。何が「悪い」のか、そもそも「悪い」とは何を意味する言葉なのか。それらの問いに、通俗的な一般論で報いることは容易いが、敢えて「罪悪とは何か」を考究するということは、そのような一般論では拾い集めることも掬い上げることも出来ない真実の断片を求めることであろう。

 所謂「罪悪」に共通する性質として差し当たり、それは「他者を毀損する事象」である、という命題を挙げることは出来る。だが、これだけでは少しも視界は明るくならないし、問い掛けの次数が繰り上がることもない。他者を毀損するとは、如何なる事態を意味するのか、という問いは少しも解決されていないからである。他者の自由や権利を侵犯すること、と言い直せば、多少は見通しが立つだろうか。もっと言い換えれば、それは他者の「欲望」を妨げること、他者の「願い」を打ち砕くこと、他者の「尊厳」を踏み躙ることであろう。抽象的な言い方を用いるならば、罪悪とは即ち「他者を否定すること」である。このように性急な断定を下したとき、私の眼には如何なる風景が映じるだろうか。

 具体的な人物でも、場合によっては無生物や、天候のような自然現象まで含めてもいいが、そういった自分の外部に存在する「他者」、つまり自分の恣意的な判断や裁定に従属することのない「他者性」のようなものを否定することは、根源的な「罪悪」の特質である。無論、ここまで議論を抽象的な次元に移行させてしまうと、例えば法律的な意味での罪悪としての「犯罪」に就いて、何らかの建設的な見解を提示することは出来なくなる。だが、先ずは法律的な次元における罪悪の意義や要件を考察する前に、根源的な「罪悪」に就いての省察を積み重ねていかなければ、法律的な次元における「犯罪」に関しても、有効な議論を構築することは出来ないだろう。

 法律に先行して存在する人間の言動の「規矩」に名前を授けるとするならば、それは当然のことながら「倫理」というものになるだろう。倫理的な諸観念が全く存在しないところで「法律」の必要性が訴えられる見込みは限りなく皆無に等しい。人間の精神と存在を呪縛する見えない律法、暗黙裡に感受される曖昧な薄明のような規範の観念が認知されない限り、具体的で個別的な法律の建築が人々によって求められることはない。

 倫理という言葉の意味を定義するのは、罪悪という言葉の意味を定義するのと同じくらい困難である。それは道徳や法律といった社会的な観念と深い関わりを持っているが、だからと言って「倫理」という概念そのものを社会的=歴史的な慣例と同一視するのは望ましい態度ではない。何故なら「倫理」という観念は、特定の地域や共同体によって制約される何らかの規範を指しているのではなく、人間という生物学的な種族の総てに共通する普遍的な規範の萌芽として理解されるべきものであるからだ。少なくとも、私はそういった意図で「倫理」という言葉を用いたいと考えている。

 何を悪と看做し、何を罪と呼ぶか、それは人々が所属する社会や組織の性質に応じて幾らでも変化するものだという凡庸な相対主義は、確かに私たちの精神に頑迷に付着した雑多な偏見や固陋な先入観を漂白する上では有効な薬剤であるが、そもそも人間が何かを「罪悪」として位置付ける仕組みそのものを考察するに当たっては、大した有効性を発揮しない。何が悪なのか、という個別的な問いと、そもそも「悪」とは何なのか、という根源的な問いを混同してはならない。

 私たちが何かを「罪悪」として定義するときの普遍的な基準(それは必然的に抽象的な理念として表明されざるを得ない)が、「倫理」の観点に基づいて論じられるべき課題である。そして私は「他者性の否定」という至極曖昧な文言を、倫理的な基準として仮説的に示してみた。

 他者を否定するということは、他者を批判することとは違う。他者の見解を批判することは、それが穏健で誠実な作法に則って行われるのならば、寧ろ積極的に推進されるべき社会的な権利であるとさえ言い得る。しかし、他者性の否定は、そうした誠実な批判の成立する基盤すら破壊してしまう、根本的な「罪悪」である。他者性への怨嗟、つまり自己の恣意に従うことのない外在的な事物の孕んでいる特性を憎むことは、人間が犯す最も恥ずべき過ちである。無論、こうした意味での「罪悪」から完全に解放されることは、生身の人間にとっては極めて困難な責務であるが、実行が困難であるからと言って、目指すべき理想が直ちにその意義と価値を喪失するということにはならないだろう。

 他者の意見を批判することは健全な活動だが、他者の意見を拒絶したり黙殺したりすることは、人間として誠実な姿勢であるとは言い難い。同様に、気に入らない人間に暴行を加えたり、嫌がる人間を無理に押さえ付けて強姦に及んだりすることも、他者性の否定という罪悪の条件を満たしており、従って倫理的な観点から厳粛に批判されるべきである。だが、殺人者にも強姦者にも一定の人権を認める必要があるということも、同じく倫理的な観点から眺めれば、妥当な認識である。

 自分の意に染まぬ人間を否定しないこと、これが倫理的な価値の根源的なものである。無論、こうした倫理的な正しさが、生身の人間の実存と必ずしも親和性の高いものであるとは言い難いことも事実である。だが同時に、それゆえに倫理的な指標が、私たちの実存に対して健全な指導力を発揮するのだと言い直すことも可能なのだ。自分の意に染まぬ人間を否定する野蛮さは、根源的な「罪悪」の特質である。何もかも自分の思った通りに動いてくれなければ許せないという偏狭な精神は、典型的な「罪悪」の症候である。野蛮であるということは、言い換えれば「罪悪」の観念に囚われないということだ。「罪悪」の観念を保有しないということだ。こうした「野蛮」の風潮が、多くの国家で堂々と表明され、正義の仮面を被って練り歩いている現代の風景は、根源的な意味で「罪深い」眺望である。

 

自由論 (光文社古典新訳文庫)

自由論 (光文社古典新訳文庫)

 

 

「個人的な辞書」に就いて

 生きることは思い出すことに似ている。生きているだけで人間の頭脳には重油のように記憶が溜まり、時に醗酵し、時に蒸発する。生きることは記憶を積み重ね、その網目を複雑な紋様にまで高めていくことだ。そうやって人間は生きることに慣れ親しんでいき、一定の閾値を超えると、そこから様々な見解や教訓を汲み取り始めるようになる。それを「成熟」と呼び習わすのは容易いことだが、果たして複雑に入り組んだ記憶の網目、即ち「意味」の網目が人間を幸福な状態へ導いてくれるかどうかは、心許ない話である。

 生きることは個人的な辞書を作り上げ、絶えず編纂し続ける長大な営みであると、或る角度からは定義出来るのではないだろうか。日々、様々な経験を味わい、その経験に触発されて真っ当な「思索」とは呼び難い、索然たる想念の回遊のような現象の渦中に精神の翼を翻し、少しずつ自分なりの小さな「結論」の数を増やしていく。知らなかったことに就いて学び、出来事から何らかの断片的な真理を引き出し、そうやって私たちは徐々に「生きること」に関する厖大な知識の集積の中へ足を踏み入れていくのだ。それが生きることの姿であると定義するのは、それほど強引な断定ではない筈だ。

 無論、その「個人的な辞書」における語釈は日々の経験に応じて絶えず書き替えられ、様々な角度から更新され、時には全く正反対の定義を受け容れるように転換する場合もあるだろう。そうやって私たちは少しずつ「辞書」の精度を高めている積りになる訳だが、それが正常な成長であると断言し得る根拠は何処にも存在していない。それが実存的な「自由」に課せられた、否が応でも承認せざるを得ない性質の宿命である。

 例えば「子供」に関する個人的な語釈は、実際に血の繋がった子供を持った後と、それ以前とでは、相互に比較すれば絶対に様変わりせざるを得ないだろう。或いは、生まれたばかりの脆弱な乳児の段階と、大学受験を間近に控えた思春期の終局の段階とでは「子供」に関する語釈は根本的に改訂されているに違いない。同時にそれは「親」に関する個人的語釈の頻繁な上書きの過程でもある。「子供」に関する語釈の訂正と「親」に関する語釈の訂正は常に繋がり合い、相互に働きかけ合っているのだ。

 考えることは、個人的な辞書の編輯に似ている。死ぬまで私たちは、そうやって書き替え続ける。徐々に老齢の徴候を纏い始めるうちに頭が固くなり、若い頃のように目上の人間の意向で右から左へ引き摺り回されることも珍しくなり、やがて生活の範囲が保守的な固着を示すようになれば、そうした語釈の変更は無益な徒労のように見え始めるかも知れない。それこそが本当の意味で「老化」の始まりなのだと、今の段階で、つまり三十一歳の段階で定義することは可能であり、自由であるが、その定義も明日の晩には百八十度、覆されているかも知れない。それが人生の基本的な風景なのだと思う。死ぬまで同じ一つの理想や信念に殉ずるのも美しいかも知れないが、転向や変節を厳しく断罪するのは、人間という生き物には余り相応しくない廉潔な習慣であると、私は考える。

 こうやって不透明な文章を書き綴りながら、今も私は新たな「語釈」を生み出し、自分の窮屈な頭の中身を整理することに不可解な情熱を燃え上がらせている。私はあらゆる事物に関して何らかの考えや意見を持ち、それを自分の言葉で表明し、説明し得る人間になりたいと思う。別に、周りから賢明な人間であると思われたいという浅ましい虚栄心に私が囚われていることが、その理由の総てという訳ではない。折角生まれてきた以上は、成る可くなら色々な「現実」に就いて知っておきたいと、貪婪で吝嗇な精神に魂を蝕まれているだけの話である。本を読む習慣というのも畢竟、そういう下世話な欲望に教唆されていることの証明に他ならないだろう。自分の知らない世界に就いて、何らかの知識を獲得したいと願うのは自然な好奇心の所産だが、同時にそれが噂話に興じたがる人間の卑しい根性と結び付いていることも端的な事実である。

 だが、知識は他者と結び付く上で重要な架け橋となるし、世界を知ることは他者を知ることと切り離し難い。多くの語釈を積み重ねていくことは、それだけ世界に接近し、越えられない壁を突き崩していくことと同義なのだ。折り重なった想い出から導き出された一縷の「意味」が、他人の強張った心を押し開く有効な手段として働くこともある。そう考えるならば、地道な「編輯」の営為は、共感という崇高な奇蹟に向かって投じられた錨のように美しく、大切である。

「孤独」に就いて

 世の中には「孤独を懼れるな」という激励に満ちた言説が飛び交っている。実際、孤独そのものを懼れても無益であることは確かな事実であり、多かれ少なかれ、人間が孤独という止むを得ない状況に呑み込まれることは少しも奇態な現実ではないと言うべきだろう。だが、不用意に長引き、蓄積された「孤独」が齎す害毒に就いても、私たちは慎重な検討を加えるべきであると思う。

 例えば「金さえあれば幸福であるとは限らない」という命題と「金さえあれば陥らずに済む不幸というものが存在する」という命題は矛盾せず、両立させることが出来る。同じように「孤独であるから不幸であるとは限らない」という命題は「孤独である為に惹き起こされる不幸というものが存在する」という命題と背反しない。

 何れの場合にも「金」や「孤独」そのものは純粋で透明な記号のようなものであり、ただそれに附随する現象が多様であるという結論が得られるだけに過ぎない。それ自体の善悪を論じることは無益であり、重要なのはそこから派生する諸問題に就いて公正な検討と考察を加えることである。

 そもそも「孤独」とは何なのか。素朴に考えれば、それは人間が周囲から切り離された状態にあるということを指し示している。だが、本当に重要なのは、そこから導き出される種々の奇怪な現象の方だ。「孤独」そのものを客観的に定義しようと試みても無益である。

 「孤独」は、個人が「自己対話」に充当する時間や労力や頻度を増大させる。人間はたとえ絶海の孤島に追い遣られても、何らかのコミュニケーションを必要とするからである。無論、生まれて死ぬまで一切の生身の「他者」を知らなければ、その人間は言語という極めて人間的な媒体を用いることが出来ないので、その対話は非常に内容の貧しいものとなるかも知れない。だが、言葉を知らないとしても、何らかのプリミティブな「自己対話」が生じることは恐らく確実であろうと思われる。

 自己との深甚な対話が、人間の精神的な成長と発展に不可欠なプロセスであることは言うまでもない。だが、自己対話だけを頼りに、この錯綜した世界を渡り歩いていくのは決して素晴らしく賢明な態度であるとは言い難い。自己自身との語らいが新たな発見によって人間を成熟させるのと同じく、他者との対話を通じて初めて切り拓かれる知見というものが、この世界には存在している。言い換えれば、閉鎖された自己対話は時に外在的な現実との摩擦を失って、奇妙に抽象的な幻想として膨張する場合がある。それは他者とのコミュニケーションの回路さえ通じていれば容易く踏み破られる筈の幻想であることが多い。他者、或いは自己の絶対的な「外部」の存在は、私たちの内面に蟠る「自己対話」の独特な分泌物に宛がわれる頑丈な「鑢」のようなものである。その「鑢」によって簡単に削り取られてしまう汚穢の中には、自己対話の閉鎖性が齎した「澱」のようなものが多分に含まれている。

 そうした「孤独ゆえの盲目」が齎す種々の害毒は、どうしても他者との具体的な、生き血の通った邂逅を経由しない限り、解毒され得ないと私は考える。私たちは自己対話による精神の厳格な「鍛造」を繰り返すことで、他者の眼差しを想像的な仕方で自己の内部に転写する力を獲得するが、それを純粋に自己の知見の内部から、いわば「演繹」のような手順で完全に導き出すことは不可能である。私たちの想像力が生み出す「他者」の内的な形象は、私たち自身の内面性の質的な限界によって、その輪郭や射程を制限されている。私たちが、そうした内面性の質的な限界を拡張していく為には、所謂「他者性の経験」が最も合理的で有効な材料となる。他者を知ることで押し開かれる「私」の広漠とした領域は、閉鎖的な純然たる自己対話が耕し得る農地よりも遥かに果てしない。

 他方、孤独が齎す「盲目」は、孤独が齎す「明視」と裏腹の関係に置かれている。私たちは容易く「他者の知見」の茫洋たる海原に溺れて、私自身の「思考」や「信念」を見失ってしまうことが出来る生き物なのだ。孤独ゆえに「盲目」が齎す夥しい数の「死角」を懼れる余り、私たちは一般的な常識と称される諸々の知見の渦中へ飛び込んでいくことがある。それによって私たちは社会的な通念との間に親密な「癒合」の関係を築き、パブリックなものに総身を支配されるような境涯へ移行する。そのとき、漸く私たちは「孤独が齎す明視」の畏怖すべき威力の意義と価値を、生々しく理解する準備を卒えるのだ。

 孤独が齎す「明視」とは何か? 孤独な状態に立ち戻ることで辛うじて獲得される、貴重な知見の正体とは何なのか? 私たちは常に社会的な圧力に平伏することを命じられながら生活している。その生活が幸福であろうと不幸であろうと、そこには社会的通念という極めて強力な宗教的理念が介在している。その強固な教義に抗うことは時に危険であり、退屈であり、何よりも先ず「孤独」である。だが、その「孤独」だけが孕み得る叡智のようなものが存在することを考慮するならば、私たちが「孤独」に対して過大な不安と悲観を覚え続けるのは、生産的な態度であるとは言えない。

 これらの両義性を、どのように制御すればいいのだろうか? 「孤独」は人間の精神を閉鎖的な腐敗の中に追い遣ることも出来るし、或いは蒸留された純粋のアルコールのように美しく透き通った「認識」を形成することも出来る。孤独が齎す淋しさが、人間の精神をずたずたに引き裂いてしまうこともあれば、寧ろそれだけが傷ついた精神の発熱を鎮める為の「妙薬」として働き得る局面も存在するだろう。

 良くも悪くも人間は孤独である。だが、私たちは束の間であっても、誰かと何かを分かち合い、共有することによって、孤独が分泌する根源的な「疼痛」を忘れ去ることが出来る。それは孤独という人間の生得的な本性を隠蔽する、赦し難い「欺瞞」であろうか? いや、そんなことはないし、そんな考え方は健全ではないと、私は訴えたい。私たちは「共有」と「交通」の欲望に絶えず駆り立てられ、それらの理念に奉仕する為に与えられた命を死ぬまで削り続けているのだ。

「プライド」に就いて

 「自信を持てない人ほど、プライドが高くなる」というのが私の個人的な見解である。自信というのは文字通り「自分で自分を信じること」を意味するが、自分で自分を信じられない性格の人間は往々にして「他人の評価に基づいて自分自身を信頼する」という迂遠な経路を辿った上で、己の実存を支えようとする傾向にある。

 何故、自分に自信が持てないのか、という問題は一旦解き始めると奥行きがあって、なかなかに厄介である。その根本には「自己否定」という精神的な様態が根深く横たわっている。自己を肯定し難いものとして捉える主体にとって、自己に対する信頼というものが不可解な謬見のように感じられるのは、自然な成り行きであろう。

 だが、自己を肯定しない限り、あらゆる問題が複雑に捻じ曲がっていくことは経験的な真理である。もっと根本的なことを言えば、自己を肯定出来ないのならば自ら死ぬより他に途はない。自己の存在を否定するという精神的秩序の物理的な表現は、言うまでもなく「自殺」である。極限まで自己否定の傾向が強まれば、自分が生きていることの意義は見失われてしまい、死なない理由が消滅してしまう。

 けれども、そこまで症状が悪化しない場合には、自己否定の精神は奇妙な迂回路を経由することになる。プライド(pride)という言葉は「自尊心」という日本語に翻訳されることが多いが、その字面は必ずしも精確な表現であるとは言い難い。何故なら、プライドの根本には「自己を尊重出来ない」という精神的構造が存在しているからである。それが結果として「他者の評価に対する過剰な依存」を形成することになる。

 プライドは他者の評価を通じて自己を承認するという迂回路を経由する。無論、そのこと自体は社会的な枠組みとして取り立てて不自然でも、病的でもない。だが、他者の評価に対する過剰な依存は「自己評価」という最も重要な機軸を衰弱させ、場合によっては崩壊させる。自己評価が、あらゆる人生の基礎的な枠組みであることを、私たちは忘却すべきではない。自己評価の存在しない、或いは存在しても極めて脆弱であるような精神的領域に「他者の評価」を持ち込めば、秩序が崩壊することは眼に見えている。生きていく上では先ず、自分自身の「意見」や「思想」を構築することが肝要である。その基本的な営為が不全である状態で他者の意見に耳を傾けても、人間の精神は極度の混乱に陥って痛々しいほどに衰弱するばかりである。

 プライドの高い人間は、自分自身に対する他者の評価に就いて、異様に敏感である。どれほど高慢な振舞いが目立つ人間であっても、その自己評価が「他者の意見」に著しく依存している限り、彼らは極めて容易に絶望するし、不安になる。他者の評価が総てであるならば、他者に嫌われるということは直ちに社会的な致命傷として認知される。この息苦しい牢獄が実存的な意欲を劇しく減殺することは無論である。

 プライドの高い人間は常に「自分のことを他人がどのように評価しているか」という問題に異常な執着を示し続けるが、それは彼らが「他人の評価」だけを自らの実存を支配する絶対的な基準として認識しているからである。言い換えれば、彼らは「他人の評価」を「自己評価」よりも遥かに優越させている。それが「自信を持つこと」と最も対蹠的な振舞いであることは論を俟たない。自信家は、他人の意見に耳を傾けたとしても、それが所詮は「他人の意見」であって、自分自身の人生に対する直接的な支配者の見解ではないという素朴な事実に絶えず同意している。自信家は「他人の意見」に基づいて自分の人生に関する重要な決定を下すという奇妙な習慣に対して、関心を寄せることがない。彼らは「自他」の境界線を明瞭に認識しており、従って「自立」という原理が実存の基盤として働いている。だが、プライドの高い人間にとって「彼我」の境界線は常に曖昧である。彼らは「他人の評価」を「自己評価」と混同するという幼稚な愚挙から遁走する術を持ち合わせていない。それが総ての悲劇の始まりである。