サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「断片化」としての小説(カフカの「中断」、メルヴィルの「集積」) 1

 池内紀の編輯した「カフカ短篇集」(岩波文庫)を読了した。覚書を認めておきたい。

 フランツ・カフカの小説を読むとき、読者は必然的に作品の「完結」に就いての思索に導き入れられることになる。単に彼の遺した三つの長篇小説(「失踪者」「審判」「城」)が何れも未完に終わっているという事実だけを論拠に選んだ訳ではない。彼の小説は、完成した作品として公表されたものであっても、未完の作品のような外貌を留めているのである。例えば長篇小説「失踪者」の第一章として執筆され、独立した短篇の状態で公表された「火夫」という作品は、確かに唐突な断絶によって締め括られているように感じられるが、カフカの他の作品と並べて読み比べたとき、その中途半端な断絶が特異な印象を齎さないことに読者は気付くだろう。彼の作品において、果たして「完結」という一般的な、至極明瞭な概念が、重要な意義を担っていたかどうかは疑わしい。彼が「完結」という観念を重要視していたのかどうか、もっと言えば「未完」と看做される三つの長篇小説が本当に「未完」であったと断定し得るのか、その作風を鑑みる限りでは、具体的な結論に到達することは困難であるように感じられる。

 先日の投稿記事で書いた内容と重複する部分があるが、そもそも、カフカの作品というのは、抽象的な観念を徹底して排除することによって、独特の質感を生み出していくという特徴を有している(無論、これは私見であって、実証的な根拠がある訳ではない)。繰り返しになるが、例えば「中年のひとり者ブルームフェルト」という作品は、主人公であるブルームフェルトの自宅に突如として出現した奇妙なボールの話から始まり、そのボールの正体や行方が語られる前に、全く別の話柄に逸れた状態のままで、呆気なく終幕を迎えてしまう。この作品も、見方によっては「未完の長篇小説」として捉えることが充分に可能であると私は思う(尤も、訳者が纏めた簡潔な書誌に従えば、この短篇はカフカが焼却を希望した「遺稿」の中から、著名な友人であるマックス・ブロートが拾い上げて編輯したものであるらしいから、そもそも「完結した作品」であると著者本人が看做していたかどうかは判然としない)。この「ボールの正体が一向に語られないまま終わる」という作品の性質が、如何にもカフカ的な「不条理」や「夢」の質感を醸成している訳だが、言い換えればカフカにとって「未完」或いは「物語の唐突な中断」という作品の状態は、単なる失敗や挫折の所産ではなく、カフカ自身によって意図的に選択された文学的な技法の一種なのではないか、という風に捉えることも可能であるように私は考える。

 このブログでは、過去に幾度も「小説とは何か」という難問に就いて、禅問答の如く要領を得ない迂遠な文章を投稿しているが、その中で私は「小説」の本質を「断片性」という手作りの不恰好な概念に求めたことがある。自分で拵えておきながら、その概念の定義を明晰な言葉で説明し尽くす自信が持てないのは恥ずかしい限りだが、どうか辛抱して耳を傾けてもらいたい。小説というのは、物語に対する批判的な眼差しを含んで、物語から分化してきたものであると推察される近代的様式であるが、そのとき「小説」が批判の対象に据えるのは「物語の単一的な性格」である。私は別の記事でそれを「単一的なロゴス」と呼んだ。物語というのは、単なる出来事の継時的な記述の総体ではなく、そこには必ず複雑に生起する諸々の出来事を俯瞰し、理路整然と纏め上げるような「ロゴス」が介入している。別の言葉を用いれば「イデオロギー」であり「テーマ」であり「パースペクティブ」である。

 「物語」が、種々の雑駁な出来事を或る基準に基づいて整理し、編輯する為の「装置」であるという考え方には、多くの賛同が得られるのではないかと思う。だが「小説」は「物語」を支配し、覆い尽くす「ロゴス」の単一性に劇しい苛立ちを覚える精神の産物である。従って両者は表面的な類似の甚だしさにも拘らず、別種の原理によって駆動される芸術的様式(尤も、それは単に芸術的な問題に留まらない。それは極めて政治的な問題であり、同時に哲学的な問題である)として区別されるべき代物である。小説的な精神は、物語を覆い尽くすロゴスの単一性と格闘し、それに叛逆し、世界の本来的な多様性を取り戻すことを企図する。それが小説的な意味での「リアリズム」であり、その本義は「世界の多様性を開示すること」に存する。所謂、卑俗な意味での「リアリズム」=「写実主義」は、単なる技巧の時代的な潮流の一種に過ぎない。

 小説的なリアリズムは、物語的なロマンティシズム(それは「ロゴスの単一性」を自らの成立の不可避的な要件としている)に対する叛逆の意識によって醸成される。そうした観点から、個々の文学作品を眺めたとき、「小説」が実際に選択し得る「格闘の形式」は極めて多種多彩であることに、読者は気付くだろう。その選択が備えている独特の様式が、小説家の独創性を形成する重要な枢軸なのである。

カフカ短篇集 (岩波文庫)

カフカ短篇集 (岩波文庫)

 

 

夢に似た捩れ 「カフカ短篇集」を巡る雑録

 最近、ドイツ文学者の池内紀氏が翻訳と編纂を担った「カフカ短篇集」(岩波文庫)を少しずつ読んでいる。淡々とした筆致で、波瀾万丈の壮大な物語とは程遠い、素描のような掌編が並んでいる。どれも独特の味わいがあり、不気味さと諧謔とシニカルな省察が緊密な文章によって丁寧且つ滑らかに結び合わされ、なかなか面白い。

 無論、私が「なかなか面白い」などと評するのも烏滸がましいほど、フランツ・カフカの遺した小説たちは、破格の巨大な栄光に包まれた二十世紀文学の古典であり、その作品に就いては夥しい量の論文が過去に綴られ、今もその総量は果てしない膨張の過程を持続している。私が思いついたようなことは何もかも予め、この地上の何処かの書物や電子的な画面の片隅に書き込まれているに違いない。だが、他人の感想は飽く迄も他人の感想であって、私の感想ではない。それらが綺麗に重なり合っていたとしても、私自身の言葉で、私自身の感想を具体的な備忘録として書き表しておくことには、個人的な意義が存する。

 カフカの小説が「夢の世界」に呑み込まれるような感触を備えていることは、多くの評者によっても、市井の読者によっても繰り返し指摘されてきた。無論、カフカの様々な小説を一括りにして「夢の形式」などという便利な観念的ラベリングで片付けてしまうのは、誠実な読者の振舞いではないことに留意すべきだろう(例えば長篇「失踪者」の第一章に当たる短篇「火夫」などは、熟練の筆致で紡がれた良質なリアリズム小説の外観を堂々と鎧っている)。彼の遺した奇妙な小説の群れが、結果的に「夢の世界」に近似した世界観を含んでいるとしても、それは作家の夢見がちな性格を立証するものではない。カフカは決して「夢の世界」の文学的な再現の作業に過大な野心を燃え上がらせていた訳ではないだろう。一読すれば歴然としているが、彼の文章は極めて簡潔で、抽象的なものや観念的なものの茫洋たる拡張や氾濫とは対蹠的な性質を孕んでいる。つまり、現実から乖離した奇矯な「夢想」の断片を放縦に繋ぎ合わせている訳ではないのだ。寧ろ、彼は飽く迄も「事物」の現前する諸相に対して、極めて忠実な記述を貫徹している。但し、誤解を避ける為に敢えて附言すれば、それは精細な写実的表現の徹底を意味するものではない。唯物論的なリアリズムが、カフカの作品の普遍的な特質であると言いたい訳でもない。彼の筆致は常に簡明で、曖昧模糊たる抽象的表現を小刀で削り落としたように排除している。しかも、その作品は自由自在に動き回り、決して特定の明瞭な主題に向かって収束しようとは企てない。例えば本書に収録されている「中年のひとり者ブルームフェルト」という作品は、奇妙な二組のボールの話から始まり、職場におけるブルームフェルトの不満の描写で唐突に幕が引かれる。最初に登場する奇妙なボールが何だったのか、結局どうなったのか、具体的な説明は何も与えられないままに終幕を迎えるのである。曰くありげなボールの文学的な意義に就いて、読者は様々に憶測を組み立てることが出来るだろう。しかし、それらの憶測に具体的で明確な論拠を附与することは、作品の忠実な読者である限りは殆ど不可能に等しい。

 主題の不在と、簡明な筆致。これら二つの要素は何れも、カフカの作品から一切の観念性や抽象性を追放しているように見える。それが結果として「夢の世界」の感触を齎すことになる理由に就いては、批評家の柄谷行人氏が、初期の評論の中で明晰な解釈を提示している。カフカの作品は「意味という病」(©柄谷行人)に対する徹底的な逸脱の運動性を抱懐している。それは「物語ること」の純粋な運動性を鮮やかに浮かび上がらせるということだ。フランツ・カフカの文学に対する無限の「解釈可能性」は、あらゆる解釈を排斥し、峻拒する作品そのものの純粋な強度に由来しているのである。

カフカ短篇集 (岩波文庫)

カフカ短篇集 (岩波文庫)

 
畏怖する人間 (講談社文芸文庫)

畏怖する人間 (講談社文芸文庫)

 
意味という病 (講談社文芸文庫)

意味という病 (講談社文芸文庫)

 

 

虚実の迷宮 ウンベルト・エーコ「バウドリーノ」に就いて

 ウンベルト・エーコの『バウドリーノ』(岩波文庫)は、ヨーロッパの歴史や思想に関する該博な知識を素材として組み立てられた奇想天外な冒険活劇である。この小説の奥深い含蓄を、西洋の文化に余り馴染んでいるとは言い難い私のような人間が精確に理解することは難しい。作中には夥しい神学的議論の記述が織り込まれているが、それが恐らくは一種の「諧謔」を含んでいるであろうことは想像に難くない。

 そもそも稀代の嘘吐きとして設定され、終盤では自ら郷里の聖人の如く、世人の尊崇を集める宗教的行者を装う主人公バウドリーノの存在自体が、破天荒な「奇想」の系譜に彩られている。この作品が「中世騎士物語の破天荒なパロディ」(河島英昭の惹句)なのかを判断する材料も基準も生憎、私は持ち合わせていないが、尤もらしい深刻な物語を嘲笑するように語られる、事実と虚構の境目すら判然としない荒唐無稽の世界に、私は夏目漱石の「吾輩は猫である」を想起した。この作品を、写実的な彩りを施された「リアリズム」の小説として捉える純朴な読者は恐らく存在しないだろう。普通、リアリズムを志向する物語は、具体的な語り手の存在を消去することで、語られる内容の迫真性を読者に信頼させようと試みる。だが、そもそもビザンツ帝国の高官ニケタスにバウドリーノが語って聞かせた数奇な体験談という体裁を取っている本作においては、そうした近代的なリアリズムの作法は積極的に棄却されていると言えるだろう。

 ヨーロッパにおける様々な史実や伝承を混ぜ合わせて仕立てられた、この幾らか衒学的な物語には、無数の解釈と味読を許容するポイントが楔のように打ち込まれている。それは漱石の「吾輩は猫である」が極めて日本的な現実と史実に基づいた含蓄の魅力によって読者を眩惑するのと同質の文学的「装置」である。言い換えれば、この作品は奇想天外な冒険譚として構築されているけれども、単なる冒険譚として理解され、鑑賞される為に存在している訳ではないということだ。その意味で、この小説を万人に向けて開かれた普遍的な作品として、つまり地理的=歴史的条件を超越した作品として定義するのは適切な判断ではないだろう。作者は極めて厳格に、そして意地悪な態度で読者を選別し、その資格を査定しているように感じられる。この作品を愉しむ為には西洋の史実と伝承に関する該博な知識が要求される。特に中世ヨーロッパという奇想天外な世界に対する熱烈な関心の所有者にとっては、エーコの紡ぎ出す滑稽で奔放な冒険譚は壮大な「奇想」の展示場のように感じられるのではないだろうか。

 メルヴィルの「白鯨」を読んだときにも改めて感じたことだが、世の中に流布している「小説」に就いてのイメージは案外平板で、固陋な偏見を身に纏っている。巧みに構成された筋書き、精彩を放つ登場人物たち、流麗な文章、こうした要素の適切な配合が、優れた小説を成立させる為の主要な条件であるという素朴な信仰は、私たちの凡庸な精神に深々と突き刺さり、浸透している。だが、この「バウドリーノ」は精密に構築された美しい冒険譚に自らを擬する欲望とは無縁である。皇帝フリードリヒの死の真相を巡る終盤の種明かしなど、推理小説としては明らかに失格の部類に属するだろう。無論、これは「バウドリーノ」の瑕疵を指摘する為に言うのではなく、飽く迄も作者の関心が巧緻なリアリズムには存しないことを例証する為である。

 この作品には、中世ヨーロッパの人々が作り上げた多様な「世界観」の内実が詳細に書き込まれている。その筆頭がプレスター・ジョンの伝説であることは言うまでもないが、その他にも無数の奇怪な生物の描写などに、当時の人々の想像力が具体的な痕跡として反映されている。言い換えれば、この作品は中世的な幻想の「宝物庫」として玩味されるべきものなのである。恐らくプレスター・ジョンの伝説に対する西洋人の歴史的な情熱を肌身に感じた上で「バウドリーノ」を繙くだけでも、その文学的な愉楽は大幅に高められるだろう。織り込まれた数多の神学的議論も、キリスト教の風土の中で生まれ育った人々の耳には愉快で滑稽な諷刺のように響くのかも知れない。

 プレスター・ジョンの数奇な伝承は、史実においても、十字軍の情熱を限界まで高揚させる突飛な妙薬の役割を果たしている。その意味では、プレスター・ジョンの伝承は一つの集合的な「真実」である。それは例えば浄土宗の信仰において阿弥陀如来西方浄土が夢見られたのと同じ現象である。私たちの主観は、一般的に信じられているほど厳密な実証科学の原則に忠実ではない。アメリカのジャーナリズムを「もう一つの事実」(Alternative Fact)という突拍子もない妄言が賑わせたように、私たちの内的な真実は極めて曖昧な「虚実の皮膜」によって形作られているのだ。何処までが「事実」で、何処までが「空想」に過ぎないのかという問題は、素朴に考えられているほど判定の容易な案件ではない。私たちは中世のヨーロッパ人が懐いた「司祭ヨハネの王国」のイメージを、荒唐無稽の非常識な「妄想」として排斥する資格も権限も有していない。彼らの妄想は中世的な要素に装飾されているけれども、そうした「妄想」に対する集合的な信憑は決して中世という時代に固有の疾病ではない。インターネットが発達し、様々な情報に触れることが容易になった現代において、寧ろ「虚実の皮膜」の曖昧さは加速度的に強まっている。科学技術の潤沢な恩恵に与っているにも拘らず、二十一世紀の私たち人類は少しも進歩していないのである。 

バウドリーノ(上) (岩波文庫)

バウドリーノ(上) (岩波文庫)

 
バウドリーノ(下) (岩波文庫)

バウドリーノ(下) (岩波文庫)

 

 

「意味」からの遁走 中上健次に就いて 4

 「枯木灘」という作品が、主観的な抒情性の閉域を打破する為の企てを含んでいると考えられることに就いては既に述べたが、その目論見が十全に成功しているとは言い難い。少なくとも作者は「枯木灘」の緊密な出来栄えに最終的な結論を見出したとは考えていなかっただろう。

 紀州三部作の掉尾を飾る「地の果て 至上の時」においては、前作の「枯木灘」に見られた明確な方向性、つまり竹原秋幸が浜村龍造に対して懐き、徐々に醗酵させていった敵愾心と殺意が、梯子を外されたように曖昧に霞んでいる。「枯木灘」において、秋幸が実父に対して抱懐していた殺意はフーガのように少しずつ高鳴っていき、最終的に幾らか本来の標的から逸れるような形で、或る残虐な暴力的衝動に帰結する。義弟である秀雄の殺害という「事件」は衝動的に惹起された惨劇として描かれているが、その「炸裂」に至るまでの長い緊張の累積が、「枯木灘」という作品の構造を形作る重要な旋律であることは、読者の眼には明らかだろう。その殺意が秀雄そのものではなく、秀雄の背後に存在する実父に向かって醸成された積年の「敵意」の反映であることも、明瞭な文学的事実である。

 そうした「枯木灘」の世界観を踏まえた上で、続編に当たる「地の果て 至上の時」を繙いてみると、読者は奇妙な「肩透かし」の感覚に囚われるのではないだろうか。服役を終えて娑婆へ帰還した竹原秋幸は、嘗ての怨嗟を何処かに置き忘れたように、実父である浜村龍造へ急速に接近していく。無論、昔日の「敵意」が完全に取り除かれた訳ではないが、その思索と行動の原理は露骨な変貌を遂げている。「枯木灘」においては頻繁に登場していた実母や姉の姿が、「地の果て 至上の時」においては遙かなる後景へ退いていることにも、読者は注意を払わずにはいられないだろう。随所に実父への敵意を瞥見し得るとしても、それは義弟の秀雄に向かって炸裂したような明瞭な暴力的衝動とは異質な感情を伴っている。

 「枯木灘」において劇的な暴発に帰結した、秋幸の浜村龍造に対する殺意は、彼の母親であるフサが龍造に対して抱え込んだ憎しみの反映であるように感じられる。言い換えれば、龍造に対する敵意は母親のフサや姉の美恵が中心となって組み立てられた「路地」の原理に身を置くことによって初めて明確な必然性を獲得する。そうした母系的な論理の産物としての「敵意」が「地の果て 至上の時」の世界において、嘗ての緊迫した衝動を失うのは、秋幸が更なる「外部」への移行を成し遂げることを選択した為である。「岬」から「枯木灘」において維持されてきた母系的な構造の優位性は、「地の果て 至上の時」の世界においては脆くも崩れ去ってしまう。それは「路地」という特権的な意味を帯びた領域の物理的な「喪失」と「解体」によって惹起された現象である。「路地」が虐げられた者たちの共同体としての性格を有し、私生児同然の秋幸を包み込む或る「桃源郷」のような役割を担っていたことは明白だが、「地の果て 至上の時」という作品の意図は、そうした母系的な閉鎖性の否定を含んでいるのである。

 如何なる意味でも、中上健次は竹原秋幸に閉鎖的な陶酔の感覚に逼塞することを許容しない。「岬」の静謐な抒情性は「枯木灘」の荒々しい憤怒と殺戮の衝迫に覆され、「地の果て 至上の時」は、そのような明瞭な衝動の正当性そのものを瓦解させる。この絶えざる移動と更新の手続きはそのまま、中上健次における固有の「リアリズム」の深化と発展を意味している。憎むべき宿敵としての実父=悪党という母系的な物語は、「地の果て 至上の時」という世界の中で徹底的に相対化され、その悲劇的な妥当性を剥奪され、最早「父子の相剋」という分かり易い旋律は少しも通用しなくなってしまう。だが、それは秋幸が浜村龍造の派閥へ移行したという端的な筋書きにも帰結しない。秋幸は飽く迄も浜村龍造に対する敵意を持続するし、しかも浜村龍造は息子の攻撃を受ける前に自ら縊死してしまうのである。この奇妙で釈然としない筋書きは「父子の相剋」という母系的な、つまりフサや美恵が望むような物語に対する根源的な抵抗であると同時に、「父子の和解」という如何にも通俗的な幸福に対する峻拒の身振りでもある。この重層的な分裂が、「地の果て 至上の時」という作品の性格を曖昧模糊たる錯綜の只中へ追い遣っていると言える。「地の果て 至上の時」という作品の内部で、竹原秋幸は曖昧且つ無目的な行動の反復を演じている。彼は母系的なものにも父権的なものにも一定の距離を置き、全面的な関与を回避し続ける。その両義的な態度は、何を意味しているのか。確かに言えることはただ、中上健次が「母系的な物語」にも「父権的な物語」にも等しく欺瞞的な幻影の性質を看取しているということだけである。 

岬 (文春文庫 な 4-1)

岬 (文春文庫 な 4-1)

 
枯木灘 (河出文庫)

枯木灘 (河出文庫)

 
地の果て 至上の時 (講談社文芸文庫)

地の果て 至上の時 (講談社文芸文庫)

 

 

「意味」からの遁走 中上健次に就いて 3

 「枯木灘」において試みられた「固有名の導入」という措置は、絶えず「秋幸」との関係性の内部において表出されていた世界の諸相を、主観的な抒情性の閉域から解放する働きを担っている。無論、単に登場人物に「名前」を授けるだけで、主観的な抒情性の閉域が打破される訳ではない。既に述べた通り、登場人物の「命名」が皮相なリアリズムの要求に基づく措置に過ぎないのであれば、つまり私たちの暮らす社会の諸相の端的な「模写」に過ぎないのであれば、「命名」という措置に特別な戦略的意義が宿ることはない。

 物語の位相として「岬」と「枯木灘」との間には時間的な前後関係が存在している。しかし、両者が同一の「世界」を巡って書かれた物語の束であることは明確である。重要なことは、同一の世界が異なる話法と様式を通じて表出されている点に存する。同じ世界の時間的な「続き」を書き表すに当たって、中上健次という作家が選択した「変更」は重要な意義を帯びている。物語を主観的な抒情性の閉域として描き出すことは、多様な読者との間に或る強制的な「共感」の関係性を構築する上では有効な方策である。しかし、そのような「共感」の装置を作動させることは結果的に、中上健次の文学的な意図に背反する事態を齎した。主観的な抒情性は、銘々の固有性に基づいている筈の実存的な多様性を、或る幻想的な同一性の下に集約してしまうことで「共感」という錯覚を生み出す「触媒」の一種である。だが、それは中上健次の描きたかった固有の実存を却って隠蔽してしまうことになる。彼は単に複雑な血縁の問題を通俗的な「共感」の為に剔抉した訳ではない。そのような欺瞞的な仮構は、彼が抱え込んでいた精神的な「深淵」を暴き出すどころか、寧ろ抑圧してしまうのである。口当たりの良い「リアリズム」の欺瞞を破砕する為に、彼は無粋なほどの露骨さで、登場人物たちの「名前」を明示した。その変容の目的は、凡百の文学的リアリストたちのように、独我論的な同一性の紐帯を強化することには存しない。彼が企てたのは、そうした安易な「共感」の紐帯を切断することで、本当に表現したかった事物の諸相を浮き彫りにすることである。言い換えれば、彼は生温い自然主義的なリアリズムを極度に推し進めたのだ。

 明治以来の自然主義的な潮流の罪深い果実としての「私小説」は、身辺の事実を徹底的な詳細さを以て描き出すことに本懐を有した。だが、それが読者との親密な「共感」の相互的関係を作り上げる為の手段であったことは明白であろう。それが露悪的な意図に基づいて書かれ、醜聞に対する関心によって読まれたことを鑑みれば、そのような「私小説」の伝統が完全なる独我論の閉域に自ら逼塞することで、或る狭隘な芸術性を磨き上げたことは疑いを容れない。そして中上健次という作家の個人的な来歴は、そうした「私小説」の伝統的な系譜に連なるのに最も相応しい内実を備えていたと看做すことが出来る。実際、彼が「岬」において試みたことは、自然主義私小説の正統なる後継の風格を鎧っている。「岬」の社会的な成功が、彼に更なる「私小説的技法」の深化と発展を決意させたとしても不思議はない。だが実際には、彼は豊饒な主題を私小説的な様式で描き出すことに限界を見出し、従来の技法に対する叛逆を積極的に企図し、実行に移した。

 「枯木灘」が「岬」の主観的な抒情性から脱却する為には、曖昧な夢想のように描かれていた対象に、明晰な輪郭を授けねばならない。「岬」において陰気な天蓋のように見え隠れしていた「実父」の曖昧模糊たる輪郭を、明瞭な線描に置換せねばならない。「浜村龍造」という男の具体的な実相を徹底的に書き尽くさねばならない。象徴的で間接的な暗示に頼るのは「詩歌」の技法であり、その暗示的な技法が「岬」の抒情性と極めて高度な親和性を有していたことは論を俟たない。言い換えれば、彼は「岬」において「小説らしきもの」を拵えたに過ぎないのだ。そうした抒情性が読者の共感を呼んだとしても、それは中上自身の内在的な問題の解決には少しも貢献しないだろう。漠然と象徴的な暗喩のように「実父」を語るだけでは、そして「実父」に対する凄絶な叛逆としての「近親相姦」を抒情的な絶唱として描くだけでは、根源的な問題は全く揺さ振られないのである。それは結果的に自ら主観的な抒情性の泥濘に留まり、その生温い窒息の感覚に陶酔するような、度し難い退嬰だけを産み落とす。それが目的ならば、その境涯に滞留し続けるのも一つの選択肢には違いない。だが、そのような退嬰は、中上の内的な問題が生み出す疼痛のような衝迫を癒さなかった筈である。

 「枯木灘」という作品は、前作の「岬」に顕著に見出される主観的な抒情性の限界を突破する為に、外在的で客観的な視点の導入に踏み切っている。無論、その物語の過半が、竹原秋幸の視点に依拠して記述されていることは事実である。だが、少なくとも秋幸は「岬」における「彼」のような匿名の存在ではない。言い換えれば「匿名」であることは独我論的装置の円滑な作動を助ける重要な条件なのである。それは如何なる性質の個人的な主観も代入し得る「空席」のようなものだ。それが読者の無責任な「共感」を誘発し、煽動的な仕方で喚起する。そうした曖昧な主観的「空席」を抹殺する為に、「岬」の「彼」は「竹原秋幸」へと書き換えられ、実父には「浜村龍造」という、動かし難い歴史的な固有性が附与される。それらの名前は独我論的な共感の侵入を防ぐ為の「刻印」のようなものである。

 そうした意図は、物語の「内容」の次元においても瞥見し得る。秋幸は腹違いの妹との情事を浜村龍造に告白することで、父親に対する心理的な報復を遂げようと試みる。しかし浜村龍造は少しも打撃を受けず、秋幸の深刻な告白を一笑に付してしまう。この「肩透かし」の描写は明らかに「岬」の終幕における美しい詩的絶唱の否定と排斥という意義を担っているように感じられる。「岬」が体現していた悲劇的な抒情を、浜村龍造という男は粉微塵に打ち砕き、踏み躙ってしまうのである。この端的で素朴な「蹉跌」は、前作の秋幸が孕んでいた主観的な陶酔に対する致命傷として作用する。秋幸は複雑に入り組んだ「血縁」が生み出した「私生児」という不幸な烙印を、悲劇的な抒情の源泉として尊重していたのだが、その特権的な神聖さは実父の身も蓋もない「肯定」によって、根源的に抹殺されるのである。

 この変化は、秋幸が具体的な「現実」の領域に存在の枢軸を移行させたことの傍証であると言える。彼は主観的な抒情性のフィルターを通じて事物を捉えることの退嬰的な性格を敢然と棄却したのである。その勇敢な選択を経由せずに本当の「真実」へ到達することは出来ないし、そこに安易な「共感」を許さぬ酷薄な現実の諸相を浮き上がらせることも出来ない。彼は自分の主観的な抒情性が、或る限定された視点の内側でしか成立しない、狭隘な認識の形態であることを明瞭に告示したのだ。

 義弟の秀雄を撲殺した後、物語の主要な視点は「秋幸」という主軸を失って、俯瞰的な領域へ移行する。この視点の導入が、「岬」における主観的な抒情性を足掛かりにする限りは不可能な選択肢であったことは論を俟たない。無論、中上健次は「枯木灘」という物語を、竹原秋幸の収監によって完全に片付けようとは考えていない。「枯木灘」という物語の完結は決して、中上健次が抱え込んだ内在的な問題の解決を意味しないからだ。

岬 (文春文庫 な 4-1)

岬 (文春文庫 な 4-1)

 
枯木灘 (河出文庫)

枯木灘 (河出文庫)

 

 

「意味」からの遁走 中上健次に就いて 2

 だが、自分の母親を「母」ではなく、一個の独立した人格として客観的に把握するような認識と思索の形式が、或る抽象的な努力を要するのだとしても、つまり「母親」を「母親」として捉えることの方が遙かに個人の体感としては「リアル」なのだとしても、そうした視点に留まり続ける限り、私たちは逆説的に、その関係の「固有性」を立証することが出来ない。「私=母」という一対の関係性を内在的に捉えることは、その関係性における歴史的な固有性を棄却する行為であると言える。言い換えれば、誰にとっても「産みの親」という存在はあり、その「母」と「子」の関係性には一定の共通した要件が揃っている。「母」という肉体的なリアリティに執着して、その「母」を一個の独立した人格として捉え直す為の努力を怠る限り、私たちは「母子」という或る種の一般論が生み出す通俗的な「理解」の枠組みの中に閉じ込められてしまうだろう。一口に「母子」と言っても、その内実は様々に異なっている筈である。それは誰にとっても存在する「私」という自意識が、それだけを抽象的に取り出せば、普遍的な規範として機能しているように感じられるのと同質の現象である。この普遍的で一般的な自意識のことを、柄谷行人は嘗て「独我論」と呼んだ。それは「この私」と「あの私」の本質的な差異を「私」という抽象的な理念の下に同一化し、その複雑に枝分かれした関係性を消去する認識の形態である。

 「岬」のように「彼」の視点から総てを「彼」との関係性において捉えようとするスタンスは、私小説的な伝統が固執してきた素朴な実感主義や内在的な思考の原理に依拠している。それは抽象的な観念を排除して、生々しい個人的な現実の諸相を精密に把握し、描写しようとする為の装置だが、そのような装置に附随する拭い難い独我論的性質の限界に、中上健次は気付かずにはいられなかったのではないか。ただ、一般的な理窟として考えれば、こうした独我論的性質は所謂「共感」や「感情移入」や、それらに伴って惹起される「感動」(感涙)を呼び覚ます上では不可欠の重要な仕組みである。小説という芸術に接する数多の読者の中には「感情移入」や「共感」こそ、芸術的な感興の精髄であると信じて疑わない人々が少なからず含まれている。それは「共感」の回路を通じて他者の固有な経験を感受し、理解することが可能であるという奇怪な信憑の産物であるが、それによって隠蔽されてしまう真実が存在することに注意を払わないのは、怠惰な態度である。何故なら、それぞれの人間にとって固有である筈の経験が安易な「共感」を通じて分有され得るという認識には、薄弱な根拠しか備わっていないからである。私たちが安易な「共感」を通じて、根拠の薄弱な連帯感や共同体的な求心性を味わうことが出来るのは、独我論的な装置が生み出す幻想と仮象によって、銘々の固有性が扼殺されていることの結果である。「私」という自意識が共通の普遍性を宿しているという奇怪な錯覚と謬見が、私たちに「感情移入」という欺瞞を授け、その快楽の泥濘に溺れさせるのである。私たちは極めて容易く、相互に或る同一性によって結び付けられていると誤認するが、それは独我論的装置による「差異の消去」という手続きが齎した「夢想」に他ならないのだ。

 「岬」の独我論的性質は、結果として中上健次が対峙していた「自己の履歴」の真実を、彼の作品の読者に捻じ曲げられた形で伝達するという不本意な現象を惹起した。だが本来、中上健次が描き出そうとしていたものは、他者の安易な「共感」や「感情移入」の営為を峻拒するものであった筈だ。そう簡単に理解されるような生易しい経験ではなかった筈である。にも拘らず、彼が社会に向かって投げ掛けた「岬」という佳品は、他者の安易な「共感」を誘発するような文学的装置の恩恵を十全に享受したのである。この原理的な矛盾に安住するならば、彼はもっと単純に「幸福」になれただろうし、四囲の社会的現実と快く和解することも出来ただろう。しかし、中上健次という作家は「岬」の執筆によって切り拓かれた文学的栄光の渦中で、深刻な欺瞞の存在を鋭敏に察知したのではないか。結局、彼が享受した文学的な評価は夥しい皮相な「誤解」の上に成り立った、束の間の脆弱な幻影に過ぎなかったのではないか。

 「枯木灘」の執筆に際して、彼が従来の話法を維持することに根源的な疑念を懐き、実際に「人称代名詞の排除」という変更を選択したのは、出世作である「岬」を取り巻いていた独我論的性質の打破を企図した為ではないだろうか。その為には「この私」と読者の有する「私」との間に架橋された独我論的な普遍性の基盤を否定する作業が要請される。色々な表面的「差異」とは無関係に認められる根源的な「同一性」という幻想を、事前に破砕しておく必要があるのだ。同一性という認識論的な虚構を蹂躙する為の方途として、彼は「岬」における主観性の視座を明確に破棄した。

 柄谷行人が明晰な文章で指摘した「固有名の導入」という問題は、こうした独我論的装置の超克という観点から眺めれば、必然的な展開である。良くも悪くも「岬」という作品に漲っていた主観的な「抒情」の世界を破壊する為には、内在的に捉えられた「家族」という私小説的伝統を棄却する必要がある。この場合の「抒情性」は結局のところ、感傷的な「観念」の累積に他ならないのである。予め周到に用意された主観的視座の構造の中に想像的な自我を投入することで獲得される安手の「文学的感興」を否定しない限り、本当の意味で固有な真実の「伝達」や「表現」が達成されることは有り得ない。そこで分かり易い通俗的共通項に依拠してしまえば、それは単に読者との不実な馴れ合いを生み出すだけではなく、自分自身の「真実」に対しても「背信」の罪を犯すことに繋がる。それでは「表現」に生命を懸ける意義が失われてしまう。抒情性の泥濘に脳天まで浸ったまま、悲劇的な陶酔に溺れ続けるのは、倫理的な意味で「不潔」である。その不衛生な状態を改善する為には「共感」の積極的な排斥が肝要である。

 一つ一つの関係性に具体的な「名前」を授けることは、独我論的な閉鎖性に亀裂を走らせる為の第一歩である。だが、架空の存在に対して「命名」の儀式を執り行うだけで、独我論的な構図が直ちに棄却される訳ではない。登場人物に具体的な姓名を与えるだけなら、わざわざ難しい理窟を捏ね回さずとも、誰にでも簡単に実行し得ることだ。だが、多くの通俗的な作家は、登場人物に対する「命名」を写実的な描写の一環として実行しているだけで、その目的は独我論的装置の「棄却」であるどころか、寧ろその積極的な「強化」なのである。それは中上健次が複雑な家族関係に「名前」を授けることを決意した理由とは対蹠的な意図に基づいた判断である。彼らは登場人物に明快なリアリティを附与することを目的として、尤もらしい名前を案出するが、それは読者の「共感」を一層円滑に喚起する為の小手先の技巧に過ぎない。つまり、架空の捏造に過ぎない紙上の人物に尤もらしい骨格を授ける為だけに「名前」を拵え、それによって独我論的な「同一性」の幻影を益々滑らかに研磨しようと試みているのである。そうした皮相なリアリズムは、中上健次の文学的「魂胆」とは全く相容れない、極めて保守的で前例主義的なクリシェでしかないのだ。

岬 (文春文庫 な 4-1)

岬 (文春文庫 な 4-1)

 
枯木灘 (河出文庫)

枯木灘 (河出文庫)

 

 

「意味」からの遁走 中上健次に就いて 1

 中上健次出世作である「岬」の世界は、土俗的な湿り気に満ちている。その湿り気が作中に充満する「情緒」の派生的な効果であることは論を俟たない。中上健次が「岬」において描き出す光景は、或る一族の閉鎖的な側面であり、その描写が及ぶ領域は極めて限定的なものである。そこから滲み出る鬱屈した息苦しさに、読者は不可避的に共振させられる。主人公の秋幸(「岬」の段階では、未だ「竹原秋幸」という客観的な人格としては明示されていないが)が感じる鬱屈は、彼が置かれている閉鎖的な環境の産物である。この息苦しい閉鎖性、あらゆるものが限界まで煮詰められてしまうような閉鎖性は、彼らが暮らしている「路地」に加えられてきた歴史的な「差別」の暴力性によって醸成されている。

 一体「差別」とは何か、という問題は解決が難しい。ただ、それが何らかの恣意的な基準に依拠して作り出された歴史的な秩序であることは明白である。そして真の困難は、誰かの手で恣意的に生み出された秩序が、後に或る絶対的な規範にまで高められてしまうという酷薄な現実に根差している。それは何らかの具体的且つ人工的な濫觴を有する社会的な「制度」でありながら、一旦固定化されてしまうと、如何なる手段によっても覆し得ない強靭な規矩として成員を支配し始める。この奇妙な絡繰は、人類の歴史においては普遍的な強度を維持し続けてきた。

 中上健次は「岬」において、被差別部落の内側に暮らす人々の窮屈な生涯、その愛憎の複雑な絡まりを「内側から」描き出すことを企図しているように見える。様々な登場人物が「名前」で呼ばれる代わりに種々の代名詞(「母」や「姉」や「兄」といった言葉たち)で示されるのも、総ての事物や現象が主要な視点である「秋幸」の立場から眺められ、「秋幸」との関係性を通じて描写されていることの反映であろう。この作品は一人称の私小説ではなく、秋幸も「彼」という人称代名詞で客観的に名指されているが、だからと言って、この作品を充分な客観性に基づいて構築されたものとして定義することは出来ない。この作品は飽く迄も強烈な「主観性」を通じて語られることによって、土俗的な生々しさを獲得している。土地の呪縛、血の呪縛を浮き上がらせる為の方途として、こうした描写の形式や話法が採用されたことは一つの確かな事実であろう。

 こうした傾向は続編に当たる「枯木灘」において、若干の変容を見せる。飽く迄も秋幸が主人公であることは変わらないが、彼の関係する世界は、異質な視点を導入することによって更に立体的な相貌を獲得するのである。「彼」という単一の視点から語られていた世界は、より包括的な視座を作り出し、曖昧に描かれていた「実父」は「浜村龍造」という独立した人格を備えて登場する。

 批評家の柄谷行人は「三十歳、枯木灘へ」という評論において、こうした事情を明晰に要約している。

 この突発的な出来事は、しかし、書くという行為をおいてありえない。この飛躍にかんする手がかりの一つは固有名にある。たとえば、『岬』では、秋幸の姉美恵は「姉」としてあらわれ、秋幸は「彼」としてあらわれる。人物に名がないわけではないが、主要な人物はすべてこうした語で指示されている。「姉」とは「彼」の姉である。つまり、「母」も、自殺した「兄」も、「義父」も、「あの男」(実父)も、「彼」との関係においてあり、関係を指示する語である。いいかえれば、登場人物はすべて「彼」を中心とする関係においてあり、「彼」の視点においてある。いうまでもなく、「彼」とは「私」のことであり、このような彼=私という装置は明らかに私小説的伝統に属する。(「坂口安吾中上健次講談社文芸文庫

 「枯木灘」における視点の変容は、「岬」という作品を貫いていた私小説的な視座の変容として形成されているが、それは飽く迄も表層的な変化、或いは過渡的な変化に留まっているように見える。彼の属する世界は「岬」から「枯木灘」への変容を通じて大きな広がりを獲得することに成功しているが、その広がりは描き出される事実の「俯瞰」のレヴェルに留まっている。後の「地の果て 至上の時」においては、そうした事実の客観視という次元を飛び越えて、物語は重層的な分裂を示す。そこでは様々な「噂」が複雑に混淆し、客観的な事実と主観的な真実との境界線が酷く曖昧に溶解させられている。こうした段階的な変容は、中上健次という作家の技術的な成長を意味しているのだろうか? 恐らく、それは俯瞰的な図式化、明確な図式化からの遁走という企図を内側に含んでいる。

 小説という雑駁な性質の散文が「芸術」としての性格を堅持し得るのは、それが明瞭な「意味」の体系を否認しているからである。明瞭な「意味」に還元し得る作品は、芸術としての普遍的な独立性を保持することが出来ない。あらゆる芸術は、既存の「意味」の堅牢な秩序を転覆させる為の野蛮な「叛逆」としての性質を有している。若しも芸術が、私たちの所属する素朴な現実の「追認」や「模倣」に過ぎないのならば、それが私たちの存在と精神を劇しく揺さ振ることなど不可能であろう。私たちが明瞭な「意味」として捕捉し得ないもの、如何なる合理的な弁証法にも還元し得ないものを把握し、表現し、それに具体的な輪郭を与える為に、芸術という奇怪な営為は存在している。

 「岬」「枯木灘」「地の果て 至上の時」の紀州三部作は、題材が異なっていても、煎じ詰めれば共通の世界を描き出している。端的に言えば、これらの作品は作者である中上健次の個人的な履歴、己の実存的な課題との「格闘」の成果である。彼は己の出自を文学的な考究の対象に据えている。彼は幾度も「それ」を語ろうとする。だが、幾ら語ってみても、適切に言い当てることの出来ない暗部のようなものが残留してしまう。こうした歯痒い経験は誰にとっても身に覚えのある話であろう。一つ一つの作品を通じて、彼は自己の実存的な主題に或る「答え」を導き出そうとした。少なくとも、それらの対象に明確で精緻な「表現」を授けるべく努力した。しかし、その度に巧く嵌まることのない対象の揺らぎを見出さずにはいられなかった。そのように考えなければ、彼が執拗に「路地」の世界に固執し続けた事実の重みを推し量ることが出来ない。

 作品を一つ仕上げる度に、中上健次は「何か違っている」という「不全」の感覚を拭い去れなかったのではないだろうか。「岬」という表現の形式が過不足のないものであり、それによって彼が明るみに出そうと努めていた世界の輪郭が悉く浮き彫りになったのであれば、彼は死ぬまで「岬」の話法を磨き上げ、その解像度を向上させることだけに心血を注げばよかった筈である。しかし、彼は「岬」の話法に満足出来ず、その表現の形式に具体的な限界を感じ取った。再び、柄谷行人の記述を引用しよう。

 ところで、中上健次は『枯木灘』の雑誌連載(全六回)の初回の初出稿において、『岬』と同様の書き方をしていた。つまり、秋幸の母や義父は「母」や「義父」として書かれている。ところが、その後単行本にするとき、中上はそれをフサや繁蔵などと書き換えたのである。たぶん、書いている途中に突発的な変化が生じたのだ。連載二回以降はフサや繁蔵と書かれている。もちろん、家族的関係がかくも錯綜していれば名前なしには困難があっただろうが、それだけの問題ではない。母はフサとなり、義父は繁蔵となり、あの男は浜村龍造となる。名を与えられた瞬間に、彼らは自立する。彼らは、彼=私との関係においてだけでなく、彼ら自身の歴史的・社会的な関係性において実存する。とりわけ、浜村龍造という名は決定的である。このような変更は、中上にとって飛躍的で、もはや後戻りできないものである。(「坂口安吾中上健次講談社文芸文庫

 こうした変容は、当初「彼」との関係性を通じてのみ見出されていた「他者」の存在に、それ自体の固有の重みを与える作業であるように見える。だが、それは曖昧模糊とした「他者」に明晰な自立性を与えたり、具体的な特徴を明示したりする作業であると同時に、観念的な「抽象化」の作業であるとも言える。何故なら、本当に「彼」にとってリアルなのは「フサ」ではなく「母」である筈だからだ。自分の母親を「母」としてではなく、或る一個の独立した「人格=他者」として純粋に把握することは、生身の人間にとっては殆ど不可能に等しい難事である。つまり、こうした変容は事実の具体的で精細な追究であると言うよりも、寧ろ人工的で抽象的な「綜合」の営為として理解されるべきなのだ。

坂口安吾と中上健次 (講談社文芸文庫)

坂口安吾と中上健次 (講談社文芸文庫)

 
岬 (文春文庫 な 4-1)

岬 (文春文庫 な 4-1)

 
枯木灘 (河出文庫)

枯木灘 (河出文庫)

 
地の果て 至上の時 (講談社文芸文庫)

地の果て 至上の時 (講談社文芸文庫)