サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

怪しい不動産屋

 今年の春に、私は千葉銀行船橋支店で最終決済を終え、完成したばかりの新居へ引っ越した。物件を探し出したのは去年の夏頃で、妊娠した妻が、今後の育児環境などを踏まえ、両親と姉夫婦が暮らし、幼い頃からの友人も多数暮らしている幕張に家を買うことを提案してきたのが、そもそもの契機であった。その時点では、戸建てを買うのかマンションを買うのかも判然としていなかった。私の両親はずっと社宅暮らしで、定年を迎えてから初めて、終の栖と定めた中古のマンションをキャッシュで買った。だから私自身の少年期は、絶えず団地暮らしであった。そういう育ち方をしていると、なかなか戸建ての家を買って暮らすというようなことに具体的な欲望が沸き立って来ないものである。もっと言えば、私は家を買うという決断に対して長らく及び腰で、不熱心であった。不動産に関する知識が皆無に等しいので、余計に漠然とした不安を募らせて、偏見を肥大させていた部分もあるだろう。住宅ローンという莫大な借銭を抱え込むことへの嫌悪や不安も、私の脳裡には巣食っていた。前妻と暮らしていた頃にも、家を買いたいという提案を受けたことはあったが、私は冷淡な反応しか示さなかった。その頃は若かった分、今よりも給料が安くて、毎月赤字と黒字の境界線を往来しているような財政であったから、猶更勇気が出なかったのだ。

 けれど、死ぬまで賃貸のアパートに暮らし続ける訳にもいかないだろう、という想いもあった。離婚したばかりの頃、たまたま車谷長吉の随筆を読んでいて、齢を重ねると不動産屋が賃貸の物件を紹介することを渋り出す、という文章に遭遇し、暗澹たる想いに囚われたことを思い出す。そうか、独身のまま馬齢を重ねれば、連帯保証人もいなくなる、そうなれば借家へ住むことも出来ないのか、老人になって夜露を凌ぐ場所さえ手に入らなくなるのは余りに辛い、このままではいけないな、しかしどうすればいいのか、という具合に、陰気な妄念がぐるりぐるりと頭の中を駆け巡ったのである。

 家賃を払い続けるくらいなら、家を購入してローンを返済した方がいい、賃貸の家賃を幾ら払っても、手許には何も残らないのだから、という有り触れた通説にも、少しずつ心を動かされつつあった。三十歳の誕生日を間近に控え、そろそろ自分の「拠点」を明確に定めなければならないという考えも、脳裡を燕の如く掠め始めた。それまで私は、何処かに家を買って、身動きが取れなくなることへの不安を、ぼんやりと抱え込んでいたのである。だが、再婚して娘を授かり、勤続年数も十年に届きそうな男が、今更ふらふらと転居を繰り返すのも馬鹿馬鹿しいと言えば馬鹿馬鹿しい。自由気儘に生きるのも結構だが、妻子への責任を考慮しない訳にはいかない。離婚して脛に傷を負った私に、救いの手を差し伸べてくれた妻に対する恩義を踏み躙るのは、他ならぬ私自身の正義に反する行為なのだ。

 それで実際に物件探しを始めた。最初は妻がチラシを見たり、携帯でサイトを巡回したりして見当をつけた。最初に連絡して物件を案内してくれたのは、新松戸に事務所を抱える不動産屋で、背の高い、脂ぎった饒舌な中年男性の営業だった。彼は如何にも不動産売買のプロフェッショナルだという自負を滾らせている人物で、絶えず講釈を垂れ、無学な私たちに「家を買う」とはどういうことなのかを威風堂々とレクチャーしてくれた。彼は新築のマンションを買うくらいなら、戸建てを買った方がいい、同じ新築ならばマンションの方が、共益費や修繕積立金の払いがあるので割高になる、それに処分するときもマンションは売り辛い、と力説し、無知な私はすっかり洗脳されてしまった。船橋市駿河台、習志野市鷺沼、花見川区検見川の戸建てを見て回ったが、どれもしっくり来ない。駿河台は場所は辺鄙で買い物に不便だし、鷺沼は家並の建て込んだ狭苦しい路地に窮屈そうに立っていて眺めも悪い、検見川は大きな車道に直に面していて騒音や排気ガスが気に掛かる。結局、新松戸の事務所まで連れ込まれて色々と物件情報を調べてもらったのに、それきりになった。こういう大きな買い物には、営業の人柄に対する個人的な評価が重要な意味を持つ。私の眼に、最初の営業マンは少し性格の悪い強引な男のように映じた。此方の希望を理解していないのか、案内してくれる物件が少し的外れで、今になって顧みれば売り辛い物件を早く捌きたくて我々に押し付けようとしていたのではないか、という気さえする。灰汁が強いというか、心を開いて信頼したくなる人物ではなかった。普通の勤人にとっては、持ち家を購入するということは一世一代の大博打だから、信頼のおけない人間に手曳きを依頼するのは躊躇われる。

 次の営業マンは、習志野市藤崎の小さな不動産屋の男で、小雨の舞う新検見川駅のロータリーで待ち合わせた。背の高い、前述の営業に比べれば随分若い、物腰の柔らかな男性だった。人柄は抜群に良く、好感を持ったのだが、最初に案内してくれた検見川の家は日当たりが悪いことがネックになり、続いて案内された花見川区浪花町の物件は、直ぐ裏手が川になっていて水難と臭気が気に掛かり、おまけに送電線の鉄塔が間近に聳えていた。土地の形が悪い所為で、家の間取りも強引な構図になっている。残念だが、見送りとなった。

 最後の営業マンとは、幕張駅で落ち合う予定になっていた。藤崎の不動産屋を辞して、妻と連れ立って駅前へ足を運ぶと、白い乗用車の近くに、羽振りの良いやくざのような、或いはベテランのタクシードライバーのような風貌の年配の男性が佇んでいるのが眼に入った。遠くから眺めただけで、直ぐに不穏な気分にさせられる異様な貫禄がある。近付いて挨拶すると、口調や物腰が妙に柔らかくて角がない。却って不気味だ。金縁の眼鏡に、ロレックスだろうか、黄金色に光り輝く大きな腕時計を手頸に嵌めている。

 彼は私たちを車に乗せ、幕張町の現場へ案内した。そこは未だ更地で、貴方たちの希望に基づいて間取りを決めることが出来る、いわば注文住宅なのだと彼は説明した。立地としては此方の希望に恐ろしいほど合致していた。妻の実家にも、妻の姉夫婦の家にも徒歩で行ける距離で、幕張駅に歩いて行くのにも、十分ほどしか要さない。買い物にも便利だし、何より静かだ。但し、気懸りなのは費用の金額であった。幕張の辺りは、マンションにしても戸建てにしても、売り出しの価格はそれなりに高い。市川などに比べれば幾らか安いが、私たちの想定した予算よりも高額であることは確実であった。

 不動産売買の経験が長いことを暗黙裡に感じさせる、抜群に落ち着いたセールストークで私たちの心を誑かしつつ、その営業は幕張駅の北側へ社用車を走らせた。開発中の現場へ作ったモデルルームへ案内するというのだ。実際に新築の広々とした空間を見せつけられると、やはり気分は高揚するし、欲望も喚起される。一通り案内し、説明し、誘惑した後で、男は頑丈なアタッシェケースから書類を取り出し、資金計画に就いて語り始めた。住宅ローンの金額を試算し、月々の支払いはこれくらいでしょうと示された内容は、思ったよりも割安であった。

 随分と心が揺れ動き出した。一旦持ち帰って検討すると答え、その日は解散となった。営業は御自宅まで送りましょうと申し出て、外に停めた車へ導いた。先刻とは異なり、彼が乗り込んだのは黒塗りのレクサスであった。改めて名刺を確かめてみると、彼は単なる一介の営業職ではなく、船橋市を拠点に宅地開発や建売を行なう不動産屋の社長であった。金縁の眼鏡も、ギラギラの腕時計も、乗り心地抜群のレクサスも、恐るべき貫禄も、貫禄と裏腹の丁寧な物腰も、それで漸く腑に落ちた。

 津田沼まで送り届けてもらい、さよならと挨拶して別れるときに、今週中に決めてくれたら、100万ならば大丈夫ですから、と告げられた。一瞬、言葉の意味を量りかねたが、要するに100万円、値引きしてくれると彼は囁いているのであった。揺れ動く心に、その譲歩は計り知れぬ魅惑を伴って突き刺さった。最終的に、私は勇気を振り絞ってその物件を購入したのだが、今になって改めて思うのは、彼の商売の鍛え抜かれた巧みさである。相手の心理を隅々まで見抜いているような気配りの緻密さと、別に見抜いている訳ではないですよとでも言いたげな恍けた部分と、両方を併せ持って迫ってくるのだから、大抵の素人は急所を鷲掴みにされてしまうのではないだろうか。社長の看板は飾り物ではない。