サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

柔軟で可塑的な「時間」の感覚

 夕暮れ時、といっても既に夜陰に包まれた時刻であったが、京成幕張の駅前の床屋へ立ち寄って髪を切ってもらった。

 私は生まれてこの方、美容院というものに世話になった経験がなく、床屋のことしか分からないのだが、手許に神経を集中せねばならない職業である所為か、店内には大抵、ラジオの放送が流れている。鋏や剃刀を扱うのだから、テレビ画面を盗み見ながら作業を進める訳にはいかない。だから、代わりにラジオを流して、理容師は集中力を高め、客は退屈を紛らわしているのだろう。或いは、理容師も退屈を紛らわしているのかも知れない。

 私は普段、ラジオというものを全く聞かない。だから、床屋の扉を開け、可動式の椅子へ躰を横たえたとき、鼓膜に流れ込んでくるラジオの声は新鮮に響く。津田沼に暮らしていた時に通っていた床屋も、京成幕張の駅前の床屋も、郷土に対する熱烈な愛情を燃え立たせているのか、何れもベイエフエムbayfm)を流している。別に耳を澄ませて聞き入っている訳でもないのだが、顔剃りの時間は知らず知らずラジオの音声に気持ちが引き摺られていく。バリカンの音や、洗髪の流水の音に、聴覚を阻まれることがないタイミングだからだろう。顔の産毛や髭が剃刀に削ぎ落とされていく小さな手応えの響きだけが、微かに伝わって来る。その静寂へ染み込むように、大きめの音量のラジオが割り込んで来る。

 偶々耳に触れた音楽番組で、1999年を振り返るという企画を放送していた。1999年、冷静に考えてみれば、随分と昔なのだが、私自身の感覚では、それほど遠い気がしない。1985年生まれの私は、当時14歳の中学生である。来月には31歳の誕生日を迎える痩せこけた男にとって、それは確かに遠い昔なのだが、内面の感覚では、未だに地続きのように思えるから奇妙だ。ラジオの男性ディスクジョッキーは、その年、あの有名な「だんご3兄弟」が一世を風靡したという歴史的な事実を、淡々とした口調で告げた。「だんご3兄弟」なら、勿論知っている。大ヒットして、来る日も来る日ものべつ幕無しにテレビの画面から茶の間へ水害の如く流れ込んでいたことも記憶している。けれど、それが1999年の出来事だったということは、全く認識していなかった。その当時は、つまり「だんご3兄弟」の熱狂的な暴風が巷間を席捲していた当時は、その年が「西暦1999年」であることを明確に理解していた筈である。しかし、過ぎ去った想い出に、暦年を刻んだタグは引っ掛かっていなかった。

 実際に流れていく時間、主には時計によって測定され、記録される客観的で均質な時間の経過と、私の主観が捉えている時間の経過の感覚との間には、明瞭な隔たりが存在していることを、改めて思い知らされずにはいられなかった。一般的な常識として、時間は加速することも遅延することもない均一な律動であり、遅れるのは常に事物の側、つまり人間や電車の方であると相場が決まっている。しかし、そのような客観的時間性が、私たちの内なる時間性と頻繁に背馳するものであることは、誰しも弁えているに違いない。「光陰矢の如し」と古人は言った。それは時間の流れが極めて迅速であることを地上の要諦として報せているのだが、時間そのものは、早くも遅くもなく、単に一定の規則的な推移に過ぎない。それをわざわざ「矢の如し」と形容せずにいられないのは、私たちの内なる時間性の感覚の進行が、客観的に測定される普遍的で外在的な時間に比べて、非常に不規則で歪んだ線形を描くものであるからだ。純粋に客観的な時間、つまり極度に抽象化された、透明な約束事のような「時間」(或いは「時刻」と称すべきか)は、私たちの内面の状態とは無関係に、独行独歩する何物かである。言い換えれば、内なる時間性は常に「変化」によって捉えられる。もっと言えば、私たちは「時の流れ」と「事物の移ろい」を絶えず結び付けて把握する認識の様式に馴染み切っているのだ。

 客観的な「時刻」というものが、一種の「イデア」であり、社会的な約束事であるのは疑いを容れない厳然たる事実である。しかし、私の記憶はそのようなイデアに制約されることなく、自由自在に伸縮する「時間」の目盛りに従属している。客観的な「時刻」とは無関係に、私たちの体感する「時間」は、独自の規律に則って遷移し続けている。何時までも若くないと知識の上では理解しながらも、精神的な部分では十年経っても二十年経っても同じ場所に佇んでいるような感覚さえ懐いてしまう。本当は色々な出来事が起きて、時刻は着実に次の目盛りへ順調に進み続けているというのに、私は色々な出来事を忘れたまま、同じ世界を見凝めているような錯覚に囚われている。こういったことを、床屋の椅子に横たわりながら漠然と考えた次第である。